それは、そんなに遅くもない時間の、宿屋でのことだった。


「ねぇ、アルヴィン。呼び方を色々変えるのはなんでなの?」

そう尋ねてきた黒髪の少年を、整備していた武器を手にしたままにアルヴィンはまじまじと見つめる。
茶色の瞳にはまだあどけなさが残るものの、しかしガキと称するにはやや大人しい感じのある少年だった。拳闘士用の身軽な防具を身にまとっている彼は、自分でも知らないことについて質問をする時、どうも警戒心が欠けているようだった。にやりと笑い、聞き返す。

「なるほど、ジュード少年は、誰かとお付き合いしたいわけか」
「な、何でそうなるのさ……!」
「俺が親しげに呼び名を変えること、気になってるんだろー? んで。ぶっちゃけ誰が気になるのよ」

にやにやと笑いながら言ってやると、どうやら図星なのか、少年――ジュードは不貞腐れた表情でそっぽを向く。

「別に、そういうつもりじゃないから……もういいよ。何となく、気になっただけだし」
「いいのか? この先もずーっと鬱々と気になって、戦闘でも俺が親しげに言っている理由が気になって、ずーっと悩み続けててもいいのであれば」
「普通に教えてくれるなら聞きたいんだけど……」

少しだけ顔の向きをこちらに直して、溜息と共に言われる。そのまま話を終わらせるのかと思ったが、やはり興味があるらしかった。ジュードが傍にあるベッドに腰掛けるのを待ってから、彼は少しだけ首を捻る。

「そうさなぁ。実際、これといった意味はないんだが」
「ないんだ……」
「まぁ最後まで聞け。強いてあげるとすれば……あれだ。交流の一環、だな」
「交流?」

半信半疑といった表情で、オウム返しをされる。我ながらあまり良い返答ではなかったかな、などと胸中の後悔をおくびにも出さず、アルヴィンはうんうんと適当に頷く。

「そう。人とのコミュニケーションを取る為には、親しげな態度と親しげな声掛けなのだよ、ジュード君」
「親しげな……」
「相手の心を解きほぐすには、その"親しげな"所がポイント、なのさ」

少年は難しい表情で頭に手を当てる。こちらの話を真剣に聞いてくれているのは嬉しいのだが、心のどこかでその馬鹿馬鹿しさを嘲笑っているような自分がいる気がした。
手にしていた武器を、銃をちらりと視界に収める。"親しげ"な話をしているのに、手にしているのはその交流を遮断するような物体。ニヒルな笑みは浮かべずに、更に適当に頷く。

「んで、呼び名を変えてるのは、雰囲気に合わせた言い方をしているにすぎないのさ。特に――精霊の主に対しては、な」
「そ、そうだよ! なんでミラへの呼び方がころころ変わるのさ?」

パーティの中でも(ある意味一番年上な)女性の名前を上げた途端、ジュードはがばっと顔を上げると、こちらを見つめ直す。決して睨みつけているつもりはないのだろうか、少年の瞳の色には自然と、疑問と――――もう一つの感情が僅かに見え隠れしている。アルヴィンは僅かに目を細めた。次に返す言葉を、彼は少しだけ慎重に選んだ。そして、

「んんー。精霊の主であるマクスウェル様と親しくなる機会なんぞ、まずないだろう?」
「本当に、それだけ?」

意味が分からないといった様子で首を傾げてやると、少年は戸惑った表情を見せた。
どうやら彼は先程の自分のように、次の言葉を選んでいるらしかった。視線をこちらから外して虚空に向けていたが、やがて、つぐんでいた口をゆっくりと開き、

「アルヴィンがミラを様付で呼ぶ時って、何となく……普段とは、違うような気がするから……」

慎重に選んだらしい言葉で尋ねてから、ジュードはアルヴィンを恐々とした表情で見つめる。そんな少年を前にして、アルヴィンは一瞬だけ虚を付かれたような顔になり――――悪意のない笑みを浮かべ、肩をすくめて見た。

「そりゃそーだろ。だって、マクスウェルだぜ? 精霊の王に敬意を払った呼び方をするときは、流石の俺も空気を読むのよ」

ふと、視線を下に向けてみれば、手にしていた武器の整備を終えていた。話をしながらだというのに、手の方は慣れきった素振りで整備し終えていたことに思わず苦笑する。苦笑の意味が分からずに首を傾げるジュードの頭を、アルヴィンは軽く叩いた。

「そんなに気になるなら、ジュードもミラのことをミラ様〜って呼んだらどうだい?」
「え!? そ、そんなことしたって、別に何も……」
「もしかしたら、そっちの呼び方をされたいのかもしれないぜー?」

適当に言ってみたのだが、言われた少年はハッとした顔をすると、わりと真剣そうな表情で悩み始めた。思ったよりも良い反応をする少年に、アルヴィンは思わず笑ってしまった。
精霊の王よりもこの少年は純粋だ。ちょっとしたからかいの言葉を投げると、コロコロと良い反応を示す。それは、彼は"人間"だからなのだろう。そして、人と接することを恐れないからなのだろう。
ふと、自分たちの仲間である『精霊たちを統べる者』を思い出す。彼女は、自分が"様"をつけて呼ぶ時、どういう反応をしていただろうか。
最初にそれで声掛けをしたときは、あまり変わらない表情で、ほんの少し不思議そうな眼でこちらを見ていたような気がする。紅色の瞳に奥には不信感などなく、ただ純粋な疑問があるだけだったように思える。
今では特に気にされていないはずだ。ただの冗談、からかいの類と思われているのだろう。――――実際、そのつもりで呼んでいるのだから。
両目を瞑り、口元をへの字に曲げて考え込む少年の前で、アルヴィンは手にしていた武器を定位置に戻して立ちあがる。

「アルヴィン?」
「なんか寝れそうにもないんで、ちょっくら夜風に当たってくるわ」

ジュードが追いすがってくる前に扉をあけると、アルヴィンはさっさと部屋の外へ出る。
とりあえず静まり返った廊下を歩きだしてみるが、別に行き先などない。ただ何となく、今の話を続けていられる自信がなかったからだ。面倒くさいという思いがあったのも事実だが。
二階建ての宿屋は、ぼろやというには綺麗な方であった。かといって新設かと言われたら首を振る程度の場所だ。静まり返った廊下を歩くたびに、床板が重さでギシギシと音を立てる。幸い、それは穴が開く直前のような音ではない。しかし、ちょっとした音にでも敏感に反応する客がいれば、その音は騒音以外のなにものでもないだろう。

(とりあえず、外に出るかねぇ)

夜中だと言うのに、部屋から出て意味もなくうろついていれば、当然要らない目を向けられる。自然、足早になるのを止めることなく、しかしなるべく音は立てないように注意を払いながら、アルヴィンは宿屋の裏口へと足を向けた。
既に宿の主は寝静まっていたのか、一階にある明かりは、窓から差し込む満月と星の光だけであった。厨房を抜け、鍵をかけてない(不用心だと思ったが、この時は有難かった)裏口の扉を静かに開け、外に出る。
訪れていた街は海が近いために、夜風と共に潮の香りが運ばれてくる。少しだけ暖気を帯びた風がオールバックの髪を揺らし、服が音をたててたなびく。すっとからっぽの肺を夜気で満たし、ゆっくりと吐きだす。それだけでも、気分がほぐれる。
紺色の空を見上げれば、頭上の明かりが点滅しているのが見えた。夜遅くと言うこともあってか、発光樹の光よりもなお、空の光は明るいように思えた。

「アルヴィン」

自分の名前を呼ぶ声が、上から降ってきた。振り仰ぐと、そこにいたのは先程、話題に上がっていた女性が胡坐をかいて座っていた。
金色の長い髪が、一本だけ鳥の尾を思い出させるように生えている髪と共にさわさわと揺れている。月の光を背後にしてこちらを見つめる赤い瞳は、人間とは違う輝くを持っているように思えた。ちょこっと目を上げて、彼は片手を上げた。

「よぉ、ミラ。何をしているんだ?」
「精霊達と対話をしていた。レイアやエリーゼはもう寝てしまっているからな。起したくはなかったのだ」

さして呼び方を気にするでもなく、彼女――ミラはアルヴィンの見下ろすと、困ったように肩をすくめた。

「そういうお前は、こんな時間にどこに行く?」
「眠れなかったから、夜風に当たりに来ただけさ」
「そうか。それなら屋根の上に来ると良い。風が気持ちいいぞ」

改めて彼女を見上げた瞬間、ピュゥ、と口笛のような風の音が耳元近くで聞こえた気がした。ほんの僅かに目を瞬かせると、ミラは風が吹いて行った方向へ目をやり、そして困った表情で笑っていた。恐らく、精霊の悪戯か何かなのだったのだろう。
肩をすくめて辺りを見回すと、すぐ傍に、宿の屋根へ上がる為の梯子がかかっているのを見つける。武器が落ちない位置にあることを確かめると、アルヴィンは梯子を登り、ミラのいる屋根の上までたどり着く。
さきほどまで胡坐をかいていた彼女は、いつの間にか立ち上がり、じっと遠くを見つめていた。視線の先を追ってみれば、そこにあるのは、夜空の色よりも更に暗い色をした藍色の水辺だった。街に近い場所は発光樹の明かりを跳ね返し、遠くに行けばいくほど、空に瞬く星の明かりを反射している。
宿の外に出た時よりもやや強い風が、服と髪をたなびかせる。ミラのすぐ横に腰をおろして、アルヴィンは目を細めた。

「思ったよりも風が強いな」
「風は気まぐれだからな。シルフも、気まぐれな性格だった」
「へぇ?」

ちらりと顔を上げれば、凛然とした表情の精霊の王の表情がそこにあった。懐かしんでいるような、自慢げなような、慈しんでいるような、しかしそれらは全て人間が見せる表情と何ら変わらない。

「他の四大精霊はどんな性格で?」
「そうだな。イフリートは豪快な性格だ。どんな物事に対して、まずはぶつかって考える性格だな。ウンディーネはイフリートと正反対で――」

真剣な表情で上げて行く名前は、いずれも有名な精霊の名前だった。それは一般の人間であれば、まず会う機会もないようなおとぎ話の精霊なのだが、彼女はそんな彼らを、友を紹介するような気楽な雰囲気で語っていく。
それを横目で見上げていると、ふと、ミラは話すのを止める。そして、こちらに向き直ると、

「ところでアルヴィン。お前は何故、呼び方を色々変えるのだ?」

先程、ジュードから受けた物と同じ質問を受けるとは思っておらず、一瞬、彼は目を瞬かせる。同時に、何となく聞かれた理由に思い当たり、アルヴィンは半眼で尋ねる。

「もしかしてその質問、ローエンのじいさんが発端だったり?」
「よく知ってるな。ローエンが『呼び方が安定しないのは何故でしょうね』と不思議がっていたからな」

脳裏に感情の読み切れない深い皺を刻んだ老人の顔を思い出して、アルヴィンはぐったりとした表情で溜息をつく。なにが発端でそんな問題に思い当たったのかは分からないが、少なくとも、意味がない質問ではないのだろう。
視線を外してがしがしと頭を掻きつつ、アルヴィンは肩をすくめた。

「特に意味はないぜ」
「そうなのか? 私はてっきり――距離を測る為の方法だと思ったのだが」

頭を掻いていた手を止め、アルヴィンはしっかりとミラを見上げた。彼女は先程と変わらぬ真剣な表情で、口元に手をあてがいながら考え込むように続ける。

「呼びかけによって相手の反応を見ていると思ったが……違うか?」

首を傾げるミラを、僅かに細めた茶色の瞳で見つめる。口元が少しだけ強く結ばれ、それは驚いているのを我慢しているようにも、或いは少しだけ睨みを利かせているようにも、捉えれたかもしれない。
精霊の主は、黙ってアルヴィンを見つめている。やがて、尋ねられた当人が立ちあがる。その場で軽く背伸びをすると、ミラに背を向けたまま、ちらりと肩越しに振りかえり、

「さて。答えはミラ様の心の中、ということで」
「そうか。では、そう思っておこう」

こっそりと息を吐き出す横で、ミラはうんうんと一人満足そうに頷く。
海の夜風は、虚をつかれた男と自身の考えをしっかりと持つ精霊の主を笑うように、びゅうっと音を立て、勢いよく屋根の上をかけていった。


距離の測り方


(「ちなみに、ローエンのじいさんは何でそんなことを不思議がってたんだ?」
 「それは私も知らないな。ただ、この間のポーカーがどうこう……と言っていたような」
 「……やっぱしポーカーでの腹いせかよ……」)

110616/ジュードの片思い、アルヴィンの距離の置き方、ミラ様の天然なようで核心っぽいことさらっと言うのかな〜という期待、後ローエン執事の食えなさ具合を書きたかっただけです。
とはいえ、情報少ないのでやはり難しい……アルヴィンの各キャラへの話し方を早く知りたい今日この頃。PVや体験版はまだかー!!orz