仲間達は今日も今日でそれぞれの金を稼ぐための分担先に足を運んで行った。ちなみに、レイヴンは「昨日の酒が廻っちゃってもー駄目なのよー」と言って、同じ部屋から出てくる様子はない。だからといってユーリはそれを黙認する気にもならないので、適当に女主人からもらった内職を押し付けておいた。(ちなみに内職は風船作りで、三日後に催されている地元のお祭りで使うそうだ。)
「いらっしゃいませ、です!」
朗らかな笑みを浮かべるエステルの姿に、もうたった数日で顔馴染みになった店の常連客があいさつを交わし、決まったものを注文していく。厨房へと料理内容を伝えに行くエステルを欠伸混じりに眺めていると、常連客の一人である男性が、傍にいたユーリの服の裾を引く。
「いやぁ、すっかりウェイトレス業が身についてきてるじゃないか。君がフォローしなくても、もう一人前だな」
「時々放置してると危うく転びますけどね、アイツは」
「はっはっは、まるで妹を見守る兄みたいだな」
機嫌よく顎髭を撫でる男性の言葉にどう返答したらいいか悩んでいると、オーダーを伝え終えたエステルがとことことやってくる。
「いつも有難うございます。おばさんが『今日はコーヒーは濃くしておくから』だそうです」
「お、済まないね。あの人は常連の味の好みをよく分かってるよ。君も、随分と運ぶのが上手くなってるじゃないか。料理はやらないのかい?」
「料理は、おばさんやユーリの方が上手なんです。わたしはまだ練習中なんですけれど――」
楽しそうに話を始めるエステルと客のやり取りを眺めていたユーリは、何となく視線をずらして窓へと目を向ける。呑気な小鳥達が群れをなして空へと飛び立つ姿、道の前をのんびりと行きかう人々の姿、向かいにあるアパートには乾した洗濯物を取り込む主婦の姿。どれもこれもが時間の流れを緩やかに、穏やかに感じさせる。
夜にはない昼の世界が、そこに広がっている。そこまで考えて、ユーリは思わず違和感を感じた。
(……何考えているんだ、オレは)
少々現実離れでもしたような思考に切り替わっている自分に気づき、ユーリは軽く頭を振る。もう一度視線を向け直すと、エステルはおっとりとした様子ながらも常連客と世間話――と思う、多分――を続けている。桜色の髪が頷くたびに揺れ、唇から鈴の音の様な笑い声が時折漏れる。
着ている服は普段の防具ではなく、女主人が直々に用意したというウェイトレスらしい(といえば聞こえがいいのだろう)、彼女の髪色をベースに白いレースをあしらった恰好である。
曰く「可愛らしい女の子なんだから、可愛い格好をしなきゃ駄目じゃないの」という力説を受けてから、エステルはほぼ毎日そんな恰好をしていた。
ちなみにユーリは、バーテンというべきか燕尾服というべきか、所謂正装に近い格好をさせれている。こちらは彼女の亭主のお下がりらしい。
そんなことを考えてから、胸の中に、ふと、軽いわだかまりみたいなのが浮き上がる。それは普段、彼女が仲間達と話している時には全く感じなかったはずないものである。一度それに気づいてしまうと、違和感は中々消えない。思わずユーリが顔をしかめると、背後の厨房から女主人の声が響く。
「おーい、料理が出来たから運んでおくれー!」
「あ、はい!」
いち早く気づいたエステルが厨房を振り仰ぎ、ぱたぱたと走りだし――ユーリが、何となく予感してエステルのいる方へと近づく。同時に、エステルの体が斜め前方へ傾く。ため息をつく暇もなく、ユーリは体を前方に投げ出して転びかけの彼女を抱きとめる。
軽い感触の後、ふわり、と僅かに香る心地よい匂いに、彼は思わず目を瞬く。顔をあげたエステルが不思議そうな顔で見上げてくる。
「ユーリ?」
「……なんでもねぇよ。ほら、行ってこい」
ついっと誤魔化すように視線をそらす。エステルは不思議がっていたが、女主人が「どうしたんだい?」と厨房からひょっこり顔を出すのに気づくと、慌てて立ち上がる。転びそうになったのをユーリがフォローする、ということを既に見慣れている彼女は、にやにやと(何が面白いのか分からないが)笑みを浮かべながらエステルの肩を優しく叩き、料理の乗ったトレーを手渡す。
その時には、既にユーリは傍の柱に背中を押し当て、どこか納得いかない表情をしながら、レストラン全体を眺めていた。
知らないはずなのにどこかで嗅いだ気がする、と思った瞬間、胸の中のわだかまりが一層重くなった。
「ぷっはぁ! いいねぇこの味、お、マスターもう一杯!」
「昨日と光景が全然変わらねぇ……」
思わず半眼でそう呟かざるを得ないユーリではあったが、レイヴンはあまり気にとめる様子もなく、昨日同様、着実にグラスを空にしていく。やがて、レイヴンの声に振りかえった店主が傍までやってくる。そして、少々驚いた表情でユーリとレイヴンを眺めた。
「一瞬、別の人かと思いましたよ」
「あまり顔を覚えられても後がややこしいですから。旅をしているとはいえ、滞在中に面倒な輩に目をつけられると、オレはともかく、一緒の仲間も動きが取れなくなるので」
そういうと、ユーリは度の入っていない横長の眼鏡を、指先で軽く押し上げた。いつもは気に留めないはずの長い黒髪は一束にしており、服装は何時も通りの黒主体といえど、普段とはやや違う――強いて言うなら"旅の流れ用心棒"と言われればある程度は納得されるであろう格好だ。ただし何時ものことながら防具らしい防具は身につけていないが。
その隣のレイヴンは、服装は普段のままであるが、こちらは顔を隠す形で鉄笠をすっぽりと被っている。何人かが好機と興味の目を向けているが、当人は特に気にしていないで麦酒が詰まったグラスを飲み干している。
「あぁ、ちなみに。俺の場合、そいつとは違い、俺のファンが詰め寄ってきたら大変だという可能性を考慮して顔だけを隠す」
「馬鹿は気にしないでください。それで、昨日の話の続きをしましょうか」
言葉を遮られたレイヴンが恨みがましい目を向けてくるがユーリは無視を決め込む。背後では相変わらず酒を飲んだり雑談に応じたりする者達のにぎやかな声が絶えることはない。
ユーリ自身、今まで下町で用心棒のようなことを請け負っていたので、ある程度の相場は知っていた。なので、店主が提示してきた思った以上に破格な高値には、思わず相手を疑わざるを得なかった。
「おっさんはともかく、一日、一人頭がこれくらい、ですか?」
「ギルドを通しの値段であれば、税金などもかかって当然数倍高いので……その、やはり足りないと?」
「あ、いや、そういうつもりはないですよ。オレはこれで十分構いません」
首を縦に振りつつも声を濁らせるユーリは、ちらりとレイヴンを見る。昨日とは違い、彼はユーリのほうを向いておらず、隣にいた同年代と思しき男性と酒を飲みながら会話に興じている。真意を確かめられるほどではなかった。
やがて細かい交渉ごとも終わり、主人の意向もあって誓約書を書き、内容に目を通してサインをする。近年、用心棒を雇うものは値段をぎりぎりで変更することを考えたりなどして、最初から細かいことを取り決めた契約書を書かせない者も多い。様々な部分で"破格"ともいうべき点に、ユーリはただ驚かざるを得なかった。
「随分とマメですね」
そう言うと、空になっているグラスをユーリの前に置きつつ、酒場の主人はにこりと微笑んだ。
「女房がとにかくマメでしてね。それに、旅人さんが仲間を思ってるということがよく分かったので、きちんとお支払しようと思ったんですよ」
結局、その日の夜はこれといったこともなく終わりを告げた。
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