発端は、交流試合の二か月ほど前の事だった。

 そもそも事の始まりは、"ミュウのまつ毛の化石"が、モノクロ地方のとある遺跡で発見されたことに起因する。
 ミュウ。どんな技でも使うことが出来、ポケモンの祖先とも言われているポケモン。
 その実在性は、各地方によって異なるため、"伝説"として実在性が確立されているのではない、"幻のポケモン"と呼ばれている。
 ポケモンという不思議な生き物を解明するには、非常に重要な生物であり、それが例え、まつ毛の化石だとしても、研究者にとっては喉から手が出るほどの代物だ。
 その化石は当初、通常の化石と共に見つかった。解析の結果からそれが"本物のミュウの体組織"であることが発覚したが、同時に、そのころから、その化石には"非常に厄介な問題"があることも明らかになった。

「何か、良い対処方法はないでしょうか」

 クールは、目の前で思案顔をした白衣の男へ問いかけつつ、化石の内容を思い返していた。
 化石が発見された当初、その化石には問題なく触れることが出来たのだという。
 しかし、発見後の分析や解析を行っている内に、どういう理由かは不明なまま、化石に触れた人間やポケモン達に、奇妙な現象が起きるようになった。
 触った者達は、一様に悲鳴を上げたり頭の痛みを訴えたのち、意識を失ってしまうのだ。また、意識が戻った後も暫くは"自我"が保てず、精神的に不安定な状態で療養を余儀なくされてしまう。
 扱いを間違えれば危険でしかないそれは、どうあっても、一般的な対処は不可能だった。
 そう判断したポケモン協会長クールは、化石を狙う者達の対処や、厄介な問題故に難航する保管場所の詮索に追われながら、"その系列の専門家"の元へ相談に来ていた。
 白衣に黒縁メガネをかけた"エメラルドグリーン色"の目を持つ男は、表情が乏しくて厳格に見える男の問いには直ぐに答えず、のんきそうに呟く。

「これが、"気が狂う"というミュウのまつ毛の化石、か」

 男が手にしているのは、白いケースだ。中には、人差し指位の長さの化石が収まっている。
 価値を知らない者からすれば、古びた石をケースに入れただけに見えるだろう。
 しかしその実態は、ポケモンの技である"神秘の護り"を、ケース内部で常に発生させている高性能収納ケースだ。それが、この謎の化石の効果を打ち消せる、現時点で判明している対処方法であった。
 とはいえ、装置事態も試作機のため、絶対の安全を約束するわけではない。
 なにより、何故この化石が「一般的な常識から外れた力を持つのか」というのが、現在の科学知識で判明させることができなかったのだ。
 だからこそ、クールは目の前の「常識から外れた白衣の男」に相談するしかなかった。
 やがて白衣の男は、つまらなさそうとも面白がっているともとれる、左右非対称な不思議な表情をして、目の前のテーブルにケースを置き、肩をすくめる。

「"呪い"だな、これは。しかも、この地方の呪いじゃない。――やれやれ、奴の"国王嫌い"は筋金入り、というわけか」
「奴? クレフは、これが誰のものか知っているのですか」
「あぁ。こいつは、キングダム地方で始祖となっている、オリジナルミュウの遺物だ」
「オリジナルミュウ……? 普通のミュウとは異なるのですか」

 聞きなれない言葉にクールが眉をひそめると、学者風の男は人差し指をたて、口の端を吊り上げる。

「簡単に言えば、あの地方の成り立ちとなっている存在が、手ずから生み出したポケモンだ。だからオリジナル。この地方にいた、人やポケモンに恋い焦がれたミュウとは正反対な者。正真正銘、オールワンにしてオンリーワン。キングダム地方に住むポケモン達の全ての始祖であり、地方に恋する守護獣であり、初代国王との契約者であり――……そして、地方を恋する余りに暴走し、国王によって"倒された"存在だ。それ故、奴は代々の国王を憎んでいるのさ」
「大体の事情は分かりました。ですが、何故モノクロ地方に、その存在の一部が残っているのでしょうか」

 赤い瞳を細めて眉間に皺を寄せるが、目の前の男はあっけらかんとした表情で両腕を広げる。

「さて。どういった理由でうちの地方に来たのかは分からんが、呪いの発生理由は大体分かる。アイツが積極的な活動を始めたために化石が反応し、不思議な"呪い"を放つようになったんだろう。ミュウの力ともなれば、途方のないエネルギーを持ち、本人から離れていてもリンクしている可能性は十分にある。んで?」

 ひらひらと手を振るその男は片目をつむり、試すような表情でクールに言葉を促す。彼はケースを少しの間見つめ、

「――かの地方に、返還することは出来ないでしょうか?」
「それは俺の仕事ではない。協会長という立場にいる、お前の仕事だ」

 首を横に振っての返答は、これ以上、問題に触れるつもりはないという、この白衣の男の意思表示だ。
 返還されたケースを懐にしったクールは、軽く一礼する。そして、この場を立ち去るために立ち上がろうとし、待て、という声が前方から上がる。

「お前、キングダム地方の国王と面識は?」
「前に、船上のパーティで少々。ただ、事務的な挨拶だけですので、正しく面識があるとは言い難いですが」
「それなら、交流試合を吹っかけてみろ」
「交流試合、ですか? 条約締結の際に、友好関係を示す儀式のようなものですが……」

 あまりにも唐突な提案にクールが目を丸くしていると、白衣の男は唇を三日月にして指を振って見せる。

「今回は意味合いが逆だ。試合をする、という隠れ蓑を使い、今回の件を国王への相談として持ちかける。そうすることで、名目としては行き易くなるだろう? あと、吹っかけるのはお前ではなく、レジェンのほうが良いだろう。しかも、吹っかけ先は国王ではなく、"王妃"のほうだ。オオゴトの方が、向こうも乗りかかって来やすい」
「王妃? 地方の左右するような提案に、王妃が自ら賛同した上、開催までこぎつけれるようなものでしょうか?」

 半信半疑と言った調子の協会長を見上げる白衣の男――クレフは、眼鏡を指で押し上げると、笑ってるとも呆れてるとも言い難い、左右非対称の変わった笑みを彼へと向ける。

「かの王妃は"変わり者"だからなぁ。……――ま、お前も、あの地方に行けば分かるだろう。ただし、化石を返す先は国王だ。奴ならば、説明すれば事象を把握するだろうさ」

*****

 そんな会話をし、事が思いのほかあっさりと進んでいった交流試合の前夜のこと。
 クールは、キングダム地方の国王クィルイエス=ゼロ=バッキンガムに呼び出されていた。人の気配が感じられない静まり返った廊下を、遠くから見れば平然とした、本人としては慎重な足取りで進んでいく。

(用件があるから呼び出し、なのだとは思うが……何故、今夜なのだ?)

 懐から1枚の紙を取り出したクールは、月明かりを頼りに紙面へ目を落とす。
 それは、宛がわれた部屋の机に、封書として置いてあったもので、内容は酷く単純である。

『本日の日付が変わる0時深夜、謁見の間にてお待ちしております クィルイエス=ゼロ=バッキンガム』
(罠、ということはあるまい。このタイミングで、そんな無意味なことをする者だとは思えない。そして、これが当人ではない可能性もまずないだろう。私を呼び出す"メリット"が無い。――まぁ、私の方から呼び出す、というのはあり得なくはないが、それは後日としていたはずだ)

 今回の真の目的である「化石の返還」については、用件を言わないまでも重要な話をしたいという名目で、試合後の会談を予定している。だからこそ、呼び出される理由が思い当たらないのだ。
 やがて、目的の部屋を見つけたクールは、大きな扉の前に立ち止まる。
 扉が纏う豪奢な飾りは、天井に届くほどの大きさと相まって、訪問者に威圧感を与える。それが計算的なものか、あるいは、ただ見せつけたいだけなのか、はたまたその両方なのか。そんな下らないことを考えながら、クールは表情を引き締め、謁見の間へ続く扉を押し開ける。
 ギギィ、と重たい音をたてて開いた扉の向こうには、確かに、目的の人物がいた。
 部屋の最も奥にして、座るべきものが腰かける玉座。そこに、窓の月明かりに照らされ、エメラルドグリーンの光を目にたたえた男が鎮座していた。こちらの来訪にさして驚いた様子も見えないのだから、やはり、呼び出した当人で間違いないようだ。
 扉を後ろ手に閉めると、クールは玉座までの距離を詰める。そして、失礼にあたらない程度の位置に立ち止まる。それを見計らったかのように、男――クィルイエス=ゼロ=バッキンガムは玉座から立ち上がり、一礼をしてみせる。

「交流試合前の夜遅くに申し訳ありません、クール=フィークル協会長」
「いえ。私も一度、貴方とはお話をしたいと思っていた、クィルイエス=ゼロ=バッキンガム国王。――用件を伺いましょう」

 改めて、クールは目の前の国王を観察する。
 暗く赤い色をした長髪はその男によく似合っていた。エメラルドグリーンの"特徴的すぎる色"の瞳は、何を思っているのか推し量るには底の深みが強すぎる。やわらかな月明かりの元で、国王はこちらを見て微笑んだ。

「では率直に。――そちらで所有している"ミュウのまつ毛の化石"について、取引を申し出たいのですが、どうでしょうか?」

 あまりにも飾らない用件に、言われたクールは軽く目を瞬く。それから、僅かに首を傾げて見せた。

「――何故、貴方が"ミュウのまつ毛の化石"の事を知っているかは、この際置いておきましょう。ただ、察しているのだとすれば、何故でしょうか? 試合後、会談の約束をさせて頂いたかと思いますが」
「そこは"公の場"になってしまいます。この件については、私は"非公式の取引"をしたいのです」
「非公式の取引?」

 言葉をおうむ返しにするのは、確認を促すためだ。頷いた国王が、言葉を続ける。

「貴方が今所有しているそれは、本来であれば、無害であるべき物です。しかし、今のそれは目覚めてしまった状態にある。だからこそ、本人にさっさと返した方が良い。貴方も、そのために試合を持ちかけたのでは?」

 目の前の国王の説明は、ある程度理にかなった説明だ。問いかけにクールがうなずく。

「貴方の仰られる通りですよ、クィルイエス国王。ですが、非公式であるべき理由をお聞かせ頂けなければ、私は、その提案を飲むことはできない。それが、モノクロ地方の協会長を勤める者としての判断です」

 毅然とした態度で答える。
 国王は、自身の提案をすぐに受け入れなかったことに特に驚いた様子もない。ただ困ったような表情で、軽く首を傾げる。

「非公式の理由で貴方を納得させることが出来れば、提案に賛同いただける、ということですか」
「確約はできません。そもそも、私がそれに納得できるかも分からない」
「いいえ。貴方は"納得されます"」

 強い断言だ。否定を許すなどといった生易しさではなく、確定した"事象"を結論を述べているだけだと、国王は告げているのだ。
 それに対して、クールが出せる言葉など一つしかない。

「では、理由を」

 そう問うと。
 国王は唐突に自身の懐を漁り、1枚のコインを出して見せるなり、それを親指で宙にはじく。キーンと澄んだ金音が響き、コインは地面に落下せず、彼の手の甲に落下。その柄が見える前に、反対の掌が覆いかぶさる。

「クール協会長、コインの裏表を当ててください」
「――表」

 "どちらが表か"などということも聞かないまま、クールは即答する。
 瞬間、見えない風が、自身の"内側"を突き抜けた。
 それは、何時もの直感だ。普通の人間には備わらない、彼だからこそ――正確には、その"種族"であるからこそ持っている、言葉には表すことのできない感覚だ。
 それが、囁く。

 「目の前の存在を認めろ」、と。

 あまりにも意味の分からない自身の直感に反するように、クールは、視線を手の甲から上にあげる。
 自身の厳しい表情が、特徴的過ぎる"エメラルドグリーン"の瞳に映った時、国王は、まるで宣託を下すかのように、凛とした声で問いかけてきた。

「人の姿をしたエンテイが"モノクロ地方のポケモン協会長"をしているのは、やはり、理由があってのことでしょうか?」

 それは、普通であれば知ることのできない事実だ。伏された秘密であり、モノクロ地方における欺きの一つ。
 それを、ほとんど面識のないキングダム地方の国王は、あっさりと問いかけてきた。
 普段から表情にあまり変化が無いと言われている鉄面皮の瞳が、大きく見開かれる。全身に湧き立つ緊張感と共に、赤い獣の瞳が鋭くなる。だが、先に動いたのは、頭を下げた国王だった。

「大変申し訳ありません、クール協会長。――ですが、これで、非公式に応じて頂けないでしょうか」
「私が人間ではないことを、脅迫したいのですか?」
「いいえ、違います。私は、貴方から"公式で"受け取ってしまった場合、『貴方を知ることになってしまう』のです。だからこそ、"非公式の取引"で何とかしたい。試合前であれば、まだ、"ミュウのまつ毛の化石"を受け取る対価となる"賭け"が存在する」

 獣の唸り声にも似た、低く厳格な声にひるむことなく、国王は首を横に振り、真剣なまなざしでクールを見返す。それは先ほど、クールの"正体"を言い当てた時とは異なる、明確な意志を感じる物言いだ。
 暫くの間、クールは得体の知れなくなった国王を睨み付けていた。その上で、彼の瞳が全く揺るぎのないことを見据えてから、ゆっくりと、ため息が混じった息を吐き出す。
「――分かりました。私も、非常識に対しては多少の慣れがあります。貴方自身が、私の件について、これ以上の追及と無用な公言をしないと誓って頂けるのであれば、取引でも賭けでも応じましょう」
「誓います。お手数をおかけして申し訳ありません、クール協会長」

 即答して深く頭を下げる国王に、クールは溜飲を下げると、軽く咳払いをする。

「それで、"賭け"というのは、一体何に対して賭けを行うのですか? 試合前、というお話から、試合結果を賭けるとは思うのですが」
「いいえ。私が賭けるのは、『明日の試合で何が起きるか』を賭けたいのです」

 その言葉に、クールは再度押し黙り、両腕を組んで僅かに視線を足元に向ける。やがて、もう何度目ともつかない息をはきだして顔を上げると、胡乱な目で国王を見つめる。

「クィルイエス国王。貴方の力や持っている情報について、私は特に言及するつもりはありません。ですが、こちらは"何も情報を持っていない"。その賭けは、少しばかり不公平だと思うのですが」
「あぁ、言葉足らずで申し訳ありません。私はこの賭けで、その『何が』を述べ上げることはありません。クール協会長自身が、起きる可能性のある事柄を列挙していただき、それが実際に起きるかどうか、ということです。言うまでもありませんが、それが起きなければ、ミュウのまつ毛の化石を譲って頂きたい」
「もし、それが起きた場合は?」
「単純ですが、貴方の要求を一つ飲む、はどうでしょうか」

 ピッと、ひとさし指を立てて口元を緩める国王に対して、クールは眉間に皺を寄せ、頭を左右に振る。

「私側の望みは『ミュウのまつ毛の化石をキングダム地方に返還する事』です。これは、あまり賭けをする意味が無いように感じますが……――いえ。貴方には、必要な儀式、といったところですか」

 返答はせず、国王は曖昧にほほ笑んで見せた。それ以上追及することは無駄かと考え、クールは早速腕を組んで思考してみる。
 頭の中でいくらかの取捨選択をし、1分にも満たない時間で辿り着いた可能性を、彼はあっさりと口にする。

「では、賭けの内容は『試合に決着がつかない』という事にしたい。宜しいですか、クィルイエス国王」
「えぇ、構いません。貴方がそう思うのであれば、それもまた、未来の可能性の一つです」

 真剣なまなざしで頷く国王に対して、クールもまた無言で頷く。そのまま話を切り上げてしまおうと一礼し、背を向けようとしたところで声をかけられる。

「クール協会長。私は、貴方の正体について、特に言及するつもりはありません。ですが――代わりに二つほど、情報を開示しましょう」
「情報?」

 振り返った先で、国王は先ほどと同じ位置で、最初に出会った時と同様に寛容な笑みを浮かべている。
 ――その後ろに、不自然な光の反射が見え、更には自身の背後で不自然な風の揺らぎを感じてしまった瞬間、クールは、もう何度目かも分からないため息を胸中でつく。

「一つ目は、その"ふざけた"まつ毛の主は生きていること。もう一つは……"互い"に、話を聞いていた"第三者の扱い"はお任せする、という方向で良いでしょうか」
「構いません。――知り得た情報をどう扱うかも、"互い"にお任せします」

 淡々と頷き返せば、話は今度こそ終わりだった。一礼もそこそこに、クールは無言で謁見の間を後にする。
 暫くは静まり返った廊下を黙々と歩いていたのだが、一通り謁見の間から離れたところで、クールは後ろを振り返る。そして、何も見えない空間を見上げ、

「カオス……いや、レジェンだな。私の動向を見張るように言伝されたか」
『せいかーい。『クールが今夜辺り、王様に会いに行くようだから見張っといてくれ』って言われてなぁ。お前、行動を見張られていたみたいだぜ?』

 返答と共に、見上げた背景がどろりと溶ける。溶けた背景――空中に姿を見せたのは、人工生物のような体構造の白い獣だった。
 カオスと呼ばれたミュウツーは、口元の笑みを隠そうともせず、指を振ってみせる。サイコキネシスによって空気中の屈折率を変質させ、視界をごまかしていたようだが、動作による風圧は誤魔化せていなかったようだ。
 ――もっともクール自身、気が付いたのは国王が指摘してきたそのタイミングだったが。

「レジェンならば想定の範囲内だ。それに、君が言える範囲も、かの国王の想定範囲内だろう」
『王様には不思議な力があって、クレフみたいな奴だぜ、ってか? ……まぁ、そうしか説明できないのか。大体、クレフと同じなら、力の原動力が"何であるか"が分からなきゃ意味ねぇしなー』
「そういうことだ」
『なぁなぁ、心当たりねぇの? なんか、こっちだけ弱み握られただけだろ? って人の話きーけーよー』

 無視するように歩を進めると、空中に寝そべった姿勢でついてくるカオスは、口調だけは不満げに、口元には楽しみが抑えきれない三日月を浮かべ、進行方向をふさいでくる。ついぞ、クールは眉間に皺を寄せた。

「君にはあまり関係ないことだろう」
『あの国王、さっき、俺に気が付いてただろ。俺にとっては、あれだけで十分な売り言葉なんだよ。お前だって、さっき正体を当てられて喧嘩売られたわけじゃん?』
「そうでもない。そもそも先ほどの国王は、1つ、我々に大切な事を教えてくれた」

 そういって、何時の間にか足元にかかっていた細く長い影を追う様に、クールが前方に目を向ける。それに釣られたカオスもまた、後ろを振り返り、影の主へと顔を向ける。
 そこに、金色の髪の女性が立っていた。寝間着にも似た白いドレスをまとった彼女は、窓の外からの星明りを浴びつつ、こちらへゆったりとした微笑みを向ける。絵画の世界からそのまま現実に出てきたようなその存在について、クールには一人だけ、心当たりがあった。失礼にならない程度まで距離を詰め、クールは軽く礼をする。

「こんばんわ、ヴィェルクレツィア王妃」
「あら。こんな夜更けにこんばんわ、モノクロ地方の協会長様。月下の出会い、なんて、ちょっと詩的な響きと思いませんか?」

 顔を上げると、挨拶をした女性は、鈴が転がるような笑い声を隠すように、自身の口元に片手をあてがっていた。済んだ空を連想させる青い瞳は、ただただ、状況を楽しんでいるように細められている。何時の間にか、クールの横にはカオスが降り立っていた。先ほどまで事態を面白がっていた表情は一転し、油断のない視線で女性を一瞥。そして、

『何か混ざってて気持ち悪いな、お前。何だ?』
『出会い頭にそういう言葉は良くないなぁ。親から言葉づかいを習わなかったのかい、劣化コピーの分際が』

 笑みを崩すことなく、しかし口調は相手を蔑み、威圧するものとなって、女性の口から吐き出される。
 その台詞が、先ほどの国王の言葉と、白衣の男の言葉を思い起こさせる。
 彼は『その"ふざけた"まつ毛の主は生きている』と言っていた。
 彼と似たような存在は『かの王妃は"変わり者"だ』と口にしていた。
 つまり――このタイミングでわざわざ姿を現す存在など、これもまた、クールには一人くらいしか思い当たらない。横で殺気を隠そうともしないカオスの前に片手を割り込ませつつ、クールはもう一度頭を下げる。

「大変申し訳ありません、"この地より生まれしお方"。我々は、貴方と敵対するつもりはありません」

 その言葉に、"ソレ"は珍しく、女性の瞳を少し大きく見開かせ、口を僅かに開いた。少しの間、クールを興味深そうに見つめてから、ぼそりと呟く。

『ふぅん。流石、言葉はそう選ぶわけか……――いいよ、許す。その態度と、クレフに免じてね』
『クール!』
「カオス。ここは私たちの住まう地方ではない。それに、先ほども言ったが、私はこの方と敵対するつもりはない。この国に干渉するつもりもない。我々はあくまで、返すものを返しにきただけだ」

 目の前の存在に油断することなく言い聞かせると、隣でこれ見よがしなため息が上がる。一方で、目の前の女性もまた、あまり愉快ではない表情で鼻を鳴らし、クールの胸元に目を向ける。

『そう、それだよ。本当は君から、直接、"僕の物"を返してもらうつもりだったんだけどねぇ。全く、あの国王は何時も肝心なところで邪魔をしてくれる』
「クィルイエス国王陛下は、貴方に返すつもりのようですが?」

 すると、人の皮を被った"ソレ"は、女性の口元に嘲笑を浮かべさせる。

『それはそうだろう。でもそれは、国王が提案した"賭け"を通して、だ。今の僕は、国王の盟約の所為で、君たちに"干渉"ができないんだよ』
『俺達からブツを無理やり奪うつもりが、さっきの国王とやらに出し抜かれた、ってワケか。してやられたのが、相当気に入らないみたいだなぁ。ハハッ、いい気味だなぁー、コピーじゃないオリジナルのミュウ様よぉ!』

 先ほどの意趣返しのつもりか、中指を立てて大げさなほどに笑うカオスに、クールは渋面を浮かべ、低い声で名前を呼ぶ。

「カオス」
『あぁ、いいよ。子ガーディが吠えるのは、自分よりも大きなものを少しでも威嚇するための手段だもんね。生きる術を否定するのは不本意だ。それに僕、あの国王一族以外には興味ないもんでね』

 クールを制して鼻で笑うような口調とは裏腹に、人間の女性とは思えない殺気をまとった鋭い眼光で、"ソレ"はカオスを睨め付ける。一触即発ともいえる様子に、クールは呆れる仕草すら面倒な気持ちになりつつ、咳払いをする。

「ところで、貴方が私たちを待っていたのは、貴方の物を取り返すためだったのでしょうか」
『まぁ、それもあったけど……半分くらいは、純粋な興味で会話をしてみたかったのもある。クレフがよこしたのはどんな奴らかなって思ってたワケなんだけど――……ま、君の評価と認識だけは少し改めようか、モノクロ地方の協会長。少なくとも、僕を認め、名を呼ばない部分は評価する』
「有難う御座います」

 隣のカオスが何か言いたげながらも口を閉じ、目の前の存在を睨み付けるだけに留めている。喧嘩を買っていた"ソレ"も、静かすぎるカオスに疑いの目を向けたが、すぐに興味を無くした表情となると、くるりと身をひるがえす。

『それじゃあ、有意義な会合はこれでお開きとしようか。あまり遅く起きていては、"彼女"に悪い。――では。また逢えれば嬉しいよ、モノクロ地方の協会長さん』
「おやすみなさいませ」

 顔を向けずにひらりと片手を上げて離れていく存在へ、クールは深々と一礼する。その姿が見えなくなったところで、ゆっくりと顔を上げたクールは、自分の横に顔を向ける。先ほどまで、人間とは言い難い存在に噛みついていた獣は――口の片端を思いっきり吊り上げ、両手を握りしめている。その表情に、クールの頭の中では警鐘が鳴り響く。

「カオス。つかのこと聞くが」
『なぁ、クール。さっきお前、『国王は、1つ、大切な事を教えてくれた』って言ったよな? それって、あの国王は、さっきの腐れオリジナル様とは、超険悪ってことだよなぁ?』
「……まぁ、そうだ。向こうから接触してくる可能性がある中、不仲だと理解していれば、最低限、そこを刺激しなければ問題ないわけで――」
『なら。俺がさっきの野郎に一泡吹かせても、お前の取引に問題はないよなぁ? 賭けをする相手は、国王様だもんなぁー?』

 怒りの混じった嘲笑を口元に浮かべ、隣に立つカオスは両手を組み鳴らしている。尻尾がむやみに揺れ、抑えきれていないエスパーの力の余波を受けてか、窓ガラスがガタガタと音を立てている。
 無駄だとは重々承知しながらも、クールは苦々しい表情でカオスを見上げる。

「カオス。無駄でも言っておくが、先ほどの存在は、あまり不用意に刺激しない方が良い。"長く生きた伝説"ほど、性質の悪いものはいないぞ」
『クール。この俺様を誰だと思っていやがる? 遺伝子ポケモンにして伝説ポケモンに並び立つ存在、ミュウツーのカオス様相手に、生きた伝説とかいう枯れ果てた才能だけで、体が無いくせに頭の固い高慢ちき野郎をぎゃふんと言わせることくらい、わけないんだぜ?』
「私は、落ち着け、と言いたいのだが」
『あぁ、大いに落ち着いているとも。あのふざけたオリジナルミュウ様を、殴り倒す以外の方法で鼻を明かしてやる方法を思いつくくらいにはなぁ……!』
「…………」

 怒りに燃えすぎた性質の悪すぎる伝説ポケモンを眼前にし、明日の試合に不安しか覚えられず、クールは深々とため息をつくのだった。

*****

 モノクロ地方の協会長が謁見の間を出て行ったのを確認し、クィルイエス国王――ゼロは肩をすくめ、後ろを振り返る。玉座の後ろには、壁に偽装された小さなカメラレンズが取り付けられていた。

「トップ会談を盗み聞きとは、参謀長官という立場と言えどやりすぎではないかな、ロキ」
「国王陛下が護衛もつけず、向こうのトップと会談だなんて、どちらかに何があっても、地方間の一大事になります。そう考えれば、私の行動はあくまで保険のようなものですから」

 声は、こっそり設置された監視カメラからではなく、前方からだった。扉のきしむ音に合わせて、足音と青年の声が続く。片面を白い仮面で、もう片面にモノクルをつけた参謀長官の青年――ロキは、部屋の扉を後ろ手に閉めながら、努めて冷静に言葉を続ける。

「オーディン騎士団長をつけるように、とは言いません。ですが、向こうのポケモンが既にいると気付いているのでしたら、せめて、牽制程度にルカリオを出しておいてください」
「私には、建前を立て並べて、なるべく穏便な言葉で忠告をしているように聞こえるが?」
「こういう一般的な苦言は、本来、私ではなく騎士団長がするものです。そのため、あまり慣れないだけですよ」

 面白がった表情のゼロに対して、ロキは片目をつむって答える。互いの真意を推し量るやり取りも悪くはないが、少ない時間を使う無為に消費する訳にもいかないと考えたのか、先に頭を下げたのはゼロの方だった。

「それもそうだな、仕方ない。今回は私が折れるとしよう。それで――……先ほどの話、君はどうするつもりかな?」

 先ほどの話には、大きな問題が二つあった。
 一つは、ミュウのまつ毛の化石とやらの持ち主が生きている、という話。これについて、ロキは関わるべきでないことを知っていた。――"今回の問題"を追う際に、自分の傍にいる青年が言っていたのだ。「ミュウという存在について、"今のアンタ"は絶対に深く関わるな」と。しかも、本来温厚なはずの国王が、"あそこまで"口重たく言うのだから、少なくとも、このタイミングに首を突っ込むべきではないのだろう。だからこれについては、「知らないふり」が最も効率が良い方法だと判断する。
 もう一つが、モノクロ地方の協会長は、人ではない、という話。言葉だけにすれば、それは戯言のような会話だ。しかし、先ほどまでここにいた協会長は、その指摘に明らかな動揺以上の敵意を示した。それは暗に、事実と認めているに他ならない。
 頭の中で即座に情報の整理をし終えて、ロキは首を横に振った。

「どうもいたしません。特に、かの協会長の正体について、国王陛下は、これ以上の追求と公言をしないと誓われていました。私から積極的に公言すれば、貴方の立場が危うい上、地方間の問題になりかねません。そもそも、そんな与太話じみたこと、大抵の人間は信じられるはずがありませんよ」
「君は信じているのかな?」
「確信のない言葉を、私は信用していないだけですね。せいぜい、フォルが本当に信じてしまう程度でしょう。まぁ最も――使えるのであれば、ブラフに使ってみても良いかもしれません」

 否定はせず、しかし絶対的な盲信している様子でもなく、言葉を選んで答える。それに対して、ゼロは少しばかり面白そうな表情で、目を細める。

「もしも君が先ほどの情報を使うのであれば、相応の可能性を考慮しておくといい。――特に、女性相手に秘密を振るう場合、手痛いしっぺ返しを覚悟した方が良いだろう」
「それは、何時もの"予感"でしょうか」
「さて? これはあくまでも、経験則のようなものだ。特に、ヴィエルに対しての、だがね」

 その言葉に、ロキは口元に手を当てがい、少しばかり考え込む。やがて、自問のようにも思える問いを呟く。

「しっぺ返しというのは、自分に返ってくるものであり、飛び火するものではありませんよね?」
「そうだと、私は認識しているな」
「でしたら構いません。人からのしっぺ返しは、とうに慣れていますので」

 そう言って曖昧に微笑んだロキは、話も早々に懐から数枚の書類を取り出すと、それをゼロへと手渡す。表紙に記載されたタイトルは「M事案に関する報告書」。同じ資料を取り出したロキは、紙面へ目を落とす。

「さて、本題に移らせていただきましょう。この間の、モノクロ地方からやってきたという不穏分子について、現時点の状況に関する報告です」
「確か、"ミュウのまつ毛の化石"を手に入れようとしている者、だったか」
「はい。一度は協会が捕縛したのですが、隙をついて犯人は逃走。こちらの地方に化石が持ち込まれる可能性を考えて、この地方に潜り込んだようですね」

 紙には、モノクロ地方の協会資料と、ロキの配下である部下たちが集めた情報がそれぞれ記載している。
 今回の件について、ロキは未だ、騎士団長のオーディンに報告をしていない。なにせ彼は、今回の交流試合に関する警備や準備等で忙しいのだ。地方の表側を守護する騎士団長の手を煩わせるつもりはないと考えたロキは、今回の事件について、ゼロ以外に報告を行ってはいなかった。
 他の関連した報告書を手渡しつつ、ロキは眉をひそめる。

「現在、城下町を主に捜索しているのですが、かんばしい成果はありません。そもそも、かの人物は、今は本当に"人の姿"をしているか怪しいですから」
「どういうことだろうか」
「協会の資料より、この男は元々、ポケモンの遺伝子について研究をしていました。目的は、最強のポケモンを生み出すというありきたりなもののはずでした。彼が――ポケ人という存在を知るまでは」

 人でもなく、ポケモンでもない、人とポケモンの中間ともいうべき存在。それが、ポケ人、という定義だ。
 彼らの出自は謎に包まれている部分が多く、大抵のポケ人は、ポケモンと意思疎通ができる程度の人間を指している。もう少しポケモンとしての血が濃い場合は、ポケモンのような不思議な力を発揮する。ロキ達の知る限り、身近な人物としては、フォルと呼んでいるスフォルツァンドがその種族に当てはまる。

「彼は、ポケ人という存在を知り、その逆を、つまり、人としての知能を持つポケモンであれば、最強のポケモンになるのではないかと考えたようです。そこで、全てのポケモンの始祖と呼ばれるミュウと、人間の配合を考え、その上でミュウに関する資料を探していました。そんな頃、モノクロ地方のある神殿で、"ミュウのまつ毛の化石"が発見されたことを知ったようです。――あとはまぁ、化石を手に入れるために、人を襲ったり、ポケモンに人体実験をするなど、手段を選ばない行動をしている内に、その派手な行動から協会より指名手配された、という訳ですね。ここまでは、資料にある情報です」
「ふむ、君の推測というのは……"人としての知能を持つポケモン"か?」
「流石、国王陛下は察しがお早い方ですね。――本来、ポケ人というのは、人の姿でポケモンと会話が出来る、といった、人を体ベースとしています。しかしこの人物は、ポケモンである、ということにこだわっている。これだけ碌でもないことをする人物であれば、いっそ、自分の身体を改造した方が早い、自分の姿をポケモンにしてしまえばよい、だなんて、突飛な事を考えると思いませんか?」

 苦みの強い笑みを浮かべ、呆れる様にロキは両腕を広げた。
 もしも推測が事実であった場合、人間を探している今の状況では、どれだけ調査を行ったとしても、成果を上げることはかなわないだろう。人であれば人相の判断がつくものの、その姿が人ではない――ポケモンであった場合、その個体がどれであるか判断を付けることは難しいものだ。まして、推測が当たっていた場合、どんなポケモンの姿をしているか、それが本当に人間からポケモンの姿へと変身してしまったのか、それを人間の目で判断することは不可能だ。
 そして、心配事はもう一つある。先ほど、側近である青年の言葉を思い出したが、こればかりは、国王に進言しないわけにもいかない問題だ。ロキは少しだけ息を吐き出してから、真っ直ぐとゼロを見上げる。

「それと、今回の件に関連してもう一つ、懸念があります。――王妃様についての"出自"についてです」
「あぁ、ヴィエルの"獣の姫君"のことか」

 意外にもあっさりとその名称を口にした国王に、ロキは僅かに目丸くしつつも、書類に目を落として報告を続ける。

「はい。別で調べていた者から、王妃様に関する昔の出自を探っている存在がいる、との報告が上がりました。探っていた者については、既に身柄を取り押さえていますが、どうも、催眠術か何かで操られていたようで、探していたこと自体を覚えていないそうです。また、協会から脱走したという今回の人物も、催眠術によって協会員の目を欺いたらしく、人を操ることに長けているのではないかと思われます。あの方の出自については……――」

 そこで一度言葉を切り、ロキが顔を上げれば、特に何の感情も見えない真面目な表情のゼロと視線が合う。そして、促すように頷かれ、ロキは話を続ける。

「――ミュウが関連しているのではないかという噂もあります。それ故に、今回の犯人が、王妃様を狙ってくる可能性も十分にあります。私としては、明日の司会については辞退をして、護衛をつけていただきたいのですが……」

 すると、ゼロはゆるく首を振り、肩をすくめた。

「その点について、君はあまり心配しなくても大丈夫だ。ヴィエルが何時ものように司会をする以上、ひとまず、大観衆の前で彼女を攫うと言った問題は起きにくい。そして、城内を襲撃したとして、その者が求めていた成果が得られることはない。本人がいないからだ。――とはいえ、君の事だから、予防線を張っておくのだろう?」
「入り口に警備の兵士を必ず待機させ、襲撃があった場合には、私宛で連絡をするように伝えおくつもりです。――本来は、モノクロ地方からの観客が増える前、交流試合前に問題を解決させておきたかったのですが……申し訳ありません、国王陛下」
「物事はそうそう上手くいかないものだ。君は、この後も君なりの"正しいと信じる"行動をすればいい。そうすれば、おのずと結果はついてくるだろう」

 その言葉は、国王という立場で発するには違和感のある言い方だ。どことなく他人事というべきか、しかし、完全に突き放し切れていないような、ふんわりとした物言いに、ロキは目を細める。

「では、今回の件については引き続き、私に一任で良いと?」
「構わない。それと、君にはお節介をもう一つ焼かせてもらおうか。――彼が騎士になった理由を訊ねるなら、今の現状について、そろそろ彼に話しておくといいだろう。全体を把握してから君は報告をするつもりなのだろうが……隠し事をすると、彼は更に機嫌が悪くなるぞ」
「それもやはり、"経験則"ですか」
「いいや。『理由を言えば、答えなくもないんだよ』と、本人がぼやいていたからな」
「……肝に銘じておきます」

 肩をすくめる国王に、ロキは少しだけ反応に迷ったものの、結局、苦笑を返すことにした。

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