そこは、決して広くはない部屋だった。
 壁には、中央の大きな画面とその周辺を取り囲むようにしていくつかの小さな画面が張りついている。その大型画面の左右には、やはり大きなスピーカーが取り付けられている。部屋に外界の明かりは無く、モニターで点灯しているライトが唯一の光源だ。
 そんな大画面の前にある椅子に、じんわりと掌に汗をにじませた男が鎮座している。彼は、"画面の中"に見える、取り立てて目立った特徴のない男性を見つめる。画面に映る男性は自身の口ひげを撫でつつ、不思議そうな表情でこちらを見返している。

『それで。君たちは僕に何の用かな?』
「それは貴方が一番よく知っているのではないでしょうか、ミスター・レジェン」
『いまどき、その言い回しはあんまりしないと思うよ』

 レジェンと言われた男は苦笑ともとれる表情をし、肩をすくめた。そこにあるのは余裕だ。それが、男にはふてぶてしいはったりにしか見えなかった。

「随分と気軽な様子ですが、貴方は、自身が置かれている立場を理解した上で、そのような余裕を見せているのか?」
『目の前のフーディンにスプーンを突きつけられて、後ろのバリヤードが何時でも攻撃できるような状況を、かい? そりゃもちろん。僕は今、ここにいるからね。無線とカメラ越しの君と違って』

 そういってカメラ越しに片目をつむって見せる姿が、男の心をざわつかせる。首を伝う汗の嫌な感触も、計画を実行に移すことが出来た高揚感も、全てが、胸の奥から湧き出す苛立ちに塗りつぶされていく。握りしめた拳で感情的に机を叩き、男はマイク越しに声を荒げる。

「さぁ、吐いてもらいましょう。――ミュウのまつ毛の化石、その居場所を!」
『ミュウのまつ毛……――はてさて。記憶にないねぇ』

 その言葉に、男が、ぱちんと指を鳴らす。
 次の瞬間、フーディンのスプーンから閃光がきらめき、画面の中に見える男性の身体が大きく跳ね、その場に崩れ落ちる。地面に伏すような態勢のレジェンを見つめていると、苦悶の声がスピーカー越しに聞こえる。その様子に、男は余裕を取り戻した笑みを浮かべる。

「一度目は警告です。フーディンの"電磁波"、人間相手には相当効くようですねぇ」
『はぁっはぁっ……尋問っていうのはねぇ…………目の前でないと、意味は、ないと思うけど……ねぇ……』
「ほぉ。どうしても喋らないと。貴方は、そういう訳ですね?」

 ごくりと僅かに息を呑むものの、やはり苦笑して見せたレジェンに男は、聞えよがしなため息をつく。

「流石、ポケモン協会の片腕。剽軽な様子の割に、相当に頑固な人だったとは。私は随分と、貴方を見誤ったようですね」
『それは……どうも』
「だから、もう一つのプランを実行するとしましょう。どうせ、貴方を連れ込んだ所で変わらない。ならば、標的を変えるまでです。――息子さんなら、流石に隠し通せないでしょう?」

 瞬間、画面に映るレジェンが、僅かに目を大きく見開く。
 それで十分だった。喉からこぼれだす笑い声を、男は抑えずに吐き出す。

「はははっ……流石の貴方でも、人の親という訳か! 冷徹無慈悲な副会長とやらは、どうやら鳴りをひそめたようですねぇ!」
『…………』
「おや? 今度はだんまりですか。それでも構いません。貴方の息子は既に我が手中に落ちたも同然。もうすぐ、私の部下が」
「それは本当に?」

 その声は、画面の向こうから響いた。底冷えよりもなお寒々しく、怨嗟ですら生ぬるく、どこまでも強い闇を感じさせる平坦な、それ。画面に映る男は、決してこちらに危害を加えることが出来ない。その核心はあるはずだ。
 が、しかし、何故だろうか。スピーカーから響き渡った声を聴いた瞬間、自分は、取り返しのつかない失態をしたのではないかと、焦燥が広がる。胸を強く締め上げられ、体全体が、指先からつま先に髪の一本まで全く動かせなくなってしまったのではないかという――……。

(動けない、だと……!?)
『あーあー、なんだよ、レジェン。お前、マジで情けねぇ姿だな、おい』

 扉が開く音と共に、脳に響くような声がし、何者かが部屋に入ってくる。
 白く無機質な体躯の、人間と同じ二足歩行の、突然変異したとしか思えない角ばった骨格の有したその存在。それは、男が目的としていた存在から派生した存在だ。

(だが、何故、そのような存在が、こんなところにいる!?)

 理解が出来なかった。最初からその存在を知っていれば、そちらを標的にしていたというのに!
 今すぐ、それを目の前にいる存在に強く問いかけたいが、あいにくと、口を開くことは許されていない。
 そんな混乱の極みにいたる男に代わり、部屋の中へ無遠慮に入ってきたその生き物は、呆れているというよりはどこか楽しんでいる響きで、画面の向こうに見える男を見上げ、にやにやと笑う。すると、画面に映るレジェンの表情が、苦笑に代わり、

『遅いよ、カオス』
『真打は遅れてくるもんだぜ。おかげで、レジェンの土下座姿っつー貴重なもんが拝めるんだからな。こりゃ、明日の天気は大雨かぁ?』
『そこは雪、と言いなさい、全く。お前がそういう間違った言葉を使うから……――』

 カオスと呼ばれたポケモンは、スピーカーから聞こえてくる声に両手を上げ、お手上げと言わんばかりに肩をすくめる。それは滑稽な道化師のような素振りで、レジェンとどことなく雰囲気が似通っていた。
 つい数秒前に動きをとらえたこちらには全く意識を向ける素振りもせず、ミュウツーと呼ばれるミュウの存在から派生したクローン体は、レジェンとのんきな会話を続けている。ぎりりと歯ぎしりすると、つい今しがたまで存在を思い出したかのような表情で、ミュウツーが視線を投げ、にやりと笑う。

『残念だったなぁ。俺がいなければ誘拐とかでもしたんだろうが、こちとら生憎と、マスターの誘拐事件には馴らされてんだよ。そこの画面に映ってる阿呆な男の所為で、なぁ?』
『君は破壊する事には天下一品だけど、守るとかに対しては、てんで向かないもんね』
『うっせぇ! 分かってんだったら、ちったぁ』

 画面向こうからの指摘に、ミュウツーの意識がほんの僅かに緩んだ瞬間、男はボールの開閉ボタンを押す。
 バンッ、という弾けるような音に、ミュウツーが、狭い部屋の外にあるやはり狭い廊下に飛び退る。その様子に、二足歩行の毒カエル――が、不敵な笑みでケケケッと声を上げる。
 サイコキネシスによる重圧を、ドクロッグの"不意打ち"攻撃で無理やりかき消した男は、なりふり構わない様子で、マイクに向かって声を荒げる。

「私をテレポートさせろ、フーディン!」

 瞬間、男の視界が歪む。僅かなブラックアウトを経て開いた視界の先には、ミュウツーの姿は無い。どころか、室内ではないと告げる燦々とした太陽の輝きを頭上に感じる。
 男の目に、画面に映っていた男が、目の前の地面に這いつくばっている姿がうつる。荒い呼吸そのままに、男は目の前に伏す男に歩み寄る。そして、男の頭を無造作につかみながら吠えたける。

「さぁ、わざわざ来てやったんだ……場所を!」

 瞬間、男の視界が黒に染まり、そして、目に激痛が走る。
 
「がああああああっ!!!!」

 喉の奥が枯れるほどの悲鳴と共に、男はその場に倒れる。痛みでのた打ち回りながらも冷静になっていく思考が、一体何が起きているのかと把握するのと同時並行で、激しい痛みが意識の全てを素早く蝕んでいき、そして、男の意識は一気にブラックアウトした。


 倒れ伏した主人に動揺したフーディンとバリヤードをあっさりと手持ちポケモンで制圧したレジェンは、壁に寄りかかってクラボの実をかじりながら、深くため息をついた。

「ううう。僕もうそんなに無理できる歳じゃないんだけどなぁ」
『目の前に突然現れた相手に、目頭を正確にナイフで切りつける奴が、無理できないとか嘘だからな。ダウトダウト』
「そんなことないよ、カオス! 電磁波浴びて、割と死にそうながらも感覚で振るったんだから、もしかしたしたら失明騒ぎだったのかもしれないんだよ!?」

 両手を拳に変えて力説する元マスター。
 一応心配もあって彼の元に戻ってきたミュウツーだったが、あまりにも元気すぎる姿を半眼で見つめ、小さくため息をつく。

『やった本人がその台詞いうかね……でもまぁ、よく正確にできたな』
「あぁ、それは簡単。ここに来る前に、簡単な催眠術をかけてもらったんだよね。アゼル君のムウマ、つまりルシフ君にお願いしたんだよ。『悪意を持った人間が顔を近づけてきたら、懐のナイフで目頭を切りつける』っていう内容で」
『やたらと正確な催眠術じゃねぇか』
「催眠術っていうのは、状況を限定すればするほど、効果を的確に使えるんだよ。本来の技効果では寝かせるものなんだけど、寝るという無意識化で"自身が行うべきこと"を制御することにより、無意識にでも正確な行動に移れる。反射的と言ってもいい」

 ぴっと指を立てて説明する彼に、ミュウツーは興味のあまり感じない相槌をする。それが不満だったのか、レジェンはむっと顔を険しくする。

「そもそも、君があそこで油断をせずに彼を抑えていれば、僕はこんなに大変な目にも合わなかったんだからね? っていうか、一番最初の原因は残党確保の際に話を聞かないで突入したのが原因で――」
『だからちゃんと手伝っただろーが。つーか、お前はお前で、シュウをだしに使ってやっこさん引っ張り出してるのは、どーいうことだよ。お前の方がお偉いなんだから、今回みたいに自分から積極的に囮役くらいやれってんだ』
「おおー過保護な事を言うね、カオスくーん! お父さん、君の今の言葉に感動して、ううっ胸が痛んで苦しく……というか、い、今になって痺れが、まだ残っ、て…………あ」

 思いついたかのような表情と共に目の前で地に倒れ伏した元主人。
 ふと顔を上げて先ほどの場所に目を向ければ、騒ぎと通報で呼び寄せた協会員達が、犯人とそのポケモン達を連行している様子がうかがえる。どのみち、カオス達自身がこれ以上この場でやれることは無いのだ。倒れている現主人の父親の襟首をひょいと掴みあげ、彼は肩をすくめる。

『ただまぁ、これで終わりな気はしねぇんだよなぁ』



 後日。
 協会がとらえたかの男とそのポケモン達は、協力者の手によって逃げおおせた。
 より正確には、男のフーディンに催眠術を喰らっていたらしい協会員が、無意識化で牢屋から逃がしてしまったとのことであった。
『見事に意趣返しをくらったな』
 報告を聞いた渋面のレジェンに対して、カオスはにやにやとしながら、そんなことを言った。

*****

「それじゃー、次の試合は10分間休憩をはさんでから開始しまーす!」

 司会者の女性、ヴィエルの声が、マイクを通して会場内に拡散。同時に、観客たちが息をつくように思い思いの動きを始める。あるものは合間の時間潰しで席を立ち、あるものは興奮冷めやらぬ様子で先ほどの戦闘について語り合っている。
 そんな和気あいあいと言った様子を見上げて、マイクを切ったヴィエルはとても上機嫌だった。

「んー! 久しぶりのお祭りって言ったら、やっぱりこういう感じよねぇ!」
「そんなに久々なのかい? キングダム地方はいつもお祭りなイメージだけど」

 解説席の椅子に腰かけ見上げてくるレジェンに、彼女は茶目っ気たっぷりに指を立てた。

「それは地方内ですよ、レジェンさん。私が言いたいのは、他の地方と交流してのお祭り、ですわ。最近はどの地方も色々と問題が多いからと、地方同士での交流が難しいんです」
「ははは、それは確かに。まぁ、今回の件は、こちらとしても都合が良かったからねぇ。っと、ヴィエルさんの前で、少々お喋りがすぎたかな?」

 わざとらしく口元を抑えて軽く目をつむって見せるレジェンに、ヴィエルはにこりと微笑み返す。

「お互い様、ですわ、レジェンさん。こういうのは、互いに秘密を持って取り組む方が、とってもスリリングで楽しいことだと思いませんこと?」
「ふふふ、確かにね。それで――貴方はこの試合、どちらが勝つと思っておられますか?」
「ふっふっふ、愚問ですわよ。そういうレジェンさんこそ、どちらが勝つとお思いですか?」
「僕かい? 僕はね――……君たち、キングダム地方側が勝つと思っているのさ」

 さらっと告げられたその言葉に、ヴィエルはアイマスクの下で目を二、三度またたき、首をひねる。
 目の前で、レジェンは笑みをたたえたまま、自身の顎を軽く撫でている。それはヴィエルを観察して面白がっているようでもあり、また、何かを問うような様子だ。僅かに、ヴィエルは目を細める。

「レジェンさんは、どうしてこちらが勝つと思っているのですか? まさか、クールさんのことを信じていらっしゃらないとか……?」
「いいや。クールの強さは僕が一番よく知っている。そして、彼は完璧超人ではない。だけど、貴方の夫であるクィルイエス国王はどうでしょうね?」
「"わたくし"の夫は、冷徹な超人だとでも?」

 僅かに口調を硬くして、ヴィエルは問い返す。風が吹き抜けて、去っていく程度の間。その間に、レジェンはほんの僅かに困ったように笑い、そして、申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、大変失礼なことを言って申し訳ない。ちょっと意地の悪いことを言ってみたくなっただけですよ。それに、もし超人なら、あんな賭けを提案はしない、か」
「賭け……? 一体、何を――」

 ふっ、と。
 黒く大きな影が足元に落ちた瞬間、レジェンは目の前にいるヴィエルとの間合いを詰め、彼女の腰元を掴んで目の前に転がる。
 直後、その背後に大量のゴクリンが雨あられと言わんばかりに降り注ぐ。一瞬にして山となったゴクリン達を前に、振り返ったレジェンは素早くボールに手をかけ、

『そこまでですよ、副協会長。そこのお姫様と共に、ドクロッグの毒液を喰らいたくなければ、両手を上げてくださいな』

 振り替える頬にひんやりとした鉄製の感触を感じて、レジェンは渋々両手を上げ、そのまま軽く会場を見上げた。
 観客席への各出入り口には、いつの間にかゴクリン達による壁のバリケードが出来上がっていた。観客席の警護に当たっていたらしい騎士団員や協会員達は、自らのポケモンで観客たちを守りながらのバトルな上、どこからともなく湧いてくるゴクリン達に押されているらしく、防戦一方な様子がうかがえる。
 会場の各所から上がる悲鳴や驚きの声をBGMにし、彼の頬にスプーンを押し当てているそのポケモンへ目を向けるも、彼は表情一つ変えていない。口元の黄色の長いひげをスプーンで撫でている姿は、どこか余裕すら感じさせる様子だ。
 フーディンと呼ばれるエスパーポケモンの隣には、紫色の毒々しい体表のポケモン、ドクロッグが、やはりフーディン同様に淡々とした表情のまま、しかし何時でも攻撃を出来るような態勢で両手を二人に向けている。
 レジェンは頬を僅かにひきつらせ、ため息をついた。

「どうにも参ったねぇ。ポケモンが喋るなんて、僕は、夢でも見ているのかな?」
『現実逃避をするのはお勧めしかねます。ですが、気絶したいというのであれば、その望みをかなえることも可能ですよ? サイコキネシスを頭に叩き付ければ、暫くは喋れなくなるでしょう』

 ちらりと、レジェンは自分のすぐ横に倒れているヴィエルに目を落とす。彼女は驚いた表情でフーディンを見上げているが、ひとまず無茶をしだす様子は見えない。
 その事に安堵しつつ、レジェンは言葉を選ぶ。

「逆にたずねるけど、僕らを気絶させない理由は何かな?」
『貴方の場合は、気絶させた時にこそ、何かしらが発生するのではと思いまして』
「買いかぶり過ぎだよ、それは」
『貴方相手には、油断しすぎないに越したことはない。手痛い目は、一度で充分ですからね。ミスター・レジェン』

 その言葉に、何か合点がいったのか、レジェンは目を眇め、フーディンを見つめる。
 よく見れば、フーディンの右瞼の上には、横から強くえぐった傷跡がはっきりと刻まれている。話をしていて痛みを思い出したのか、傷跡を軽く摩りつつ、フーディンは背後へ軽く目を向ける。
 次の瞬間、先ほどまで誰もいなかった空間に、突然、ピエロのような姿のポケモン――バリヤードが出現する。その体はやや傷だらけではあるものの、瞳は爛々と輝きを帯びている。

『おや、私(ワタシ)のほうは、随分と首尾よくいったものですねぇ!』
『その様子では、お前の方は失敗だったというわけか』
『フッ、フフフッ、これは単なる手違い……そう、手違いですよ! 現にこうして、目的の存在を見つけられた! それで良しとするべきではありませんか。ねぇ、私(ワタシ)?』

 わざとらしいパントマイムと大仰な身振り手振りで問いかけるバリヤードに、私(ワタシ)と呼ばれたフーディンは眉一つ動かすことなく、指を二本ほど振って見せる。すると、地面に転がっていたマイクが浮き上がり、素早くバリヤードの手元に吸い寄せられる。

『貴様が私ならば、言うことは決まっているはずだ。さぁ、私よ。――世界へ宣戦布告しようではないか』

 その促しに、バリヤードの口角がきゅぅと引き絞られて持ち上がる。バリヤードはマイクを強く握りしめると、息を僅かに吸い込み、

『レディーーーース、アーーーンド、ジェーーーーントルメェーンン!! サイッコウにして最大の余興、いかがだったでしょうか! ハッハァアッ! 会場のあちこちから響き渡る悲鳴が、我々を祝福しているようで何よりデーース!』

 会場に響き渡るバリヤードの声に、会場に響き渡っていた悲鳴やどよめきが大きくなる。それに機嫌を良くしたのか、バリヤードは大仰に片腕を広げ、振り上げる。

『我々は白の組織と呼ばれる者達に賛同する者! この会場での宣戦布告は、我ら同胞への呼びかけデス! 人やポケモンの括りなどない。我らは新たな存在として、この世界に君臨するべきなのです! そういうワケですから……見せしめの手始めに、権力とやらをへし折ってサシアゲマショウ』

 バリヤードの目配せを受けたフーディンが軽く片手をあげる。瞬間、今まで出入り口で壁となっていたり、観客たちを取り囲んでいたゴクリン達が動きを止めたかと思うと、一斉に"溶解液"を上空へ向かって吹き出す。各協会員や騎士団員たちのポケモン達による"守る"により、その攻撃はほとんど無効化されるものの、観客の悲鳴は更に大きなものとなる。それに対して、バリヤードは腹を抱えて両手を叩き、喜ぶ。

『ハハッ、ハーーーーーハハハハッ!! 素晴らしい悲鳴、どうもアリガトウゴザイマス! 権力の友頭たる四天王達よ、動けるのなら動いてみるのだな! もっとも、下手な真似をするのならば、今度こそ、観客の半数がゴクリンの溶解液でドロドロに溶けてしまうがネェ!』

 それぞれの控え場所にいる四天王達が、悔しそうに、あるいは冷静な表情で、フィールドに立つバリヤード達を見つめる。
 そして。そんなことをやっている者達を見もせず、二人の男達は、残っている者達を軽く見渡して立ち上がる。

「そろそろ、か」
「後は頼むぞ」

 言うや否や、周りの制止の声も聴かずに歩き出した彼らは、別にフィールドに立つ者達の言葉で導かれた訳ではない。
 その時が来たから立ち上がった――つまるところは、10分後の休憩をはさんだのちの最終試合のためである。
 モノクロ地方のポケモン協会の協会長クールと、キングダム地方のチャンピオンである国王クィルイエスは、"約束を交わした賭け"のため、互いにフィールドへの足を踏み出し、定位置まで足を進める。
 その様子に、ぎょっとした顔でバリヤードは二人の男たちを見つめるも、彼らが無言で見つめ合っているのを見て、焦りの表情を笑みに変える。

『ハッ……ハハハッ! なんでしょうかねぇ、ポケモン協会長とキングダム地方国王様! 遂に、我々に降伏の意図を指し示すため、このフィールドに足を踏み入れたのですかぁ!?』

 バリヤードの煽るような言葉に、しかし二人は全く聞いている様子はない。と、

「そうそうヴィエルさん、一つ、言い忘れていたことがあったよ」

 ふと。フーディンにスプーンを押し当てられているレジェンが、ぼそりと呟く。発言を許すつもりはないと言わんばかりの鋭い視線と、スプーンの押し当てを強くするフーディンだが、それも気にせず、レジェンは言葉を発する。

「うちのトップはね、"試合に勝負がつかない"に賭けたんだよ」

 次の瞬間、ポケモン協会長クールがバクフーンを繰り出し、キングダム地方国王クィルイエス――ゼロがルカリオを繰り出す。バリヤードやフーディン達が、あまりにも唐突な事態に対処する前に、二人のトップは命令を繰り出していた。

「ルカリオ、飛び上がって"このゆびとまれ"!」
「バクフーン、"噴火"だ」

 主人の命に従い、ルカリオがフィールドの中央まで走り寄り、その場で飛び上がると同時、指を空へ向けて指し示す。それは、フィールドに有象無象に展開していたゴクリン達の視界に収まり――吸い寄せられるようにして、ゴクリン達がルカリオへと殺到。
 そして、飛び上がったルカリオを中心に、まるで球体状のように集まったゴクリン達へ向かって、バクフーンの"噴火"が炸裂。ミサイルの如き轟音と破壊力を持った炎の渦が、ゴクリン達を一斉に焼き焦がす。強力な一撃を受けて黒く焦げたゴクリン達が、フィールド内へ雨あられのようにぼとぼとと子落下してくる。

『な、なぁ!?』
『ドグロッグ、バクフーンへ"毒づき"』

 驚きで全く動けていないバリヤードとは対照的に、フーディンの命令は迅速だった。攻撃の反動で隙のあるバクフーンへ、ドクロッグが急接近。反応の遅れたバクフーンめがけ、ドクロッグが毒をまとった突きを放ち――空から降ってきた鋼の獣の手が、毒づきを片手で薙ぎ払う。合間に割り込んだルカリオは、不意を突かれてがら空き状態なドクロッグの懐めがけ、"しんそく"を打ち込む。高速の体当たりを間近で受けた毒蛙は、強く壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなってしまう。
 それを見た瞬間、フーディンとバリヤードの動きは迅速だった。
 レジェンの背中を強く蹴とばしたフーディンは、倒れて動けていないヴィエルの元まで詰め寄るなり、彼女にスプーンを差し向ける。一方で、バリヤードがフーディンとヴィエルの周りに対して、素早くバリヤーを張り巡らせる。
 動けない人質を、邪魔を受けずに殺せる状態をくみ上げ、バリヤードは、自身の焦りをごまかす様にへらりと笑って見せる。

『ハハッ、ハッ……! 全く、随分と愉快なことをしてくれましたネェ!! ですが、これではもう手が出せないデショ……なんダ?』

 バクフーンとルカリオの静かな瞳が、バリヤードを――その奥のフーディンを見つめる。それに気が付いたバリヤードが、つられたようにフーディンを見つめ、見つめられたフーディンが、一瞬、理解できないという表情で目を瞬き、

「この僕に、手をだすのかい?」

 女性の声。それは、フーディン自身が人質にしている者から発せられた言葉だった。しかし、その声音は、発せられる威圧感は、雰囲気は、何か根本的に人間とは異なる物で――ポケモンになってから感じられるようになった"獣ならではの直感"が、激しい警鐘を鳴らす。あまりにも異質な何かを前に、フーディンとバリヤードの意識が完全に飲まれ、周りへの警戒が薄れる。
 次の瞬間、上空から降ってきたネイティがバリヤードへ急速接近し、シャドーボールをゼロ距離で叩き込む。効果抜群な攻撃を受けて緩んだバリヤを叩き壊し巻き込む形で、観客席から飛び降りてきたオーディンが、フーディンへ飛び蹴りを決める。
 もろとも勢いで吹き飛ばされる二体のポケモンへ追い打ちをかける形で、走り出したバクフーンの火炎放射と、ルカリオのインファイトが炸裂。
 会場を揺るがす爆裂音と黒煙が巻き上がり、風が煙を全て流し終えたころには、目を回したバリヤードとフーディン。
 ――そして、そのそばには、いつの間にか一匹のハピナスの姿があった。
 ハピナスは自分の後ろで目を回して気絶している2体に、種族的には似つかわしくない侮蔑の瞳で、顔を僅かに歪ませる。

『全く、私(ワタシ)の複数は、やはり役に立たないか』

 やはりポケモンだというのに人間の言葉を口にするハピナスは、言うが早いか、腕を軽く振って見せる。次の瞬間、フィールド全体に鈴の音が響き渡り、同時に、攻撃を受けて気絶していたはずのフーディン・バリヤード・ドクロッグが起き上がる。更に、先ほど焼き焦がしたはずのゴクリン達もまた、その焼跡が少しずつ消えていきながら動き出し始める。ただし、起き上がる者達の誰にも、瞳に意志の光は感じられない。
 さらには、会場の入り口からまたしてもゴクリン達が出現する。ぞろぞろと有象無象のごとくあふれ出てくるゴクリン達は、観客ではなくフィールドに落下し、命令者以外の者達を取り囲んでいく。
 それでも、目の前の異常なハピナスを前にしても、クールやゼロは全くそちらを見る素振りすら見せない。その様子に、ハピナスは不敵に鼻を鳴らして見せた。

『私たちのことなど、視野にもない、ということですか。随分と好き勝手な真似をされましたが、今度はこちらの手番。まずは補助を封じさせて頂きましょう。ドグロッグ、挑発』

 起き上がったドグロッグが雄叫びのような声を上げて注意を引いたかと思うと、バクフーンとルカリオの方へ指を向け、くいくいと振って見せる。雄叫びに気取られたバクフーンとルカリオは、ドグロッグの挑発に対して、それもやはり落ち着いた表情だ。

『全く動じないとは、舐めた真似を……! ま、まぁ良いでしょう。これで、先ほどのような姑息な攻撃は』
「おい。テメェが首謀だな」
『は?』

 声に振り替えると、先ほどフーディンを蹴飛ばしたオーディンが、両手を軽く馴らしてハピナスをにらみつけていた。その様子に、ハピナスは不可解な物をみるような目を向ける。

『何ですか、人間。今は貴方に話しているつもりはありませんよ。貴方のような人間なぞ、私の敵ではありません』
「うるせぇよ、馬鹿。どうせ数の暴力にしか頼れない下っ端なら、さっさとこっちを向きやがれってんだ、その頭はやっぱり飾りか? いかにもアホっぽそうな顔してるもんなぁ。いいか? そこにいる国王でも協会長でもない。この俺が、キングダム地方の四天王長であるオーディン=ブライアスが、全員まとめて相手してやるつってんだよ。こんっな当たり前の言葉の意味が分からないとか、お前は底抜けの阿呆だな、あぁ?」

 蔑みの目を向けて煽るオーディンの言葉に、ハピナスは黙して下を向く。やがて、ゆっくりと顔を上げたハピナスは、すっと両手を上げ、

『口を、慎めぇえええええ!!!』

 ハピナスの怒号と共に振り下ろされた手に合わせ、フィールドに展開している彼のポケモン達が操り人形のごとく殺到し、

「ウィル、"地震"です!」

 彼方より響く青年の命令に合わせて、フィールドの出入り口から飛び出てきたカビゴンが地面に大きな音を立てて着地による"地震"攻撃をするのと、双方のトップが手持ちポケモンをボールに戻すのと、傍まで戻ってきていたネイティがオーディン達の周辺に"守る"を展開するのは、ほぼ同時だった。
 地面が激しい揺れに見舞われ、亀裂の入った大地から飛び上がってきた岩の数々が、まるで一つの渦のようになって、フィールドに群れ広がるポケモン達に傷を負わせ、激しく巻き込みながらもみくちゃにしていく。
 ふわりっと隣に着地した人物に、オーディンは非難の目を向ける。

「この事態に今までどこ行ってたんだよ、お前は」
「ちょっとした重役出勤ですよ」

 にこりと笑うロキは、彼の相棒であるヨノワールに抱きかかえられている。と、彼が懐から、一つのボールを差し出してくる。オーディンはそれを無造作に受け取り、代わりに、腰につけていた別のボールを手渡す。ボールの交換が終わったころには、"守る"を行ったネイティが、ちょこんとヨノワールの頭の上に乗る。
 やがて、がらりと岩の崩れる音と共に、ハピナスが姿を現す。あまり攻撃ダメージを受けたように見えないハピナスは、しかし、はっきりと苛立ちの籠った瞳を二人に向ける。

『人間風情がぁ……我々、ポケ人を愚弄するか……!』
「ポケ人……?」
「人とポケモンの両方の血を持った人のことですよ。もっとも、資料を調べた限りでは、この"人間"は、自らの身体をポケモンと合成させることで無理やりその姿をとった、ただのまがい物です」
『まがい物、だと……?』

 ひくりと頬を引きつらせるハピナスに、ロキはくすりと微笑を浮かべる。

「本当のポケ人は、今ではほとんど人の姿をした存在です。そして、貴方ほど愚かな存在ではない。そもそも――自らの精神を三つに分割させるように、ポケモンに"錯覚"させるだなんて芸当、よほど頭の可笑しい科学者だったんでしょうね。催眠術でポケモン達に"自分自身"を植え付け、あたかも"自分が三人いる"ように仕向ける。ポケモン達が喋ることが出来たのは、何も、三人とも改造を受けたわけではないんです。"元々自分は人間であった"という知識の元、人間の言葉を喋っているに過ぎない。まぁ、だから可笑しな言葉を発するわけですが」
『…………れ』
「全く、呆れたお話です。最高のポケモンを生み出すため、ポケモン達の始祖たるミュウを探しだし、その遺伝子によって人もポケモンも超越した存在になる、なんて。ヴィエル様にまつわる噂をどのように手に入れたかはおいおいとして、そんな、科学的根拠もない不確かすぎる情報のためだけに"ミュウ"を求めるなどと……――馬鹿げているにも程があります。隊長の言うとおり、阿呆の大馬鹿者ですね。隊長以外でお目にかかるのは久しぶりです」
「おいお前、さらっと俺の事貶してるんじゃねぇよ」
「まさか。何も考えずに突入した隊長のことは、これでもきちんと褒めていますよ」
「うそつけぇ! 大体、何でヨノワールに抱きかかえられてるんだよ。お前こそ、阿呆の大馬鹿の見本誌みたいな無茶した」
『黙れ!』

 鋭く発せられた声に、オーディンとロキが改めてハピナスに向き直る。地団太を踏み、両手を強く握りしめていた彼は、憎悪の籠った目で声を荒げる。

『黙れ黙れ黙れ!! 貴様たちのような凡人に、私の野望を邪魔されるいわれはない!! 今ここで……貴様たちを叩き殺して、私は、世界へ宣戦布告するのだぁ!!』
「おい、ついに三下みたいな台詞吐き出したぞ」
「ちゃんと捕まえてくださいね、隊長」
「はぁ。やっぱそーなるか……」

 オーディンが小さくため息をついたことが、ハピナスの怒りを頂点まで押し上げたらしい。次の瞬間、その場で飛び上がったハピナスが、オーディン達を見下ろす様にして両腕を振り下ろす。
 空中に出現した真っ白い卵状の爆弾が、オーディン達の元へ雨あられと降り注ぐ。周りの地面が、先ほどの地震で崩壊しているため、逃げ場のない状況下への衝撃波ともいうべき攻撃。激しい爆発音と土煙が、爆炎と共に周囲に巻き上がる。
 地面に降り立ったハピナスは、にやにやとした笑いで攻撃を降り注いだ地点へ近づき――煙の晴れたそこには、ヨノワールの"守る"によって無傷で立っているオーディンとロキに、その後ろで落ち着いた表情で座っているレジェンとヴィエル。
 ふと、自分の上に影が落ちる。ハピナスが見上げると、そこには、片腕を大きく振り上げたカビゴンが、無表情で立っていた。

「「ばくれつパンチ」」

 キングダム地方の二人の四天王による技のコールに併せ、カビゴンのウィルが拳を振るう。強烈な格闘タイプの一撃は、効果抜群となるハピナスの身体を地面にめり込ませ、そのまま気絶させるのだった。

*****

 騒ぎに乗じてその場から逃げだしたフーディンは、荒い息を隠しもせず、人が避難することで静まり返っている会場の廊下を、必死に走っていた。
 元々、ポケモンへと体を改造したと言えども、元となった人間の身体はそれなりの歳を重ねている。ともすれば、ポケモンの体力に頼っていたとしても、限界というのはある。
 それでも、何とか態勢を立て直すためにと、フーディンは悪態をつきながらも死に物狂いで走っていた。

『くそくそくそっ!! 全くどいつもこいつも役に立たない――私が三人いれば何とかなるなどと、全く、あのハピナスですら、自分が何者かを理解できずに暴走しおって!! くそっ! だがぁっ、どうせ、また戻ればいいのだ……ミュウの血をひく者の髪は入手した。今度、今度こそ、完璧なっ、完璧すぎる、私(ワタシ)をっ――……あっ』

 瞬間、足をが不自然にもつれたフーディンが、地面に転がる。慌てて起き上がろうと両手を地面についたところで、彼は、自分の足元が氷で固められていることに気が付き、目を疑った。

『なんっ、何なんだ、これは!』
「なるほど。確かに、貴様の計算は間違っていなかったようだ。よほど、腹いせをしたいのか」
「あらぁ、そんなことないわよぉ。でもぉ、ちょっと憂さ晴らししたいのは確かねぇ」

 声がするのと共に、冷たい冷気に合わせて前方から足音が響き渡る。
 視線を向ければ、一人の男と女がこちらに向かっている。彼らの前にはフリーザーとサーナイトが控えている。よく見れば、フリーザーが両翼を動かすたびに、フーディンの足元の氷は少しずつ彼の身体を飲み込んでいる。

「貴様、件の参謀長官とやらに負けたそうだな。ふむ、とてもいい気味だ。心がすっとする」
「あらあらぁ。そういう貴方は、向こうの四天王を煽った癖に、犯人を逃してしまったのでしょう? 全く役に立ってなくて、私、とても嬉しいわぁ」

 まるで明日の天気の話をしているかのようなのんびりとした調子で、二人の人間とポケモン達が目の前までやってくる。その時までには、フーディンの身体は全て氷に包まれていた。しかし、何故か意識だけははっきりと差し迫ってくる存在を認識できる。

『あっ、ああ……あぁ……!! な、なぜ……だ…………!』

 その様子に、男――ファントムは、何でもないと言った表情を向ける。

「あぁ。体は動けないだろうが、意識だけはサイコキネシスで強制的に呼び起こしておいてやる。安心して、そこの女の理不尽を受けておくといい」
「私ねぇ、ポケモンがとっても大嫌いなのよぉ。だから、何時もよりたーっぷり教えてあげるわねぇ。協会四天王が――どのような存在かを、ね」

 にこにこと笑っているメイミは、懐から一本の注射器を取り出す。
 意識を落とすことで現実を直視しなくて済むという手段を奪われた存在は、数分もしないうちに、精神を崩壊させることとなった。

*****

 会場内のフィールドでの一部始終は、最初から最後まで放映されていた。
 テレビを見ていたセイナは歓声を上げて喜び、ホウナとワカナは安心したように小さく息を吐き出す。テイルはクッキーを口にしながら――自分の後ろで、ポケギアを片耳に当てて騒ぐエメラルドの声に耳をそばだてる。

「はぁ!? 何言ってるんだよ、アゼル! 俺、今はモノクロ地方! キングダム地方まで瞬間移動とか、それこそミュウツークラスですら出来ないよーな芸当だよね!?」
『だから、別にモノクロ地方内で構わないと言っているだろうが。僕の代わりに、協会へ赴いて、事態の確認と収集をしろと言っているんだ。元々、今回の件は、こちらの地方内で処理すべき問題が、こちらの地方内まで波及した問題。それに、奴が倒されたと言えど、先の放送を見て影響を受けた阿呆どもが暴れない確証はどこにもないんだ。だからこそ、貴様をそちらの地方に残したんだんだぞ。きちんと仕事ぐらいしろ』
「今日は休みでいいっつたじゃん! 大体、アルクさんいるんだし、俺がわざわざ仕事しに行く必要性は――」
『なるほど。貴様は帰ったタイミングで八つ裂きにされたい訳か』
「分かりましたスミマセンごめんなさい仕事します! 俺、仕事大好き!!」

 最後はほとんど涙交じりの声でポケギアを切るエメラルドを、椅子に座っているテイルが見上げる。

「お前は馬鹿だな。あそこでアルクさんの名前を出すなんて、火に油を注いでどうする」
「いや、だって副会長がもう一人いたら、ただのど平下っ端協会員要らない、って思うじゃん!?」
「アゼルは、お父様の話題が出るの、とても苦手だから……ごめんなさいね、エメラルド君」
「ホウナさん! 謝ってくれるのは嬉しいんですけど、次回あったら、もう少しあの上司に『エメラルド君には優しくしてあげてね』って言ってあげてください! 俺だけいつも超理不尽!」
「ホウナさん、この馬鹿の言葉は気にしないで、むしろアゼルさんには『もう少し厳しくしてあげるのが、エメラルドのためになるわ』とかで良いです」
「ワカナ酷い!」

 泣きまねのように両手で顔を覆うエメラルドから目を離したテイルは、首を傾げて唸っているセイナへ声をかける。

「どうした、セイナ」
「あのね、テイル。ちょっと気になったんだけど……」
「うん?」
「――結局これ、どっちが優勝なの?」

*****

 もはや試合が出来そうにもない惨状たるフィールドを、アゼルはぼんやりと眺めていた。
 地面のあちこちは隆起し、壁のいたるところにひびが入っている。
 それはこれまでに伝説ポケモン達が散々と出現していたのもあるが、決定的な要因は、最後に大技を決めたカビゴンの"地震"だろう。もっとも、その主人たる向こうの四天王の長は、犯人のハピナスを捕獲した後、フィールドの惨状を改めて視界に収めた瞬間、頭を抱えていたのは滑稽だと思ったが。
 観客席の方もまた、ゴクリン達の放った溶解液であちこちが溶け出していたり、一部の毒が残っていることから、こちらの協員と向こうの騎士団員達が、手分けして消毒と整備にあたっている。
 目の前では、"トラブル収束担当の片割れ"であるアイルズが、向こうの騎士団とやらにて"参謀長官"という大層な役職名を持つ者とと共に、協会員と騎士団員に指示を出している。

「ティア。そちらの協会員の方を連れて、A2ブロックへ向かってください。恐らく、残党のゴクリンでしょう」
「分かりました。そちらはお任せしますので、こちらは、フィールドの整備に人員を割きましょう。それから、今後の対応についてですが――」

 何時の間にかアイマスクを外していたアイルズが、あまりにもあっさりと向こうの参謀長官と意思疎通しているのを見ると、どうやら、アイルズ自身もまた、何か吹っ切れた物があったのだろう。隣に座るシュウは、手持無沙汰な様子でアイルズ達を見ていたが、ふと思い出したようにアゼルの方へ向き直る・

「そういや、アゼルは何もしなくていいの?」
「アイルズが率先して指示を出し、向こうの担当との折衝をしているんだ。その邪魔をするぐらいなら、モノクロ地方内の状況を把握し、エメラルドに指示を出す方が効果的だと判断したまでだ」
『さっきの電話は傑作だよなぁ〜。アイツ、地雷の上でダンスするのほんっとーに上手いときたもんだ』

 げらげらと笑うカオスを睨み付けるも、あまり意味のない行動だと思い直したアゼルは、フィールドの端へ目を向け、

「ん?」
「どうしたのさ、アゼル……あれは、クールさんと、えーっと……」
『キングダム地方の国王、とやらじゃねぇか。何喋ってんだ?』

 試合中に司会席のあった場所に立っていたのは、協会長クールと、キングダム地方の国王クィルイエスだった。その周辺、は今回の事件の中でも、唯一損害の少ない場所だ。そのためか、フィールドの整備をしている協会員や騎士団員たちの姿はそばに見当たらない。
 二人は二言三言会話をして握手をしたかと思うと、そのまま背を向けて歩き出す。やがて、十分な距離をとったところで向き直り、互いのボールからそれぞれのポケモンを――先ほど引っ込んでしまったバクフーンとルカリオを出現させる。出現した二体は、主人のお辞儀に併せるように、頭を下げ、礼を済ませる。
 そして――バクフーンの"火炎放射"と、ルカリオの"波導弾"がぶつかり合う、激しい炸裂音が響き渡った。


【第五試合】モノクロ地方ポケモン協会長 クール  vs キングダム地方国王 クィルイエス(ゼロ) in 1 vs 1

それは、数分前の事だった。

「賭けの結果はともかく、もう一度、きちんとポケモンバトルはどうでしょうか、クィルイエス王。もちろん、あまり時間はありませんから、1対1で構いません」

 そういって片手を差し出すクールを、ゼロは目を瞬いて見つめる。淡々とした調子で、彼は事も何気に言葉をつづける。

「私はもともと、"貴方とポケモンバトルができる"ことを楽しみにして参加したまでのこと。もちろん、貴方のされた提案が魅力的だったからこそ、賭けに乗ったことも事実です。ですが、このまま消化不良で終わるのは、貴方もつまらないのではないか?」

 その言葉に――ゼロは僅かに困ったように笑い、差し出された手を片手で握り返す。

「貴方もまた、ポケモントレーナー、という訳ですか」
「苦手ですか?」
「いいえ――……とても、久しぶりに心躍る提案です」

 互いに頷いた二人は、十分な距離を開け、自らのポケモンを繰り出す。
 ボールから出現したバクフーンとルカリオが、主人の礼に併せてお辞儀をし、

「バクフーン、"火炎放射"!」
「ルカリオ、"波導弾"!」

 主人の命令に、即座に反応。
 バクフーンの苛烈な炎と、ルカリオの波導弾が同時に放たれ、エネルギーのぶつかり合いが衝撃音と土煙を巻き起こす。何が起こったのかと、フィールドにいる者達がざわつく中、土煙を破って上空へ飛び上がったのはルカリオだ。そのまま、連続した波導弾を、バクフーンがいたと思しき場所に連続して叩き込む。エネルギー弾の破裂が、巻き上がる煙をさらに激しくする。
 刹那、土煙を打ち破る紅蓮の光が、ルカリオの姿を真っ直ぐに打ち抜く。そのまま体制を整えれないルカリオが地面に落下し――ぽんっという音を立てて、その姿が掻き消える。
 自らの放った炎によって土煙が無くなり姿を現したバクフーンが、ほとんど反射的に背後へ火炎放射を放つ。一呼吸分の神速で間合いを詰めたルカリオは、炎で僅かに肌を焦がしつつも、勢いよくバクフーンの顔面を殴り飛ばす。
 もみくちゃになって殴り飛ばされた炎の獣へ、格闘の戌の容赦ない"波導弾"の連弾。エネルギー弾がバクフーンに着弾し、さらなる破裂音と共に、地面をすべっていく。
 よろよろと立ちあがるバクフーンへ、ルカリオが再び"神速"によって間合いを詰め――灼熱が、ゼロ距離のルカリオに襲い掛かる。
 先ほどの状況とは逆転した形で、ルカリオが地面をすべるように吹き飛ばされる。それでも、ルカリオは何とか態勢を立て直すと、主人の近くまで後退する。
 ふっ、と笑みを浮かべたのは、クールだ。

「流石、国王のポケモンだ。今の一撃を受けてもなお、立ち上がるとは」
「それはこちらの台詞ですね、クール協会長。貴方のバクフーンは、中々タフなようだ」

 互いの体力が目に見えている状況で、起き上がった二体のポケモン達は、すっと目をつむって神経を研ぎ澄ませる。
 それを、二人のトップは冷静に見つめ合う。やがて、ゆっくりと指先を相手へと向け、

「戦いの勝敗は、最後の最後まで分からないものだ、クィルイエス王」
「貴方のような方と戦えたことを、嬉しく思う、クール協会長」

 バクフーンの体を渦巻く劫火の輝きが頂点へ達したのと、波導のエネルギーを推進力へすべて回したルカリオが地面を蹴るのは、ほぼ同時だった。

「"ブラストバーン"!」
「"インファイト"!」

 バクフーンが放った獣のごとき獰猛な爆炎が津波のごとく押し寄せる。それを、体にまとわせた波導のエネルギーで削っていきながら一点突破をしていくルカリオ。
 二体の攻撃によるエネルギーの衝突は、先ほどまでとは比べ物にならないほどの轟音と揺れ、そして土煙に爆炎を巻き上げる。
 フィールドの整備をしていた協会員や騎士団員の悲鳴の中、二人のトップは全く動じず、ポケモン達のいた場所を見つめる。
 やがて、土煙が風で巻き上げられたフィールドにあったのは――目を回して互いに倒れている、バクフーンとルカリオの姿だった。

「どうやら」
「引き分けのよう、ですね」

 困ったように互いのトップが肩をすくめる。
 それに合わせて、茫然としていたフィールドの協会員や騎士団員たちの拍手が重なり、それは、最後の締めくくりにふさわしい大きな音となって、その場に響き渡った。


【第五試合】モノクロ地方ポケモン協会長 クール  vs キングダム地方国王 クィルイエス(ゼロ) in 1 vs 1 → 引き分け
→最終結果:ドロー (モノクロ四天王)2 対 2(キングダム四天王) 1引き分け


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