思いもよらないわけでもなかった。
しかし、だからといって後を追ってくるとも思っていなかった人物の姿に、ユーリは床に這いつくばったまま、扉の入口のレイヴンを見上げた。
軽薄な笑みとひょうきんな雰囲気は相変わらずで、手には鉄笠と弓。それはここ数日、夜に酒場に入っていく時の彼が持っているもので、それらを含めても彼には全く変化というものが見えない。側近の男が、ややうわずった声で叫ぶ。

「お、お前、昨日の……!!」
「おっ、流石に酒が回ってた頭でも俺のことは覚えられてるか。いやぁ、そっちの方は覚えられていて、逆におじさんを覚えられてなかったらどーしようか思ったわー」

周辺で倒れている男達を仕留めた弓を見せつつ、彼はひょいと肩をすくめると、酒場へと足を踏み込ませ――軽い様に見える動作で、鉄笠を置き去りに天井まで跳躍。その足元で、巨漢の拳が唸りをあげて鉄笠を吹き飛ばす。距離をあける形で着地した木のテーブルの上でレイヴンがしゃがみ込むと、痩せこけた男の唱えた術が幾つかの真空波となって彼の上空を通り過ぎていく。
そのまま地面へ転がると、狙っていたかのような速さでウムラウトの巨大な二つの拳が、レイヴンの目の前の地面を穿つ。しかし、その次の瞬間には、男が悲鳴を上げる。彼の両手には、いつの間にか小型ナイフがしっかりと突き刺さっており、そこから零れおちた血が、薄汚れた酒場の地面を赤黒く染める。間一髪で攻撃を逃れたレイヴンが、酒場のカウンターへと身を投げ込む。

「くぅぅっ、お前までちょこまか」
「おーい、いい加減に猿芝居は止めにしようや」

痩せた男の苛立たしげな声を無視して、レイヴンが涼やかに言い切る。訝しがるユーリやウムラウトなどお構いなしに、彼の淡々とした声が酒場に響き渡る。

「確かに数ヶ月くらい前、ギルドによって制圧された盗賊団は存在したそうだ。そしてまた、ここ一か月ほど前に盗賊団がギルドへと転身し、現在は酒場荒らしとしてもっぱら有名、というのは確かだ。だが――何故、盗賊団を名乗っていた奴らがギルドになった? そもそも盗賊団、っていうのは盗みを働いてなんぼの"集まり"。そいつらが何故、ギルドという"組織"をやってる?」
「はぁ? 手前、何を言って」
「現在の首領と言われているウムラウトは、実際に盗賊団の首領の名前だそうだ。だが、奴の側近の名前を知ってるのはいるか? ああ、それからもう一つ……一か月くらい前、別のギルドに所属していたとある男が、危険な人体実験やらを始めて仲間を殺ったそうだ。んで、そいつは処分を恐れてかギルドより逃亡。一応理由は別だが、賞金もきっちりかかっているそうだぜ。ちなみにそいつの得意技は――状態異常と術を交えた、相手を"策に落とす"戦術」
「だから、何を」

ウムラウトが両手を押さえながらも、レイヴンのいる方向へ顔を向けようとして――彼の体が、斜めに傾き、ユーリのすぐ傍で倒れる。背中にははっきりと、詠唱術による斜めの斬撃が入っている。裂けた背中からは血が溢れ、彼の手から零れる血と交わり、赤く大きな水たまりが出来あがる。温かくも冷たくもないねっとりとした感触が、地面に手をつくユーリの手へと伝わる。

「全く、馬鹿は単細胞だから扱いやすいと思って隠れ蓑にしてたんだがな。……あんた、いつから気付いた?」
「最初から、さ。特に宿屋を覗いている姿を見た時には、ほぼ確信してたんでな。小心者なら"首を適当に左右"に動かすのであって、"殺気に反応して顔を上に向ける"はずないだろう? というか今回はぶっちゃけ、酒場のお仕事はついでなんだよねぇ。賞金がやたら高いのを見て、家庭支える大将の為に、とりあえず働こうと思ったまでよ」

痩せこけた頬の男の言葉に、レイヴンは肩をすくめる。男は懐から手に持つことが出来る小さな鎌の様な武器を取り出しつつ、ひくりと頬をひきつらせ、目を細める。

「誘き寄せた、と?」
「タイミングがあまりにも合致しちゃってるんさ。盗賊団そのものが頭がいいのであれば、貴族とつながってるのが普通だ。が、そうでもないとすれば完全な入れ知恵でしかない。馬鹿だからこそ、少しでも頭の回転が良くてへつらいこく奴が側近として上るのは、"集まり"という集団心理の中では常識的だな。ま、組織だと実力半分だからそうもいかないとは思うが。だろう、"海凶の爪"に所属していた"クロウド"さんよ?」

普段の道化の様なレイヴンの声が、錆びた鉄の匂いが立ち込める酒場の中に響き渡る。男――クロウドは、レイヴンの説明に痩せこけた頬をさらに青ざめて、両目を見開いていた。
やがて――――壊れた人形のような哄笑が、その場を響き渡った。クロウドは、手にした武器を持ったまま、ただただ狂ったように笑う。
放置していたはずの痛みと眠気を、唇を噛みしめることで無理やり誤魔化しつつ、ユーリはレイヴンを見上げた。レイヴンの口元には、軽薄な笑みが相変わらず浮かんでいる。しかし、眼前を見つめる底知れない緑の瞳には、容赦のない殺気が含まれていた。

「こっちの容姿からお嬢ちゃんとの関連に辿り着いたのは、まぁ"海凶の爪"の内通者辺りかねぇ。姿が分かれば、そもそも目立つ容姿に加え、こういう小さな港町だ。最近、宿屋のレストランにピンクの髪をした女の子と黒髪の男がウェイトレスをやっている、なんて情報は簡単に手に入っちまう。ってか、こっちのリーダーとお姫様、姿に関する情報はおろか、そもそもあのギルドでは変に有名どころみたいだし?」
「そこまでお見通し、というわけか。折角、小者のフリをして機会を伺ってから、研究を進めようと思ったんだがな」
「研、究…………?」

訝しげに見上げながら呟いたユーリの言葉に、クロウドは唇の両端を吊り上げ、そして誇らしげとでも言わんばかりに両腕を広げる。

「エアルを自由に相手の体に流し込む方法さ。これを使えば、誰もが強くなり、簡単に魔物のようにさせることが出来る。今はまだ、相手の活力を抜き取りだすくらいにしか発展は出来ていないが……どうだ、素晴らしいだろう? これで、これで俺を妬んでいた連中を、全員見返せるんだからな!」

その言葉に。
ユーリは口元を軽く歪め、息を吐き出した。
同時に、先程まで沸き起こっていた胸のわだかまりがないことに気づき――――気づかされた。
"慣れてしまったから"。
ある意味でそれは昔から親友に指摘されたことであり、仲間の彼に言われた通り振り払ってきたものであり、そして今まで気づくこともなかった。ただし、何故沸き起こるか、という根幹までは理解できないが。

「はっ、下らなくて笑えてくるな、そりゃ……」
「何?」
「そう、だろ……。妬み、か……確かに、気づかねぇわ、な……何で浮かぶか、なんて、分からねぇ、が……」

ぼやくようなユーリの言葉を耳にしたクロウドが、彼の元まで歩み寄り、武器を持った手で胸倉を掴みあげる。ユーリが何も言わずににやりと笑うと、クロウドは憎々しげに彼を見つめ、やがて、その場に突き飛ばすと武器を構えなおす。

「まずはお前からだ! お前は、この俺を侮辱しやがった」
「後ろがら空きなのは昨日と同じ、ってか?」

呟きと同時に、首筋に冷たい物を感じたクロウドが、酷く冷やかな視線を背後に向ける。話の間に距離を縮めていたのか、小刀を首筋に押し当ててたレイヴンが、へらりと笑ってそこに立っていた。

「んで、話は終わり?」
「まさか」

その言葉に、レイヴンはほぼ反射的に男の首から刀を引くと、傍に転がっていたユーリの襟首をつかんで前方へと転がるように駆ける。次の瞬間、男を中心とした周囲の地面から、槍のような鋭い氷柱が経ちあがる。レイヴンは片手で弓を背に戻すと、同じように倒れているエステルをもう片方の腕に抱きかかえ、入り口とは違う扉の前まで後退。その場に二人を下ろすと、彼は立ちあがった。
ユーリが体を起こそうとするが、しかしレイヴンに頭を軽く叩かれ、彼は顔をあげた。

「まーまー、お前さんはそこで嬢ちゃん見てろって。そもそも、おじさん分の仕事がないと、まーたお前さんに夕飯抜きを言い渡されちまうしな」

軽薄な笑みをみせたレイヴンは、ユーリの頭から手を離すと、腰を落として素早く駆け出す。
狂ったような笑い声が戦場となった酒場の中に響き渡る。哄笑していたクロウドが、持っていた武器を構えながら突進。突撃してきた相手の鎌の攻撃を小刀を使って流しつつ、レイヴンが後退。構えなおした弓で反撃の矢を放つと、動かないで立っていたクロウドの体に、矢が突き刺さる。
しかし、クロウドはその矢を自らの体から引き抜いて哄笑を続け――にやりと、笑った。
瞬間、レイヴンの真下に一瞬だけ布陣が出現。ユーリには、それに心当たりがあった。エステルが倒れた理由で、自分もまた同じように隙を突かれ、今なお体を蝕む眠気の、その原因である術。
出現した布陣はあっという間にレイヴンを包み込み、霧散。同時に、弓を構えていたレイヴンの体が斜めに傾き、その場に倒れる。ユーリが目を見開き、動かない体であらん限りの声を上げる。

「レイヴンっ!」
「は、ははははっ! どうだみろ! 活力を減退させるだけで、どいつもこいつも動かなくなるんだ! だから、強い体があれば、もっともっと強くなれる! だから俺は、俺は研究を完成させて」
「インヴェルノ」

はっきりと術の名前が、哄笑を遮って響く。湧きあがった氷が瞬時にクロウドの体を、武器を、こぼれて地面を黒く染める血を、全てを氷柱の中に閉じ込める。ユーリが、何よりも閉じ込められたクロウドが、驚いた表情で、声の主へと目を向ける。
先ほどまで倒れていたはずのレイヴンは、ゆっくりと体を起きあがらせてから、服を軽くはたいて埃を払っているところであった。

「な……ぜ…………?」
「効かないかって? そりゃ状態異常を扱うっていうんなら、ま、何となーく対策は練ってあるわけよ」

そう言ってレイヴンが懐から取り出したのは、青い球体の埋め込まれた紋章――今回、金を稼がなくてはならなかった最大の発端である高価な道具――クローナシンボル。氷の中で、クロウドが愕然とした表情でそれを眺める。

「そ、そん、な……何故、そんな、物を……!」
「全ての状態異常や状態変化対応の物、っつーのは有名どころだろう。お前さんの情報を手に入れた時、たまたま裏の方で売られているのを見てな。おおじゃあ金稼ぎついでにまぁ丁度いい、とこういうわけだ。さぁて」

言うと同時に、レイヴンが背中に背負っていた弓を構えなおす。
動けずに蒼白な表情を見せるクロウドに、彼はやはり底知れない軽薄な笑みを見せた。

「そうさねぇ……どっかさんのギルドの台詞を借りるならこうだな。『不義には罰を』」

そうして放たれた"憤激の乱"による強力な一撃が、インヴェルノを素早く解除されたクロウドの体に突き刺さり、そのまま彼を木の壁へとぶっ飛ばした。


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