穏やかな風がすり抜け、木々のざわめきが心地よい眠りを奏でる。街に植えられた草花が風に揺られて、花びらを空に舞いあげるものもある。

「ずいぶん買い物をしたわね――私はこれで」
「そうよねー。やっぱ、人数増えたのが原因とか? ――あたしはコレねー」
「今日は装備品も買いましたから一杯です。――あ、じゃあわたしはこれでお願いします」
「でも最近持つ荷物が多いと思うんだけど……じゃあボクはこれ!」
「ま、女の買い物っつーのは数が多くてナンボだからねぇ。――んあ、じゃ、これよろしく」

陽光が眩しい開けたカフェテラスのテーブルを取り囲むように、彼らは座っていた。一人を除く全員が注文を終えたところで、店員は残りの青年へと向き直る。黒髪を軽く掻きながら経理の計算をしていた彼は、少しだけ悩んだ後に「水」と一言。彼の足元にいる愛犬は、テーブルの真下にある木陰で昼寝中である。
店員が苦笑しながらもメモにとってその場を去る姿を眺めてから、エステルは首を傾げた。

「ユーリは水だけでいいのです?」
「食欲湧かねぇからいい。そもそもお前ら、値段見ないで注文しただろ、大半」
「別に好きなの食べていいでしょ。他食べたくないんだし」
「え、でもほら、ユーリ、最近僕ら頑張ってるから好きなのでもいいよね?」
「おじさんのモットーは弱肉強食。頼んだもの勝ち。んで、値段見ながら今回は奮発してもらおうと思ったわけよ」

三者の返答にユーリがじとっとした視線を向けるが、見事にその軌道は逸らされる。ジュディスが軽く肩をすくめ、目を細める。

「そんなに切羽詰まってたかしら?」
「別にそう言うわけじゃないが……あるに越したことないだろ」

ピッ、と筆の末尾を告げる音をたてると、ユーリは経理帳をテーブルの上に放り投げる。興味深々の若者達が、テーブルに身を乗り出して中を眺める。

「あ、先週のこっそりとやった買い物が載ってる。あんた、知ってたの?」
「減り具合から察した」
「ユーリ、このクェッスチョンマークはなんです?」
「どこぞの誰かが少し金を落としたらしくてその分」
「う、ユーリ、あれには諸事情があるって言ったじゃんかー」
「だから疑問符にしてやっただろうが。大体、経理帳なんて誰も見ないから、オレが分かればいいようにしてるしな」

おおー、と声を揃える三人にユーリが呆れたような眼を向けると、ジュディスがくすりと笑う。

「誰も見ないのに見やすいようにマメにつけてるのね」
「説明材料あったほうが追及しやすいからな。――特に開き直るおっさん相手に」
「おーい、そこでなんでまーたおじさんの方に顔を向けるかなー……いやまぁちょっと色々つかってるけどねー……」

遠くを眺めるような目つきのレイヴンに、カロルとリタが揃ってため息をつく。

「だから出費多いのよね、きっと」
「そっか。じゃあボクたちが悪いわけじゃないね!」
「ちなみにお前らも出費多い方だぞ。魔導器、武器の購入、道具の大量買い。忘れたとかいうなよな」

半眼でぼそりと呟くユーリの言葉に、リタとカロルが揃って視線を明後日の方へ向ける。エステルとジュディスが楽しそうにほほ笑むのを眺めつつ、彼は経理帳を閉じ、変わりに新聞と地図を道具袋より引き出す。

「とりあえず、この後の行程の確認するか。一応、行き先決まってるとは言え、迷子じゃ洒落にならねぇし」
「迷子ねぇ……どっかの誰かさんの情報が間違ってなきゃ、でしょう?」
「情報集めしないリタと違って、ボクはちゃんと地道に集めてるから正確いったぁっ!」

軽く鼻を鳴らして胸をそらすカロルの頭を読んでいた本の角でリタが思いっきり叩く。ユーリはため息をつきつつも、透明な丸テーブルの上に地図を広げ、一点を指す。

「現状がここだから、次の街に行くには森を一つ抜ける必要があるな。ただ、日数で言うなら一週間、だったか?」
「うん。そっちの谷を通ると三日間で済むんだけど――――」

身を乗り出したカロルが、ユーリが指し示す場所から少し離れた地図上の谷を指差す。リタが椅子を後ろの二本足で立たせながら首を傾げる。

「じゃあ谷を通っていけばいいじゃないの」
「それが、魔物が凶暴なんだって。おまけに、谷の底には恨みつらみで死んでいった者達の怨念がこもった幽霊が、生きている人間を今か今かと待ち構えているんだってさ……!」

まぁ、と驚くエステルの隣、リタが少しだけ視線を逸らす。

「ば、ばっかじゃないの! そんな、非科学的――」
「いやぁ、幽霊っていうのは案外いるもんだぜ? 魔物にもいるだろう、足のないまま空中に浮いてる羽のない奴とか」
「過去の文献では、実際に幽霊が存在したそうよ。非科学的かは分からないけど、人の思いによって動く、という機械すらあったらしいわ」

否定するリタの言葉に、レイヴンが軽薄な笑みで後を続け、ジュディスが軽く肩をすくめる。と、エステルがぽんっと手を打つ。

「それじゃあ、もしも幽霊に出会ったら"お祓い"とかした方がいいのでしょうか?」
「"お祓い"?」
「『災厄を除くために神社などで行う儀式』です。フレンから騎士団での幽霊話を聞いた時に教えてもらいました!」

その言葉に、ユーリがぼんやりと母音の声を洩らし、手を軽く打つ。

「何々、ユーリ、どうしたの?」
「ああいや、騎士団にもそういうどたばた騒ぎが一度あったのを思い出してな」
「え、本当に幽霊?」
「だから、幽霊なんているわけないじゃないの!」

興味深々と言った様子で身を乗り出すカロルの頭をたたきつつ、リタが不服そうに唇を尖らす。ユーリは肩をすくめつつも、自らの記憶を思い出すように、広げた新聞を片手に持ちかえ、あいた指先を口元に当てる。

「確か最初は、騎士団の倉庫に"見えない何かがいる"っつー話だったな。どいつもこいつも笑い話だとか言って、その中で数人が倉庫へ度胸試しに行ったんだな。ところが、数時間経っても戻らねーってことで倉庫まで行ったところ、倉庫前でそいつらが全員気を失って倒れていて、おまけにやったら血なまぐさい。どうにか起こしてやっても、そいつらは倉庫に入ってからの記憶が一切ない、の一点張りだったわけだ」

ごくり、とカロルが息をのみ、リタが体を強張らせつつも話には興味があるのか耳をふさぐ様子はない。レイヴンはカロル同様に興味があるのか「それで?」と促しの言葉をかけてくるので、ユーリは頷いた。

「中に入ってみたが誰もいない。ましてや血の跡もない。ただ、血なまぐささだけははっきりと残っていた。それから、何人かが同じように度胸試しに向かったが、結果は惨敗。そのうち騎士団の中でも"倉庫には幽霊がいるんじゃないか"っつー大騒ぎになった。んで、何かその話が上の耳に届いたとかで、フレンに話が回ったらしい」
「貴方はどうしていたの?」
「ああ、それは続きなんだけどな……アイツ、俺にその話をするなり"お祓い道具ってどこかの神殿に行けばあるよね?"が最初だぜ」
「あ、確かユーリは呆れたんですよね。フレンが『普通に誰か犯人いるだろ、って言われた』と」

エステルの言葉に、不服そうに唇を尖らせていたリタが、少しだけ身を乗り出す。

「じゃあアンタ、犯人いると最初から思ってたわけ?」
「あのなぁ、状況からしてそうとしか言えないだろうが」
「それでそれで?」

話の続きを促してくるカロルに、ユーリは肩をすくめた。

「結局、数日の見張りとかでもって、犯人は、騎士団にいた研究員の一人だったんだが」
「な、何よ、そんなオチ」
「――――実はそいつ、数日後に牢屋の隅に倒れていたんだよ」

リタの声が途切れる。ユーリが小さく笑みを浮かべ、話を続ける。

「犯行内容は、単純に部屋の中へ入ってきた騎士団人達を、無臭の催眠薬の籠っている倉庫に少しだけ閉じ込め気絶させ、その後、血をある程度抜き取る、っていうことだったらしい。部屋や気絶している奴らが血なまぐさかったのは、その研究員が血を採取している時は倉庫の扉を完全に閉め切っていたのが原因だと。……犯人の研究員は、何で血を集めていたと思う?」

リタの方へとユーリが顔を向けながら首を傾げる。いきなり話を振られた彼女は戸惑った表情をするが、少し悩んだのち、呟く。

「……血が好き、とか?」
「まぁ惜しいな。何でも、そいつが好きだった女が"血"が好きだったらしい。んで、その頼みを引受けて、ずっと血を集めていたそうだ。だが」

そこで、ユーリは一旦言葉を切り、少しだけ考え込むような表情をしてみせる。カロルとリタがそれぞれごくりと息を飲む音が響き、ジュディスが半分ほど開いた目でユーリをみつめ、レイヴンもまた興味深々と言った様子でユーリを眺め、エステルはにこにこと流れを見守っている。
やがて、彼は口を開いた。

「そんな女はどこにも存在しない。戸籍上どころじゃない。下町とかそういうもんだいじゃない。そう、つまりそいつは、存在しない奴に――幽霊に唆されたんじゃないか、って……。そう、例えば夜遅くにでも肩に手を置かれて振り返ったところに、その女の青白い顔が」


ぽんっ


「お客様、料理をお持ちいたしまし――」
「「きゃあああああっ!!」」

揃いに揃った悲鳴があがり、リタとカロルが椅子をひっくり返す。
一方で、ユーリの方は二人を眺めて腹を抱えてながら大笑いをしている。胸をなでおろすレイヴンとジュディスが首を傾げるのを見上げ、エステルが苦笑した。

「実はその研究員の人、"幻覚を引き起こす薬"を飲んでいたそうなんです。それで、数日間飲まなかったために呼吸困難に陥って牢屋の隅で倒れていたそうで……フレンがその後は大騒ぎだったと言ってましたけれど」
「というか、何で幽霊話なんだ?」
「ああ、まぁ単純にそういう単語が出たから、他の奴らに話をする時に怖がらせる名目でそういう風な呼び名になっただけだな。幽霊、っつーから本当に幽霊が存在した、って話じゃねぇよ」
「なるほど。エステルちゃんは、あの金髪の彼から聞いたんだよな?」
「はい。でも、話す前に『これって怖い話じゃないですから、楽にして聞いて下さいよ?』と念を押して言われましたけど」
「つまんねぇな。こういうのは驚かせてやるのがいいのに」

肩を竦めるユーリの話を聞いていた店員が、どうにか事情を察すると、憐れそうにひっくり返った椅子を直しているカロルとリタを眺めながらテーブルの上に食事を置いていく。経ちあがる湯気が鼻孔を掠めて食欲を湧き立たせる。
どうにか起き上がったリタが顔を赤くしてユーリを睨みつけるが、彼はどこ吹く風と言った様子で、貰った水に口をつけている。

「も、もう……あーもームカつくっ!」
「ちょっ、リタ、それボクが頼んだやつー!!」
「二人とも、そんなに暴れたらお皿がひっくり返りますよー。あ、ユーリ、少しどうです? このスパゲッティー美味しいです」
「おおっ、なら嬢ちゃん、俺にそれ、一口。あ、その巻いたやつをそのまんま突きつけて――――ってのわっ!」
「っん…………まぁ、いいんじゃないか」
「あ、じゃあもう少しどうぞ。わたし、全部食べきれないと思うので」
「おおいこら待て青年、おじさん押して食べるとは良い度胸だな、おーい」
「弱肉強食がモットーだったんじゃないのか、アンタ」
「前は前、今は今。少しは共用という志をだな」
「おっさん、貰うわよ」
「んー、嬢ちゃんかジュディちゃんならいいけど、お前さん――――おおいこら、勝手に全部食おうとするな、おーい!」

どたたばとした食事光景が、のどかなカフェテラスの元で伺える。
白い紙に青い絵の具を一面に垂らしたような何処までも続く快晴に、彼らの声が響き渡った。


昼下がりのカフェテラスで


(「じゃあ、さっきの店員の後ろに見える白い"アレ"は気のせいかしらね」
 大騒ぎをしながら食事をしている仲間達を眺めつつ、ジュディスはさらりとそんなことを呟くのだった。)

080815/本編でリタとカロルは怖がりだといいなーとか思った話。実際に予想通りの怖がり具合だった上に、非化学云々の称号を取った時には思わず笑った。ちなみに不思議系の話じゃなくてほのぼのにしようと思って失敗したという。