先に切り込んできたのは、スフォルツァンドの方だった。

「先手必勝だぜ! アイリス、ネイロ、猫だまし!」

 ぱっと飛び上がってきた二体のマニューラが、ウインディとラプラスのすぐ目の前まで、ひとっ飛びで移動する。ぐっ、と身体を一瞬堅くしかけた手持ちに向かって、アゼルが叫ぶ。

「守る」

 同時に、ウインディとラプラスの目の前に薄い壁が出来上がり、二体のマニューラを吹き飛ばす。空中でマニューラ達が体勢を立て直した時には、アゼルの手持ちポケモンは次の攻撃準備が出来ていた。

「ラプラス、凍える風!」
「アイリス、ネイロ、左右に避けろ!」

 固まって落下しようとしていたマニューラ達に向かって、冷気を含んだ風がラプラスの口から放たれる。それを左右に避けたマニューラ。しかし、次の瞬間、避けるタイミングを見越していたらしい片方のマニューラ――アイリスに向かって、大型な炎ポケモンの素早い突進――神速が決まる。
 アイリスの身体が更に空高く吹き飛ばされる。相方が吹き飛ばされたことに意識を持っていかれたもう一匹のマニューラ――ネイロが、思わず、対戦相手であった二体から目を逸らし、アイリスの行方を目で追おうとする。
 その隙を、アゼルが逃すはずもなかった。

「ラプラス、もう一匹にハイドロポンプ!」
「! ネイロ、上空へジャンプ!」

 間一髪のところでネイロが激流を避ける。しかし、

「逃げているだけで勝てると思うな。ウインディ、フレアドライブ!」

 命令を受けたウインディの身体が炎に包まれたかと思うと、攻撃を避けて、僅かに安心した隙を見せていたネイロの身体を吹き飛ばす。効果抜群の炎技に、マニューラが悲鳴を上げて地面にたたきつけられる。

「ネイロ!」
『おおっと、協会四天王アゼルの猛攻に、スフォルツァンドは押され気味! というか、展開早いわねー』
『アゼル君は高威力を叩きこむのが好きだからねぇ。早くて高威力の技が猛ラッシュで決まれば、当然、押し負けるしかない。――ただね』

 そこまで言って、実況者のレジェンは、ちらりと、上空を見た。
 次の瞬間、先程更に空高く吹き飛ばされたはずのアイリスが、ネイロを地面に押さえつけているウインディに向かって突進。降下のスピードを用いて、ウインディにぶつかると、そのまま足蹴りを決めて一気に吹き飛ばす。
 吹き飛ばされたウインディはなすすべもなく、近くの壁に勢い良く叩きつけられ、そのまま目を回して倒れてしまう。一方で、ウインディから致命傷のダメージを負わされたはずのネイロが、パッと起きあがり、ぷるぷると首を震わせる。

「!」
『な……なんということでしょうか! 先程まで優勢だったはずのアゼル君のウインディが、せ、戦闘不能になったぁー! しかも、スフォルツァンドのマニューラは二体とも無事です!』

 観客の歓声と困惑の声が一気に膨れ上がり、会場を満たす。アゼルは思わずフィールドに立ちあがっているマニューラの二体を見つめた。良く見れば、ネイロの腕には『気合の鉢巻き』が、アイリスの手首には、丁度切れてしまったらしい『気合のタスキ』の残骸がひらひらと踊っていた。
 驚くアゼルに、スフォルツァンドは上機嫌な様子で鼻を鳴らし、びしっと彼に指を突き立てる。

「ふっふーん、アイリスのカウンターだぜ。悪いが、俺を逃げっぱなしの弱い奴だって思うなよ! 相手のすきを狙って、攻撃の機会を伺っていたのさ!」
『ですです! そもそもお姉さまは強いのです!』
『っていうか、舐めすぎなのよ、相手の奴。そんな高飛車な相手に、このアタイが負けるかっての。フォルも、もう少し相手に強気で臨みなさいよ』

 身軽な調子で二体のマニューラがフォルのすぐ傍に戻ると、ネイロとアイリスがそれぞれ挑発のような言葉を投げてきた。――そのように見えるのではなく、アゼルの耳には、はっきりと相手のポケモン達の悪口が聞こえてきた。フォル、というのは恐らく、対戦相手の少年スフォルツァンドの愛称だろう。
 一般人には、ポケモン達の喋る声と言うのは聞こえない。表面的なニュアンスは――馬鹿にしていることや、怒っていることや、喜んでいることなど――伝わるかもしれないが、その喋っている詳細までは分からない。しかし、アゼルには相手のポケモンがなにを言っているのか分かっていた。それは彼自身が持つ"血"の働きによって伝わってくるものだった。そしてその会話の内容は、当然ながら、アゼルだけが分かるものでない。
 ボンッ、というボールの開閉音と共に、アゼルのボールホルダーから一体のポケモンが飛び出してきた。漆黒の闇を連想させる布のような身体、首と思しき部分には紅い球が数珠つなぎになっている。先が淡いピンク色をしたその幽霊ポケモン――ムウマは、ボールから勝手に出るなり、マニューラ二体を紅い瞳できっと睨みつけた。

『くっそーそっちこそ舐めすぎだよ! いっとくけど、これはハンデなんだよ! 僕が出たらこってんぱんにしてやる!』
『むむー、誰です?』
『ほっときなさい、ネイロ。ああいう馬鹿を相手にしてもしょうがないわ。なによりあのムウマ、進化してないじゃない』

 首を傾げるネイロの隣で、くすくすと笑うアイリス。それが更にムウマの怒りをさらに煽ったようだ。今にも飛び出さんとばかりに、唸り声を上げて、相手のマニューラを睨み据える。

『くうううっ、進化してないとか馬鹿にして! 今すぐにでも滅びの歌を歌って――』
「その辺にしておけ、ルシフ」

 名前を呼ばれたムウマがくるっと主人の方へ向き直った。

『で、でも坊ちゃん、アイツら……!』
『坊ちゃん!? アンタ、マスターの事を坊ちゃんって呼んでるの!? ニャハハハッ、傑作だわ……! ニャハッ、で、でも確かに、お坊ちゃま、って感じはするわよねー、その主人……ニャハ、ニャハハッ!』

 ムウマの主人への呼び方にツボったらしいマニューラのアイリスが、腹を抱えて大爆笑をし始める。全く状況がつかめない観客は、目を、不思議な状況下にざわざわとし始める。
 恐らく、マニューラの主人である少年も、事態を掴めずに呆然としているだろう。そう思ったアゼルは、マニューラからその後ろで腹を抱えているスフォルツァンドを見つめ、

(……腹を抱えている?)

 瞬間的に、違和感と嫌な予感。顔を上げたスフォルツァンドは――酷く可笑しそうな表情でアゼルを見つめて、

「へー、お前、坊ちゃんって呼ばれてるんだ……! なんか、確かに俺くらいの低い身長だし、雰囲気はそれっぽいよな……!」

 くすくすとした喋り方だったので、恐らく、会場にいるものはほとんど聞こえなかっただろう。
 しかし、前後の様子を見ていた自分のベンチ側からもくすくすと笑い声が漏れてくる。じろっと振り返れば、メイミとファントムが肩を震わせており、シュウとアイルズはカオスから丁度話を聞いたところのようだったが、やはりこちらを見て吹き出しかけていた。カオスは既ににやにやと笑っていて、このまま放っておけば、また無駄な事を言い出しかねない雰囲気だ。
 本来、アゼル自身は戦いに私情を持ちこまないように心掛けている。怒りや焦りといったものは、特に、試合において見えるはずのものを惑わしかねない。が、流石にこれだけ大勢の前で大爆笑されるのは初めてであった。――そのためもあってか、彼の頭はふつふつと煮え切っていた。

「おい」
「お、おう!」
「……ただで帰れると思うな」

 笑いを何とか押し殺して顔を上げたスフォルツァンドに、アゼルが怒りをにじませた鋭い声を投げる。流石の彼も、自分の対戦相手が放つただならぬ気配に押されたか、笑い声を引っ込めてぎくりと肩を震わせた。その様子を、実況の女性、ヴィエルが不思議そうな表情で眺める。

『んんー? 何やら私達には見えないところでポケモン&主人同士の対決があったご様子ですがー?』
『とりあえず、そっちは決着付いたみたいだねぇ。体勢を整えているし』
『みたいね。――さてさて、四天王アゼル君! 使用出来るのは残り2体ですが、次の一匹は?』
「戻れ、ウインディ」

 いつの間にか呼び方が変わっている司会の言葉に、アゼルは溜息をつくと、気絶しているウインディをボールに戻した。それから、すぐ傍で威嚇の声を漏らす幽霊ポケモンを振り仰ぐ。

「行け、ルシフ。ボールから出てきたからには、きちんと仕事しろ」
『任せて坊ちゃん! アイツら、絶対にコテンパンにしするよ!』
『坊ちゃん……! ニャハッ、もう、マジで可笑しい……!』
「げらげら笑っていていいのか、そこのマニューラ。お前の隣は、まだ戦える状態か?」

 ルシフの言葉に再び笑いかけていたアイリスが、アゼルの言葉で笑うのを止める。そして、反射的に隣に立っている妹マニューラの方に顔を向けた瞬間、その身体がゆっくりと前のめりに倒れる。

『ネイロ!?』
「なっ!? で、でもまだ、対戦が始まってるわけじゃ」
「先程のウインディの攻撃、フレアドライブだけだと思ったのか? だとしたら、貴様の目は節穴だな」

 ふんっ、と鼻を鳴らすアゼルに、フォルがぐっとうめき声を漏らす。

『あらあら、さっきのはフレアドライブだけじゃないのね。レジェンさん、どういうことですか?』
『アゼル君は、フレアドライブでマニューラを吹き飛ばす際に、鬼火を打つようにも指示していたみたいだね。結果、フレアドライブの効果か鬼火の効果かは分からないけど、今のマニューラは火傷状態になり、結果としてダウンしちゃったわけさ』
『なるほど〜。流石、四天王。技一つをとっても、色々と考えた攻撃になっているんですね!』

 実況がしっかりと解説していることに、アゼルはやや小さくため息をついた。
 一方で、気絶したマニューラをボールに戻したフォルは、平然としているアゼルを見つめる。そして、にししっと笑った。

「さんきゅーな、ネイロ。へへへっ、やっぱしバトルは、こうじゃないと面白くないもんな!」
「まだ勝つ気でいるのか」
「あったり前だろ! ポケモンバトルは最後まで分からないんだぜ――ギガ!」

 ボールから出てきたのは、鋼鉄のペンギンだ。ほこ先の様な頭の模様、堅く鋭い二枚のヒレを擦り合わせ、威嚇の咆哮を上げる。隣に立つマニューラは、既に笑うことを止めて臨戦態勢を整えていた。

「いくぞ、ルシフ、ラプラス!」
「勝負はここからだぜ、アイリス、ギガ!」


 試合の方は接戦が続いていた。
 間を一気に詰めたマニューラがムウマに切りかかろうとする。しかし、その寸前に飛んできたラプラスの冷凍ビームが阻止し、大きな氷の壁を作りだす。マニューラが壁を蹴って後退しようとした瞬間、氷の壁をすり抜けて飛んできたムウマが、マニューラにシャドーボールを投げつける。
吹き飛ばされたマニューラがそのまま壁に激突しかねない寸前、アクアジェットで飛び出て来たエンペルトが、マニューラをキャッチ。体勢を立て直した二体が、再び、ムウマとラプラスへ素早い攻撃を加えていく。
 第一試合、どちらも一歩も譲らず、一進一退の攻防が続いていた。


「それにしても、先程は一体何で笑っていらしたんでしょうかねぇ。相手陣営は、話の内容を理解していたみたいですが……ポケモンの言葉というのは、そう簡単に分かるものでしょうか?」
「俺に尋ねるなよ。フォルみたいな力のある奴が、向こうに最低一人でもいるってことか? というか、対戦相手のアゼルとかって彼も、なんか分かってたっぽいな」

 一進一退の攻防が続く試合を眺めながら。
 首を捻るロキの横で、オーディンは訝しげな表情で相手のベンチを見つめた。協会四天王の彼らは既に笑うことを止めて、目の前で繰り日遂げられている試合に目を向けている――と思ったのだが、実際に試合を見ているのは、アイマスクをつけた金髪青年と黒髪の少年二人、それに協会長の男だ。青髪の女性は何やら奥に引っ込んでしまい、フードで全身を覆っている人物は下を向いている。
 こちらのベンチは、フレイヤだけがポケモン達との調整をするためにベンチを離れているだけである。

(まぁ、フレイヤがベンチを離れた理由は調整じゃないけどな)

 思い当たる節はある。ベンチを離れる直前の、彼女の疲れ切った表情を、オーディンは知っている。そしてその理由も、何となく分かっている。
 が、今、ベンチを離れて彼女のあとを追ったところで、恐らくは何も役に立てないのだと分かっていた。それに、フォルのこともある。オーディンはゆるりと首を振り、ロキの方に顔を向けた。彼は訝しげな表情で試合を眺めていたトールに話を振っているところだった。

「ところで、トールはどう思います? 先程の会話」
「え…………ええまぁ、ポケモン自身が主人を呼ぶのに『坊ちゃん』と呼ぶのは、そりゃまぁ、不思議な呼び方をさせているものだなーと……」
「おい、それってさっきのポケモン達の会話、っていうか、向こうのベンチが笑っていた理由か? 何で分かる?」

 尋ねてきたオーディンに、トールがはっきりと失態の表情を見せる。「あ、いや、それは」と逃げるための言葉を頭の中で模索するが、咄嗟に振られた話に冷静に対処出来ない。助け船を出したのは、他ならぬ、会話を投げた上司だった。

「隊長。トールは実は、私の手持ちポケモンで会話が聞こえていたからそういうのですよ」
「は?」

 目をぱちくりさせるオーディンの目の前で、ロキはボールからポケモンを繰り出す。丸い球体のような身体に、小さな黄色のくちばしと二枚の翼、頭の先から長いとさかが生えている。大きな黒い瞳を、一度だけパチンと瞬いたそのポケモン――ネイティは、ちょんちょんと跳ねてから、ロキの肩に飛び乗る。

「最近捕獲したネイティなのですが、実はどうも、エスパーポケモンの一部は、他のポケモン達の会話を私達に分かる言語に翻訳し、特定の人間に伝える力があるのです。――まぁ、論より証拠。例えば」

 そう言って、ロキはネイティの目の前に指を立てると、その先を、フォルのマニューラへ向ける。オーディンもまた、そちらのほうへ目を向ける。マニューラは、まだ気合の鉢巻きで耐え残っていたが、既に精神力の方はぎりぎりのようであった。ムウマとラプラスの猛攻から一端距離を置く為に、マニューラはフォルのすぐ目の前まで飛び戻ってきていた。

「アイリス、まだいけるよな!」

 フォルがマニューラに声をかける。ロキが、ネイティの目の前で指を回す。次の瞬間、

『あったり前でしょ! アタシを誰だと思ってるのよ? アンタの相棒、アイリスよ! ギガ、分かってるわね?』
『分かってますよ、姐さん! オレっちが後方から二体を牽制するッス!』
『フォル、指示頼むわよ!』

 分かってるぜ、と元気よく答えるフォルの声など、オーディンの耳には残っていなかった。彼はロキを振り仰ぐ。ネイティは、ロキの肩でじーっと試合のほうを眺めている。もうポケモン達の会話は聞こえてこない。

「今のが……?」
「ポケモンの特性である"シンクロ"の力を上手く引き出してやると、こういった応用が出来ます。まぁ、まだ私の方は試作段階ですが。このネイティでは、もって精々二分が限界です」
「っていうか、技術的に分かってるなら最初からそう言えばいいだろ」
「まぁまぁ。科学者というのは、あくまでも先に疑問を提示する物なのですよ」

 ロキはそう言いながら、あまり瞬きをしないネイティの頭を優しくなでてやる。気持ち良さそうに目を細めたその小鳥は、手袋をはめたロキの手にすりすりと顔を寄せている。オーディンは珍しいものを暫く眺めていたが、ゆるく首を振って彼に尋ねる。

「じゃあ、相手の四天王達がポケモンの会話を分かっていたのは、今のその技術を持っているから、ということか」
「可能性はあるでしょう。もちろん、フォルのように特殊な力を持った者もいる、という可能性も含めてですが」

 そう言って、ロキはちらりと、トールと、そして、その奥で試合を無言で見つめている国王の方を見る。トールは視線を外したが、国王の方はそもそも見つめ返すことなく、試合に目を奪われている。
 反応のなさそうな二人から視線を外して、とりあえず、反応のありそうな方へ言葉を向ける。

「とりあえず、今はフォルが試合に勝つか負けるか、ということを気にしたほうがいいんじゃないですかねぇ。ちなみに、隊長はどっちだと思います?」
「……正直な事を言えば、アイツには、自分の今の実力をきちんと分かって欲しいところだ」
「曖昧な濁し方しますね。何か気になることでも?」

 オーディンの表情は、僅かに強張っていた。彼の視線は、フォルのボールホルダーの、更に横にひっそりとセットされているマスターボールに向いている。
 ロキは、小さく頷いた。

「まぁ、なるようになるでしょう。……一応、私は言いましたけどね」
「俺も試合前に言っている。……アイツがそれで言う事聞くなら、俺はもう少し苦労しないんだがなぁ」
「でしたら多分、苦労するんでしょうね。隊長の嫌な予感って、基本、当たりますから」
「勘弁してくれ」

 オーディンがぐったりとした声で呟いた瞬間、観客の声が一際大きくなる。
 視線をフィールドに向ければ、フォルのエンペルトとマニューラが黒こげになって倒れていた。対戦していたポケモンを見れば、二体のポケモンの身体から、バチバチッと電撃の余波が空中に撒き散らされていた。

『おおっとぉ! ムウマ&ラプラスの雷が、マニューラとエンペルトを一瞬で瀕死状態にー!』
『マニューラは気合の鉢巻きで持っていたようだけれど、流石にマヒ状態で起きあがる事は無理そうだねぇ。エンペルトに至っては、効果抜群の高威力技を食らったんだしね』

 実況者の男の説明通り、マニューラは身体を起き上がらせることなく、気絶したままぴくぴくと震えている。エンペルトの方は、もはや言わずもがな、ぴくりとも動かない。対戦相手であるアゼルが、フォルを鋭い瞳で見つめる。

「諦めろ。こちらは三匹、お前の手持ちは後一匹。今、こちらの場に出ている二体は、まだ体力をありあましているし、控えの一匹は無傷だ。――無駄な戦いだと分かっていても、お前は戦うことを選ぶのか?」

 フォルは即座に返答しなかった。じっと相手の青年を、戦意の失われていない瞳で見つめる。何度か口を開こうとして、しかし悔しそうに歯を食いしばる。震える手の先が、残り三つのボールの一つを選択しようとする。
 一瞬。彼の手が、ボールホルダーよりも更に後ろに伸ばされる。触れる程度に、少年の手が、マスターボールの上を滑る。
 しかしそれも一瞬だ。溜めていたらしい息を吐き出して、フォルはマニューラとエンペルトをボールに戻し、新しいボールに手をかける。

「最後まで勝負は諦めない。それが俺の、四天王スフォルツァンドとしての、強さだ!!」

 フォルの力強い宣言。オーディンとロキが、軽く顔を見合わせて苦笑し、肩をすくめる。
 そしてフォルが、最後の一体をフィールドに出現させようと、大きく振り被って――――。



  ドクン、という心の音が聞こえた。
  負けたくない、負けるものか。
  主人の声が聞こえる。
  強さが欲しい。誰にも負けない強さが。
  ああ、ああ、私の愛しいマスター。
  自分を囲う扉の向こうから伝わる主人の熱が、心を鼓舞させる。
  ああ、ああ、分かっています。
  強さがお望みなのですね、マスター。
  マスターはとても優しい心の持ち主。
  こんな自分でも守ろうとしてくれる、そんな人物。
  だからどうか、私のことを守らないでください。
  ――――いいえ、私が貴方の剣となりましょう、マスター。

  自分を囲う檻を破壊して、"ソイツ"は、草のフィールドに現出した。



 目の前で戦いの意思表示を見せたフォルがボールを投げようとした瞬間、彼の腰元から、ポケモンが出現する際の光がフィールドに伸び、同時に、開閉音。
ボールから"何か"が現出。
 と、同時に大きな砂埃と風が巻き上がり、アゼルは思わず顔を覆った。

『きゃっ!? な、何に!?』
『これは……!!』

 司会の二人の驚いた声に、アゼルは反射的に足元を見つめる。と、自分の上に大きな影が出来ているのに気づく。そのまま風と、開閉した際に発生する白煙が消え、アゼルはゆっくりと顔を上げて――言葉を失った。
 目の前に立っていたのは、巨大な獣だった。両肩に真珠を思わせる白い球体が埋め込まれており、鋭い爪とつま先が生えている薄紫色の身体は、鎧の様な作りにも見える。背中に生えた堅い翼の様なヒレと、大きな尻尾を振りあげて、そいつは一度咆哮した。びりびりと空気や建物全体を震わせて、会場が一瞬、静まり返る。
 少なくとも"一般的なポケモン"ではないことなど、見ただけで分かる。呻くように、アゼルは呟いた。

「まさか……伝説ポケモンか?」
『空間を操る伝説ポケモン"パルキア"、よ。でもフォル、この試合で出しちゃっていいのー?』

 返答があったことに思わずびくりと肩を震わせるも、すぐさまアゼルは、自分の呟きに答えを返した司会者の女性に目を向けた。アイマスクを付けているために目元までは分からないが、どうやら呆れているようだった。フォルの方もまた、出すつもりでは(というか意図して出した訳では)なかったらしい。おろおろとした様子で、女性とベンチ側を見る。
 キングダム地方側のベンチでは、四天王達のリーダーと思しき金髪の男性が非常に不愉快そうな表情で頭を抱えており、右側を覆う仮面を付けた黒髪の青年は苦笑気味に肩をすくめている。ファンタジーっぽい服装の茶髪の青年と、国王は全く驚いた様子はない。――むしろ、この結果を知っていたかのような落ち着きぶりだ。
 ちなみにこちらの協会側のベンチは、シュウとアイルズ以外の全員が、別段驚く様子もなくあっさりとした表情で様子を見つめている。カオスに至っては、戦いたくてうずうずしているのか、やや身体が浮き上がって見えた。
 改めてアゼルが顔を上げると、フォルはおたおたとしたまま、申し訳なさそうな顔を向けてきた。

「いや、俺は出すつもりは、なくて、その、うーんと、えーと……アゼル、あのさぁ……」

 見上げるような視線を感じて、アゼルは溜息と共に頷く。

「……分かってる。今のはどう見ても"ソイツ"自身の意思で出てきたんだろう。戻すのは別に」
『いや、駄目だよ。一度ポケモンを出したら、ちゃんと戦わないと不公平じゃないか。――例え伝説ポケモンであっても、ね』

 遮るように却下の声をあげたのは、実況者をやっていたレジェンだ。問うような目を向けると、彼はことも何気に言う。

『普通の試合でも、相性の悪いポケモンを間違って出したので戻します、っていうのは出来ないだろう? フィールドに出たら、そのポケモンで戦わないと。ヴィエルさんもそれで良い?』
『うーん……双方のトップがオッケーならいいんじゃないかしら?』

 全く戸惑う様子もなく、ヴィエルは協会長と国王を見る。反応はよどみなく、且つ即答だった。

「構わない」
「私も問題はない」
『じゃあ、試合続行ー!』

 元気よくヴィエルが片腕を掲げるが、会場は混乱の渦になっていた。ざわめきが収まりきらず、好奇と興味の視線が、フォルとパルキアに注がれる。
 パルキアの方は超然としているのだが、問題はフォルの方だ。試合続行と言われたものの、どうしたらいいのか分からないからなのか、或いはこういった"物珍しいものを見る視線"に慣れていないからなのか、命令をしようにも出来る様子ではない。
 ムウマのルシフとラプラスは、とりあえず目の前にいる伝説ポケモンが醸し出す雰囲気に、少しばかり圧倒されている。逃げだそうとしたり恐怖まで感じていないのは、流石に伝説ポケモンぐらいなら"見慣れている"からなのかもしれない。
 アゼルは(この試合で何度目だかもう忘れた)溜息を吐きだす。そして、

「ラプラス、凍える風! ルシフ、シャドーボール!」

 主人の力強い命令に、二体が咄嗟に反応する。雰囲気にのまれかけていたラプラスとムウマの表情が一転、戦いに挑むポケモンの視線と雰囲気を取り戻す。寒々しい風と乱れ飛んでくる黒いエネルギー球体から逃げる様に、パルキアが上空へ飛び上がる。
 突然の事に驚くフォルに向かい、アゼルは当然のように言い放った。

「試合続行が言い渡されたんだ。伝説ポケモンを相手に黙っていたところで、やられるのが目に見えているからな。そもそも、そいつは本当にお前の言うことを聞くのか?
 ――どんなに強くとも、主人の言うことを聞かない伝説ポケモンは強くはない」

 アゼルのその言葉に、ぎろりと、パルキアが上空から彼を見下ろす。敵意のこもった伝説ポケモンの殺気に対して、アゼルは全く引くことなく睨み返す。と、

「パル!」

 名前を呼ぶと、パルキアは無言で、すぅっとフォルの目の前まで下りてくる。それはフォルの事を主人として意識していることを、アゼルに見せつける意味があったのかもしれない。少なくとも、知能が高いのは伺える。
 伝説ポケモンを従えるキングダム地方の四天王は、戦う意思が満ち満ちているパルキアを見上げて溜息をついた。それから、目元を軽くこすり、

「――パル、亜空切断」

 溜めのない、鋭い一撃だった。
 パルキアが振りあげた腕の先から放たれた斬撃が、体重のあるラプラスに食い込み、勢い良く吹き飛ばす。自分の背後に、気絶したラプラスが落下するのを見ることなく、アゼルは声を張り上げる。

「ルシフ、相手の攻撃を避けてシャドーボール!」「右側だ、パル! 大地の力!」

 アゼルの声に、フォルの命令が重なる。
 パルキアの攻撃を避けようと"右へ移動しよう"としていたムウマに、地面から吹きあがってきたエネルギーが襲いかかる。そのまま空中へ吹き飛ばされたムウマのすぐ目の前に、パルキアが立ちふさがる。巨大な腕が、にやっと笑うムウマを薙ぎ払おうとした瞬間、

「触るな、パル! 十万ボルト!」
「!?」

 ムウマを薙ぎ払おうとした腕の先から放たれた電撃が、ムウマに直撃。どころか、巨大な電気エネルギーに押され、草の生える地面にたたきつけられる。
 ふわりと、パルキアが主人の前まで再び戻ってくる。最初に登場した時と変わらない、全く無傷の伝説ポケモン。しかし、最初は優勢だったはずのアゼルの手持ちは、現在、劣勢に立たされていた。

「ルシフ!」
「進化の輝石のおかげで、まだ戦えるみたいだな。でも、やっぱり痛み分けは食らわないぜ。当たらなきゃ意味ないんだからさ」

 直後、がらっと瓦礫が動く音共に、ムウマがゆっくりと浮き上がってくる。体力はすでに限界そうだが、まだ、戦えないようではない。しかし、

(何なんだ、"コイツ"は……!?)

 アゼルは違和感を覚えた。
 目の前の少年は、確かに先ほどから対峙していた少年だ。しかし、こちらの動きを読む力が、格段に早い――早すぎる。行動パターンを読んでいるだけでは説明のつかない、"相手の心を読んでいる"ほどの早さで、彼の指示は的確だった。ムウマが攻撃を避ける方向を見切り、また、痛み分けをしようとしたムウマに触れないような命令をした。
 浮き上がるのがやっとのムウマをちらりと見つめ、アゼルは目を細める。

(こうなったら、道連れでパルキアを共に戦闘不能にするしかない。だが……)

 アゼルは、"紅く染まった瞳"のフォルを見つめた。彼は――――頷いた。

「――うん、道連れする暇はないぜ。さっきパルが、こわいかおをした。そのムウマはパルより早く動けない。道連れするよりも早く、パルの攻撃が決まるからな」

(まただ)

 こちらは何も言っていない。しかし、フォルはこちらの心の内を読んだように答えた。何かの特殊な能力だろうか。目の瞳が――先程までは金色だったはずの瞳は、今や、血の色を思わせるような暗く紅い瞳になっている。
 ちらりと、アゼルは司会者の方を見た。こちらは、先程までざわめいていた観客達を再び関心と興奮を見せる様に煽っていた。

『さぁ、盛り上がってまいりました、交流試合! アゼルのラプラスが続行早々、亜空切断でダウン! 更に相手の行動をことごとく身切った上で、フォル、的確な指示で一気に追い詰めます!』
『ついでに言うと、この間にパルキアがダメージを受けている様子はないから、無傷だしねぇ』
「どうするんだ、アゼル!」

 気分が高揚しているからなのか、先程よりも好戦的な声音で、フォルがアゼルの名を呼ぶ。対してアゼルは、フォルの声に答えることはなく、目を瞑り、自身の意識を奥深くへ――無にする。
 瞬間、目の前のフォルが目に見えて驚いた表情をする。見えていたはずのものが見えなくなったことに動揺し、反応が遅れる。同時にアゼルが、パルキアを指して叫んだ。

「ルシフ!」
「っ、パル!」

 ムウマがシャドーボールを乱れ打つのに遅れて、フォルがパルキアを呼ぶ。飛んできたシャドーボールを敢えて受けた上で、パルキアは渾身の亜空切断を放った。先程ラプラスを吹き飛ばしたよりも巨大な斬撃が、ムウマを壁まで吹き飛ばす。斬撃が消えた後には、フィールドの壁に大きなえぐり後と、気絶したムウマの姿があった。

『なんと……なんということでしょうー!! 先程まで追い詰められているフォルが、今度は1対1までアゼル君を追い詰めたー!』
「ラプラス、ルシフ、ご苦労だった」

 二体のポケモンをボールへ戻し、小さく呟く。アゼルが顔を前に向けると、フォルは"金色の瞳"で少しばかり自慢げに笑っていた。

「へへっ、どーだ。試合は最後まで分からないんだぜ?」
「――そうだな。そしてお前の言う通り、まだ、試合は終わってない」
「おう!」

 元気よく答えるフォルを、アゼルは目を細めて見つめ、

「……悪かったな」
「うん?」
「お前の事を見くびっていたことを謝ろう。そして――僕は全力で、お前を倒して見せる。伝説ポケモン"ごとき"に、僕は負けていられないんだ」

 アゼルが、四体目のポケモンをボールから繰り出した。
 淡い光に包まれて出てきたのは、鋭い牙と爪を持つ四足のドラゴンだった。全体的に鋭利な青い身体のそいつは、扇の様な大きく赤い翼を広げて飛び上がると、目の前のドラゴンに負けない咆哮をあげる。戦意をむき出しにした獣を前にして、パルキアもまた一歩も引く様子を見せず、敵のポケモンを睨みつける。

『アゼル君の最後のポケモンはボーマンダです! さぁて、この第一試合もいよいよ大詰め! 勝利の女神はどっちに微笑む!?』

 二体のドラゴンが、互いに睨み据える。二人の四天王が、互いに睨み据える。観客達の声がぴたりと止み、静寂が、闘技場内を包む。
 そして――――風が吹いた。

「ボーマンダ、流星群!」
「パル、亜空切断!」

 ボーマンダの咆哮と同時に、空中から高エネルギーを圧縮した隕石が幾つも落下してくる。それを迎え撃つようにして、パルキアが両腕を振るい上げる。
二つのエネルギーがぶつかり合い、そして、凄まじい爆発音と爆煙が会場を包み込む。力強い風がフィールドを中心に広がり、轟々と音を立てて耳の横を駆け抜けていく。
 やがて白煙が収まり、フィールドの全景が露わになる。
 穴ぼこだらけのフィールドは、いつの間にか炎が燃え広がっていた。恐らく、落下してきた流星群のエネルギーによって炎が生じ、それが草のフィールド全体に広がってしまったらしい。

 ――――そんな、灼熱地獄と化したフィールドに、ボーマンダは四足をしっかりと地面に下ろして立っていた。その目の前には、目を回して倒れているパルキアの姿があった。

『パルキア、戦闘不能!! よって、第一試合、勝者は四天王アゼル! ってことで、ポケモン協会四天王が一点先取ー!!』

 先程まで静まり返った会場の雰囲気から一転、爆音の様な歓声と拍手が湧きあがった。


*****


「アゼルが勝ったか」

 台所でお湯を沸かすテイルは、ぽつりと呟いた。
 居間の方では、女性達やポケモン達の歓声があがっており、どたばたと盛り上がっているようだった。と、台所の戸棚に寄り掛かっていたエメラルドが、苦い表情をする。

「ゲッ、アゼルが勝ったのかよ。あれだけ大見え切ったからには、負けると楽しいと思ったんだけどなぁ」
「アイツが負けたら、帰ってきたら腹いせに仕事を増やされるんじゃないか?」
「それも勘弁だぜ……」

 ぐったりと呟くエメラルドは、殴られてから数分後に起きあがっていた。しかし、現在もまだテイルと共に台所にいる。起きあがった当人曰く「移動するのが面倒」ということらしい。一応、居間と台所は一直線に繋がっているので、台所からもある程度テレビを見ることは出来るので、別段、支障はないのだろう。
 テレビの方では、それぞれの手持ちポケモンをボールに戻して、フィールドの中央で握手をするアゼルと、対戦相手の少年の姿が映っていた。その背後で、実況をしていたレジェンの解説の声が続く。

『今の試合のポイントは、ボーマンダの首に巻かれたこだわりスカーフと、ムウマの技、シャドーボールの乱れ打ちに紛れてはなった"おんねん"だね。こだわりスカーフは、同じ技しか出せなくなるけど、素早く動くことが出来るようになる。"おんねん"は、倒された技を使えなくさせる技。パルキアは亜空切断でムウマを倒していたから、さっき、ボーマンダと相対したとき、亜空切断は使えなかったわけだ。で、自分よりも早く動くボーマンダの流星群を直接受けてしまっては、流石のパルキアもダウンするしかない、ということ』
「しっかし、パルキアかぁ……なぁ、伝説ポケモンってそうホイホイそこら辺にいるもんなのか?」
「俺に訊くな」
「だって俺達の周りなんて、何だかんだ言って伝説ポケモンばっかりじゃねぇか」

 ドリップ用の紙と珈琲豆を準備しているテイルに、エメラルドがあきれ顔で言う。すると、彼は珈琲の分量を量りながら、ちらっとエメラルドに目を向け、

「ならエメラルド。俺達の周りの伝説ポケモン、上げてみろ」
「え?」
「俺がこいつの準備を終える前に上げろ。全部出たら、追加で何か作ってやる。――ワカナさんが好きなお菓子くらいなら、そんなに時間をかけずに作れる」

 その言葉に、エメラルドがすくっと立ち上がる。そして、懐からメモ帳を取りだすと、ぺらぺらとめくりながらチェックを入れ始める。真剣そのものの表情で調べにかかっている友人を見て、テイルは緩く肩をすくめた。


「ちなみに、後一分もしない内に準備が出来るぞ」
「それ早く言えよ、オイ! えーと……まずアイルズの――――」



【第一試合】モノクロ地方協会四天王 アゼル vs キングダム地方四天王 スフォルツァンド in ダブルバトル/草フィールド
 
→勝者:アゼル、(モノクロ四天王)1 対 0(キングダム四天王)





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