その日は結局、フレイヤを連れて城に戻った。ケンタロスとの事件後、何やら燕尾服の老人(例の夫の執事らしい)との会話を終えたフレイヤが、突然、その場で倒れてしまったからだ。どうも体調が優れなかったらしい。
 ちなみに老執事が何故わざわざフレイヤの元を訪ねたのかといえば、例のジェライから、お見舞いの品である菓子箱を預かったからだそうだ。当人は忙しくて渡しに来れなかったらしく、その使いだったのだという。
 その後も、騒ぎに関する書類を書くのに追われ、何とか作業が終わって医務室に出向いてみれば「体調が悪いようだからさっさと寝かしつけちゃったんだよね〜」というケイジと"歌う"をし終えたらしいハピナス、それに寝息を立てて眠るフレイヤの姿を見ることに。
 なお、事件の最中(何故か空から降ってきた)ファレンハイトと合流したものの、彼はフレイヤを見つけるなり「顔バレするのめんどくせーから後宜しくな〜」などと言って、さっさといなくなってしまった。
 結局のところ、オーディンはあの後、フレイヤと会話することが出来なかったのだ。――――つまり、話の真意が聞けなかった。


「なぁ、ウィル。あれは考えなくても、ただの"好意"であって"恋愛"的な意味はないよな?」
「ガウッ?」
「いやだからええっと……いや、なんでもない」

 そもそも彼に説明したところで理解してくれるとは思えず、オーディンは首を振ってため息をついた。目の前にある遅めの夕飯は、一時間経った今でも手を付けていないためにすっかり冷めてしまっている。
 しかし、何となく口にしておかないと、愚痴でもいいから喋っておかないと、そんな気持ちだけが心を埋め尽くしていくような感覚。

「いやな、確かに俺も男だけどさー……。ゼロとかさんざんからかったり、ヴィエルに振り回されたり、同じ騎士団のやつらにあーだこーだ言われて、メイド達からもなんか似たようにあーだこーだ言われたけどな」
「ガウガウ」
「その、だな…………あー、くそっ! ゼロのこと笑えないってことなのか!? 単にあんな感じの女が傍にいなくて珍しいからなのかーー!?」

 金の短髪をがりがりと掻いて頭を抱えながらうめく彼は、恐らく外から見れば不審者以外の何物でもない。しかし、時間は幸いにしてもう夜遅すぎる時間で人の姿もない。厨房にはメイド達もいない。だだっぴろい食堂内にいるのは、うめき声を漏らすオーディンと、借り手持ちのカビゴンのウィル。そして、

「あら、ディンじゃない。どうしたの?」

 軽やかな声に、オーディンは顔を上げた。
 金色の長髪を艶やかに伸ばしたその女性は、いわゆる"絶世の美女"と言えるプロポーションの持ち主だ(ただし年齢は見た目からは想像できないほどに老いている)。エメラルドグリーンの瞳を細める彼女の口元には酷薄な笑みが浮かんでいる。露出の多い艶やかとしか言いようのない派手な服の女性は、妖艶な手つきでそっとオーディンの顎を掴んだ。ぽっかりと口を開けて、彼はおののく。

「ま……マリアナ様……!!!!」
「あぁ、そんなに固くならなくていーわよ。どうせ貴族遊びの帰りだしー。あ、もちろん私用の後よ?」

 この国で一番偉いと言われる女王――マリアナは、ぱっとオーディンから手を放し、けらけらと笑って見せる。目を白黒させつつ、オーディンはやや引き気味に伺う。

「え、えーと、それでマリアナ様……俺に、何の用ですか?」
「別に特に。ただ、こっそり戻ろうとしたら、食堂でなんか叫び声が聞こえるわねーって覗いたら、貴方がいたもんだから、ねぇ。――で、何があったの?」

 厄介ごとなどのトラブル大好きで(城内では)有名な王妃は、目を爛々と輝かせて迫ってくる。形の良い柔らかな脂肪の塊を押し付けてくる彼女を精一杯押し返しつつ、オーディンは首を横に振った。

「なっ、何でもないです……! っていうか、マリアナ様、お酒臭いですよ!」
「まぁまぁ気にしないのー。で、何? 例のヴィエルちゃんの妹の件? もしかして……告られた!?」

 瞬間、彼女の体を押しのけていたオーディンの力が少し弱まる。
 それを逃さず、オーディンを押し倒すかのように勢いよく抱き着く王妃。体に押し付けてきている物体から意識を誤魔化す様にして、彼は視線をあさっての方向に向ける。

「………………いいえ全く」
「あっやしいわねぇー。それとも何、告って玉砕? ディンったら性急じゃないの。会ってからまだ二日目でしょー? あ、でもまぁ、私も一日でうまくできたら食べちゃうわねぇ」

 私生活がさんざんなのに何故か王としての実力はある(変人)王妃の言葉に、オーディンはため息をついた。

「とにかく、貴方が考えるような下世話なことで悩んでいたわけじゃないんで、お気になさらず!」
「アタシ、別に下世話なことを考えていたわけじゃないけどぉー? そんな風に言って否定するのは『はい、そうです!』って認めてるものなのよー?」

 にやにやとした笑みを見つめると、オーディンは何となく、ゼロの恋人であるヴィエルを思い出した。元々問題の多いヴィエルは、特に恋とか愛とかそういう"浮かれた話"には非常に敏感だ。そして、この王妃もまた、なんというか"そういう話"には非常に耳ざとい。
 考えていることを言えば、更に面倒くさいことになるのは分かっているので、オーディンは口をへの字にして思いっきり顔をしかめていた。もっとも、

(ったく、この人と言いヴィエルと言い、女王とか王妃候補っていうのは碌なのがいないのかよ! っていうか、ゼロのやつはあの母親に似た相手が好きになったってことだよな……マザコンだろ、アイツ!)

 この場にいない親友を胸中で罵っていると、ふと、体を拘束する圧迫感がなくなる。見上げれば、マリアナが彼から手を放して、若干つまらなさそうな表情で首を掻いていた。いきなり離れた理由が分からず、彼は目を丸くしてこわごわと顔を見つめる。

「え、えーと、マリアナ様……?」
「――――ファレンハイトから話は聞いてるわ。アンタ、どうせ父親には相談してないんでしょ?」

 ぎくりと肩を震わせて、彼は視線を逸らした。女王の溜息が、何となく後ろめたさを引っ張る。

「貴族同士のトラブルなんて、騎士団長とか参謀長官の――――アンタの父親やファレンハイトの仕事よ。アンタが出張るものじゃあないわ」
「それは、分かってます。だから、俺はただ一緒にいるだけですよ。大体ファレンハイトが動いてるんだから、俺が出来るようなことなんて何もないって理解してますから」
「じゃあ、アンタは何で悩んでたのよ? てっきり、そっちの問題解決の為に悩んでるのかと思ったじゃないの」

 口をとがらせて納得いかない表情の女王が、訝しげな目を向けてくる。

「だから……なんでもないですって」
「言っとくけど、アタシ相手にそれで話突っぱねるっていうなら、今度、謁見の間に呼び出して、女王命令で色々なやつらの前で無理やり言わせるわよ」

 冗談ときこえないような彼女の言葉に、オーディンは怒りと呆れで顔を引きつらせる。そして、深々とため息をつくと、彼は投げやりな声で言った。

「――――女性の言う"好き"っていうのは、ただの"好意"であって"恋愛"的な要素は含まないよなーって思ってただけです」
「あら、やっぱり例のフレイヤちゃんから告られたのねぇ」
「別に、向こうはそういうつもりじゃないと思いますよ。なんか気を使われて言われた気がして、ちょっと腹立たしいだけですから」

 にまにまとしているマリアナを視界に入れないようにしつつ、オーディンは肩をすくめた。
 間違ってることは言っていないはずだ。確かに、最初は"愛だの恋だの"そういった要素で言われたのかと思っていた。が、目の前の女性に理由を説明しようとして口をついで出てきたのは、そんな言葉だった。

(俺は、いらついてるのか)

 思ってもみなかった自分の感情に、鳶色の瞳を丸くする。
 何故、あんなタイミングで言ったのか。それは多分、オーディン自身を思っての言葉だろう。彼が自分の信念と目の前の彼女に信頼されてもらおうとする姿、その矛盾に動けなくなる前に、彼女は声をかけたのだ。
 どんな他人でも助けようとするオーディンは、自分とその周囲だけしか大切にできないフレイヤを理解できない。彼女を理解するには、彼が自分とその周囲の人間以外を大切にしない状況をつくるしかない。しかし、それは、相反する事象だ。他人と自分の周囲では、扱いが異なる。
 自分は自分の周囲しか大事にできないと、彼女は言い放った。ならば、

(アイツ自身は、何で自分を大事にしないんだ)

 オーディン自身、自分はおせっかいな性格で、損する性格だと思っている。なんだかんだいってもほっとけない性格が災いして、彼は常に問題に首を突っ込む。それが面倒くさいということはあっても、彼自身は、決して、首を突っ込まないことはない。一度見てしまったものを、見て見ぬふりなど出来ない。
 だからなのか、フレイヤのことは放っておけないのだ。あんなに彼女を傷つけている男が、どうして彼女を大切に思っているのか、それが分からないのか。

『"自分の知らない誰かの為に動くことが出来るおせっかいな"貴方が好きなのに――――』

(アイツの婚約者っていうのは、自分の知らない他人の為に動くのか?)

 ジェライと名乗った貴族。貴族というのは自分のことしか考えないことが多い。しかし、ヴィエルやジムリーダーのような例外はいるのだ。
 フレイヤに対してだけは例外で、それ以外ではおせっかいを働くのだろうか。
 ――――他人に優しくあれば身内を大切にはできない。そういう人間を見ているから、フレイヤは、オーディンが自分を理解できないと思ったのだろうか。

「優しすぎる子」

 声に顔をあげる。
 何時の間にか、マリアナ女王はオーディンの横に腰掛けて、ぱたぱたと扇子を仰いでいた。紅色の口が小さく弧を描く。

「アンタは"優しすぎる"のよ、オーディン。――――その優しさが、何時かアンタの身を滅ぼす」

 そう言った彼女のエメラルドグリーンの瞳が細められる。その時は、何となく声をかけれなかった。まるで予言ような言葉を、オーディンはじっと聞いていた。

「でも、その優しさがなければ、アンタは生きていけないわ。根っからのお人よし、無駄なまでのおせっかい。いいじゃないの、アンタらしくて。それともアンタは、自分のその性格がホントに不満かしら?」
「それは……ないです。ただ」
「じゃあいいじゃない。他人に迷惑かけているのを分かっているほうがまだマシよ。もちろん、迷惑をかけててその後どうするか、も重要だけど」

 そして、バシバシッとオーディンの背を少し強めに叩く。不満げに見上げてくる彼にけらけら笑いながら、女王は立ち上がった。

「とりあえず、アンタは好きなようにやりなさい。ファレンハイトもだいぶ情報集め終わってるだろうから、近いうちに何か動きはあるでしょ」
「動き?」
「そそ。――さて、今日はもうだいぶ遊んで食べたから、アタシはそろそろ寝るわ。寝不足はお肌の大敵だもの。ディン、アンタも早く寝るのよ」
「マリアナ様」

 そのまま背を向けて立ち去ろうとする王女の背に、オーディンは声をかける。立ち止まりはしたが振り返らないマリアナに向かって、彼は頭を下げた。

「有難う御座いました」
「お礼は、今度美味しい紅茶で答えなさい。後、美味しいお菓子に美少女もセットで」

 ひらひらと手を振って食堂を出ていく女王に、オーディンは苦笑する。相変わらず変な人ではあるが、少しだけ、自分がやるべきことが見えてきたような気がする。
 目の前の冷めてしまった遅い夕飯にやっと手を伸ばしつつ、彼は静かにうなずき、その様子に、始終観察に徹していたカビゴンがくすくすと笑っていた。


* * *


「そう、何時か訪れる貴方の死も――――全て優しすぎるのが原因なのよ、オーディン」

 エメラルドグリーンの瞳を細めて、世界を見渡す力を"所有する"女王は、小さな声で呟いた。


* * *


 次の日の朝は、もはや最悪の気分と体調だった。起きてからずっと胃の中がひっくり返った吐き気に見舞われ、水も喉を通らないほどだった。何より"彼"とは顔を合わせたくなかった。彼の顔を見たら、どんな表情をしたらいいのか、分からなかったからだ。

『――――彼を殺して来れば、私は君を赦そうじゃないか。そして、君が最も欲しがる、永遠の自由を与えよう』

 脳裏で何度も彼の声が聞こえてくるたびに、彼女のは頭を抱えて体を震わせた。昨日、預かったものは、自分のベッドの横に置いてある。誰かが開けた様な形跡のないそれが、フレイヤには余計に恐ろしい物に思えた。いっそ見つかれば、或いは、と思う一方で、そんな甘い考えをしてしまう自分が、酷く馬鹿な存在に思えてくる。
 何より、彼に、迷惑はかけたくない。かけたく、ないのだ――――。

「彼に……会いたくない、会いたくない会いたくない会いたくない会いたくない会いたくない会いたくない……会いたくない、の……」

 気持ち悪さの中でそんなことを呟きつつ、毛布の中で彼女は体を縮めていた。
 その呟きを聞いていたらしいハピナスは、オーディンから朝食を受け取ると、彼をさっさと追い返した。理由を尋ねたがる彼を叩きまくって追い払っている音は、フレイヤにとって罪悪感と安堵で一杯一杯だった。

(ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!)

 毛布の中で気持ち悪さと何もかもがぐちゃぐちゃになっている中、声を押し殺して毛布を被りながら、彼女は胸中で何度も謝り続けた。
 やがて、青年を追い返したハピナスは、震える毛布の塊を優しく撫でながら、静かな子守唄を歌った。


* * *


「フレイヤちゃんは寝たかな、ハッピー」
「ハピッ」
「そうか。しかし、参ったなぁ。昨日はあんなに普通だったんだけど……オーディン君、なんか失敗したのかなぁ」
「ハッピィ……!!」
「ま、まぁまぁハッピー、怒らない怒らない! とりあえず、足のほうは凄い速さで治ってるから、もう立って歩ける程だと思うんだ。だから、起きたらちょっと確認してもらおうか。ついでに、まだ気持ちが悪そうなら点滴しようかね」
「ハピッ!」
「うんうん。それじゃあ、まず僕らは朝ごはん――……おっと、誰か来たようだね。誰だろう?」


* * *


「フレイヤ」

 自分を呼ぶ声が聞こえて、彼女はゆっくりと意識を浮上させた。そして、目の前にいた人物に目を見開く。

「っ、ヴィエルクレツィア、お姉様……!?」
「しー、静かに! ケイジ先生が寝てる間に、こっそり入ってきたんだから。あ、というか、貴女もいい加減、ヴィエルって呼んでくれていいのに。そういうところは生真面目よねぇ」

 自分を覗き込んでくる金髪に空色の女性は、起き上がろうとする彼女を宥めつつ、にこにことほほ笑んでいた。

「足はどう? まだ、痛むかしら?」
「え、ええ……もう大丈夫な感じよ、お姉様。ケイジ先生は、数日もすれば立って歩ける、と昨日おっしゃってたわ」
「そうなの!? じゃあ、もう少ししたら、彼のお屋敷に戻っちゃうのね」

 何気ない姉の言葉が、フレイヤの胸をえぐる。そうだ、自分は今日の夜に戻らざるを得ないのだ。

 ――――"騎士"を殺す代わりに、"永遠の自由"を手に入れる。

 考えた瞬間に、背筋がたまらなくぞくぞくとした。背徳感と恐怖と――――ほんのわずかな甘美な響きは、フレイヤを誘惑するようだった。
 しかし同時に、脳裏で昨日時間を共にした彼を思い出す。彼を殺す自分など、想像なんてできない、それどころか、彼を殺さなくてはいけないという恐怖が、寝て忘れたはずの気持ち悪さを思い出させる。
 思わず頭をひっこめて布団の中で縮こまると、彼女の背を姉は優しく撫でてきた。

「本当に大丈夫なの、フレイヤ? 私にできること、なにかないかしら」

 私にできること。
 それもまた、不思議な響きに彼女は思えた。
 自分が今犠牲になっているのは、姉を守るためなのだ。"計画"のため姉の血を使いたいという主から彼女を守るために、自分は今、こんな状況になっているのだから。
 姉を代わりに差し出す。
 そう思った瞬間、彼女は自分自身を殴りたくなった。

(何の為にここまでやってきたの、私は!)

 いざ選択を迫られた時、自分は姉の為に、家族の為に、わが身を犠牲にすることくらいしか、役に立つことはないというのに!
 自分自身を胸中で罵り、フレイヤはゆっくりと息を吐き出した。自分を落ち着かせなくてはいけない。まだ結論を出すには時間がある。夜はまだ来ていないのだ。そう思い、頭を冷やそうと思った彼女は毛布から顔をのぞかせる。心配そうに見下ろしてくる姉の姿は、やはり、どこか安堵と現実味のない感覚を覚えた。

「あ、そういえば」

 ぽんっと手を打ったヴィエルクレツィアの笑顔を、突然、フレイヤには落ち着いて見れなくなった。動悸がする。先ほどよりも気持ち悪い感覚がぶり返してくる。本格的に吐きそうな気分の中、彼女は、事も何気に言った。

「明日ね、私、ジェライさんのお屋敷に伺うことになったのよ。お茶するついでに、お屋敷の中を案内してくれるんですってー!」
「!」

 ほとんど死刑宣告様なその言葉に、フレイヤは目を見開いた。にこにこ喋る姉は、こちらの驚きなど気づくことなく、楽しげな表情だ。

「私、貴方の部屋を見つけたら、ちゃんと行った証拠を何か置いてくるわね。あ、でも貴方の部屋は入れないようになってるのかしら? 普通はメイド達が毎日掃除するために空いてると思うんだけど、たまに人の部屋って鍵かかってるのよねー。もしかして、フレイヤの部屋も貴女が鍵持ってたりとか――――」

 もう彼女の声など聞こえなかった。
 彼を殺さずに今日を過ごせばいいなどと、思えるわけもなかった。
 ――――既に自分に選択の余地などない。犠牲にするものは、決まっているのだから。
 恐らく、今夜の内に命令通りのことをしなければ、姉を人質にするつもりだ。逆に、自分が今夜中に命令通りのことをして戻って行けば、恐らく、姉の言う話はなくなるのだろう。

 フレイヤという人物がいなければ、そこに行く理由はなくなるのだから。

 自分はヴィエルクレツィアという姉を、ルアーブルという貴族の名を、守らなくてはいけないのだ。
 そのための義務がある。それ以外に、自分が生きる意味などないのだから。

「姉様、お願いがあります」

 そう言うと、姉は空色の瞳を輝かせて両手を握ってきた。同時に、胸にずしりと重い感じを覚える。
 本当はいつもそうなのだ。
 わくわくと無邪気なその笑みを見るたびに、自分は劣等感を感じていた。何故、姉は、こうも恵まれているのだろうと。何故、自分がつらい目にあっているのに、姉だけは楽しそうなのだと。
 ――――だが、その苦しい思いも今日で、全部、なくなるのだから。

「なぁに、フレイヤ。私に出来ることがあったら、なんでも言ってちょうだい!」

 ほほ笑む姉に、フレイヤは嗤い返した。

「オーディン様に、昨日のお礼をしたいんです。今夜、時間を空けてもらえるようにお願いできませんか?」


* * *


「…………はっ!? あ、あれ? 僕たち、何時の間に寝てたっけ?」
「ハッピー?」
「うーん、確か朝ごはんを食べようとして、そこから先を覚えていないんだけど……はっ、朝ごはんが二つ分まるっきりない!? ということは……」
「ハピ?」
「分かったよ、ハッピー。つまり僕たちは――――軽い記憶障害を起こすほどに殴りあいの喧嘩を行って、結果、ハッピーが勝ったために、ハッピーが朝ごはんを全て食べてしま……ぶっ!! なんか、自分で、整理してみて、ハピナスと人間で殴り合いならぬ叩きあいとか……ぶっ…………ブッハッハハハハ!!!」
「……ハッピー…………」

 一人で腹を抱えて笑う主人をしり目に、ハピナスは無事だった朝食の一つを持って、体を起こした影の映るカーテンの向こう側へと向かった。


* * *


「あ、いた、ディン! ちょっと貴方、一体どういう方法であの子を誘惑」
「いいところにいた、ヴィエル! お前に聞きたいことがある!」
「ちょっと! 先に人の話を聞きなさいよ!」
「それは後で聞いてやる。だから、あいつの――……フレイヤの好みを教えてくれ!」



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