振りまわした槍の先端が、陽光を帯びて煌めく。

「こんなのはどうかしら?」

女性の朗らかな笑みは口元に浮かんでいるが、目は全くもって笑っていない。突撃してきた魔物を先端が捕らえた瞬間、爆撃音と同時に魔物が宙へ投げだされる。
そのまま女性が槍を投擲。たった一発分の、しかし強力で急所を突いた一撃が魔物の体を貫く。残りの魔物が武器のない彼女へ殺到する。
しかし、彼女は高々と飛翔して自らの武器を手中に収め、自らの足の長さと同等の刀身が、円を描くように振り回される。宙を薙ぐ攻撃が空中にいる敵を地面へと叩き落とす。
その時には、地上で詠唱を終えた少女が手にする帯を振りまわし、その軌跡を追った布陣が彼女の周囲を取り囲む球体として現れる。

「狂気と強欲の水流、戦乱のごとく逆巻く――――タイダルウェイブ!」

具現化した術が落下した魔物や地上の魔物を達を巻き込んで大回転。強烈な渦潮による攻撃に、次々と彼らをなぎ倒していく。どうにか攻撃を避けた魔物の一部は、しかし次の瞬間に後方をついて突っ込んできた獰猛な犬にかみちぎられ、少年のハンマーで吹き飛ばされて消滅する。


一息ついたカロルが、その場に武器をおろして背伸びをした。

「終わったぁー! 今日はもうこれで十戦目、お金もだいぶ溜まってきたし、みんなのレベルも上がってきたね!」
「とりあえず昼ご飯よ、ご飯」
「そうね」
「う……みんな、話聞いてる?」

何となく抗議の言葉を述べてみるも、ウォン、と軽く吠えるラピードにも昼御飯を促されてしまい、カロルは慌てて木の近くに下ろしてあるバックから人数分の弁当を取りだす。戦闘中に持っていては流石に中身が大変なことになるのもさることながら、僅かな重さというのは、攻撃する際の自らの感覚というものを狂わせる。
カロル達はここ数日、魔物がよく集まるという木の実がなるという樹木を中心に、そこに集まってくる魔物を叩いていた。朝夜には魔物の凶暴化も考えたユーリの指示に従い宿に戻ってきているが、昼の間、彼らは校外で仕事の様なことをしている。
木陰の涼しい風に気持よさそうな顔をしつつ、カロルは弁当のおかずを口に運んで行く。

「それにしても、ユーリもエステルもマメだよね。全員分のお弁当を作ってくれるなんて」
「暇なんでしょ、あの二人。あーあ、戦闘中とか、魔物がそっちに気を取られないようにちょっと気を配らないといけないじゃないのよ」
「でも、二人とも――特にエステルは上手くなったんじゃないかしら?」
「「確かに」」

顔を見合せて頷くカロルとリタの姿を軽く尻目に、ラピードは黙々と自らの昼食にかぶりつく。綺麗に巻かれた卵焼きを口の中に放り込んでいたリタが肩をすくめる。

「それにしても、そろそろ海の天気も戻らないもんかしらねー。足止め食らって一週間以上経ってるのに、動く気配ないっていうのもどうよ」
「何か、騎士団が沖合で海の凶暴なモンスター倒した影響らしいよ。周辺の魔物が大暴れして、それで原因で大嵐になってる、ってユーリが言ってた」
「ユーリが?」

違和感たっぷりの表情でリタがカロルを見返して首を傾げる。普段、彼らの中で情報らしい情報を持ってくるのは主にカロルである。ギルドにいた頃から情報に敏感だったこともあり、人々の会話に聞き耳を立てるのが上手いため、常にパーティの中に新情報を運んでくる。カロルは頷いた。

「何か最近、レストランで常連客の人と話すことが多くて、それで知ったんだってさ」
「へー、あの皮肉屋でも、人と話して情報聞くくらいの気構えあるんだ……」

ひたすら意外そうに声を洩らす。ジュディスは関心がないのか、食事をし終えたラピードと共に体をほぐすための運動を――単純に体操というべきか軽い組手を――し始めている。やがて、カロルは弁当をカバンの中へ片付け始め、リタは食べ終えた弁当箱を傍に放り投げると、持ってきていた本に目を通し始めた。

青空が何処までも続く緑の海で、四人は心地よい午後のひと時を過ごしていた。



「ありゃ、休み時間になった途端に寝ちまうとはねぇ」
「おばさん、何か他に手伝うことがあるのです?」

女主人が自らの頭に巻いていた布巾を縛り直しながら、机の上に突っ伏して寝息を立てるユーリを見下ろす。食器の洗い物を終えて傍にやってきたエステルが首を傾げるが、彼女は大きな片手をエステルの眼前で横に振った。

「とんでもない! 二人は十分働いているから、もう大助かりよ。ただ、こんなにぐっすり寝てるのを見たら、夜に何してるのかと思ってねぇ……若い子は無茶するというけど、大丈夫かしら?」

深いため息をついてかなり心配した様子を見せる女主人の傍で、やはりエステルは意味が分からずに首を傾げる。それから、ふと思い当った事柄に、彼女が両手を合わせる。

「きっと本とか読んでいたと思います。ユーリにこの間、本を貸したばかりですし。……あの、まだ起こさないで寝かせてあげれませんか?」

両手を胸元にあてがいつつ小首を傾げて見上げると、女主人は両腕を広げてエステルを強く抱きしめながら頬をすりよせる。

「もうっ、アンタって娘(こ)は本当に可愛いわねぇ! アンタの頼みなら、おばさん、何だって聞いてあげるわ! 本当、良い彼女を持ったじゃないの彼ったらぁ」

早口で捲し立て上げる女主人の言葉の意味を全体的に理解はできず――何となく褒められた、というのだけは分かった――何時ものように大柄な腕に抱きしめられながら首を傾げるも、ふんわりとした心地よい香りにエステルは目を細め、嬉しそうにお礼を述べた。

その日のレストランは特に混まなかったこともあり、ユーリは起こされることなく、その日の午後を全て寝潰していた。
女主人から貰った毛布をそっと彼に掛けてから、エステルは向かい側の椅子にちょこんと座り、麗かな午後の陽気の中で、お茶と読書で楽しんだ。


ほんの僅かな香りには違和感を感じたが、それに気づくことはなった。


起きあがる瞬間、嗅覚が感じたのは、彼女を抱きとめた時の香りだった。勢いよく顔をあげたとき、目の前にあったのは飲み干された紅茶のセットと、本が一冊。厨房からたまたま顔をのぞかせた女主人が「帰ってきた仲間達と一緒に買い物行っちゃったわよー」と教えてくれる。
ふと、肩から何かずり落ちる感触。腕を回すと、柔らかな毛布を掛けられていたのだと気付く。気を回してばかりの彼女を思い出して、何とも言えない表情をしていると、階段を下りてくる音。
振り返った先には、片手に鉄笠を持って欠伸をするレイヴンの姿があった。
もうそんな時間か思いながら立ちあがり、毛布を畳んで椅子をしまう。畳もうとした毛布から、また、彼女が持っていた香りが僅かに鼻孔をくすぐる。それはここ最近、彼女が彼の横を通るたびに立つもので、今まで全く知らない香りであった。

何時もとは違う格好、何時もとは違う香り、しかし人と接する様子はいつもと同じ。

何とも釈然としない表情のままユーリは階段を上った。様子を眺めていたレイヴンはいつもの軽薄な笑みのままだった。



「ぷっはぁ! いいねぇこの味、お、マスターもう一杯!」
「畏まりました。――あぁ、今日の午後に電話があって、明後日の朝には戻ってくるそうです。明日までですが、本日もよろしくお願いしますね」

レイヴンから手慣れた手つきでグラスを受け取ると、主人はユーリにそっとそんなことを耳打ちしてから奥の厨房へと姿を消す。ユーリがぼんやりと出された烏龍茶(護衛目的なので、お酒は自粛している)の注がれてあるグラスを眺めていると、横からぐいっとレイヴンが顔を突っ込んでくる。

「どうしたぁ、悩み多き青年よ! このおじさんに解けない難事件はないぞー!」

頬を赤くした顔でにやにやとした笑顔を作って腕をからませてくるレイヴン(鉄笠は外してある)を無言であしらいつつ、ユーリは何となく掛けていた眼鏡を押し上げる。取り留めのないことが脳裏をかすめては消えてゆく。騎士団時代、下町で生活していた頃、エステルと出会ってからの旅、仲間が増えてきたことで面倒事も増えたここ最近。ただ浮かんでは消える泡の如き全てが、幾度目かの回想へと切り替わる。思わずため息をつくと、隣でレイヴンがぽつりと呟いた。

「そういや嬢ちゃん、最近めかし込んでるなぁ。お前さんの為じゃないのか?」

その言葉に、ユーリはレイヴンのほうを向いた。自分が一体どういう表情をしているかは想像しようにも付かないので、一応は努めて仏頂面のつもりで振り向く。
対して、レイヴンが非常に反応に困った表情をしたのち、首を緩く振って軽くユーリの肩をたたいた。

「とりあえず、怒ってるんだか呆れてるんだか嫌そうなのかどれかはっきりしたほうがいいぞ?」
「別に怒っても呆れてもいねぇ。嫌だということだけは正解だから離れろ」

肩を叩いた手は払わずに、しかし片手で追い返すようなしぐさを見せる。レイヴンは手を引っ込めると、カウンターに顎をつき、烏龍茶を飲み干すユーリを見上げる。

「そうかそうかなるほど、ここ数日、どうもパッとしてないと思ったらまぁそういうことかぁ。嬢ちゃんがついに誰かに取られかけているという危機に気――――冗談だって、冗談……殺気立つなよ……」

ほぼ反射的に目を向けてやると、中年は軽く体を震わせて両手をひらひらと上げる。行き場を失って宙を舞った彼の手は、再びユーリの肩に収まる。そして、軽薄な笑みを浮かべながら肩をすくめた。

「――でもま、気づけばなんてことないぜ? "灯台もと暗し"、慣れてしまって気づかないだけだ。元来は"それ"をあしらってきたんだからな、お前さんは」
「……どういうことだ?」

何か。見えなく手に届かなくしかし後一歩踏み出せば見えそうな、"それ"が。
引っかかりを覚えるその言葉にユーリが訝しげな目を向ける。道化の様な胡散臭い男性は、傍観することを決め込んだ表情をしている。
それでも。彼はその引っかかりを尋ねるために口を開こうとして、

――――ガタガタンッ、と机と椅子がひっくり返る音が響き、食器が地面に叩きつけられる音が続く。

何事かと目を向ければ、あからさまに柄の悪そうな大柄な男が、二人の男性店員の襟首を掴んで締め上げていた。傍に控える痩せ細った男が、にたにたとした顔で店員をじろじろと眺める。

「お前達、この方をどこの方と知っての無礼だぁ? 最近功績をあげている我らがギルド"狂犬の牙"の首領、"ウムラウト"様だぞ!」
「おうおうおう、この店の店員は全然教育がなってねぇなぁ。サービスくらいできねぇのか、ああ? マスター、『お客様は神様』っていう理念は、この酒場にはねぇのかよー? ガッハッハッハハハ!!」

厨房から慌てて出てきた主人が、目の前の惨状に唇を僅かにかみしめる。恐らく取り巻きと思しき十数人ほどの男たちが、首領と名乗った男の周囲で、店主を目にするなり下卑た声で哄笑。
その時には、既にユーリは鞘に納まった剣をカウンターの上に置き、立ち上がっていた。隣にいたレイヴンは傍観姿勢のままカウンターに肩肘をつき、目の前の様子を眺めるつもりらしい。動く様子のない彼に呆れの言葉をかけることなく、ユーリはすたすたと男性の前まで歩み寄る。そして、

「おい」
「んん、なぁんだ、坊主ー? この俺様にいちゃもんつけるとは良い度胸――」
「真下がガラ空きですよ、"お客様"」

同時に鈍い音が響き渡り、男が仰向けに吹き飛ばされる。周囲を支配していた哄笑がぴたりと止む。静寂が場を支配し、先程まで絡みつくような声音を出していた男も唖然とした様子で、たった一発の拳で吹き飛ばされた首領と、巨漢をたった一発で吹き飛ばしたユーリを交互に眺める。
ユーリは欠伸を一つすると、肩をすくめた。

「お客様は神様とはいえ、態度の悪いお客様は出て行かれるのが世の筋ではないのですか。それとも、動けなくなるまでの戦闘の方がご趣味、とか?」
「や、野郎ども、ひるむな! その男を取り押さえろ! たかだが男一人、こちとら人数がいるんだ!」

傍にいた側近と思しき男が、甲高い声で喚き立てる。一気に四方八方でユーリを取り囲む形で出来上がった円陣を見て、側近の男が、頬を引き攣らせながらも声高に叫ぶ。

「やっちまえ!!」

その号令を合図に、ユーリを囲んでいた男たちが一斉に飛び出し――軽くその場で飛び上がり、さらにやってきた男たちの頭を踏みつけて上方へと回避。同時に、左脇に飛んできたものを無言で掴むと、落下すると同時にそれを振う。
鞘。それは、刀身を収めるものであるが故に、当然ながら刀身とは別に固いのが当たり前である。それ自体に殺傷能力というのは皆無だが、鈍器として使用した場合、その軽さと硬さは意外にも有効的なのである。
掴んだ鞘の先で走り寄ってきた二人の男をつき転がし、体を縮めて一撃を回避すると同時に男の腹部に拳をねじ込ませる。武器をもった男二人が頭上で互いの獲物を交わらせ、その隙に鞘の先端と拳がそれぞれの体を吹き飛ばす。剣舞というにはあまりにも大雑把な、体術というには武器を持っているために厳密ではない、ただ流動する彼の動きは、数分もしないうちに襲いかかってきた男達を地に伏せさせる。
ふと、ユーリの上に大きな影が覆いかぶさる。ほとんど勘でもって後ろへ飛び退ると、彼が先ほどまでいた場所を巨大な拳が通過する。飛び乗っていた机が割れ、音を立てて真っ二つに分かれる。

「こんの、ちょこまかちょこまか動きやがって……!」
「生憎、図体デカイ男はやられ役、っていうのが基本だぜ?」

人差し指を振りながら鞘で肩を叩くユーリの姿に、起き上がったらしい大男が頬を引き攣らせる。ふと、男の視線が、ほんの僅かな距離を離れたところにいる主人へと向かい――――にやりと笑った瞬間、死角にいた側近の男が、店主の首先に鋭い刃を突きつけたところだった。

「そこを動くなよ! お前の雇い主が死んだら、金がもらえないだろ?」

その言葉に、ユーリは主人の方を振り返る。
そして、肩をすくめた。鞘の先端を気にせず目の前に向けると、大男が目を見開き、少し離れていたところにいる痩せこけた男が金切り声を洩らす。

「おい、聞いてるのか!? そのまま動くなら、この主人を――――」
「主人の前にお前さん、自分の心配したらどうだ?」

地面に乾いた音が響き、地面に人が転がる音が二つ続く。ナイフが叩き落とされたすぐ傍で一方が尻もちをついているのに対して、もう一方はごろごろと転がされた揚句、机とイスに体を強く叩きつける。
鉄笠を被った謎の中年男性の突拍子もない、そして全く見えなかった動きによって巻き起こった光景に大男が唖然とする。しかし流石に戦いなれしているのか、直ぐに態勢を立て直し、彼は再び前へと向きなおり――その行動は既に遅く、傍に転がっていた食事用のナイフと鞘の先端を背後から首筋に突きつけたユーリが囁く。

「さて、このまま喋れなくなってぼこされるのと退散するの、どっちがいいか決めてみろよ。オレはどっちでも構わないぜ?」

その言葉に、男の背筋が伸びあがり、転げるように後退。いつの間にか扉の前にいた鉄笠を被った不審な男がが扉を開けて、直ぐ脇にずれる。巨漢は扉の前まで一目散に走るが、その前でぴたりと止まり、ユーリを振り仰ぐ。

「つ、次は必ず後悔させてやぁ! 覚えておけよー!!」
「ま、待て下さいよぉ、ウムラウト様ー!!」

酒場を飛び出た巨漢に続くようにして側近の男がよろめきながらも後を追い、その後ろをぞろぞろとやられた男達が仲間を引き連れて退散。
一瞬の静寂。しかし、それは一瞬にして歓声へと転化する。
肩を竦めるユーリに寄ってたかる男達は次々と彼の肩を叩き、女性たちが好奇の目を向けてくる。その場に座り込んでいたらしい店主が起き上がって礼を言うことに首を振りつつ、無事を確認。元いた席に戻ろうとすると、笠を被ったままのレイヴンがすれ違いざまに軽く肩を叩く。ユーリは振り返った。

「今日の仕事は終わりだな? ってなわけで、おじさん飲むから、後よろしくー」

ひらひらと手を振る鉄笠を被った中年男性は、盛り上がる宴の間にさっさと身を投じに行く。
逃げられた、と思ったのは、ほうほうのていで(多分)酔って寝こけているレイヴンを引っ張りながら、酒場を退散した後だった。


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