場所には、それ相応の相応しい道化と役回りを演じる者、そしてそれら全てを作り上げる者が存在する。
踊らされている者は自らが劇の役者とは知らない。道化は全てを知っている者と知らない者の二択に分かれる。
結局は全てを作り上げる脚本家であり演出家だけが全貌を知り、自らの手のうちで転がす。
――しかし、それもまた、誰かの手のひらで踊らさているということに気づくことは、恐らくないのだろう。



「おお、見つけた見つけた、っと!」

椅子に座って新聞を広げていたユーリは顔を上げる。そして、胡散臭そうなものを見る目つきを返す。
やってきた仲間の中年男性――レイヴンは、そんなユーリの態度に肩をすくめながらもにやついた顔を隠そうとはせず、机を挟んだ向い合せの椅子に音を立てて腰を下ろす。

「下らない用事なら知らないぞ」
「おいおい、きちんと言われた情報を持ってきたのに、そりゃないぜリーダー」
「で?」

大仰に肩をすくめるレイヴンにちらりと目を向け、話を促すように軽く顎をしゃくる。彼はにやりと笑うと、机に身を乗り出す。

「今夜――坊ちゃん嬢ちゃん達が寝静まった後に、近くの酒場だな」
「本当に金を稼げるのかよ、そんなとこで」
「種類はある程度を除けば選ばないんだろう? まぁ、酒場だから情報収集にも一役買えるだろうしな。詳しくは行ってからの、お、た、の、し、み」

ぴっと指を立てて軽薄に笑う男の姿を、ユーリはまじまじと眺める。しかし、それで何か変わるわけでもないので、彼はため息をつく。

「武器を買い替えるとか食事が足りないとかそういうことを言わなかったら財布ももう少し重かったのにな」
「おじさんはな、欲しいものがあるとついついそっちに目を奪われて、後先考えるのを忘れてしまうのだよ。人間の欲深き性っつーのは辛いねぇ」

同じように軽く身を乗り出して言葉を返すユーリの肩に腕を回して、レイヴンは楽しげな表情でそう言った。



事の発端は、一週間前、ユーリ達一行がその街を訪れたことから始まる。
次の場所に行くまでの船は、現在海域が少々荒れているという理由で数日間出ないことから、彼らは事実上の足止めを食らっていた。
そんなわけで、今まであまりにも目まぐるしく流れた日々の見直しということもあり、全員で武器の調達から道具や食材の買い足しをすることにした。しかし、それぞれにお金を持たせて買う物をある程度まとめたのまでは良かったが、ユーリはその先をある程度失念していた。結果、きちんとした買い物をしてきた者としてきていない者の二つに分かれ、どころか、手元にあったはずのお金が宿代を払ってしまえばほぼ底をつく状態になってしまったのである。
現在、ジュディスとラピードとカロルとリタは、校外周辺でうろつく魔物を退治しに行っている。ジュディス自身が魔物退治を望み、カロルやリタは年齢の問題からアルバイトはできず、ラピードに至ってはそもそも人ではない。
ユーリはエステルと共に宿にこしらえてあるレストランでウェイトレスの仕事をしている。旅の最中で料理をしていたのが幸いし、コック兼ウェイトレスとして宿の女主人に雇ってもらっている。最初はユーリだけが接客をしていたのだが「女の子も出してあげないと」という女主人の提案で、ここ数日はエステルも接客をしている。時々危なっかしい動きに冷や汗をかく場面も多いが、比較的大きな事故にはつながっていない。もちろん、そうなる前にユーリがフォローをしているのも事実だが。
そして、仕事を一切しそうに見えない――そして実は、今回"クローナシンボル"という名前の紋章を買ってきたとかで、使用経費が一番大きかった――レイヴンに、ユーリはとある頼みごとをしていた。先ほどレイヴンが報告に来たのは、その件についてのものである。

現在はレストランに人がいないこともあって、休憩時間と言い渡されたユーリは、その合間に新聞に目を通していた。エステルは女主人から新しいレシピを教わっているらしく、厨房に籠もっていた。レイヴンはユーリに話を終えると、挨拶もそこそこに再びふらりと宿屋を出て行った。どのみち夕食になる前、ある程度の時間になれば戻ってくるのは目に見えているので、いちいち文句は言わない。

「おや、昼食は食べたのかい?」

声に振り替えると、大柄な体型の女主人が立っていた。少々油まみれであるのは、料理をし終えたばかりだからだろう。ユーリは苦笑した。

「いえ。ただ、エステルが貴方から料理を教わるという話を聞いたので、邪魔にならないようにと」
「一緒に聞いても良かったわよ?」
「オレは料理ならある程度出来ます。教わるなら一対一(マンツーマン)の方が分かりやすいでしょう」

その言葉に、女主人が相好を崩してユーリの肩をばしばしと叩く。

「ホント、あの子の言うとおり優しい男ねぇ。もう、顔もよくて気配りも出来てフォローも上手。二人とも、お客さんにとても好評なのよ!」
「……どうも」

上機嫌な女性の言葉に何を言えばいいのか戸惑ったものの、一応は無難な返答する。それを聞いているかいないかはよく分からないが、女性は軽く声を洩らして背伸びをすると、もう一度ばしばしとユーリの肩を叩く。

「ほらほら、昼食にしましょう。彼女が一生懸命に作ったのよ。きっと貴方の為じゃないかしら? さぁさぁ、食べてあげなさいな」
「はぁ……」

テンションがあがってばかりの女主人を見上げつつ、ユーリはゆっくりと立ち上がる。窓から差し込む陽光を受けて暖まっている机の上に、新聞が放り投げられた。




「ぷっはぁ! いいねぇこの味、お、マスターもう一杯!」

目の前に置かれたジョッキを飲み干したレイヴンが、既に軽く頬を赤らめた状態で、新しい一杯を注文する。カウンターに座っていたこともあって、すぐ傍にいた店主が恭しい礼と共に店の奥へと引っ込む。
窓から差し込む光はすでになく、むしろ窓の外に酒場の光は投げ出されている。狭すぎない酒場には既に大量の旅人や町の人がいるために窮屈な空間にしか見えない。ガラスが互いに衝突する音、男たちの豪快で野太い笑い声、女性たちの鮮麗された嬌声、時折交じる怒声には野次の声が入り混じり、しかし机や椅子が破損する音にまでは発展していない。明るすぎず、しかし暗すぎない程度のランプが天井からぶら下がっているが、そのうち一部は割れたまま放置されているのが見えた。走り回る店員たちは慣れた手つきで注文を取っては調理場に駆け込み、もしくは手に手に料理を持って酒場の中を縦横無尽に動き回る。
"情報の溜まり場"であり、貴族達に言わせるのならば"ろくでなしの吹きだまり"といわれるその祭り会場は、どこにいこうと賑やかさに変化というのが見られない。

「……どこへ行っても、こういう場所は一緒か」
「んんっ、どうしたぁ? もっと飲まないのかー?」
「アンタ、ここに何しに来たか覚えてるのか……ってか、本当にあるのか?」

にやにやとした笑みで腕を回してくるレイヴンに、ユーリが冷やかな目を向ける。

「おお、あるぞ。まぁまぁそう、短気になるなって。なるようになーるなーる。おおっ、来た来た二杯目!」

出されたジョッキから零れおちる泡を軽く指で掬い、レイヴンがそれをぺろりと舐めとる。再び愉快そうな様子でジョッキに口をつける様子を眺めてから、何とはなしにその場に立っていた店の主人と目が合う。中年というには少々遅い主人は、眼鏡を肩指で押しあげ、顎髭を軽く撫でつつ、口元を緩める。

「旅の方ですか?」
「ええ、まぁ。今は仕事を探している途中で」
「おや、旅費が尽きたのですか?」
「今隣で無駄に飲みまくっているおっさんがいなければ、仕事探しの必要性がなかったんですが」

その言葉に、中身を飲み干していたレイヴンが半眼でユーリを見つめるが気にしない。主人が苦笑を口に浮かべて――――ふと、何かを考え込むような表情をする。ユーリが首を傾げると、主人は彼をまじましと眺めたのち、逡巡しながらも話を切り出す。

「実は今、普段、酒場の護衛をしている者達が少々出払っている状態でして……。数日中には帰ってくるそうなので、普段ならば気にしないのですが、最近は駆け出しから成りあがりになっているギルドが出没しては、行く先々の酒場で因縁をつけてくるという話があるのです。普段の抑止力がないとなると、私達としてもどこまで対処出来るか……。旅人さんは、まだ数日くらい、この街に滞在予定ですか?」

頷くと、主人がそっとズボンのポケットへと手をしのばせる。やがて、取り出した黒いハンカチを、彼は目の前のカウンターテーブルに置く。布の下にはそれなりの紙幣と硬貨を交えたふくらみが見える。

「前金……というには非常に足りないかもしれませんが、明日から数日間、お願いできませんか?」

ちらりと、ユーリはレイヴンを見た。彼は口元をにやつかせて麦酒を飲んでいる。唇から僅かに滴りおちた雫を指先で掬いあげ、口元を緩める。軽薄な態度は全く様変わりしていない。しかし、淡く底知れない緑の瞳がユーリを眺め、そこに酔いの色など全く帯びていない。
ユーリは、黒いハンカチを押し返した。主人が残念そうに目を伏せる前に、ユーリは口火を切った。

「これを含めて、そこのおっさんの飲み代金に建て替えて貰えますか? 報酬は明日の夜、この時間に相談しましょう」

その日はそれで話を終えて、酔ってるかよく分からないレイヴンをずるずると引き連れて帰った。


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