それは何時もの手慣れた戦いであった。
ただ、場所が場所であったというだけである。
一気に攻め込んできた雑魚を慣れた様子で捌きつつ、ユーリは周囲の状況に顔をしかめた。少しだけ離れた方向に目線を向ければ、数メートル先には切り立った崖の姿がはっきりと伺える。見上げた空は暗雲が立ち込めており、吹きすさぶ風は熱気を帯びている。雨の匂いを嗅ぎ取ったらしいラピードが、少しだけ尾を立て、警戒心を促すように唸り声を洩らす。
早く戦いの終止符を打たなければ、不利な状況になるのは目に見えている。
冷静に戦いに意識を向けようとする一方で、急く心が相反する。仲間達も同じところに行き当たっているのか、先程からしつこく出てくる雑魚相手に広範囲型の攻撃を与えている。
そのために、全員が確実な一撃を決めることを僅かに怠っていた。
倒れ伏していたと思った魔物の一匹が、仲間の傷を癒すために詠唱をしていたエステルへと突っ込む。不意を突かれた為に受け身の取れない彼女の体が浮かび上がり、そのまま後方へと吹き飛ばされ――その先に平らな地の姿はなく、あるのは暗く底の見えない険しい下りだけであった。
「……ぁ……」
呆然としたまま落下しかけるエステルへ、魔物が空中で方向転換と共にさらに突っ込もうとする。
その直前に、ユーリは確かに駈け出した。なりふり構わず魔物に容赦のない強力な一撃を叩きこみ、そこから飛翔するように、敵を薙いだことで得た遠心力でもって空中のエステルの元まで飛び上がり、抱き寄せる。背後で仲間達が名前を呼ぶのを聞きつつ、落下する感覚にユーリは身を委ねるしかなかった。
「はい、これでまた僕の勝ち。でもユーリ、前と比べたらかなり腕は上がったんじゃないかな?」
「……負けなしのお前にそんなこと言われると、皮肉以外の何でもないな」
「うーん、これでもかなり褒めてるんだけど」
「お前って、本当に悪気なく言うよなぁ。何でも出来るとそうなるのか?」
「ユーリ、僕だって何でもかんでも出来るわけじゃないよ。ただそうだな……やるしかない、って思ったら身についただけだよ」
「やるしかない?」
「僕は僕なりに、この国をもっとより良くしていきたいっていう目標がある。ユーリもそうだろう?」
「当たり前だろうが。じゃなきゃ、騎士団に入るわけねぇよ」
「だよね。僕は、もっと周りに認められるために頑張っていきたい。だからさ、ただ強いだけじゃ駄目なんだよ、ユーリ」
「……――フレン?」
「自分の為じゃない何かに立ち向かうこと。必要なことを求めること。それが、強さにつながるんだと僕は思うんだ」
「おい、お前、何言って――――」
それは過去の記憶であると理解できる。
自分は今を生きている。
何故思い出すのだと自分に問いかける。
単純だ。
守れなかったからだ。
何も出来ていない自分がどれほどに歯がゆいかを。
必要な瞬間がなんであるかを、彼は、分かって。
「……リ……ユー……しっか……って下さい――…………ユーリ!」
体を揺さぶられながら名前を呼ばれて。
ユーリはゆっくりと瞼を開く。そのまま反動で起きあがろうとした瞬間、体のあちこちが軋み、思わず顔をしかめる。どうにか痛みをかみ殺して目の前を見れば、エステルが両手を自らの膝の上に置いて座っていた。崩れそうなほど弱々しい雰囲気の彼女に、彼は思わず目を見張る。
「エステル、お前、大丈夫――」
「……ごめんなさい」
顔を俯かせて謝るエステルに、ユーリは怪訝そうな表情をする。何を言うでもなく、彼女はほっそりとした手を伸ばしてユーリの頬に触れる。同時に、痺れるような痛みに思わず顔を歪めると、少女の表情がさらに悲しそうなものになる。
「もう……あと少し、です……」
何が、と聞く前に。
彼女の手が光りだし、治癒術が発動。それによって痛みが引いていくが、対象的に彼女の疲労をにじませた表情に、僅かながら困った笑顔が交じる。それが酷くユーリの背筋を泡立てた。
「おい、エステル!」
反射的に彼女の腕を掴んで術を阻止すると、そのまま身を任せるように彼女が倒れかかってくる。体の痛みを無視して抱きとめ、防具を身につけているにも関わらず、思った以上の軽さに驚きを覚える。零れる息はどちらかと言えば熱を帯びており、頬が羞恥といったものではない意味で僅かに赤らめいている。
思い当った原因を確かめるため、激しく揺さぶることなく、彼はそっと彼女の額に手を当てててみる。人肌、というには少々熱が籠りすぎていることがはっきりと分かる体温に、ユーリは呆れと怒りを滲ませた表情をする。
念のためにと彼女の肌蹴た体の部位を見るも、血が流れている個所は見当たらない。湿った地面にうっすらと見える血は自分のものだと判断できるが、現時点で自分の体の中で出血が思い当たる個所はない。転がり落ちる瞬間までエステルを庇っていたことだけは覚えていることから、つまりは彼女が相当負荷のかかる治癒術を発動したことは想像に難くない。
ユーリが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるも、すぐにエステルを背に負い、振り返る。自分達が落ちてきたと思しき背後の崖は、城の酷く高い城壁を思い起こさせ、斜めっていた場所は、途中で全く正反対に反り返っていた。そのために上の様子が分かるどころか、声を上げても反響によって戻ってくる可能性の方が高い。また、すぐ傍にあった木の枝葉が不自然なぐらいの量が落ちているのを見て、自分達がある程度助かったのが木に引っ掛かったことに思い当る。
そうして、数秒もしないうちに顔を水滴が叩いた。
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