交流試合から数日後の朝。
何時のもの調子で目が覚め、居間へと降りてきたテイルは、扉を開けたタイミングで、まだ夢を見ているのかと首を傾げる。
「あっ、テイル兄、おはよう」
『よぉ、邪魔してるぜ』
「あらぁ、テイル君、おはよう」
「随分と遅い起床だな。もう9時だぞ?」
「ホウナ、代わりを頼む」
「はぁい。――あら、おはよう、テイル君。ちょっと台所を借りてるわね」
困った表情で手を上げるシュウと、にやにやと楽しそうに見つめてくるカオス、いつものおっとりしたペースを崩さないメイミに、勝手に新聞を読んでいるアゼル、何時の間にかコーヒーを飲んでいるファントムと、台所で朝の準備をしているホウナが、それぞれいるのだ。
部屋にある大型のテレビには、数日前の交流試合の様子が映し出されている。確かに、試合の様子は録画していたので、テレビの使い方さえわかれば、誰でも再視聴できるだろう。
テイルは自分の額に手を当て、それから目頭を強くこする。しかし、目の前の光景が変化することは無く、むしろ後ろからやってきたセイナが、「あれ? 何でみんないるの?」という言葉を発することで、それが現実だと実感する。思わず、テイルは顔をしかめた。
「何でココなんだ。反省会なら、協会の一室でやればいいだろ」
「ええと、俺は別に反省会じゃなくて、テイル兄に、バトルの稽古をつけてもらいたくて来たんだけど……」
『俺はそれの付添い』
「私はテイル君に甘いものを作ってもらうために来ただけよぉ?」
「僕は貴様に依頼することがあって来たんだ」
「俺はバトルしたいだけだな」
「ええっと、ファントムさんに連れられてしまって……ごめんなさいね」
それぞれが全く別の理由というものを立て並べている光景に、テイルは黙したまま更に眉間に皺をよせ、ふと、最後の四天王のひとりが見当たらないことに首を傾げる。
「アイルズさんは協会にいるのか」
「あぁ。帰ってきて早々、やる気に満ちあふれているようでな。エメラルドや他の者達を総動員して、今回の騒動を終息させるために動いている。おかげで、僕があの馬鹿を使えないし、作業部屋も占領され、仕方ないから今日は非番をとったまでだ」
「それで良いんだ、協会四天王って……」
ぼそっと呟くシュウの呟きに、各四天王が素知らぬ顔を貫き、テイルはここに(無駄な事を言って適当に事態を収拾する)エメラルドがいないことを呪った。
「テイル、お腹すいたけど、朝食どうしよう?」
「あら。テイル君が台所を触らせてくれるなら、簡単なサンドイッチをつくってあげれるわ」
「本当ですか!? テイル、ホウナさんにお願いしても良いよね……!」
この家で最もちょろく、かつ、テイルにとって優先度の高い少女の好感度と胃袋を華麗にさらっていくホウナは、テイルに余裕のある表情で微笑む。降参と言わんばかりに、彼はため息をついた。
「ホウナさんに任せるのは、流石に申し訳ないです。俺がメインでやるので、手伝いだけお願いします。……どうせ、余った分はそこら辺の奴らが食べるでしょうから、多く作る必要がありますので」
その言葉に、セイナとホウナが嬉しそうな顔でハイタッチをするので、喜んでいる二人の様子には、流石に、先ほどまで感じていた呆れが引っ込んで苦笑になる。
ふと、遠くから、玄関の鍵が回される音と扉が開かれる音がして、セイナ、ホウナ、シュウ以外の全員が顔を上げる。音に反応した面子が居間の扉を見つめる中、果たして、扉が開かれる。
「テイル、起きているか。すまないが、レジェンがいるから朝食を二つ用意してもらえないだろうか」
「やっほー、みんな。協会長と副協会長も、今日は疲れているからお休みだよー☆ あ、アルクは生真面目に仕事だけど」
現れたのは、ポケモン協会の協会長クールと、協会副会長の片割れのレジェンだった。その姿に、メイミとアゼルがすぐさま立ち上がって礼をとり、ファントムはひらりと手を挙げ、シュウが酷く呆れた顔でレジェンを見つめる。
「と、父さんもサボり……いや、クールさんは疲れていらっしゃるだろうから、お休みなのは分かるけど……」
「えっ、ちょっとシュウ酷くない!? 父さん、あの堅物アルクを何とか説得して、クールのお休みをもぎとってあげたんだよ!」
「まだ仕事をするつもりだったのだが、アルクから、様子を見に行くように言われてしまった。レジェンはついでに乗っかってきた形だな」
「クール。そういうのは言わないのが親友としての心意気だよ……」
テンション落差の激しいレジェンの横で、クールはしれっとした顔で首を傾げるも、その場で難しい表情のまま立っているアゼルの方へ向き直る。
「アゼル君、彼は君のことを心配していたようだ。それと、試合の結果については、彼なりの言葉で褒めていたぞ」
「『伝説相手への立ち回りはそれなりだ。が、試合中に相手の言葉一つで翻弄されるようでは、十分な実力とは到底言い難いものだな』だってさ。それをほめ言葉って言いきるクールも流石だよねー。そう思わない、アゼル君?」
「…………いえ。有難う御座います」
何とも言い切れない表情でアゼルがクールに頭を下げ、ホウナは楽しそうに笑う。
その様子に軽く頷いてから、クールは改めて、その場にいる協会四天王と交流試合の補欠へ向き直る。
「アイルズ君には先に言ったが、アゼル君、メイミ、ファントム、シュウ君。君たちにも、話しておかねばいけないことがある」
『俺はー?』
「カオスはもう知ってる話だよ」
「カオスが知ってる話……?」
含み笑いのカオスに、レジェンがなだめるように声をかけ、意味が分からずにシュウが首を傾げる。
『あぁ、そうだな。主に、お前がマスターランク獲った経緯とか』
「なんでそれを伝える必要があるのさ!」
「そうだ。それは僕もアイルズも、協会長から聞き伺っているから違うだろう」
「えっ、アゼルもアイルズさんも聞いてるの!?」
「そうだ、シュウ。貴様、マスターランクを獲ったのなら、何故、俺に言わない。こういうのは協会四天王として見極めてやる必要があるからな」
「そうよねー。テイル君と戦って勝ったというのであれば、私たちにも、きっと素晴らしいバトルを見せてくれるのでしょう? だったら、ちょっと実力を試すために遊んでもいいわよねぇ」
『そーだよなー。まずは因縁深いテメェらに、敗北の二文字を味わわせることが先決だよなぁ。よしシュウ、こいつらまとめてやんぞ』
「いやいやいや待って! 何でそうすぐにバトルに持っていこうとするのさ! ファントムさんはともかく、メイミさんってそんなに積極的にバトルされないですよね!?」
メイミとファントムに詰め寄られるように言われ、カオスが喧嘩を売り、シュウは困窮極まってひたすら二人の一匹のなだめに入る。思わずアゼルが呆れた目で様子を見つめ、レジェンは止めるどころか微笑ましそうな表情で見守り、ホウナはセイナと共に朝食の準備のために冷蔵庫から食材を引っ張り出し、テキパキと準備を整えていく。
「……テイル。これは、いつ話していいのだろうか」
「俺に聞かれても困るんだが」
一見すれば何を考えているか分からない表情の父親に問われ、話半分に朝食の準備をしていたテイルは、まな板から顔を上げず、父親と大体似たような声で返す。流石に状況を放っておくわけにもいかず、アゼルはわざとらしく両手を叩き、ため息をついた。
「ともかく! 貴様たちのじゃれ合いは後にしろ。今は協会長の話を聞くところなんだぞ」
「背の低い貴様にとってじゃれ合い扱いなら、エメラルドをどつく時の貴様は、ニャースが猫じゃらしに引っかかるものと一緒か」
『ゲンガーのポケ人なんだから、エメラルドはさしずめ、ゲンガーじゃらしだろ』
「分かってはいるのだけど……――普段の仕事のときから、ゲンガーじゃらしで遊んでいるアゼル君に言われるのは、説得力が無いと思うのよねぇ」
「…………いいから話を聞け」
「部屋の中で騒ぐなら、朝食抜きで外に出て行ってもらうぞ」
ざわざわと足元の影を揺らめかせつつ低い声で睨み付けるアゼルと、フライパンをもちながら冷えた目で言葉を付け加えるテイルに、流石の二人と一匹が憮然とした表情ながらも黙り込む。タイミングを見計らったレジェンが目配せするので、クールは軽く咳払いをした。
「今回の試合目的は、ミュウのまつ毛の化石、と呼ばれる物を、キングダム地方の国王に返還することだ。返還の条件として、かの国王は『明日の試合で何が起きるか当てる』という賭けを提案し、私はそこで『試合に決着がつかない』と可能性に賭けた。実際、試合の結果は引き分けになり、無事に化石の返還を行えたのだが……賭けの可能性について、私は、君たちの実力を疑っていた訳ではない、ということを言いたかった」
「クールさん、それは多分、言わなければ特に気にしないことだとは思うんですけど……?」
協会四天王の三人が澄ました顔をしている横で、シュウが恐々と手を挙げて首を傾げると、彼は首を横に振る。
「こういったことは、当事者から言わなければ、歪んで伝わる可能性がある。特に賭けの内容は、一見すれば信頼とはほど遠いものだ。今回の試合では、我がモノクロ地方が、キングダム地方まで問題を持ち込んでいることは理解していた。だから当日、まともに試合が行われるとは考えにくく、それゆえに、私は、最も可能性の高そうな可能性をあげたのだ」
「付け加えるなら、この賭け事の結果は、どっちに転んでも化石を返還する、ってオチだけどねー」
「だが、それでも君たちの勝利について賭けの可能性案としなかったこと、済まなく思う」
頭を下げる協会長に、今回の交流試合で戦いを行った者達は顔を見合わせ、
「いえ、クール協会長の判断について、僕は正しいと考えます。あの時、勝敗の有無を考えるよりかは、試合がそもそも無駄になる、という確率の方が高かったですから。実際に、そこの女は対戦相手に直接攻撃を与えてもなお負けていましたし、そっちの戦闘狂は地下のボイラー室を爆発寸前にまでさせるほど暴れたんです。むしろ、あの乱入者がいなかったら、正直、こちらが訴えられていた可能性だってあるんですから」
「アゼル君は本当に一言余計な言葉を付け加えるのが好きよねぇ。――私は、貴方の判断に全て従いますわぁ。貴方が正しいと思ったことを、私は、必ず正しくあるようにするのが、協会四天王としての仕事だと思っているんですものぉ」
「俺はそもそも出なかったから関係ないが、アンタが謝ることは無いだろ」
「ええっと、俺はその、なったばっかりですから、むしろ負けの方で提案され無かったことの方がびっくりでした……」
全員の反応に少しだけ眉を上げるクールの背を、レジェンは楽しそうにはたく。
「ほら、アイルズ君と同じ反応だ。君は気にしすぎなんだよ」
「アイルズは何て言ったんですか」
やや不審そうな目で問いかけるアゼルに、レジェンは人差し指をたて、笑いを隠しきれないと言った調子で告げる。
「『モノクロ地方の協会四天王が、全員でまともに試合をできると、本当に考えているんですか』だったねぇ。いやー、同じ同僚なのにあれは酷い言いぐさだ!」
「だろうな」
「そうよねぇ」
「確かに、否定要素が無いな」
「うちの地方の四天王って、一体……」
何度も首を縦に振るレジェンの言葉に、ファントムとメイミが当然とした顔で頷き、質問したアゼルですら、ため息をついて肯定する。これ以上呆れる要素が無いと思っていたのだが、もはや空いた口がふさがらないシュウが目頭を押さえつつぼそりと呟く。
「まぁまぁ、現在の実力を示すに良いパフォーマンスになったから、それでいいんだよ。ねー、カオス?」
『俺はどうでもいいけどなー。――それより尻尾野郎他、朝飯まだかー?』
「…………」
「今作ってるから待ってー!」
半眼だけで無言のテイルの横から顔を覗かせたセイナが、カオスにぶんぶんと手を振る。
何故かそれで毒気を抜かれたのか、さっさと作れよー、という返しをして、カオスは再び試合を流すテレビへと目を向ける。シュウとアゼルも、それ以上ツッコミ気力を失ったのか、深いため息をついて二人そろって試合を流すテレビへと向けなおす。
レジェンはファントムとメイミの二人に声をかけ、憮然とした顔の二人に何やら話を始めており、暫く二人を手放す気配はなさそうだった。
そんな様子を一瞥した後、クールは向きを変え、
「ところでテイル」
「なんだ」
再びクールから声をかけられたテイルは、今回は包丁を動かす手を休めて顔を上げた。彼は、自分と似たような表情で眉をひそめ、
「今回の戦いは、どう見えた」
「セイナ達は楽しんでいたぞ」
「……お前は、どうだった?」
口を半開きにして、テイルは問いを行った男性を見る。人のことを言えない感情の薄い顔を、同じ暗い赤色の瞳を見つめる。その目の色から感情をうかがい知ることはやはり厳しいが、それでも、何かを求めているからこそ訊ねてきていることぐらいは、流石のテイルにも思い当たった。
少しばかり虚空を見つめてから、やがてテイルはぼそりと呟く。
「……――あれだけやるなら、たまには、バトルの訓練に付き合って欲しい」
「分かった。この朝食後に行うとしよう」
満足したクールの声に、テイルは少しだけ肩を震わせた後、彼の朝食となるサンドイッチは、少し厚めに作るよう心の中で決めた。
*****
『――そこにいる国王でも協会長でもない。この俺が、キングダム地方の四天王長であるオーディン=ブライアスが、全員まとめて相手してやるつってんだよ。こんっな当たり前の言葉の意味が分からないとか、お前は底抜けの阿呆だな、あぁ?』
大型画面に映る騎士団長のイラついた表情が写し出され、スピーカーからは表情通りの声が響き渡り、食堂にいる者達が、一斉に、感嘆やら驚嘆やら呆れやらが混じった声を漏らす。
食堂内の人数は、少なく見積もっても100は超えており、その人数が増加の一途をたどっているのは、この間の交流試合の様子を直接見ることが出来なかった者達や、あるいは、食堂で放映する話を聞き付けた暇を持て余した騎士団員達が、続々と増えているからである。
「あーあ、やっぱ怒ってるよなー、騎士団長」
「特にヴィエル様を狙ってた奴等だから、当然っちゃ当然だろ」
「ねぇねぇ、ロキ様も今回は饒舌よね」
「オーディン様と相対する時以上に説明過多だったし」
「この二人を怒らせるた時点で、犯人はご愁傷様だろ」
「そういやこの後、国王陛下と向こうの協会長とやらがバトルしたんだってな。なんか凄かったらしいぜー」
わいやわいやと興奮冷めやらぬ様子で今回のイベントについて盛り上がる騎士団員の兵士やメイド達を、トールは食堂の隅でぼんやりと眺めていた。
交流試合が終わってから数日が経った。
結局、試合後のパーティーをほっぽりだしていた自分の周りは、今日もいつもと変わらず閑散としている。それが、仮面に騎士服という普段着ることのない衣服だった故に誰だか分からなかったのか(補欠候補試合を見ていた奴は別だろう)、あるいは、試合に負けてしまったが故に傷心している可能性を考慮してそっとしておこうと思っているのか、あるいはその両方か。別に理由を考える必要はないのだが。
(ロキ様に言われて来てみたが、間近で見たものとさして変わりはないよな)
そもそも、食堂に行くよう提案したのはロキだった。
そういえばお昼過ぎから食堂で試合放映するみたいですよ、等と言い渡されたのだが、暗に、邪魔だから暫く暇をしていろ、ということだ。
そんなわけで最初から見始めた交流試合は、今まさに、騒動の終盤に差し掛かったところだった。二人の四天王による技コールで、カビゴンの攻撃がハピナスを撃墜させ、食堂内が一気に歓声に包まれる。
正直、どうでもいいような騒ぎの光景に小さくため息をついたトールは、食堂以外の所で暇をつぶそうと立ち上がり、
「あっ、トール!」
聞きなれた声に顔を向けると、入り口に立っていたフォルが、こちらに走り寄ってきた。内心の驚きと喜びなど余所に、トールは努めて冷静な表情で首を傾げる。
「フォルか。どうした?」
「なんか、クインとティアが片付けし始めて、先に食堂行っててるように言われた! それにしても……何やってんだ?」
「この間の試合の様子を流しているだけだ。当日、見れていなかった奴も多かったからな」
「おぉ、確かに!」
ぽんと両手を合わせて目を大きくさせる彼の頭を、無意識に撫でてやる。
「実際に試合を見ていたが……改めて、強くなったな、フォル」
「へへっ、そうかな?」
くすぐったそうに、自慢げな表情で笑うフォルを見て、トールは苦みと笑みを半々にした顔を向ける。
自分の立場が明かせない以上、こうして同じ騎士団員の一人として接するのが精いっぱいだった。彼の表情を見ていると、自分の立場をかなぐり捨て、彼をつれて、どこか違うところに逃げ出したくなる。
しかし、目の前の彼は、自分の事を忘れている。そして彼の力の封印は、地方を出てしまった瞬間、無くなる可能性も0ではない。
結局のところ、目の前で無邪気そうに笑う彼を救うには、自分は、今の立場で動き続けるしか他にないのだ。
「トール、聞いてるのかー?」
不服そうなフォルの声で、意識が現実に引き戻される。思わず、トールは片手を縦にして苦笑する。
「あーすまん……寝不足で聞いてなかった。もう一度いいか?」
「だから、ポケモンバトルしようぜ! 俺、トールとちゃんとやったことない!」
目を輝かせて詰め寄ってくるフォルに、トールは一瞬きょとんとするも、
(考えれば、騎士団に入ってから、フォルとまともにバトルしたことは無かったな……)
頭に乗せていた手で、今にも跳ね飛び出しそうなフォルの頭を軽くはたき、トールは首を縦に振る。
「あぁ、いいぞ。何時かきっと――……」
「何時かじゃなくてさ! 今やろうぜ、今!」
「えっ、ちょ、ちょっと待てフォル! そう強く引っ張ったら――」
椅子に座っていたトールを無理やり立たせようとしたフォルが、慣性の法則により、トールは彼を押し倒す形でそのまま体勢を崩してしまう。
崩れ落ちる激しい物音に、食堂にいるもの達は、音がしたほうを一斉に振り返る。そして、
「ったく、訓練後の片付けとか、罰ゲームかなんかかよ。お前、そういう趣味なのか?」
「ですから、クイン様も私と張り合わず、フォルと共に食堂へ先に行ってくださいとお話ししましたが? ――フォル、いるか」
食堂の入り口から顔を覗かせたクインとティアは、部屋の人間のほとんどが同じ方向を向いていることに気がつき、やはり、フォルを押し倒しているようにしか見えないトールのほうを向く。
トールは思った。
過程を見ていない者からすれば、自分は、綺麗顔の四天王の少年を押し倒す形で覆い被さっているように見えるのだろう。しかも自分の片手は、フォルの両手首を掴み、頭上に固定する形で押さえ込んでいる。
よく言うところの、言い逃れが出来ない状況に、食堂が一斉に静まり返る。ちなみにテレビには、だめ押しと言わんばかりに、トールがフォルと楽しそうに話をしていた場面がご丁寧に映っている。
「…………」
「…………」
騎士団の双璧たる二人の女性の冷ややかな視線を受け、トールは体勢を立て直し、その場に座り直す。そして、ジト目かつ戦闘体勢を調えた二人の女性を見上げ、
「……俺が悪い訳じゃない。無理に引っ張ったこいつが悪い」
「変態には粛清だろ。風紀が乱れるからな」
「同感です。そもそも、言い訳するぐらいなら、やらない方が賢いと思いますが?」
「あぁ、アンタ達はそういうと思ったさ…………。こい、ポケモンバトルで決着をつけてやる」
「あー! ずりぃー! 俺もバトルやるー!!」
結局、騎士団長のとりなしが入るまで、四つ巴のややこしいポケモンバトルが繰り広げられた。
*****
「それで結局、隊長は隊長なんですよねー」
「何がだよ」
執務室で書類作業に勤しんでいたオーディンは、やはり同じく書類作業に追われているロキをじろりと一瞥する。
交流試合から数日たったキングダム地方は、比較的落ち着いた様子をみせていた。モノクロ地方では、犯人の宣戦布告による影響を受け、多少ばたついているらしいが、キングダム地方では、さして影響は無かったようだった。
(実は俺が知らないだけで、先に手回ししてるんじゃないのか?)
そんなことを思いながら睨み付けると、苦笑したロキがひらひらと袖を振って見せる。
「流石に、もう何の用意もしておりませんよ。この地方が比較的大人しいのは、彼の呼び掛けに答えるような存在がいないからからと思われます。この地方で、白の組織、という組織に心当たりはありませんからね」
「俺はまだ、何も言っていないんだが」
「おや、これは失礼いたしました。納得のいかない顔をしていたものですから、てっきりその件かと思いまして」
口元を片手で隠しながら肩を震わせる同僚に、思わず閉口する。自分の表情はそんなに分かりやすかったのかと思うと、それはそれで腹立たしいものだ。軽く咳払いをして、オーディンはロキを見据える。
「それで結局。何が変わらないんだよ」
「騎士、という立場を自覚されたものですから、てっきり騎士団長としての仕事が疎かになるのではないかと思っただけですよ」
そんなことを言われ、オーディンは虚をつかれた表情になるが、すぐに半眼を向ける。
「当たり前だろ。俺は全部やるつったんだ。全部平等にこなすに決まってんだろ」
「メイド長とのデートの時間が取れなかったことを拗ねる割りには、そんな風に言うんですねぇ」
「お前は何でそう、無駄に煽るんだ? 暇ならさっさと仕事をしやがれ、仕事を」
頬を引きつらせ、怒鳴らないようにと心に唱えつつ、オーディンは低い声で呻く。その様子に、やはりロキは楽しげな表情で肩を揺らし、
「もし私が、彼(か)の方のように貴方を裏切ったら、どうしますか?」
あまりにもあっさりと、そんな問いかけを投げてくる。
オーディンは、再び取り組もうとしていた書類から顔を上げ、手にしていたペンを机の上に置いて立ち上がる。そして、そんな質問を投げかけてきた同僚の席のすぐ真横に立つ。
自分を見上げる彼の表情は、やはり普段と変わらず、何を考えているのかさっぱり分からない、僅かに笑みを浮かべた表情だ。それは、試合の前に騎士について問いかけてきたときも、試合中にちょっかいをだしてきたときも、パーティの後に勝手に部屋の模様替えをしたと伝えてきたときも、ほぼ何もかも。
――全てわかっているようなフリをして、全てを自分で何とかしてしまおうとする顔だ。
それを無言で見下ろし。
オーディンは、ロキの頭を軽くはたいた。
流石にあまりにも一瞬のことだったからか、反応に送れたロキの頭が反動で揺れ、はたいた箇所を片手で抑える。しかしそれは、痛みで反射的に抑えたというよりかは、何故はたかれたのか分からない為のように見えた。現に、その表情は痛みで歪んでるのではなく、理解が出来ずに不思議そうなものになっている。
にやりとオーディンは笑った。
「いつもの余裕顔じゃ無くなったな」
「えぇ……。隊長がどういう意図なのか分かりかねましたので」
「分からないならそれでいい。俺は満足だ」
軽く頷いて席に戻ろうとすると、ぐいと服の裾が引っ張られる。見れば、珍しく納得のいかない表情のロキが見上げてきていた。
「隊長、理不尽な暴力を振るくらいなら、少しくらい説明があってしかるべきかと思いますが」
「普段のお前だって、意味不明な行動の理由は説明しないだろうが」
「理由なく人に暴力を振るうことは、騎士の見本であるべき立場の人間に、あるまじき行動ではありませんか?」
何時の間にか口元に三日月を浮かべているが、確実に納得していない表情だというのは、流石のオーディンにも察しがついた。
自分で行動した手前、無理に振り払う訳にもいかず、オーディンは片手で髪を掻き、
「今回と一緒だ。お前が何考えてやってるか分からないから、俺はもう、あれこれ考えるつもりはない。
だから……お前が、"残りの帳尻を合わせろ"!
俺をどうにかしたいなら、そういう風に動け。何時もみたいに周りを動かせ。
それで裏切ろうが何しようが、最後に"俺に合わせるなら"、何も言うつもりは無い。後は自分で何とかしろ!」
叩き付けるように声を荒げ、オーディンはとび色の瞳でロキを見下ろす。
見上げてくる彼は、普段のように余裕のある笑みを浮かべる訳でもなく、かといって不思議そうな顔をするでもなく、ただただ、口元を引き締め、真剣なまなざしを向けてくる。やがて、ロキは目線を下におろして深く息をはきだし、
「――……暴君みたいなことを言うんですね、オーディン騎士団長は」
「お前相手なら、もう何言っても怖くはない」
「そうですか。私も、隊長相手なら、怒鳴られても怖くはないですね」
再び顔を上げたロキは、普段よりも、少しだけ目元が緩い笑いを浮かべている。
それだけでも、多少は、理解したのかもしれない。
それで充分だと、オーディンは思えた。肩をすくめ、その場で軽く背伸びをする。
「さて。さっさと残件片づけて、部屋を元に戻すか。つーか、部屋の中を薔薇模様ばかりにするって……お前、何であんなもの持ってたんだよ……」
「ヴィエル様より預かっていたのです。機会があれば仕掛けてほしいと」
「お前さ、何でいつもアイツの差し金やってんだ? ちょっとは常識で持って対処しろよ、もしくは断るとか」
「王妃様に進言する役割は、私ではなく国王陛下か隊長の役割です。むしろ、自分で言ってはいかがでしょうか?」
「当然言っている。言ってるんだが、アイツ、俺相手の時だけ口八丁っていうか――」
ドーン、と。
外で何かが爆発するような音に、オーディンが頬を引きつらせて窓に駆け寄り、扉を開けて、音がした中庭を見下ろす。
中庭では、騎士団でも有数の実力者であるアドラスティア、クイン、トールの三人が、ポケモンバトルを始めていたようだが、そこにフォルが試合に乱入し、それを取り囲むように野次馬の騎士団員たちが集まっていた。
フォルが場に出現したマニューラの吹雪が、観客として見守っていた騎士団員たちとポケモンを吹き飛ばして、ついでに、この間植え直したばかりの木々をなぎ倒す。戦いに火が付いたと思しきクインのエアームドがマニューラにエアーカッターを放ち、それを遮るようにトールのマニューラが、風の斬撃を鋭い鍵爪で切り裂く。追い打ちのようにハクリューがエアームドとマニューラに竜の息吹を放つも、二体のポケモンはそれをかわし、外れた技が地面をごっそりと焦がす。
横から顔を覗かせたロキは、下の様子を見てあっさりと呟く。
「このままだと、また中庭が半壊しそうですねぇ」
「…………行ってくる」
頭を抱えたくなっているような声でぼそりと呟き、オーディンは部屋を走り出る。
ロキは再び、窓の外を見下ろした。
相変わらずお祭り騒ぎのような城内で、兵士達やメイド達の表情は明るく、また、中心になっている青少年少女達も、各々の抱えているものとは裏腹に、生き生きとしている。
てっぺんを知らない天井の青空は何時もと変わらず穏やかで、外から聞こえてくる歓声やら悲鳴、そして騎士団長の苦労にまみれた怒鳴り声は、ロキにとっての日常の一つだ。
先ほどのオーディンの言葉を思い出して、ロキは、三日月になった口元に手をあてがう。
「全く。人たらしの天才は困ります」
言葉とは裏腹にどこか楽しさを含んだ呟きをして、ロキはオーディンの残した書類の片付けに取り掛かるため、ひっそりと窓を閉めた。
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