それは、とある男女による、とある昼下がりの電話会談であった。
「じゃあ…………ってことでいいかしら?」
「あぁ、僕は構わないよ。こっちも連絡しておこう。それで………………かな?」
「ええ。こっちもちゃんと準備しておくから大丈夫よ。それにしても、最近は停滞気味だったから、丁度良い起爆剤だわ〜! 流石ね、貴方は」
「ふふふっ、僕なんて大したものじゃないよ。あくまでも補佐、だからね。貴女の方こそ、その立場でありながらこんな話に賛同してくれるとは、思ってもみなかったよ」
「うふふっ、この私を見くびり過ぎですことよ。職権乱用っていうは身内のための言葉だと思いません?」
「あぁ、同意だね。――それじゃあ頼んだよ、ヴィエルクレツィア女王陛下」
「私も楽しみにしていますよ、ポケモン協会副会長のレジェンさん」
*****
モノクロ地方において、ポケモン協会とは、最も力を持つ組織の名称の一つである。
ありとあらゆる"ポケモン"関係に携わり、モノクロ地方において、この組織を知らない者はいない。
とりわけ、この組織を語るにあたって忘れてはならないのが『協会四天王』である。彼らは、他の地方にも存在する四天王と立場は変わらない物の、決定的な違いとして、協会専属のトレーナーであることが明確になっていることが挙げられる。
彼らは協会の仕事を主とし、組織の盾にも剣にもなる。協会四天王は地方における一種の明確な"強者達"であり、ポケモン協会に強い権限が与えられている理由とも言われている。その強さは誰もが認めるものではあるが、ここ数年、協会四天王の全員が実際にバトルを繰り広げる姿は公にされてはいない。
それは決して、秘匿されているからではない。ポケモンリーグの決勝まで勝ちぬく者は、年に最低一人は存在する。しかしそんな彼らは誰もが、試合の最初を担当する協会四天王で敗北してしまう。その為に残りの三人が実際に試合をする事など、ここ近年、公の場では一度もないのである。
「キングダム地方との交流試合、ですか?」
協会四天王のアゼルは、副協会長の言葉に半信半疑と言った表情をした。紫色の髪に、同じ色の瞳をした青年である。年齢の割に低すぎる身長のために、少年と間違えられることもある。それでも、彼が年に一度しかないリーグにおいて、挑戦者と協会四天王が戦う際のトップバッターであることを知っていれば、基本的に、彼の実力は明明白白である。
そんな自分よりも立場が上の男を前にして、アゼルは注意深い瞳を向けた。
「何か、条約締結などの目的が?」
「あぁいやいや、そんなことじゃないんだよ。そうだねぇ……君を動かすなら『協会の宣伝を目的としている』ということじゃ駄目かな?」
「はぁ」
曖昧な返答しか出来ないのは、内容が内容だからだろうか。或いは、今更取ってつけたように出てきた理由だからだろうか。もしくはその両方か。アゼルは受け取った資料に目を落とす。
「開催時期は一カ月後……随分急ですね……場所は、向こうのキングダム地方の主都。対戦するのは、互いの地方の四天王、及び、そのトップ……ここには、国王vs協会長と書かれてますが、協会長は了承済みなのですか?」
「うん、そうだよ。それどころか『久々に楽しいバトルが出来そうだな』って言って、結構乗り気だったからねぇ」
「そうですか…………ええと……バトルルールの決定は、当日執り行う……執り行う?」
「うんうん。バトル形式のシングル・ダブル・トリプルについて、それから地形もだったかな? まぁそこら辺は当日発表だから楽しみにしててくれると嬉しいな」
「はぁ」
もはや曖昧な返事くらいしか出来ないまま、アゼルはその後も注意深く資料を眺める。それ以降は特に交流試合そのものの深いルールは乗っておらず、当日までのスケジュールや注意事項といったものが記載されてあった。
「それで、僕ら協会四天王全員に、キングダム地方へ行け、と?」
「そうそう。あ、仕事の方は君のパパに全部引き受けてもらうから。安心して三泊四日くらい楽しんでくるといい」
何か突っ込みたい事を言われているのだが、ここで言葉を挟むのも下世話だろう(というか何か突っ込みたくない)。アゼルは目線を反らして曖昧に頷いた。と、
「なぁ、父さ」
「シュウ。折角だから今週くらいは僕の事を『親父』って言って欲しいなーって」
「えええっと……お、おや、じ……」
「なんだい、シュウ?」
「えっとさぁ……これ、ファントムさんやメイミさん、それにアイルズさんには許可取ったの?」
声を発した人物は、アゼルの部屋の客用ソファーにちょこんと座っていた。
黒い髪に黒い瞳の少年だった。彼もアゼルとは同じ背の高さだが、それに見合った年齢であり、そもそもアゼルよりも八つほど年が離れている。普段から被っている帽子を膝の上に置いた状態で、少年もまた、アゼルと同じ資料を目にしていた。その彼が上げた名前は、アゼルの除いた残りの協会四天王の名前である。
随分と機嫌の良い自分の父親に恐々と尋ねる彼――シュウに、その男はにこやかな笑顔を向けて、
「いいや、強制決定だから。副会長命令なら絶対だろう?」
「それって職権乱用だよね!?」
「まぁ、ファントムやアイルズは聞くだろうな。……あの女は知らないが」
「あ、メイミ君の方は大丈夫だよ。そこを考慮して、クールに参加してもらう訳だからね」
その言葉に納得を覚えるようにため息をつくアゼル。対して、意味が分からずにシュウは首をかしげた。
「どういうこと?」
「メイミ君はクールに並々ならぬ忠誠心があるのさ。あれはまさに信仰と言っても良い。……まぁ、その対象が最近彼の息子に移ってる件はともかく……とりあえず、クールが行くから彼女も行くはずさ」
「そういうもんなのかなぁ」
「そういうもんだ」
半信半疑と言ったシュウに、アゼルがもはや諦めきった表情で呟く。持っていた資料を副会長と名乗った男に返すと、緩く首を振る。
「とりあえず、ファントムは向こうにいる間、仮面とフードでいるように強制しないとな」
「何で仮面とフード!?」
「あれ、シュウは知らないのかい? ファントム君は裏の世界に精通しすぎているからね。表の顔で協会四天王である名前が出ているものの、戸籍とかそういったものは一切ない、いわゆる、存在しない人なんだよ」
「そ、存在、しない?」
あまりにも平然と言う父親に、シュウは先ほど以上に半信半疑な表情だ。普段から真顔で冗談を言う父親なので、今回の件ですら、もしかしたら即興で思いついたことを言っているように聞こえてくる。が、基本的に冗談を言う事はない協会四天王の一人は、副会長の言葉に頷き、補足する。
「アイツは立場が立場だ。協会における協会四天王の長であり、裏の世界ではその実力で恐れられている。普段から命を狙われていてもおかしくない。だから、人物としての特定が容易でないようにする必要がある。……姉さんに危害が出ない用にするのは何時もの事だから、アイツも了承するはずだ。まぁ、アイツの強さがあれば、姉さんを守ることくらいは容易いだろうが、念には念を入れる必要がある」
ほんの僅かに表情を曇らせるアゼル。彼の姉の事はシュウ自身もよく知っているのだが、とてもおっとりとしている優しい人だ。話の中で上がっていたファントムとは恋人であり、同棲してるので夫婦と言ってもあながち間違いではない。
普段は(姉の彼氏という事もあって)目の敵にしているファントムに対して、信頼の様なものを抱いているアゼルが、シュウにはやや意外に思えた。
「アゼルって、ファントムさんのことを信頼してるんだなぁ」
「信頼? 馬鹿なことを言うな。姉さんに何かあったら困るからに決まってるだろう。アイツが姉さんの事を守るから、それを利用しているだけだ」
「シュウ。アゼル君はツンデレ気質があるから、素直に褒めちゃ駄目だよ。こういう時は『シスコンとはいえ、ファントム君の事を認めているんだね』が正解さ」
「……レジェン副協会長。いくら貴方が僕の上司だと言えど、あまり言うようでしたら僕も怒りますよ……?」
アゼルの足元にある影が生き物のように"ざわざわ"し始め、副協会長――レジェンはにこやかな笑顔で「冗談だよ〜、アゼル君」などと言って見せる。そんなお茶らけた父親の様子に、シュウは深いため息をつき、ふと"ある部分"に気がつく。
「ところでさぁ……これ、俺が読んでいいの? 俺、協会関係者じゃないんだけど。一般トレーナーだし」
「そういえばそうだな。というかシュウ、お前は何故来たんだ?」
「いや、なんか父さ」
「"親父"だってば、シュウ」
「ええと……お、親父に引っ張られて、アゼルの部屋に連れてこられた上に、今資料渡されたんだけど……何がなんだかさっぱり」
「その説明は僕がしよう!」
おどおどとした息子の言葉を遮り(先程から妙に訂正を入れる)父親が自信満々に胸を張る。呆然とする息子とあきれ顔の背の低い協会四天王の目の前で、副協会長はにこやかに言った。
「シュウに資料を見せた上で話を聞かせている理由はただ一つ! ――シュウは僕の代わり、つまり補欠で入ってもらうからね、交流試合に」
沈黙挟んできっかり10秒後、少年の悲痛な声が協会の中で木霊した。
「その役割だけどぉ、テイル君の方がいいと思うのよねぇ」
「残念だけど、その件はレジェンさんに丁重にお断りさせてもらったよ。君とクールが居なくなるのは正直どうでも良いけど、君と一緒にテイルを行かせるは嫌なんだね」
「あらぁ、貴方って本当に、ブラコンよねぇ。いい加減に弟離れしたらどうかしらぁ。男が男にベタベタなんて、正直、とっても気持ち悪いわぁ」
「それはそっくり返させてもらおうかな。君みたいな雌豚ビッチが弟を束縛しようとするとか、年を考えた方が良いんじゃないかい」
殺意のこもった言葉の応酬をする二人を、少し離れた所から見つめるテイルは、深いため息をついた。
「……どうして家の前で喧嘩するんだ、あいつ等は」
「そりゃ、お前のことが好きだからだろ、あの二人は」
パッと見ではどこかの不良っぽい銀髪の青年が、テイルの後ろで肩をすくめた。金色の瞳を細めてニヤニヤと口元を緩ませている青年に、彼は半信半疑と言った表情で首をかしげる。
「そんな訳ないだろう。メイミもシャドウも、互いが気に食わないだけだ」
「その理由がお前なんだってば。いやー、愛されてるねー、テイル」
じろりと睨むが、エメラルドと呼ばれた青年は金色の瞳を視線を明後日の方向へ向ける。
「大体、任務が終わって帰ってきたはずなのに……お前も何でついてきたんだ」
「おいおい、そんなの決まっているじゃないか」
やたら自信満々な知人(テイルにとってはその定義だ)は、そう言って胸を張ったまま、親指を立てて、
「お前の作るって言うお菓子をたかりに来ただけだぜ!」
「帰れ」
「あ、テイルー!」
明るいその声は背後からだった。
テイルがエメラルドを押しのけて振りかえると、買い物帰りと思しき少女が、一匹のミュウツーを連れてこちらに歩み寄ってきた。片手には、お菓子や野菜といった様々な物が詰まった袋を提げている。
「セイナ。ツーと買い物か」
「うん。今日はテイルとシャドウが帰ってくるっていうから、一杯作ろうと思ったんだけど……」
セイナと呼ばれた少女は、そのまま喋るのをやめて家の入口へ――口喧嘩がどうもバトルに移行したのか、互いのポケモンを繰り出しつつ場所を移動し始めたメイミとシャドウを見つめ、 それから、テイルとエメラルドをまじまじと見る。そして最後に、手から下げた物一杯の袋を見下ろして、
「シャドウはメイミさんと出かけちゃったみたいだし、テイルもエメラルドとどっか行く感じみたいだから、そんなに作らなくて良さそうかも」
「あー、違うぞ、セイナ。俺はただ単に、テイルが若干浮足立って帰るから、それの邪魔をするため兼菓子をたかりに来ただけであって」
苦笑する少女、セイナの桜色の髪をぽんぽんと叩きつつ、エメラルドは少しだけ腰をかがめた。それによって彼女と同じ視線になると、彼は笑みを浮かべ、
「テイルを取るつもりはこれっぽっちもないから安心し」
「グマ、切り裂く」
テイルのボールから飛び出て来たマッスグマが、銀髪男の頭に思いっきり体当たりすると同時に、鋭い爪で持って頭を引き裂きにかかる。全く容赦ない(殺しにかかっているような気がする)マッスグマからエメラルドが逃げると、それを追う形でマッスグマも走り出す。
「テイル手前えええーー!!」
「あの馬鹿は気にするな。ところで、夕飯は何だ?」
「うんとねぇ……天ぷら! ツーが食べたいんだって。ね?」
二人で振り返ると、先ほどから黙りっぱなしの遺伝子ポケモンは、白く大きな尻尾を一振りし、こくりと頷いた。
『さっぱりしたものは、暑い日に食べると美味いだろう』
「そうだな」
「じゃあ、家に帰って作ろうー!」
にこにことした笑顔のセイナが元気良く手を上げると、持っていた買い物袋をすとーんと落とす。しかし中身はぶちまけられることなく重力を無視して空中に浮いている。セイナが気づいた時には、ミュウツーのサイコキネシスによって浮くそれを、テイルは当然のように片手に提げていた。
「行くぞ。俺も手伝ってやる」
空いた手でセイナの手を掴むと歩き出す。
少しだけ引っ張られるように歩き出しつつ、セイナは何時もより上機嫌に見えるテイルを見上げ、
「テイル、何の天ぷらがいいー? 私ね、エビがいい!」
「言っておくが、野菜もちゃんと食べるんだぞ」
「う……ちゃ、ちゃんと食べるもん!」
むむっとした表情をすると、テイルがほんの僅かに頬を緩めて笑う。
そんな他愛のない話をしながら家の中に入っていく二人を――――少しばかりぼろぼろのエメラルドと、主人の命令でボールから出てきたけど自業自得と言わんばかりに手助けしなかった彼のエーフィと、彼らを追っていたマッスグマが立ち止まってそれぞれ見つめ、数秒後、同時に深いため息をついたのだった。
*****
オーディン=ブライアスはキングダム地方の四天王である。年に一度あるポケモンリーグ決勝者と戦う四天王の最後の人物だということは、割と有名だという事を当人はそんなに気にしない。
また彼は、四天王に就任する丁度その頃に、王族の護衛であり地方の治安を守る組織、騎士団の団長になった人物だ。これもまた、この地方の人間であれば当然知っていることであるのだが、やはり当人はそこらへんも気にしない。
そして、これは彼が騎士団の団長になる数年前に決まっていたことなのだが――――彼は、現王妃、ヴィエルクレツィア=ルアーブルに忠誠を誓う唯一無二の騎士である。前者二つと比べ、この件だけは何故かあまり知られていない。彼が後に受けた称号が大きすぎるからなのか、或いは、騎士などという奴隷制度のような退廃的仕組みが、現代ではあまりにも知られなさ過ぎているからなのか、或いはその両方か。
ところが、この件に関してだけは彼の反応は通常時と少々変化する。言われるたびに、それをまるで聞かなかったかのように振る舞う。その理由を知っているのが、彼が守護する王妃その人と、幼馴染の国王だけだという事もまた、知る人は少ない。
「そういえば隊長」
「なんだよ」
「どうして、ヴィエル様の騎士なのですか? 普通に考えて、隊長の昔からの立場などを考えれば、国王陛下の騎士、つまりは近衛騎士(ガーディアン)になるものだと」
ロキから投げかけられた質問に、オーディンは黙りながら、砂糖を注いだ珈琲をカチャカチャとかき混ぜる。
昼と言うには下がり過ぎた、しかし夕方と言うにはまだ早い時間の食堂だった。いい歳した大人がだだっぴろい食堂で向かいあいながら遅めの昼食を取っているのは、一見すれば不思議な光景だ。もっとも、離れて食べていたとしてもシュールであることに変わりはない。つまるところ、二人だけで食堂を使っていること自体がそもそもおかしな光景なのだが、そんなことを 突っ込む人物はどこにもいない。
両手を組んでじっと見つめてくるロキの視線に、騎士団長は暫く「あー」とも「うー」とも聞こえそうな微妙な声を漏らして、視線を空中に泳がせる。とはいえ、目の前の人物がそんな誤魔化しで退く訳もなく……仕方なく、オーディンは誤魔化しの言葉を向けた。
「何でいきなりそんな話題を振ってくるんだよ」
「いえ、気になったものですから」
「だから、なんでだ」
「気になったことに、理由など要りますか?」
「じゃあ、お前が気になったことに理由が存在しないとは思わないか?」
スプーンでかき混ぜるのを止め、オーディンはティーカップに口を付け、珈琲を流し込む。僅かにざらりとした感触が舌の上を滑り、きちんとかき混ぜ切れなかった事に苦い顔をする。しかし目の前の男は、どうやら投げかけた質問に機嫌を悪くしたと捉えたようだった。――実際、少し機嫌が悪くなったが。
「聞かれたら困るほど重要なことですか」
「――そうしといてくれ。面倒だ」
息を吐き出してカップを置くと、中の黒い水面が揺れて波紋を作る。それをオーディンはちらりと見下ろした。
水面の上には、男の顔が見えた。ぼさぼさにした髪、目つきはそこまで鋭くないが、目の前の男を警戒する程度に半眼になっている。どちらも水面には黒く映っているが、現実は金色の髪にブラウンの瞳だ。首から下げた銀細工のチェーンが光を反射して視界の端でちかちかする。思わず、カップの位置をずっと移動する。
すると、移動したコップは自分が押したよりも更に奥へ動き出す。思わずカップ全体を引っ掴んだ瞬間、
「いいじゃないの、珈琲くらい」
少し高めの明るい女性の声にオーディンは振り返る。金色の長い髪は先が少しカールしているのは、当人曰く"おしゃれ"らしい。空のような色をした瞳には常に自信が満ちているが、今日はいつもよりも何か企んでいるように思える。ぎくりとして、オーディンはカップから手を離すと同時に、嫌な顔をその女性へ向けた。
「ヴィエル」
「あ、説教はちょっと待ってね〜。報告することあるの……んぐっ……ディン、ちょっとこの珈琲、甘すぎじゃないの?」
そう言いながらもカップの中身を三口も飲んだ彼女――ヴィエルクレツィアは、渋い顔をして空になったカップをテーブルの上に置く。それから疑わしい目を向けるオーディンに顔を向け――その途端に、不機嫌な表情から一転、酷く生き生きとした表情で、彼女はオーディンに身体をすり寄せた。
「実はね、面白い企画を考えたの」
「碌でもない企画、の間違いだろ」
「そんなことないわよ。ねー、ロキ?」
「お話を聞いてみないことには判断がつきませんねぇ。ですが……王妃様が『面白い』というのですから、面白い企画なんじゃないですか?」
適当ともとれるロキの返事に「さっすが、ロキは分かってるぅ!」などと言って親指を立てる王妃。オーディンは深いため息をついた。
「それで。その企画っていうのは何だよ」
「あのね―― 一カ月後に、モノクロ地方のポケモン協会四天王と、キングダム地方の四天王による交流試合をやることになったの。あ、場所はこっち、キングダム地方ね。そこの闘技場を使うわよ」
オーディンとロキは、揃って真顔になった。目を瞬かせ、互いに顔を向き合わせ、そしてヴィエルをもう一度振り仰ぎ、
「はあああああああああ?! ちょっ、おいヴィエル、どういうことだよ!?」
「どうもこうも、今言ったでしょ? だから、交・流・試・合」
「いきなりすぎだろ!?」
「ビックリな方がいいでしょ?」
「いいでしょ、ってお前、そんな気楽な……」
空いた口がふさがらないオーディンは、ヴィエルをまじまじと見つめる。この王妃は決して嘘をついているようには見えない。しかし、言っていることはかなり無茶苦茶だ。
地方の四天王同士の交流試合、というのは珍しくない。ただしそれは、何かの祭り(分かりやすいのは条約締結か)そういった"イベントの催しごとのついで"に行われるようなものだ。その場でパッと取り決めて、それで直ぐに行うものではない。
一方で、叫びはしなかったものの、内心は割と驚いてるであろうロキは、小さく空けた口から咳を吐き出すと、小さく首を傾げた。
「ところで王妃様。先方とは、約束を取り付けたのですか?」
「ええそうよ。ついさっき、電話で」
「電話でってお前……誰かに騙されてるんだろ? そんなもん、たった一ヶ月前に決めるもんじゃない」
肩をすくめて首を振るオーディンの前に、すっと白い紙束が差し出される。
紙束の最初の紙には、確かに彼女が言う一カ月後の日付で、モノクロ地方のポケモン協会と、自分達の住まうキングダム地方の四天王による交流試合を行う、ということが記載されてあった。オーディンとロキの視線は、自然、最後の締めくくりへ向けられていた。
文末には、キングダム地方の国王クィルイエス=ゼロ=バッキンガムの署名と捺印、そして向こうのポケモン協会会長クール=フィークルの署名と捺印が、しっかりと記載されている。どちらも偽物ではなく、本物であった(オーディンやロキにとっては見慣れていた)。
オーディンが、ぐったりとした表情で王妃を見る。
「お前……何時、ゼロに許可取った?」
「一昨日」
あっさりと言うヴィエル王妃にかける言葉が出てこないのか、オーディンは深いため息をついた。一方のロキは、ヴィエルから紙束を受け取ると、残りの紙にも目を通していく。
「ちゃんと公文になってますね。……バトルルールの決定は当日執り行う、とは?」
「あ、それはね、当日までバトル形式は決めないことになってるの。で、当日はルーレットとかで、戦闘形式を決定するのよ」
「戦闘形式は、シングル・ダブル・トリプル、の三種類ですか?」
「加えて地形ね。最近、地形を設定できるようにしたから、それの試運転も兼ねてるわ」
にこにことした表情で王妃は機嫌よく言う。書類には、他にも今回の交流試合についての流れといったことが事細かく書かれている。数日で用意したには出来過ぎているほどの――実はもっと前から計画はされていたのではないかと言うほどの――きちんとした書類に目を通し終えて、ロキはそれをオーディンの方へ手渡す。
「では、私は読みましたので隊長もちゃんと目を通して下さいね」
「へーへー。どうせ拒否権ないのは分かってるからな……」
「流石、ディン。物分かりが良いわね!」
「ここまで正式な公文書きて断るとか、地方問題になりかねないだろうが」
ぐったりとした表情のまま、騎士団長もまた書類に目を通していく。と、彼は読んでいた書類から顔を上げて、ヴィエルの方へ向き直った。
「ところで、やるのはいいが、観戦とかの件はどーすんだよ。もう一ヶ月くらいしかないんだろ?」
「大丈夫よ。――そこら辺は何とかしてくれるわよね、ロキ?」
「やるしかありませんねぇ」
やれやれと肩をすくめる参謀長官に、ヴィエルは機嫌よさそうに笑いかける。
オーディンはもう何度目とも分からない深いため息をついた。
「――――ってことで、俺達がこれから考えないといけないのは他でもない。"補欠"についてだ」
ざわつく食堂内でパンパンと手を叩いた騎士団の第二師団長、クイン=ミンシェルの言葉に、その場にいた騎士団兵の一人がパッと手を上げる。
「クイン師団長!」
「なんだ?」
「別に俺達の中から選択しなくても、普通に師団長がやればいいと思います!」
だよなぁ、という声が、質問をした兵士の言葉を後押しするように、他の兵士たちから口々に零れる。ざわつき始めた騎士団兵達の前で大仰に溜息をついたクインは、その場で声を荒げた。
「馬鹿野郎! 少しは騎士団員としてのやる気を見せろ! お前達の中で、俺なんかよりも出来る、っていう自信を持つ奴はいないのか!?」
「俺ー!」
「フォルは四天王枠で出るだろ」
バッと手を上げた茶髪の少年を振り返り、クインは溜息をついた。彼の金色の瞳は常に子供のように好奇心旺盛な輝きを持ち、20歳という年齢の割には低い身長も相まってか、中々年齢通りに見られることが少ない。――これでキングダム地方の協会四天王であると説明すると、外部の人間はまず信じないものだ。
「大体フォル。お前、俺との戦闘訓練で勝った事あったか?」
「う……こ、これからやって勝ってやる!」
「まぁ、意気込みは買ってやる」
「っていうか、そんなこと言ったら、師団長に勝ったことある奴なんて……」
一人の騎士団兵のぼそりとした言葉に、その場にいる兵達は一斉にフォルの方へ――正確には、フォルの横で呆れた様子で状況を傍観していた女性へと目を向ける。艶やかな黒い長髪、華奢な体つきではあるが、ポケモンを使わない実技的な戦闘訓練ではほぼ負けなしである(クインとは30戦30勝と勝ち続けているらしい)。騎士団の戦闘を担当する人間は9割男性ばかりである中、著しい実力を持った戦闘家の女性騎士団兵というと、師団長のクインを除けば、彼女しかいない。
その女性――アドラスティアは、全員の視線を受けて肩をすくめた。
「私はこの地方の出身ではない。何より、騒ぎ立てられるのは好きではなくてな」
「ってことで除外だ、除外」
若干苛立たしげな表情のクインが、彼女に背を向けて手をひらひらと振って却下の意を示す。心なしか睨みつけているようなクインの視線にアドラスティアが挑発的な笑みを浮かべ、残念そうな表情で溜息をつく。
「とはいえ、クイン様は私よりもお強い訳ではありませんから、負ける可能性があるのは気がかりですね」
「手前、表に出やがれ。今日こそは決着付けてやる……!」
くるりと向きを変えるなり、歯ぎしりをしながらクインは睨み返してくるアドラスティアに詰め寄る。そんな険悪そうな雰囲気の中、気づけば何かを考えていたらしいフォルは、ポンッと両手を打ち合わせ、
「なぁトールは出ないのか?」
「…………俺が?」
名前を呼ばれた男は、まさか自分の名前が挙がって来るなどと思いもよっていなかったのか、僅かに口を半開きにしてフォルの方に顔を向けた。茶色の髪に金色の瞳はフォルの容姿と若干似ている。分かりやすい違いがあるとすれば、彼の方が酷く大人びて見えることか。口にしていた珈琲の入ったティーカップを置いて、彼――トールはゆるく首を振る。
「冗談はよせ。別に俺は、公の場で名前を売るほど、わざわざ悪目立ちするつもりはない」
「えー。だって前、ティアにもクインにも勝てるーって」
その発言にその場の全員が、しん、と静まり返り、その場にいた騎士団兵達が一斉にトールを見つめる。酷く突き刺さるような視線にぎくりと肩を震わせ、トールは睨みあいをしていたクインとアドラスティアに目を向けた。二人もまた、やや驚いた表情でトールと、そしてフォルを見つめている。
しかし見つめられていることに(というよりも場が静まり返っている原因に)全く気付いていないフォルは、嬉々とした表情で言った。
「もしトールが補欠で出たら、試合の時は一緒にいられるし、俺の試合、間近で見てもらえるよな!」
「と言うことでトール様、実力を確認したいので、今から手合わせ願えますか?」
「珍しいな、ティア。俺も賛成だ。――お前がロキ様の補佐なのは知ってるが、そーいや実力測った事ないよなぁ、トール?」
にこりとした女性陣の笑みを受けて、トールは一度、フォルを見下ろす。ガーディの耳と尻尾でも生えていたら思いっきりぶんぶんと振っていそうな様子の少年は、期待のまなざしで持ってトールを見上げている。
トールは咳払いをした。そして、腰につけていたボールに手をやり、
「分かりました。――アンタ達を倒して、補欠の権利を手に入れようじゃないか」
にやりと笑う参謀長官の補佐の様子に、その場にいる者が「おおー」と妙な歓声を上げる。
かくして数分後、三人による"補欠候補"争いが行われることとなった。
結局、ティアもクインも負かしたトールであったが、「すっげー!ロキが言った通りの事言ったら、本当にトールが補欠になったー!」と喜ぶフォルの言葉に、とりあえず食えない上司を脳内で殴っておくことを決めた彼であった。
*****
夜空は決して暗闇ではない。ましてや、月や星が空に瞬いている時の夜空は海の色のようなものだ。雲が夜空の所々に浮かぶことで、輝くものを何度か隠しおおせているが、それも少しの時間がたてば、場所を移動してしまう。
キングダム地方の謁見の間は縦に長く、様々な角度から外の光を取りこめるように幾つもの窓が連なっている。窓から差し込む月や星の明かりは、街の中に瞬く輝きとは違う、柔らかな、しかし冷たい色をしている。
彼は玉座に座っていた。しかし、それはなんら不自然なことではない。国王が玉座に座ることを咎める者など、このキングダム地方には存在しないのだから。身じろぎすることなく、国王としての礼服を身に纏っているその男は、一人、静まり返った謁見の間で待っていた。月や星の明かりが動くことで、赤い絨毯の上に様々な影と灯りを落としていくのを眺めながら、ただじっとしている。
やがて――謁見の間の扉が動き出した。ギイィ、と重い音を立てて二つのついたてが開かれる。そこに立っていたのは、茶色の長髪の男だった。他の人間に比べべれば比較的高い背が、カーペットの上に黒く長い影を落とす。窓から取り込む明かりを反射する紅色の瞳は、人間にしてはやや色の濃い、獣のような色に見える。
ゆっくりとした足取りで、男は国王の前まで歩み寄る。そして、
「交流試合前の夜遅くに申し訳ありません、クール=フィークル協会長」
「いえ。私も一度、貴方とはお話をしたいと思っていた、クィルイエス=ゼロ=バッキンガム国王。――用件を伺いましょう」
▼Next... | TOP |