「そう言えば昨日、最近出没している酒場荒らしのギルドが出たそうよ。怖いわねぇ」
「酒場荒らしのギルド、ですか?」

いつものようにレストランを開く準備をしていたエステルは、朝市から戻ってきた女主人の言葉に首を傾げる。ユーリは少ないテーブルの上に濡れた布巾を滑らせ、整っていた椅子を直している。

「元は盗賊だったんだけど、どっかの大きなギルドに一度完全に制圧されてねぇ。それから暫くはなりを潜めていたんだけど、最近、自分達で"ギルド"を名乗っては、夜な夜な様々な街の酒場を荒しているらしいのよ。大きなギルドによる護衛がしっかりしているところとかは狙わずに、人がそれなりにいるけど護衛があまりいないところを狙うんですって。昨日はすぐ傍の酒場を荒していたらしいわ」
「大丈夫だったのですか?」
「それがね、そこの酒場の護衛が腕利きだったらしくて、全員返り討ちだったんですって。見ていた人たちが言うには、あっという間だったらしいわ。あ、後、結構良い男だったそうよ」

貴方みたいな感じだと素敵よね、などと話を振られて、ユーリの手が一旦止まる。しかし、彼は軽く肩をすくめると、女主人のほうに向きなおって苦笑した。

「オレはそんなに強くないですよ」
「あらまぁ、謙遜しちゃって! ねぇねぇ、彼って強いんでしょう?」
「はい! ユーリは私が詠唱している時もいつも守ってくれますから」
「お前のフォローをしとかないと、後が面倒なんだよ」

にこりと微笑むエステルを尻目にユーリが溜息の混じった呟きを洩らす。しかし女主人の方はエステルの反応に非常に気をよくしたのか、自分よりも小さな彼女を大きな胸の中に抱き締めて頭を撫でる。エステルもまた嬉しそうに頬を緩ませる。
ここ最近の毎度きまりきった光景をぼんやり眺めつつ、ユーリは床のごみを払うために、傍に置いてあったモップへと手を伸ばした。



彼は気配に目を覚まし、そっと体を起きあがらせた。今まで動かすつもりがなかったはずの感覚は、最近の戦闘で随分と戻ってきてしまっており、そんな自分に失笑。戻したところで昔の感情が戻ってくることはないと知っているからこそ、その無駄なあがきが嫌になる。感じた気配をたどってカーテンを盾に下をのぞいてみれば、宿の裏窓から中をのぞいている男の姿を見つける。覗いていたらしい男はやがて顔を上に向けるも、すぐに周囲を見渡すと、そそくさとその場を去っていく。僅かに見えた口元に湛えられた笑みは、まるで勝利に酔いしれて本来の目的を忘れた野良犬を連想させた。ふぅん、と声を洩らして、しかしそれ以上の追及をするつもりもなく、彼は再びベッドの上に転がった。



買い物に行く、という話は昼も過ぎて人が閑散としていた時間帯の、女主人による提案だった。

「買い物なら、オレが行ってきますけど?」

テーブルをきれいに拭き終え、午後の掃除も終えたユーリが、モップを両肩に担ぎながら首を傾げる。女性は眼前で人差し指を軽く振ると、ユーリの肩を軽く叩いてみせる。

「女っていうのは、自分で欲しいものを見繕うのが重要なのよ。あ、そうそう、彼女、連れて行っても良いかしら?」
「そりゃ構いませんけど……なんでまた?」

そう言うと、厨房からぱたぱたと出てきたエステルを尻目に、女主人はにこりと微笑んだ。

「折角ですもの。"女の買い物"っていうのはね、早いうちから分からせておくのが通例なのよ」



思ったよりも人の訪れがない麗かな午後の陽気のもとで、ユーリは眠くなりそうな自分を何度か叱咤しつつ、目をこすっていた。
昔から何度か一日中寝ない、ということはやっていてはいるものの、流石にそれが連続することはここ最近少なかった。特に、仲間が増えてからは見張りは交代制だし、夜に叩き起こされる回数も随分と減っている。昼夜逆転、とまではいかないものの、それに類した生活を送らないことは体調を整えることに繋がる、というのはどこかの本で見た記憶かもしくは誰かから聞いた話か。いずれにしても、眠気が襲ってくるという事実に変化はなく、ユーリは何度目かの欠伸をしていた。

「……暇だな」

対して広くもない宿のレストランで、彼の呟きは思ったよりも響く。それは今までの生活で慣れていたものとなんら代り映えがないはずなのに、今にして思うのは、物足りなさであった。
ふと、昨日のレイヴンの言葉が脳裏をかすめ、ユーリは顔をしかめた。

「慣れてしまって気づかない、ねぇ……他の奴らの面倒見てきている現時点っつーことか?」

騎士団を止めてから、普通の生活に戻り、そして現在の様に旅をして。それまでの過程で"慣れ"てしまったことが何なのか考え、しかしそれが思いつかないから"慣れ"なのであると考えると、その取り留めのない思考の無意味さにため息をついてしまう。

「んんー、少し早いけどお早うさーん……って、ありゃ、女主人に嬢ちゃんはどうしたのよ?」

階段の軋む音に振り替えると、普段の代わり映えしない服装のレイヴンが、頭を軽く掻きながら下りてきた。

「買い物だと。何か、『女の買い物を分からせる』とかって名目でエステルを連れてったぜ」
「おおっ、流石! 主婦やってると考えが違っていいねぇ」

両手を頭を後ろにまわしてにやにやと笑うレイヴンを、ユーリはじっと見つめる。視線に気づいたのか、レイヴンは笑みを崩さないままユーリの方へと向き直る。

「お、どうした? 遂におじさんの魅力に気づいたか?」
「あんたの魅力は『自分は馬鹿である』ということを具体的に表してるその姿だろ」
「……お前さん、本当にきっついこと以外を言おうと思わないもんかね、マジに」

そう言いながらも、レイヴンは満足げな表情で肩をすくめる。その意味が分からずに首を傾げると、レイヴンは傍にあった椅子をひいて腰を下ろしつつ、目を細める。

「"馬鹿"っていうのは、一つのことに熱を向けている奴を"馬鹿"というのさ」
「それはアンタの定義か」

レイヴンは答えずに肩をすくめ、窓から見える景色へと目を向ける。ユーリもまた、窓から見える光景を見つめた。今までの慌ただしい旅には感じることのなかった、下町にいた時代ならばいつでも感じていた穏やかな流れが、そこにある。

「お前さん、答えを欲してるだろ?」

ちらりとユーリが目を向ける。
軽薄さと胡散臭さが服を着て歩いているような中年男性は、顎髭を撫でながらユーリを上目づかいに見上げる。口元の品のない笑みが、僅かに自嘲の色を帯びる。目をそらすことも、或いは追求することも忘れ、ユーリは黙ってレイヴンを見下ろす。ため息もなく、言葉が続く。

「お前さんの"それ"は何かというと、だな」
「た、大変だよ……!!」

言葉をさえぎるようにレストランの扉が勢いよく開かれる。扉の入口には蒼白な表情の女主人の姿があった。彼女は宿に着いたことで力尽きたのか、扉の前でへなへなとその場に座り込む。
慌てて駆け寄ったユーリが、彼女を起きあがらせようとして――ふと、そこに、いるであろうと思しき少女の姿がないことに気づき、嫌な予感にユーリが呆然とした表情になる。呼吸を整えた女主人が、ユーリを見上げるなり、彼の服を勢いよく掴んだ。

「あの娘が、あの娘が――――!!」


話を聞いて、剣が納まった鞘を掴むなり飛び出すユーリの姿を眺めていたレイヴンは、首を緩く振って肩をすくめると、扉の前で置き去りにされた女主人を中へと運ぶためにゆっくりと腰を上げた。


『買い物の帰りに、子供が大柄な男にぶつかって転んでね。謝ろうとしてる子供を踏みつけようとしたところに、咄嗟にあの娘が割り込んだのさ。それから、なんだかよく分からないけど、あの娘が不思議な力で子供と男の怪我を治してから、代わりに頭下げたんだよ。最初、あたしらも含めてそれで終わるだろうと思ったのさ。ところがだよ、あいつはあの娘を見るなり、にやって笑ったと思ったら……いきなりあの子が倒れたんだよ! あたしらもよく分からなくて呆然としてる間に、何か変な奴らがぞろぞろと出てきて「これで昨日の酒場に向かうぞ」だの「仕返しは倍返しだと思い知らせてやる」だの……あたしゃぁ、もう、突然過ぎて、何も、何も出来なくて――――』

女主人のうろたえながらの説明が脳裏をかすめる。何故彼女が倒れたのかは分からないが、少なくとも術でも使われない限り、彼女がそう簡単に囚われるとは思えない。
彼らの行動は、単純に女を人質にすれば釣れると思ったのか、はたまた、彼がいる場所に彼女がいることを分かってての手段か。

(後者に決まってんだろ、そんなのは……!)

そうでなければ、あの"ウムラウト"とかいう奴がにやっと笑った理由に説明がつかない。
居場所がばれていたのだ、確実に。こういう事態があることを考慮したはずなのに、結局は周りを巻き込んでいる。最近の"慣れ"に甘え過ぎて、感覚が鈍っているのかもしれない。

「くそっ……!」

腹立たしげに白い石畳を蹴りながら、ユーリは曲がりくねる街の道を駆け抜けた。


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