ああ、我らを包むすべての憂鬱よ。
汝らの退屈が世界に狂気を蔓延らせるのだろう。
汝らの悪意が人間やポケモン達を傷つけるのだろう。
我らは我らの道を行く。
例えそれが何かの禁を破るのだとしても、それこそが世界の真理である憂鬱を見るすべなのだろう。

死神と魔女は顔を合わせるなり殺し合いを始める。
未熟な帝王は血に飢えた欲望を抱え込む。
魔女の嘲笑は人の死を望む。
死神の嘲笑は人の死を誘う。
そうして、真なる炎の帝王は再び同じ場面へと足を踏み入れる。


我らが憂鬱の狭間で、世界はそれでも動き続けているのだ。
――――それは、完全なる気まぐれの中に。






体がひどくだるい。
熱に浮かされた感覚を帯びるのは久々すぎて、テイルは苦笑した。朝起きた時は平気だと思ったはずの矢先、階段から落下して現在はベッドの中にいる。
なんとも間抜けな自分に苦笑していると、扉を叩く音が彼の意識を現実に引き戻す。部屋の中にいる彼の合図を待たず、部屋の中に人が入ってくるのが見えた。
ぼんやりと薄れた視界の中で、見えたのは白く細い足だった。顔を横に向けて視線を下にしているため、顔が分からない。
いつもの見慣れた少女だろうか。そう思い、彼はゆっくりと体を動かして目線を移動しようした。すると、部屋に入ってきた者は彼の傍に近寄ると、その場に膝をつき、

「久しぶりね、テイル君」

その声に。
テイルは素早く身を起こそうとしたものの、体には思った以上の負荷と熱のだるさで咄嗟の反応をすることが叶わなかった。
毛布をかぶった腹部の上から何かがのしかかる感触に、特に気にもせず露骨な嫌悪の表情をすると、腕――というよりも体全体を軽く乗せたその女性は、にこりとほほ笑んだ。

「シャドウ君に頼まれて面倒みる様に言われたんだけど、何をしたらいいかしら?」
「なにもない。とっとと帰れ」

心の底から兄貴を今すぐにでも罵倒したい心地になりつつ、テイルはきっぱりと言い切った。
すると、女性はほんの少しだけ考え込む表情をして――手に取ったのは、傍の机上にあった解熱剤と水の入ったグラス。
そういえば出かける前に兄が置いていったことを脳の片隅に思い出す。しかし、それを思い出すのが遅かったと気づいた時には、すでに彼女の顔がはっきり見えた。
潤いをまとった柔かな唇が重なる。
体力の低下のために抵抗をする間もなく、なすがままに薬が含まれた水を口うつしで飲むことを促され、息ができなくなる。嫌悪感で飲むことを拒むと、唇の隙間からこぼれる水が服の中へもぐりこみ、汗と変わらない湿気になる。
暴れるほどの体力も気力も奪われているような心地と同時に、生理的に飲み込んで喉を伝った水分の心地よさが混ざり合う。
彼女の唇が離れた時には、丁度弱弱しく腕を振い、空を切った後だった。

「あら、駄目だったかしら? 疲れてるように見えたんだけど」

くすりと笑って平然と言いのけるその姿に苛立ちを感じた物の、しかし行動に移行するほどの体力がないのは事実だった。
さらに言えば、現在、テイルはポケモンを持っていない。丁度、協会におけるポケモンへの定期診断期間だったので、出かけることが出来ない今にと、彼の兄にお願いして行って貰っている。
肩でどうにか息を整えると、テイルはなるべく伏せ目がちに睨みを利かせる。

「出ていけ」
「シャドウ君から、手持ちがなくて何かあったら困るから、って言われたんですもの。今は時期的に狙われる可能性があるし、もしそうなら困るでしょう、今の状態のテイル君だと」

女性の言葉に、テイルがさらに嫌そうな表情をする。対して、女性は軽く肩をすくめると、

「――それとも、セイナちゃんを呼ぶ?」
「ふざけるな。アイツを……危険に晒すもんか……」

低く呟かれた言葉にきっぱりと返答すると、彼はどうにか体を起き上がらせる。
ぼんやりと見上げた視線の先に見える女性は、青いお河童の髪を軽く揺らし、口元に笑みを浮かべて、深く澄んだ青色の瞳をじっと向けてきている。
それを忌々しそうに見上げてから――テイルはベッドにそのまま倒れこんだ。無理に考えこもうとした思考は既に停止を促しており、体がさらに重く感じる。

「…………変なことをするなよ」

それ以上、口を開くこともなく、彼は、メイミという名の女性の前で意識を放り投げた。



「テイルが風邪!? しかも協会のお偉いさんが狙われまくっているこの時期にかよ?」
「うん。無理が祟ったかなぁ。だから、ポケモンの健康診断なんだけど、後の方はエメラルドにお願いしようと思って。僕は早く家に戻ろうかなって――」
「あー、そりゃいいけど、その……」

言葉を濁したエメラルドに、シャドウは首を傾げた。銀色の髪をくしゃくしゃと掻き、彼は視線を少しだけ泳がせつつ、懐から一枚の封筒を取り出し、

「アゼルからシャドウ宛て。普段なら、明日とかにでもいいんだけど、その、急ぎだろうってアゼルが……わりぃ。問い詰めたら、アゼルが渋々教えてくれて……」

シャドウのくれない色の瞳に、ほんの一瞬だけ、殺意が浮き上がったまま、封筒の中にあった任務書を眺める。エメラルドがびくりと体を震わせるときには、既にシャドウが珍しく溜息をついているところだった。

「いや、いいよ……そうだね。"白の組織"の残党、しかも、あの"偽者"が生きて指揮をとってるなんて……――ふふふっ、本当に良い機会だ。最近の犯人も、彼らの仕業?」
「らしいぜ。襲われた奴らから巻き上げた情報を売りさばいて、逃走資金にするのか、はたまたもう一度組織をやり直すのかは知らないけど」
「させないよ、そんな事」

ぺろりと。紅色の舌が唇を軽く這い、口元が僅かに三日月を描く。紅色の目元は憎悪の色を帯び、傍にいたエメラルドは軽く体を震わせて、一歩彼から離れる。

「と、ところで、シャドウ。やる気になってるのはいいけど……テイルの方、どーすんだ? あっち狙われたら元も子もないというか」
「あー……セイナじゃ、駄目?」
「むしろ『セイナを危険な目に合わせることになる!』って騒ぐと思いますけどー……大体、戦力にならないだろ」

呆れて肩をすくめるエメラルドに、シャドウはいよいよ困った表情をする。目の前の彼のあまりにも真剣な顔つきに、エメラルドも拍子抜けといった様子でまじまじと真剣な彼を眺め、

「それなら、私が行ってあげた方がいいかしらぁ?」

声に二人が振り返った先。青いお河童の髪にいつも笑っている女性が立っている。
見慣れた女性の姿に反応を返したのはエメラルドだった。

「あー、まぁそうなんだけど……多分、テイルが怒ると思うかな、とか?」
「えぇ、命狙われて大変な状況じゃないのぉ」
「そりゃそーだけど……。大体、メイミじゃテイルの護衛っぽいことは無理じゃないか、と……な、なぁ、シャドウ?」

そう言って、判断を仰ごうとしたエメラルドは、すぐさま自分が話題を振った相手を間違えたと悟らざるを得なかった。
顔を合わせた二人には、確かに口元に笑みが浮かんでいる。しかし、向ける瞳の奥がひどく底冷えしており、相手を寄せ付けない空気をまとっている。
協会の"虐殺の死神"と"嘲笑の魔女"。エメラルドの脳裏には、二人を的確に表したそんな別名が思い出された。

「僕は――嘲笑の魔女を家に入れるのは賛成しないね」
「あらぁ、奇遇。私も――虐殺の死神を家に招こうとは思わないわ」
「それは嬉しいほめ言葉だ。そういう訳で、他に誰かいないかな?」
「アゼル君は貴方の受け取った指令の組織の情報整理で手一杯。クールさんはもう行ってしまったそうよ。他の四天王でも、シュウ君じゃ、戦力にならないのは貴方も知っているでしょう? カオスさんは気まぐれすぎるもの。守るのは"シュウ君"と、後はあの人の大切な"女"だけ」
「ああ、その通り。じゃあ他」
「貴方も分かる通り、協会の実力者で手が空いてるのは私だけ」
「それは最悪だ。酷く嫌悪したくなるね。さっさといなくなってくれない?」
「私も嬉しいわ、貴方にそう言ってもらえて。さっさと消えてくれないかしら?」

笑顔のまま繰り出される舌鋒は止まることを知らず、ただ二人の間に殺意の火花が音を立て、空間を歪めていく。
エメラルドはただ息をのむしかなかった。
そして分かった。
目の前の二人の"化け物"は、自らの信頼する者以外の全てを、塵としか見ていないことを。
――――やがて、終止符を打ったのは、立場で言うならあまり手立てのないシャドウだった。

「エメラルド、彼女を僕の家に送って行って。それから、ポケモンたちの方をお願い」
「そりゃいいけど…………いいのか、シャドウ?」

エメラルドの言葉に答えず、シャドウは肩をすくめると、手にしていた書類をぐしゃりと握りつぶし、メイミのすぐ目の前にやってくる。

「先に、僕は言っておこう。――メイミさん」

初めて言ったような気がしないでもない、相手の名前を呟くと、彼は紅色の瞳と唇が三日月を描き、

「僕は君が大嫌いだよ。テイルの件がなければ、一刻も早く僕の前から消えてほしいね」
「私も貴方が大嫌いよ、シャドウ君。テイル君なんかよりも私に似てる貴方は――吐き気を覚えるくらい気持ちが悪いわ」

青色の瞳と紅色の唇を三日月に描いた魔女の唇が、死神に向かって平然と毒を吐きだした。


嘘付き達の嫌悪


(魔女は死神を嫌う。何故なら、魔女が欲しがる魂を死神が掻っ攫って行くからだ。
 死神は魔女を嫌う。何故なら、死神が求める魂を魔女が食い荒らしてしまうからだ。)

080518/メイミとシャドウのものすんごく険悪な物を書きたくなって書いたもの。思った以上にこの腹黒どもは仲が悪いようです。
ちなみに続くかどうかは気分次第! 憂鬱シリーズ第一弾とか称したらやる気出るかなぁ……(ぇ) とりあえず加筆した割にぴんと来ないorz