5.
『オヤ、こんな所にワザワザお越し頂きアリガトウございます。アァ、申し遅れましたネ。ワタクシ、イッシュ地方住まいのオーベムと申しマス』
テレポート先は、近くにある古びた廃工場だった。そこにいたのは、先ほど見た茶色い胴体を持つポケモンと、恐らく、記憶を奪ったであろう数十人の人間達だった。人間のほうは、誰もがぼんやりと視点が定まっていない。
人間のように両腕を広げるそのポケモン――オーベムは、やってきたミュウツーを見ても全く怖気づくこともなく――むしろ歓迎するような表情を向けた。
『ところでアナタ、ニンゲンに飼われている気持ちはドウデショウか?』
不快感を露わにした瞳で睨んだ所で、オーベムには意味がないらしい。大げさなほど広げた片腕で、彼は自分の顎をつかみつつ首をかしげる。
『人間と言うのは、実に不愉快デス。我々、ポケモンよりもその知能は遥かに劣っているとイウノに、我々をヘイゼンと使い捨てにスル!』
オーベムの直ぐそばには、カオスの主人の顔が見えた。かと思った瞬間、機械のようなそいつは、いきなりシュウの事を思いっきり蹴りあげた。人間よりも小さな体から発せられた蹴りは、サイコパワーも上乗せされているからか、少年の身体を思いっきり吹き飛ばし、近くの壁に叩きつける。
カオスの握りしめていた拳が、ぎしりと音を立てた。
『デスカラ、私は思ったのデスヨ。我らポケモンが、人間を支配してアゲレバいいのだ、ト。その為に、コイツラ人間の記憶を操り、精神を子供時代に戻しました。子供の方が、大人より、とても純粋デスカラネェ!!!』
両手についている三色の指が、笑い声と共に点滅する。廃工場の中、そのポケモンの歪んだ笑い声が響き渡る。
ふと、オーベムは反応のないカントー地方のポケモンを見上げ、首をかしげた。
『オヤ、ドウサレタノデスカ? もしかして、先ほど蹴ったニンゲン、貴方が蹴りたかったノデスカ? デシタラ、マタ蹴っても良いように、コチラに呼びまショウ』
言うなり、オーベムは点滅する三色の指を振る。すると、糸に引っ張られたかのように、シュウの身体が持ちあがる。そして、人形のようにオーベムの傍まで来ると、くてん、とその場に座り込む。その様子を、オーベムは冷たい目で見つめた。
『ソレニシテモ、このニンゲン、変な生き物デスネェ。記憶をミテミルと、ポケモンが家族ダト言ってますが……どうせ、ソンナことを言いながらも、我々ポケモンを、心の奥で見下しているに決まってますヨ。ヤレヤレ。――サテ、蹴る準備は出来ましたか?』
尋ねられ、ミュウツーは反応を示さない物の、空けていた間をスーッと詰め、シュウの目の前までやってきた。
そして、握りしめていた拳を、再び握り直し、
『さん、ハイ!』
オーベムの掛け声に合わせて、カオスは思いっきりオーベムに"波動弾"を叩きつける。小さなオーベムの体は、至近距離から放たれた技を受けて、勢い良く後方へ吹き飛ばされ、廃工場の壁に穴を穿つ。同時に、ふらふらとしていた人間達が、一斉にその場に倒れこむ。
カオスはオーベムが吹き飛んだ壁の方を見やり、紫色の目を吊り上げ、声を張り上げた。
『おい馬鹿。お前は俺が見てきたポケモン達の中でも最高峰の馬鹿だ。こんな馬鹿を、俺は見たことがなかったから、感謝してやるよ。馬鹿なポケモンがどれだけ馬鹿か見せてくれて、ア、リ、ガ、ト、ウ。下らねぇ事のために、俺の"主人"を巻き込んだんだ。――――今の攻撃で終わりだなんて思ってねぇだろうな!』
『全く……人間に飼われたポケモンが、ココマデ馬鹿だとは……ワタクシも想定外デシタヨ……』
爆煙の中から、茶色の姿が飛び出してくる。ほんの少しすすけたオーベムの体には、傷一つ見当たらない。その小さな体が、小刻みに震えるのを見て、カオスは唇を吊り上げる。
『御託なんざいらねぇよ。お前だってポケモンだろ? だったら、ポケモンバトルで俺に勝ってみろよ!』
『その言葉、後悔させてアゲマショウ……!』
オーベムが両腕を広げ、空中に複雑な文様を描く。それを妨害するように、カオスはサイコキネシスを放つ――――しかし、放ったつもりの技は発動せず、突きだした手の先からは何も生み出されない。一瞬、我が目を疑った直後、オーベムが放ったシャドーボールが、ミュウツーの腹を捕らえ、吹き飛ばす。
近くの壁に叩きつけられるも、地面に体がぶつかる瞬間に、ミュウツーは自らの尻尾をクッションにして衝撃を受けると、何とか立ち上がった。
『"ふういん"も知らないトハ、随分と無知なポケモンデスネ! シャドーボールが相当効いているのを見ると、ナルホド、貴方はエスパータイプなのデスカ?』
『ハッ! わざわざ相手にタイプを親告するなら、先にお前のタイプでも聞かせろよ!』
"ふういん"によって相手が持つ技が使えないと分かるなり、カオスは弾丸のように飛び出し、オーベム本体を狙おうとする。オーベムが放つシャドーボールを避け、一気に懐に潜りこむと、そのまま殴り倒そうとして――――眼前を遮るように飛んできたのは、自分の主人だった。虚ろな瞳がこちらを見返す姿に、思わず体が強張る。
瞬間、体全体を違和感が包み込む。力が抜け、周囲を察するために張り巡らせていた神経が、大幅に削れたような感覚。そして、
『人間などという存在に隷属スルカラ、隙が出来るのデスヨ』
シュウの肩越しに見えたのは、点滅する三色の指。慌ててシュウを庇うように抱きかかえた直後、オーベムの手の先から放たれた不可視な攻撃が、ミュウツーの体に叩きつけられる。先ほど感じていた以上の大きなダメージで、一瞬意識が飛びそうになる。
勢い良く吹き飛ばされたカオスの体は、工場の冷たい地面に強く叩きつけられた。腕の中にいる主人はぐったりとしているが、胸が上下するのを見る限り、生きているのは分かった。ほとんど反射的に、カオスは波動弾を放つが、最初に放った時よりも威力は酷く下がっており、カンカン、と音と共に、オーベムの体ではじき返される。
卑下するような機械的な哄笑が工場の中に響き渡る。
『モウ貴方の攻撃力と防御力はガタオチですよ! 私のパワーシェアとガードシェアにより、貴方の力と耐久は、ワタクシと同じになった』
『それがなんだ!』
『私は大して攻撃力も耐久力がありませんからねぇ。最初の力も耐久力もそれなりでしたが、今は紙ぺらデスヨ! ソシテ、その後の瞑想を積んだサイコショックには耐えきれるわけがナイ! 何せ、この攻撃は精神攻撃技でありながら、肉体にダメージをアタエルのデスカラネェ!!』
『どうせ今の技も、エスパー技だろうが……エスパーポケモンの中でも有名な、このミュウツー様を舐めるんじゃねぇぞ、新参』
ぎりりと歯を食いしばると、ミュウツーはシュウを抱きかかえて倒れた姿勢のまま、見よう見真似で、サイコショックを放とうとする。しかし、手のひらから生み出されたエスパーのエネルギーは力を形成せず、技は発動しない。オーベムが呆れたようなため息をついた。
『確かに、先ほど"ふういん"をしなかったですから使えることもできるでしょうが……無駄デスヨ。そんな見よう見まねの技デ、ワタクシを圧倒するナドネ! ――サテ』
空中に浮いていたオーベムが指を振るう。瞬間、上からのサイコキネシスによって、カオスの身体が地面に深くめり込む。抱きかかえていたシュウをサイコキネシスの範囲外へ投げ飛ばすものの、そのまま体は地面に縫いつけられる。圧力の様な力は、遺伝子ポケモンの体の自由を完全に掌握していた。
無理やり顔を上げると、オーベムの三色の指が、すぐ目の前にあった。下から見上げたオーベムの目は、こちらを見下す色を帯びていた。
『貴方は思った以上に強いようですカラ、ここで、チョット記憶を弄らせてモライマショウカ。まぁ、普段からワタクシの周囲のポケモンには、記憶がアヤフヤになるようにシテありますが、下僕にするには、ちゃんと操作しないと駄目デスノデネ』
点滅する三色の指が近づいてくる。先ほどまで感じていたサイコキネシスの圧力はないが、抵抗する為の体力は底を尽いている。視界の隅に、横たわる少年の姿があった。
(終わらせて……たまるかよ……)
ふつふつと、怒りにも似た感情がこみあげる。情けない自分に対して苛立ちが湧き上がる。目の前で主人を蹴ったポケモンに対して怒りを覚える。
『ンンッ?』
動かない体を無理やり叱咤し、ミュウツーはゆっくりと体を起こそうとする。その様子に、オーベムは怪訝そうな表情をするも、再びサイコキネシスによる圧力をかけようと手を挙げ、
「バンギラス、悪の波動」
ミュウツーの後ろから吹っ飛んできたエネルギー波状が、オーベムの身体をぶっ飛ばす。派手な音を立てて壁に叩きつけられる新種のポケモン。
瞬間的に、カオスは、シュウの方へ目を向けた。そこに――――自分の元主人が、相変わらずの困った表情で立っていた。腕には息子を抱きかかえている。傍に控えるのは、戦闘態勢を整えたバンギラス。放ったエネルギーの残滓を口から吐き出すことで、まるで黒い炎でも吐き出したかのように見えた。
「立ちなさい、カオス。僕はお前に、この子の面倒をみるように言ったはずだよ」
眼鏡の奥、男の黒い瞳がカオスに冷徹に向けられる。手を差し出すことはなく、男は微笑む。
「この子はお前の主人になろうと一生懸命だが、肝心のお前が、この子を子供と思っている内はまだまだだよ。だから、お前が納得いくまでは、お前がシュウの面倒をみるんだ。お前がこの子を主人と認めれるようになったら、その時に保護者を卒業すればいい。――それくらい、僕が言わなくても分かっているよね、カオス」
『コノ……人間、風情、ガ……!!』
起きあがったオーベムの指先は、怒りをあらわにするかのように激しく点滅し、光っていた。そんなことも気にせず、シュウの父親――――レジェンは続ける。
「ただまぁ、お前の強さは、やっぱりトレーナーありきだと僕は思うね。だから……今日は手助けしてあげようか」
『死ネ、人間ンンンンン!!!』
「カオス――――"サイコブレイク"」
その命令は、一度も聞いたことがなかった。しかし、体のほうは、その技を知っているかのように即座に反応した。先ほど、オーベムのサイコショックを、見よう見真似で使おうとしたその感覚に似ていた。違いがあるとすれば、その時よりも力は遥かに安定しており、そして――――オーベムの放ったものよりも強力だという、実感。
レジェン達へ攻撃を加えようとしたオーベムに、ミュウツーの放った"サイコブレイク"が直撃。オーベムの身体が一瞬、歪んだかと思うと、内部で爆発でも起こしたかのように激しく痙攣。そして、どさり、とその場に倒れこむ。
バンギラスはちらりとオーベムを見下ろすが、動く様子がないのを見てとると、戦闘態勢を解いて小さくため息をつく。カオスは気が抜けたように、ぽかん、とした表情でレジェンを見ていた。
そのレジェンは、懐から取り出した空のボールを、オーベムと名乗ったポケモンに放り投げる。ポケモンを認識したボールは、オーベムを吸い込み、数度揺れた後に、捕獲を示す明かりを点灯させた。
と、
「カオス。そんなに呆けていないで、こっちに来てシュウを持ってくれないかな? ……ぼ、僕もそろそろ年でね……ちょっと15歳の少年は……お、重いい…………」
自分の名前が呼ばれて、ミュウツーは改めて顔を上げ、元主人を見る。若干、足が震え気味なのを見ると、言っている事はどうやら冗談ではないらしい。傍のバンギラスが、「俺が持とうか?」という顔でレジェンを見ているのだが、どうやら気づいていないようだ。
小さくため息をついて、カオスはサイコキネシスを発動。男が抱えていたシュウを自分の腕のほうまで移動させる。すると、
「んっ…………ふぁ、カオス……?」
ぼんやりとした黒い瞳が、ミュウツーを見返す。しかしその目の奥には、何時もの感情の色が戻っていた。目を覚ましたシュウは、目をこすりながらカオスの顔を見上げる。
「あれ、俺、何でカオスに抱きかかえられて……って、あれ? 家じゃない? ここどこ? っていうか、え、父さん!?」
「おお、やっほー、シュウ」
「いや『やっほー』って凄いのんきじゃないかな……え、ってか何、俺になんかあったの?」
状況が読み込めずにおろおろする少年が、ミュウツーのカオスを見上げる。彼は少しの間、視線をそらした後、
「全部お前のせいだよ、馬鹿主人。とりあえず、帰ったら、夕飯はお前が作れよ。あのテイルとかいう奴並みに豪華なの」
「え、え、え、なにが!? っていうか、なんでテイル兄並みの料理作らないと行けないんだよ。大体、あんなのは無理だって。テイル兄レベルだったら、父さんが作った方が早いじゃないか」
「シュウ、少しは仕事終わりで駆け付けたおとーさんの心を組んで作ってくれると嬉しいなー、と、僕は父親心に思うんだけどねー」
状況が飲み込めないながらも呆れるシュウに、レジェンが笑い、バンギラスとカオスが小さく肩をすくめるも、満更でもない表情をする。
「なんだよー、もう……あ、父さん! カオス!」
「なんだい?」
「なんだよ」
「その……母さんの事、聞いてもいい、かな?」
その言葉に、レジェンとカオスは顔を見合わせる。そして、二人して吹き出すと、彼の背中を叩き、
「そーか、シュウ。お前、遂に惚れた女でも出来たのか、誰だよ?」
「うんうん、父としては嬉しいよねぇ。自分の息子がお嫁さんを家に招待するのが楽しみになるなんてねー」
「え、いや、そういう訳じゃないんだけど……って、ちょっと、二人とも聞いてるの、ねぇ!?」
連れ去られていた人達が起き上がり始めたころに、保護者二人の和やかな笑い声と、少年の不平不満の声は終息した。
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