『ってことで、皆様お待たせしましたー! 休憩挟んでの後半戦、第三試合を開始していきましょー!』

 何故か衣装替えをしてドレス姿になったヴィエルの声が、マイクを通して会場全体に響き渡る。それに負けず劣らない大観衆の歓声を受け、両サイドのベンチから、第三試合の代表が姿を現す。片手に白い傘を持つドレスに身を包んだ青いお河童髪の女性と、片手に黒い傘を持つ左顔が白い仮面に覆われた紳士 服の青年は、フィールドで向かい合うなり、笑みを浮かべて見つめあう。その様子を、レジェンは興味深そうに見ている。

『さて、カントー・ジョウト屈指の大企業令嬢メイミ君と、キングダム地方における騎士団の頭脳派ロキ君の対決だねぇ。二人とも、なんというか食えない人だから、試合の具合も読めなさそうかな』
『とりあえずレジェンさん、ボタン押しましょ、ボタン!』
『うん。そうしたいんだけどね』

 隣で急かすヴィエルに、レジェンはのんびりとした声で肩をすくめる。と、
 ぼっ、ぼっ、ぼぼっ。
 マイクに水滴がぶつかる音が、先ほどの彼女の声同様に響き渡る。そして、少しもしないうちに、天空の灰色の空から、大量の水滴が降り注ぎ始める。観客の驚きの声が会場を圧迫し、配置についていた者達が、あらかじめ定められていたと思しき配置へと移動を始める。
 それとほぼ同時。無機質な機械音と共に、コロシアムの観客席だけを覆うような天井が展開される。雨は次第に激しさを増し始めるが、少なくとも、観客席だけは濡れない対策が取られているようだった。席を立ちあがろうとした観客たちが、落ち着いた様子で席に戻り始める。
 なお、バトルフィールドに立つ二人は、それぞれ手にしていた白い傘と黒い傘を差して立っており、司会者の二人もぎりぎり範囲外なのか、それぞれ傘をさして座っている。

『あらら……どうしましょうか、レジェンさん』
『これはもうフィールドは"水"のフィールドでいいんじゃないかな。後は試合形式なんだけど』

 そう呟いた瞬間――――雷鳴と光がコロシアムを支配する。観客の悲鳴に紛れて、何かが焼け焦げた臭い。
 その場にいる者達が見上げた先には、雷を受けてぷすぷすと黒い煙を吐き出す大型スクリーン。少なくとも、ルーレットを動かしたところで、きちんと表示されそうにない状態だ。傘をさしたままのヴィエルが、天を仰ぐように額に手を当てる。

『あっちゃぁ〜……この二人の試合、まずったかしら?』
『別にそういう訳じゃないと思いたいね〜』

 そう言って、レジェンはちらりとメイミに目を向ける。にこりと微笑み返してくる協会員に彼は僅かに目を細めただけで、軽く肩を下げた。

『それじゃ、ダブル、シングル、ときてるから、三回戦目はトリプルバトルにでもしようか。ただし、ちょっと変則ルール』
『そうそう。トリプルバトルを普通にやってると、ちょっと時間がかかっちゃうのよねー。』

 降りだしたばかりなのに、既に雨と雷の酷い――しかし何故か風はほとんどない天候の中、ヴィエルが困ったように笑う。

『つまり早く終わらせるってことで、勝敗条件を、バトルでは六匹出しても良いけど、そのうち三体が戦闘不能になった方の負け。んで――――対戦する二人とも、異論ないかなー?』
『ないわぁ』
『ありませんよ』

 やや投げやりとも取れる様なレジェンの問いに、激しくなる雨の中、メイミとロキが首を縦に振る。と同時、二人の首肯に合わせたかのように、コロシアム全体が振動して、フィールドが"水のフィールド"へと切り替わる。
 それはもはやプールだ。所々に足場は存在するものの、ぷかぷかと浮いている様子から、少なくとも、安定した足場ではないのが伺える。
 風のない雷雨の中、傘とボールを手にした二人は、特に驚く様子もなく向かい合う。

『それじゃ、フィールドも整ったことだし――――第三試合、はっじめー!!』

 掛け声に合わせて、二人がポケモンを繰り出す。
 そして、先に攻撃を仕掛けたのは、メイミのポケモン達だ。彼らは出現と同時に、姿がしっかり現れていない中、個々の得意とする技を開幕一番に放つ。電撃、冷凍、火炎の三つの技が重なり合い、対戦相手が出現する場所――ではなく、その後ろに立つ対戦相手の主人に向かって一直線に伸びる。
 しかしその複合技は、ロキのボールから出現したポケモン達の守るによって防がれる。相殺されたことで激しい爆発音と爆炎がフィールドに広がる。
 灰色の空に覆われることでやや薄暗かったはずのフィールドに、忘れていたかのような明かりが灯り、同時に、会場全体のスポットライトが、互いのボールから出現したポケモン達の姿をフィールドにさらけ出し、

「おい、マジかよ……」

 その呟きは観客の一人からこぼれたものだった。だが、それを咎めるものがいなかったのは、少なくとも、その呟きを漏らした観客の周辺は、同じことを考えた者達ばかりだったからだろう。
 メイミ側のフィールドには、三匹の鳥ポケモンが翼をはばたかせていた。電撃を纏う黄色い翼、寒冷を纏う青白い翼、火炎を纏う赤き翼。その三つが羽ばたくことで、フィールド全体が緊迫した雰囲気に包まれる。灰色の空から降り注ぐ雨に混じり、雷鳴と光が交差する。
 伝説と呼ばれし三体の鳥ポケモン――サンダー、フリーザー、ファイヤーが、大雨が降るフィールド上空に停滞している。
 それに向かい合うのは三匹のゴーストポケモン。橙色の小さな体に青白い電撃を纏うポケモン――ロトム、暗褐色の膨れた腹に顔が描かれているゴースト――ヨノワール、そして、ある特定の地方にしかいないと言われる、頭部だけが異常に肥大化した青い幽霊クラゲ――ブルンゲル。

「後悔させてあげるの、私、得意なの」
「面倒くさいことは、さっさと終わらせたい主義なんですがね、私は」

 微笑みを浮かべながらのそんな呟きが、雨音に掻き消えたかどうかは不明だが。
 向かい合うポケモン達の雄叫びが、雨が降り続くコロシアムの中で雷鳴と共に木霊した。


【第三試合】ポケモン協会四天王 メイミ vs キングダム地方四天王 ロキ in トリプルバトル/水のフィールド・あめ が ふりつづいている



 狭い通路を潜り抜けつつ、オーディンはぼやいた。

「なぁ、何でイベントの度にトラブルばっかりなんだよ」
「トゥートゥー」

 同意なのか否定なのか判別できないネイティの声が続く。狭い通路をぴょんぴょんと先行する小鳥を這う形で追いつつ、彼のぼやきは続く。

「そもそも、何でヴィエルなんだ? アイツを狙ったところで、なんの価値もないっつーのに」
「トゥー」
「だよなぁ。王妃のくせに、ワガママで文句ばかりで変な性格と趣味で俺が大変なのを見てけらけら笑う女だぞ? その癖に意外と考えていやがって、他のやつに任せればいいようなものを自分でやってこっちの負担を増やして」

 延々と愚痴を呟きつつ、彼は全く聞く様子のないネイティの姿を追う。
 通気口は、それなりにがたいの良い彼でも何とか這いずれば通れる広さだった。
 フラッシュで目を光らすネイティのおかげで、視界は確保できているものの、それも一方向のみ。そのため、半分以上は周囲の音を気にしなくてはいけない。なので、本来はそんな愚痴を呟くような状況下ではないのだが、

「はぁ、愚痴なしでやってられるかよ」

 深いため息と共に、胸中にため込む疲れを吐き出す。
 そんなことをしている間にも、小さな小鳥は、明かりを上下に揺れながら目的地と思しき方向へ向かっていく。ただし、時折止まっては、オーディンがついて来ているのか確かめるように、ちらりと顔を向ける。
 ――そのたびにフラッシュを真正面に受けるので、とりあえず、振り返る時は下を向くようにと、五回目の振り返りで指示をした。そんな彼(だが彼女だかは知らないが)の姿を、愚痴を呟きながらのほふく前進で追ってく内に、ふと、その主人を思い出す。

「なぁ」

 声をかけると、ネイティは律儀に傍に立ち止り、明かりをオーディンに向けないようにしながら首をかしげる。

「トゥー」
「アイツの試合、どうなってると思う?」

 試合前に対戦相手を挑発などという"らしくない"ことをした彼は、はたして、どのような試合を繰り広げているのか。
 対戦相手の女性は、一筋縄ではいかない、というのはよく分かった。もちろん、手持ちのライコウを見た時点で、相当な実力者であることは分かったが、それ以上に、彼女の話術は何か恐ろしいものを感じた。

(恐ろしいっていうか……なんだろうな、人間っぽくないっつーか。おかげで一杯喰わされたが)

 普段のロキの嫌味でも可愛いものだと感じるほどの痛烈な切り返しに、とっさに返すことができなかった。
 元々、オーディン自身は決して会話に強いほうではない。だからこそ、会話を武器とする貴族との定例会議では、ほとんどロキに任せきりだ。今回も、ロキのおかげで何とかなったものの、あのままだと軽く自信喪失には陥っていただろう。とはいえ、


 『貴方が、誰かを守ることと、忠誠を誓うことと、愛すること。この三者の問題が同時に発生した時、ねぇ、貴方はどうするのかしら?』


(それはつまり、俺が何故、騎士団長で、騎士で、四天王をしているか、ということ)

 もちろん、それぞれには理由がある。誰かを守るために騎士団長となり、忠誠を誓うために騎士となり、愛する者のために四天王となった。
 だが、理由には原因が存在するように。つまり、それらには共通する原因が存在するのだ。
 それこそが、オーディン=ブライアスという男が、何故、他者に対して献身的であるかという回答であり、そして何より、彼自身が騎士であることから目を背けているかの遠因で――――。

「トゥートゥー」
「あいたっ」

 ココンッ、とやや強めのつつく攻撃が、きっかり二発分、オーディンの頭に直撃する。痛みに目を向ければ、特にこれといった表情をしていないネイティが、フラッシュを止めて顔を向けてきていた。おかげで、周囲はすっかり暗がりになってしまっているが、ネイティの姿は見て取れた。

「っつ〜……ぼけっとしてたのは悪かった。んで、なんだって? 考えるな、って言いたいのか? それとも、無駄話はするなってか?」
「トゥートゥー」

 首を振るでも頷くでもなく、ただ鳴き声だけを返してじっと見つめてくる。意図が全く読めないのに、しかし、何となく諭されているような気分になる。
 これから向かう先に何が待ち構えているかわからないにも拘らず、全く関係のないことに意識を向けていることの危険は、騎士団長である自分がよく理解しているはずのことだ。溜息をついて、オーディンは片手でネイティの頭をがしがしと撫でる。

「お前は、あのふざけた主人そっくりだな」
「トゥー」

 小さく一声鳴くと、ネイティは用は済んだといわんばかりに、再び前へと歩き出す。しかし、フラッシュを付ける様子はない。
 不審に思いながらも、オーディンは数歩ほど前進をして――前方から生ぬるい風が吹きつけてくる。

「何だ?」

 進んでいくほどに、周囲の気温はどんどん上昇していく。
 今の季節、ある程度暑くなるかもしれないが、それにしては異常すぎた気温を肌に感じる。前方に立つネイティは、いつの間にか跳ねて進むことなく、慎重に歩を進めていた。

(つまり、異常の原因は先にあるってことか)

 気を引き締めて進んでいくと、やがて、道の終わりと思しき光が見えてくる。近づいてみると、どうやら壁下に設置された通気口だった。隙間から顔に吹き付けてくる風はもはや熱風であり、手袋をはめた手で試しに鉄格子を触ってみるが、尋常でない熱さに1秒も持たず手を離す。

「これじゃあ、中の様子を確認できないだろ。どうやって」
「トゥートゥー」

 やや抑え気味の鳴き声と共に、常に見開かれている小鳥の瞳に青い輝きが灯る。それに呼応するように、鉄格子もまた淡い輝きに包まれたかとおもうと、パキンッという音を立てて外れる。
 サイコキネシスで入口を確保したネイティが平然と入っていくのを追う形で、オーディンもまた、慎重に部屋の中へと足を踏み入れた。
 薄暗い部屋の中は、先ほどの通路とあまり暗さが変わらない。そのため、既に暗闇に慣れてしまった彼の眼には、部屋の様子がある程度見て取れていた。

(ここは……ボイラー室、だな)

 幾つもの配管が立ち並んでおり、その配管を管理していると思しき機械やバルブがそこかしこに見受けられる。辺りは薄暗く、天井から明かりを供給する蛍光灯はほとんど破裂してしまっている。

(そりゃ、この熱さに蛍光灯が耐えられるわけないか)

 部屋の中はもはやサウナ状態だ。
 見渡した限りの壁に窓は見えず、熱を逃がすための穴といえば、先ほど自分が通ってきた通気口ぐらいだろう。ここまでくると、もはや異常でしか片付けられないほどだ。とりあえず、着ていたコートをその場に置いて歩き出す。
 ボイラー室というのは大して広くないはずだが、暑さで感覚が麻痺してるのか、或いは先ほどからほふく前進していたからなのか、随分と歩いたような気になり、全く壁にぶち当たらないことに違和感を覚える。
 そのまま似たような景色にうんざりし始めた頃、ふと、ボイラー室の奥の方で橙色の明かりがぼんやりと灯る。何度かゆっくりと点滅したそれは、そのまま消えてしまった
 明かりが見えた方向に足を進めていくと、ただでさえ暑い空間が、更に熱を持ったような――サウナの中で暖房器具に近づいていく感覚を覚える。

(何だ?)

 再び、視線の先でちかちかと明かりが灯る。自然、オーディンは足早に前進し――――カツンッ、と足先が何かに当たり、思わずその場にしゃがみ込む。
 何かが動く気配はない。周囲を見渡しても、動いたり気付いた気配も感じられない。やはり前方の明かりは、こちらの音など無関係に、何度か点滅をしていた。
 ためこんでいた息をそっと吐き出したオーディンは、音の原因となった足元に目をやり――声を出さないことに、努力を費やした。何時の間にやら肩にいたネイティは、緊張感で体をこわばらせるこちらにお構いなく、つんつん、と頭を軽くつついてくる。
 足元にあったのは、ポケモンの卵だ。描かれたまだら模様は、少し前にネイティが拾ってきた羽の模様とどこか似ている。薄暗いために色は分からないが、きっと、同じ色だろう。直感的にそう思う。
 しかし、オーディンが声を出しかけたのは――――それが一個ではなく、その先の通路目一杯に置かれていたからであった。明るいならまだ考えるが、薄暗い室内で、謎の卵が通路を埋め尽くすほどに置かれているのは、もはや不気味でしかない。卵は、まだ生きていることを示すように、時折揺れている。もはや、生まれるのも時間の問題だろう。

(つまり、さっき通路から出てきたのは、この卵から生まれた奴らってことか?)

 だとしたら。この奥にいるのは一体なんなのだろうか。
 先に進もうにも、一歩向こうは卵の山で足場が埋め尽くされて、碌に歩けない。オーディンは何とはなしに視線を通路の奥に向け、そして気づいた。
 先ほどまで点滅していた明かりが、先ほどよりも明るくなっていることに――つまり、明かりの元が近づいていることに。何かを大きく羽ばたかせる音が、狭い部屋の中に響き渡る。
 息を潜めつつ、傍にいるネイティを手元に呼び寄せようとその姿を捜し、

「トゥートゥー」

 いた。
 白い糸で体をがんじがらめにされている小鳥がいる。その横には、ついさっき通路から出てきたメラルバ達が数十匹、口から糸をはきだしていた。
 悲鳴を上げる間もなく、オーディンはネイティを片手につかみ、隠れていた場所から飛び出した。自分たちがいた場所を何重もの白い糸に塗りつぶされていく様子が肝を冷やす。
 しかし、休む暇などはなかった。なにせ飛び出したことで、明かりの主の前に姿をさらすことになるのだ。オーディンは次の動作に移せるように体制を整えつつ、大きくなった羽ばたき音へ、熱気を感じる方へ、素早く顔をあげる。
 狭く暗い通路の先――そこに、模様のある橙色の6枚翅を羽ばたかせた虫ポケモンがいた。口と思しき部分から炎を吐きだしていたそのポケモンは、明かりの中でオーディンたちの姿をはっきりと目にするも、これといった反応はみせず、2メートルほどの距離を空けてその場に停滞する。そのポケモンの明かりによって、露わになった背中に生えた翅の模様に、オーディンは見覚えがあった。

「もしかしてお前の拾ってきたの、あいつのか?」
「トゥートゥー」

 確かめる意味もないほど当たり前の回答に対して、ネイティはうなずくことも首を振ることもせず、鳴き声だけで答えて見せる。
 オーディンは周囲を見渡した。目の前の大型虫ポケモンが姿を現したことで、先ほどまで糸を吐いてきたメラルバ達が動きを止め、わらわらとそちらのほうへ歩み寄っていく。親玉のようなそいつは、オーディンたちとの距離を維持したまま、やはり動きを見せることなく、じっと様子をうかがっているようだった。
 少なくとも、見ていきなり襲われなかったことに安堵しつつ、オーディンは向こうを刺激しないように気をつけて立ち上がる。

「ええと……お前、ここで何してるんだ?」

 すると、親玉の虫ポケモンが上空に火を吐きだす。それによって、オーディンの足元に、ボイラー室の至る所にあるポケモンの卵が露わになる。く動いていない卵から、時折動きの見せる卵まで、それらが所狭しと並べられている。部屋の中の熱は、これらの卵を温めるために、目の前のポケモンが熱気を放っているためなのだろう。

「卵の孵化? なんでこんなところでやってるんだ」
「クオォオォォウゥ」

 オーディンの問いに、虫ポケモンは問い返すような声をあげる。それは、彼の問いの意味が分からないのか、そもそも何故ここにいるのか分からないのか、或いは他の意図があるのかもしれない。が、とりあえず、

「フォルでも連れてくりゃ良かったか……」

 鳴き声を聞いても、その意味が理解できないことにオーディンはため息をつく。
 と、手の中でおとなしくしていたネイティが、いきなり目を大きく見開く。同時に、ぐんっと、表現したがい何かへ引き込まれるような感覚を覚え、

『なるほど……その子は、テレパシーの応用が出来る子なのですね』

 声は肉声というよりかは心に響くようなものだった。それがどこからかは、言わなくても分かる。
 オーディンはまじまじと、目の前でこちらを見つめ返すその虫ポケモンに顔を向ける。それがこくりとうなずくのを確かめてから、

「ってお前、さっき試合場で見せた感じの事やってるのか!?」
「トゥートゥー」

 相変わらず何を考えているか分からない平坦な鳴き声に、もはや脱力感のようなものを覚える。そんな疲れた様子などお構いなしに、目の前の虫ポケモンの声が響く。

『ニンゲン。貴方の問いに答えるのであれば、私は、ここに連れてこられたのです』
「連れてこられた、ってことは、お前は別に元々ここに住んでいたわけじゃない、ってことだな」
『そう、この卵は私の子供達なのです。私には、この子たちを生み出す義務がある』
「義務?」
『その義務を果たすことで、私と子供達は、ここから自由になれるのです』

 問いに答えているというよりは、淡々と一方的に告げているような言葉だ。はたして会話がかみ合っているのか、と思いつつ、オーディンは問いかけた。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ! お前、ここで孵化させたやつらがどうなっているのか分かってるのか?」
『何を言うのですか? 孵化した子供たちは、もう立派な一匹のポケモン。子供達は自分の意思で、森の中などで生きていかなくてはいけません』
「ええと……ここは、人間の造った建物の中なんだ。だから、ここで孵化されても、野生には帰らないというか」
『そうですか。それが何か?』

 聞き間違えかと思った。何も言えず、ただ目をも開いた彼に対して、彼女はあくまでも当たり前のようなことを告げる。

『私たちポケモンがどこで卵を孵そうと、それはニンゲンに何の問題があるのですか? 貴方がたは、私たちをこのような場所に連れてきたのに、そのうえで制限をするというのですか?』
「い、いや、連れてきたのは俺じゃないが」
『私たちを連れてきたのはニンゲンです。ニンゲンはニンゲン。それ以外に、何の区別があるのでしょうか? そして、私が自分の子供たちを生み出すことに、何の問題があるのでしょう?』

 朗々とした響きに演技などという余分な要素はない。この虫ポケモンは、全く悪びれることもなく、それが当たり前であると告げてきた。そうしている間にも足元の卵たちが動き始め、ある卵には、ヒビが入ったかと思うと、その奥からぎょろりと赤い光をのぞかせているものもある。

(つまり、長引かせるよりは実力行使しろ、ってことか?)

『言っておきますが』

 顔を曇らせて僅かに腰を引いたオーディンを前に、その女王のような虫ポケモンは、やはり朗々とした声で彼を見据えて、

『邪魔はさせません』

 瞬間、女王虫の羽が震えたかと思うと、鼓膜を破るのではないかというほどの甲高い音が周囲に響き渡る。同時に、羽ばたきによって生み出された風圧が、大の男と小鳥を軽々と吹っ飛ばす。強く壁に叩きつけられる衝撃に目がくらみ、響き渡る羽ばたきの音が嫌な音を生み出して聴覚を圧迫する。両耳をふさいで縮こまるこちらに向かって、女王のようなポケモンとメラルバ達が一斉に殺到する。
 全く身動きの取れない状態ではあるが、最後の最後まで活路を見出そうと、オーディンは迫りくるポケモン達の姿を強く睨みつけ――――その動きが一瞬にして止まったことに、目を疑った。

「は?」

 音は止まっていた。何故ならば、先ほどまで女王がはばたかせていた羽が完全に動きを止めているからだ。しかし、彼女が決して地に落ちることなく、空中で静止していた。彼女の周囲に群がっていたメラルバ達も、そして、動きを見せていたはずの卵も動きを止めている。
 よく目を凝らせば、ポケモンや卵たちに、うっすらと青い光がまとわりついている。その光は、バトルをしている者ならば見慣れたものだった。

「広範囲対象のサイコキネシス……!? んなこと、一体、どこの誰が」
「首を突っ込んだのは、やはりこの地方の四天王か」

 声は頭上からだった。そして、それをふり仰ぐ前に――部屋に猛吹雪が吹き荒れる。
 灼熱地獄から極寒地獄に早変わりしたボイラー室が、一気に凍りついていく。急激な温度差に体を震わせるまもなく、気づけば、室内は一種の冷凍庫と成り果てる。そして、

「全く、大人しくしていればいいものを。どうせこの手の面倒くさいのは、扱いなれていないだろうに」

 頭上から一人の男が平然と落下してきた。
 目つきの鋭い男だった。灰色の髪をポニーテールに束ね、宝石のような赤い瞳は淡々とした色でもって、凍りついたポケモンや卵の方へ向けている。全身を黒いマントで覆っている姿が、何か既視感の様なものを覚え、思わず目を細める。

「お前は」
「協会四天王のファントム。――これだけで十分だろう、分かったらさっさと戻れ」

 一方的な名乗りをあげた男は、それだけ言うとオーディンに背を向けて歩き出そうとする。ほとんど反射的に彼の纏っているマントを引っ掴むと、一応彼は振り向いた。表情は当然面倒くさそうではあるが。

「何だ」
「何だ、じゃないっつーか……お前が、今回の事態を知っている協会四天王のひとり、ってやつだろ。どういうことか教えろ」

 オーディンの問いに、しかしファントムと名乗った協会四天王とやらは、理解できない命題でも見つめているような表情を返す。

「何故だ? この問題は、この地方には二割程度しか関係ないぞ」
「その二割が重要なんだよ。こっちの馬鹿王妃が狙われている原因を分からないまま、はいそうですか、って他人任せに出来るか!」

 彼のマントを掴んで立ち上がり、ひるむことなく睨みつける。男との身長差はそこまでなく、大体同じ目線になる。赤い瞳はやはり理解できないと言いたそうな様子で見つめてくる。

「別に他人任せではない。それに、今回のことはこっちの失策だ――その王妃が狙われることも含めて」
「失策だぁ!?」

 勢いよくファントムの胸ぐらを掴みあげる。それでも全く動じる様子のないその男の様子が、ひどく神経を逆なでする。そんなオーディンを、彼は冷ややかな目で見下ろした。

「一々目くじらを立てることでもないはずだぞ。そっちはそっちで、暢気な王妃と国王を護っているのが仕事だろう。俺の仕事とお前の仕事に、接点はないはずだ」

 その言葉に、オーディンが勢いよく男を壁に叩き付ける。咄嗟のことで反応できなかったのか、或いはわざと受けたのかは分からない。しかしそんなのはどうでも良かった。相変わらず平然としている協会四天王を前に、オーディンは鳶色の瞳を細める。

「いいから言え。そうじゃなけりゃ、吐かせるまでだ」

 激情を内に秘めつつの落ち着いた声に、ファントムがやや意外そうに目を開く。それから、僅かに口元に笑みを浮かべ、

「ならば、ここで戦うのもありか」

 瞬間、ファントムの蹴り足がオーディンの腹部を直撃。勢いよくふっとばされて凍りついた地面を転がる。痛みにうめきながら立ち上がると、いつの間にか、ファントムの横には二匹のポケモンが鎮座していた。
 片一匹はロングドレスを身にまとった人間を思わせる容姿のサーナイト。細長い腕の片方に何かのエネルギー弾らしくものを抱えて、オーディンを見据えている。
 もう一匹は、巨大な二枚貝を持つパルシェン。鋭く大きな棘の殻に覆われているそのポケモンは、自身の貝の口を音を立てて開閉することで、まるで威嚇のような音をあげる。
 恐らく、先ほどのサイコキネシスはサーナイトが、部屋を"吹雪"で氷漬けにしたのはパルシェンが、それぞれ役割を果たしたのだろう。

「てめぇ……」
「来るといい、キングダムの四天王。どうせ本選でもやる予定だったんだ。それに――――俺としては、一般人がいないほうがやりやすい」

 一緒に転がっているネイティを拾い上げて、オーディンもまたボールを片手に構える。ファントムはその様子にどこか楽しげな笑みを浮かべていた。
 余裕綽々としている協会四天王を睨み据えつつ、オーディンはボールの開閉スイッチを押す。そいつが出現するとと同時、電気が周囲に弾ける音が響く。黄色地に黒模様が混じったそいつは、背中から生えた黒いケーブルを威嚇するように振り回して見せる。一般的に、エレキブルと呼ばれるその電気ポケモンは、二匹のポケモンを前にしても、ふてぶてしく、口元に三日月をつくっていた。
 そして、互いが次の一手を、次の行動に移ろうとして――――パチパチパチ、と乾いた拍手の音。その音に、ファントムは半ば呆れた様子で、オーディンは敵意の目を崩さぬまま音のする方に目を向け、

「おやおやおや。折角のバトルではないですか。ワタクシなど気にせず、是非是非続けてくださいませ!」

 はっきりとした肉声で、道化を思わせるようなそのポケモンはそう言った。くるりと丸まった足先、人の手を思わせる五本の指、服を着ているかのような容姿に、頭の左右は帽子を思わせる形だ。

「バリヤード!? っていうか、こいつ、普通に喋った!?」
「こっちの地方では偶にいる。――研究によって、言葉を話せるようになっている」

 先ほどまでの嬉々とした様子から一変、面倒くさそう半分事務的な説明半分と言った声でファントムが答える。それに対して、人間言葉をしゃべる道化姿のポケモン――バリヤードは、図鑑に載っていそうな半端な笑みのまま首を直角に曲げて見せる。

「おやおやおや、いいのですか、協会四天王様。そちらの、キングダムの四天王様、とてもお強いそうですよ〜。貴方の飢えが癒されるのでは?」
「貴様には関係ない。まぁ、俺も仕事をするのは面倒だが……貴様を狩る方がそれはそれで楽しそうだから、な!」

 瞬間、サーナイトが両手に溜め込んでいたらしいエネルギー弾を打ち出し、パルシェンの甲羅から大量の水が勢いよく噴射される。それを、バリヤードは気楽な様子で片手をつきだし、

「ほっ」

 出現したバリアが二つの攻撃を相殺し、その余波となった突風が冷気を纏って吹き荒れる。煙の向こう、無傷のバリヤードが、先ほどとは反対に首を傾けつつ、オーディンの方を見ていた。

「おやおやおや、ご覧になりましたか、キングダムの四天王様。モノクロ地方の協会四天王というのは、会話中にもかかわらず不意打ちという、この様にとても野蛮な存在なのですよ。ですのでおひとつ、彼を退治してはいかがですか?」
「そもそも、お前は誰だ。それに答えたら、返答してやる」

 ファントムとバリヤードのそれぞれを睨む。平然としながらも戦闘態勢を崩さないファントムに対して、バリヤードは大仰に手を広げて、深々と腰を折る。

「あぁ、申し遅れました。ワタクシ、ポケモンによる世界支配を目的として白の組織に仕えている、バリヤードでございます。この度は、ミュウの血をひいてるという、この地方の王妃様を」
「10万ボルト!!」

 オーディンの命令を受けたエレキブルが、体内に溜め込んでいた電撃を放つ。しかし、これもまた素早く出現させたバリアによって行く手を憚れる。攻撃が通らずに霧散した電撃に舌打ちをするオーディンに、バリヤードはやれやれと肩をすくめて見せた。

「おやおやおや、やはり人間は野蛮、という訳ですか。会話の最中に攻撃をするなど、騎士の風上にも置けないと思いませんか?」
「騎士を知らないお前に言われたくはないな。大体――――お前らは相当の馬鹿だ」
「ほぉ?」

 ぎょろり、という表現が合うように、バリヤードの目がオーディンを見つめる。対して、彼は特に怯むでもなく、道化の様に表情を変えないバリヤードを睨みつける。

「騎士を敵に回す、っていう意味はな、加減されないって意味だ」
「何、がっ!?」

 瞬間、バリヤードが硬直する。正確には、何か言おうとしたはずにも関わらず、上手く動けない様子というべきか。ぎょりとした目が、ファントムの横で手を突き出すサーナイトと、オーディンの肩で白い糸が体に巻き付いたまま、目を青く光らせるネイティを見ている。

「それで、コイツはどーやったら吐くんだ?」
「知らん。ボールで捕獲すればいいだろ」
「それもそうか」

 懐に空のボールはないだろうか、などと探し出すオーディンの横で、ファントムは周囲を見渡している。何時の間にか互いに敵対するのを忘れている二人に、サーナイトが少しだけ溜息をつき、エレキブルが不服そうな表情で空中に軽く放電をする。
 瞬間、一面氷だらけのボイラー室の一角で、大きな炎が燃え上がる。振りかえった先、先ほどまで氷漬けにされていたはずの女王のような虫ポケモンの氷が溶けていた。背中の六枚羽が、周囲の火の粉を新たな火種にさせ、同じように氷漬けだったメラルバ達を救い出す。
 突然のことにサーナイトとネイティが、バリヤードを抑えていた"サイコキネシス"を緩めてしまい、素早く起き上がったバリヤードが、黒いエネルギー弾"シャドーボール"を地面に叩き付ける。爆風がボイラー室を駆け抜けることで、茜色の光が更なる輝きを増す。

「なんっ!?」
「けっけけけけけけ! ニンゲンニンゲンニンゲン! 貴様達はここでウルガモス達の餌にされてしまえええええ!! ヒャッハハハハハハハハ!!!」

 拘束から逃れたバリヤードが、天井の梁を飛び移りつつ、狂った様な笑い声をあげる。そのまま、攻撃をする間もなく、道化ポケモンの姿がボイラー室からテレポート消え去る。
 舌打ちと共にオーディンは前へ向きなおる。氷から脱出したウルガモスが、威嚇するように羽を大きく広げ、炎をボイラー室全体に吐き出す。紅蓮の熱が壁や天井を舐めつくし、極寒の地は再び灼熱地獄の熱を取り戻す。

「ビッド、10万ボルト!! おい、どうするんだ!?」
「ウィッチ、サイコキネシス。パルズ、トゲキャノン。――――どうする、というのは、目の前のウルガモスのことか? それとも、逃げたバリヤードか?」
「こんな状況でも落ち着いているお前は、ある意味、賞賛できるな」

 群がるメラルバ達が、三匹のポケモン達の攻撃で吹っ飛んでいく。大体が卵からかえったばかりであるため、倒すこと自体はたやすい。しかし、その数は決して少ないものではない。しかも、先ほどまで動きを止めていた卵たちは、一気に熱せられたことで再び活動を再開していた。

「このままいけばじり貧だ。応援を呼ぶにしても、ここはポケギアが通じないから、呼びに行くしかない」
「もしくは逃げるか?」
「馬鹿言うな。放っておけば、会場に被害が出る。だから食い止めるしかない。ただ……このままで状況が変わらないのも事実だ」
「ふむ?」

 腕を組むファントムを横目で見ながら、オーディンは苦々しく息を飲む。
 このままいけば、恐らく、数で押し切られる可能性がある。それに、逃がしたバリヤードの動きも分からない。王妃を狙っている以上、一刻も早くそのことをロキに伝える必要がある。

(ここは俺だけが? いや、このファントムとか言うやつ、逃げるとか提案してる時点で、この場所すっぽかしていなくなる可能性もあるのか? でも、ここで俺が食い止めたとして、さっきの話の限り、こいつがヴィエルが狙われているのをロキとかに伝えるかっていうと、それもなさそうな……)
「トゥートゥー。トゥー」
「ふむ、流石だな。おい貴様」

 言葉と同時に、ガツンっ、と思いっきり頭を叩かれる。あまりにも唐突すぎて反応が出来ず、痛みにうずくまるオーディンなど全く気にせず、彼を殴った男は漫然とした態度で見下ろしてきた。

「ここは俺が全て片付けておく。だから貴様は、応援などを呼ぶ前にさっきのバリヤードを追え」
「は、はぁ!? 色々突っ込みたいのがあるけどな……まず、どうやって追えって」
「貴様のネイティがきちんと捕捉しているそうだ。どうやら、外部からテレポートを受けて部屋の外に逃げたようだ。感謝するといい」

 頭をさすりながらネイティを見ると、トゥートゥー、とやはり特にこれと言った感情のなさそうな声で鳴く。それから、口元に緩い三日月を浮かべるファントムへ、苦々しい顔を向ける。

「なんで分かるんだ、っていうのは野暮だろうから言わないが、これだけは聞かせろ。――――何で殴るんだ」
「顔がぼんやりとしていたからな。そんなんでは、後ろから寝首を掻かれるぞ? ほら、行くといい」

 ひらひらとファントムが追い払うように手を振る。と、ボイラー室にひとつしかない部屋の扉が音を立てて開く。青い目を光らせるサーナイトが、オーディン達に早く行くようにと視線で促す。

「戻れ、ビッド! ええと……とりあえず有難うな」
「礼は、このごたごたが終わってからでいい。早く行け」

 顔を向けずに行ってくるファントムの声に僅かにため息に似たものが混じり、思わず苦笑する。扉に殺到しだすメラルバ達が、パルシェンのトゲキャノンで吹き飛ばされるのを横目に、オーディンとネイティはボイラー室を後にした。



 ばたん、とサイコキネシスで勢いよく閉まる扉に背を向けて、ファントムは軽く伸びをした。

『マスター。宜しいのですか?』
「どうせアゼルが手を打つ。それに……さっきの男、ちょっと面白そうだからな」

 雄叫びを上げるウルガモスなど全く気にも留めず、彼の声は上機嫌だ。それが何となく不気味で、サーナイトはつい半眼で主人を見る。

『変なことをすると、またアゼル様にお説教を食らいますよ?』
「その時はその時だ。さて、さっきの男とのバトルはお預けを食らったからな――――こちらのバトルで、ストレス発散するか」

一斉に襲いかかってきたメラルバとウルガモスに、協会四天王の長が牙をむいた。



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