がしゃり、と瓦礫を踏みつける音に、何か柔らかな物が潰れた何とも言えない音に、彼は振り返った。
『はぁはぁ……来たか』
自分の周囲に転がる屍を平然と踏み潰して現れたその獣を――主人をもろい壁の向こうへ吹き飛ばして重傷を負わせたソイツを、バンギラスのガイアは殺意の瞳と共に見上げた。
そして、二体の獣の咆哮が、狭い部屋の中に響き渡る。
『いたっ、ユリアちゃん、こっちよ!』
道中、出てきたポケモンの攻撃を避けつつ――その為に、背後からは様々なポケモン達が追ってきているが――主人を背中に乗せて飛んでいたガブリアスは、前方で手をこまねくゲンガーと、その横で攻撃体制を整えているユキノオーの姿を見つける。その向こう側には、出口と思しき明かりがはっきりと見えていた。
『そのままマスターをお願い! ガイアさんは私達が迎えに行くわ!』
同じ手持ち仲間であるゲンガーの――――ゼフィアの声が聞こえた時には、既に、ガブリアスは彼らの上空を通過。
それと同時に、ゲンガーが飛び上がり、ユリアに追いすがってきたポケモンへと一斉に催眠術をかける。先ほどまでの凶暴性がすっかりと消えたかのようにポケモン達が大人しくなっていく最中、ユキノオーが自らの体を中心にして霰の嵐を狭い通路に展開。身をひるがえして後退したゲンガーと位置を入れ替わるように飛び出すと、手の先から、霰の天候によって必中となった吹雪が繰り出す。一瞬にして通路を寒々しい冷気が駆け抜け、ユリアを追いかけようとした後続のポケモン達を一気に凍らせていく。
一方で、わき目も振らずに光の先へと飛び込んだガブリアスは、
「キョウっち! ってか、何でキョウっちのガブリアスが!?」
こちらを見上げてすぐさま声を上げた青年の目の前へと一気に飛び降りる。そして、彼のすぐそばでがら空きになっているシートの上に、主人を寝転がせる。
ガブリアスは改めて周辺を見渡した。先ほどまで自分達がいた建物と言うのは、どこか病院の様な施設の廃墟であった。自分が出てきた入口は既に崩れかけており、先ほどの怒りで放った地震の一撃は、下手すれば建物そのものを崩しかねなかったかもしれない。そして、彼らがいる場所は、建物から少しばかり離れた――大体100メートルほどだろう――位置の、だたっぴろい荒野の様な場所だった。近くには、キョウスケ以外にも他にも何十人もの人やポケモン達がシートの上に倒れており、白衣を着た人間達が、その間をせわしなく動いている。ただの気絶から出血が酷い者までいるが、その光景を見て言える事というのは、
「分かってたけど、やっぱり惨状なんだよねぇ〜……」
呟いたのは、主人のことはおろか、自分の事も知っているらしい青年だった。ガブリアス自身、目の前の男は、主人と会話している姿を見た事があるような気はするのだが、詳しくは知らない。そもそも人間なんていうものを、主人以外で判断できる気はあまりしない。
訝しげに青年を見ると、彼は「あぁ」と何か合点が言ったかのような表情でガブリアスを見上げる。
「そういや、君とはちゃんと自己紹介してなかったっけね〜。ユリアちゃん、だっけ? キョウっちから話は聞いたことあるよ。俺の名前はフミヤ。ポケモン協会のシガナイ中間管理職やってる奴なんだよねん。そこで気絶してる君の主人とはお友達だよ〜」
どうにも感情の全く読めそうにもないヘンテコな表情で言ってくる青年に、ガブリアスは若干胡散臭そうな目を向けるが、フミヤと名乗った青年は全く気にした様子がないようだ。懐から何やら地図を取り出すと、疲れたように肩をすくめる。
「でもまぁ、これでとりあえずは全員、参加したトレーナーは出てきたって感じかねぇ〜。ちょっと残りのポケモン達が戻ってきているか分からないけど……とりあえず、キョウっちの仲間達は――――」
そこまで言われて、ふと、ユリアは廃墟と化している病院を振り返った。廃墟の方からは、病院ない独特の香りと、先ほどのユキノオーが放った冷気と、何かが焦げるような異臭が、ごちゃまぜになってガブリアスの嗅覚を刺激する。中の状況は未だ分からない。
ガイアは無事なのだろうか。その心配だけが、胸中を占めていく。
ちらりと、ユリアは主人の方を見た。死んではいないだろうが、もしも自分がいない時に襲われた場合、彼は完全に無防備である。自分が離れてしまっては、主人を守る者は、
「仲間のところへ行くのかい?」
そう言ったのは、フミヤだった。
頷こうとして、しかし、気絶したままのキョウスケの姿が視界に収まり、ガブリアスは思わず、フミヤからも、そして主人からも視線を反らす。
瞬間、ふっと、息を抜いたような音。同時に、ボールの開閉音が二つほど響きわたる。
「キョウっちのことは見といてあげる。だから、行ってくると良いよ」
もう一度、ガブリアスはフミヤの方へ顔を向けた。こちらを見つめるフミヤは、やはり何とも感情の読めないのほほんとした表情をしている。
ふと、先ほどまで感じていた体の倦怠感が一気に抜ける。何事かと思って横を見れば、卵産みによるエネルギー分け与えをした桃色の卵型をしたポケモン――ハピナスが、にこりと笑みを浮かべている。
気づけば、彼らのすぐ横には、主人であるフミヤの背丈よりも一回り大きな紅蓮色の獣――ウィンディが、眼光を鋭く光らせつつ「ガウウッ」と小さく吠える。空になった二つのボールを手にしたまま、フミヤは気楽そうな様子でユリアに手を振る。
彼らにほんの僅かだけ軽く頭を下げると、ユリアは、主人を抱えていた時よりも更にスピードを上げ、凍りついた建物の入り口へと走り出した。
三人がかりでも、なお、主人を吹き飛ばしたその獣を倒せない。
「グォォオオゥ……」
『こ……の…………!!』
既に自分のもとに来るだけで技も体力も消耗したユキノオーとゲンガーを庇うようにして、バンギラスが狂ったような動きを見せる怪獣の様なポケモン――カビゴンの攻撃を受け止める。体力は半ば底を尽きかけているためか、少しずつ相手に押されていくのが分かる。
散乱した主人のバッグから道具を少し失敬したものの、既に精神的な物も含めて、体力はほとんど切り詰めていた。相手のカビゴンは、やはり施設にいた他のポケモン達と同様、生気を全く感じられない。
本来は、朗らかな顔で大きな体をゆっくりと動かすであろうはずのそのポケモンは、異常なまでの耐久力と攻撃力を持っていた。そして、戦う相手を捕食しようとする殺意のようなものだけが、岩肌であるはずのバンギラスですら、はっきりと感じる。
『ガイアさん、そのまま抑え込んでてください!』
振り絞るような声と共に、気合いのタスキを握りしめていたゲンガーが、一気に距離を詰めると、至近距離でカビゴンに催眠術を叩きつける。しかし――――バンギラスと対峙している状態のまま、ぐるりと首だけをゲンガーに向けたカビゴンは――通常では考えられないほどの鋭い牙を生やした顎で――ゲンガーの身体を噛み砕く。
『っっつ――――!!!』
『ゼフィア!!!』
ゲンガーの名前を叫ぶと共に、バッグから見つけたのであろう命の玉を掴んで、ユキノオーが氷のつぶてをカビゴンの顔に叩きつける。だが、やはりカビゴンは全く動じることもなく、再び顔の向きをバンギラスとユキノオーの方へ向けたかと思うと、そのまま首を少しばかり横にして、
『っ、アール、ゼフィアを、っ――――!?』
既にぐったりと気絶しているゲンガーをユキノオーへ投げると同時に、意識がほんの少しだけそれたバンギラスの腹部に、カビゴンの爆裂パンチがめり込む。命の玉を使ったことで体力が更に減ったユキノオーは、吹き飛ばされた二匹と共に、なすすべもなく後方の壁に叩きつけられる。
カビゴンが、もうそろそろ仕留めれそうな獲物を前にして、気持ち悪いほどの歪んだ笑みを浮かべる。今にも死にかけそうなゲンガーと、ゲンガーを庇うように抱きこむユキノオー。そして――カビゴンの前に立ちはだかるように、バンギラスは何とか体を起こし、立ち上がる。口の中に広がるヨプの実の味で痛みを何とかごまかしつつ、彼は再びカビゴンの動きを抑え込もうとした。
が、突進するようにやってきたカビゴンは、バンギラスの両腕をかいくぐり、首元を片手で持ち上げると一気に締め上げる。
『ガイア!』
『ガイアさん!』
引っ掻くようにしてカビゴンの手を叩くが、何故か、カビゴンは痛みを感じないかのように、全く平然とした顔で首を絞めていく。もがけばもがくほど、カビゴンの手の力は強まっていき、それに反比例するかのように、バンギラス自身の力が抜けていく。呼吸出来る感覚が少しずつなくなり、頭の奥がしびれていくような感覚になる。
その中で、バンギラスの心は少しずつ冷静になっていく。記憶の片隅から、自分の名前を呼ぶような声が聞こえる。現実の声ではない。どこか遠い、昔、聞いたかのような、そんな声。
橙と黄色の長いたてがみを靡かせ、大地を思わせるような色の翼で空を雄大に飛ぶ鳥ポケモンの姿が、自分を呼ぶ声と共に脳裏にちらつく。
(フェザー…………)
昔の相棒の名前を、ガイアは胸中で呟いた。
もしも彼女に呼ばれているのならば、自分は、"向こうの世界"で彼女に会えるだろうか。
守ると約束したはずの彼女自身を守れなかった事を、彼女は怒っているだろうか。
意識が少しずつ薄れていく。やがて、バンギラスの視界すらも、暗いものへと変化していく。ただし、自分を呼ぶ声だけは、どんどん大きく、近くなっていく。
きっと"向こうの世界に"に呼ばれているのだろう。
(それでも、いいのかもしれないな。ただ……)
最後に、後悔があるとすれば、それは。
『ガイア!』
自分の名前を呼ぶ声がひときわ大きく聞こえ、バンギラスは目だけを入口に向けた。
そこにあったのは、視界に見えた青い背鰭の獣の姿。鋭い爪の下に見えるのは、切れ味抜群の鰭。一寸の迷いも見えない、力強いその瞳の者は、バンギラスのガイアにとって、"彼女"を失ってからの、二度目の、本当に大切な存在で、自分は最後まで彼女を守ると言ったのに、また、守れずに――――。
『食らいなさいっ!!』
強い衝撃が、バンギラスの首をつかんでいたカビゴンの腕に重くのしかかる。流石にダメージを感じたらしいカビゴンが、重々しい雄たけびと共にバンギラスの身体から手を離す。地面に体を打ち付けかけた瞬間、その背中を支える腕があった。思わず、バンギラスは顔を上げた。
そこには、現在の相棒が――ガブリアスのユリアが、悠然とした表情で立っていた。ユリアはバンギラスの顔をちらりと見ると、
『遅いから迎えに来たわよ』
『ユリア…………お前、何で……』
『あのね』
言葉を区切ると同時に、ガブリアスが走り寄ってきたカビゴンの腹部にドラゴンクローを叩きこみ、少し離れた壁へと吹き飛ばす。呆然とするバンギラスの目の前で、攻撃を高めるための舞を踏みつつ、ユリアは笑みを浮かべて言った。
『相棒、でしょ。闘いの時に、理由なしに私を置いてくなんて、許さないんだから』
剣の舞を踊り終えたユリアをバンギラスは見上げた。そして、
『そうだな。……置いて行って済まなかった。――――行くぞ、ユリア』
『当然っ!』
「グウォオオオォウゥォオオ!!!」
雄たけびと共に再び突進してきたカビゴンの身体を、次の瞬間、バンギラスの身体から放たれた砂嵐が包み込む。砂粒が生気の見られない怪獣の身体の皮膚を傷つけ、視界を邪魔する。それでも、カビゴンは砂嵐を強引に突破すると、視界の先に見えたガブリアスに向かって、巨体を押し付けるのしかかりを仕掛け――――スッと、見えていたはずの対象の姿が掻き消え、カビゴンの身体が地面に叩きつけられる。
周囲を見渡すも、先ほどまで見えていたはずの残りの攻撃対象の姿すら確認できない。状況が理解できず、カビゴンが首をかしげた次の瞬間。
砂がくれによって近接距離まで接近したユリアのドラゴンクローが、カビゴンの身体を地面から天井に伸びあがるまでに吹き飛ばした。
『さぁ、ソラ。思いっきりやっちゃいなさい!』
『ギュギュッ……ギュパッー!』
ガブリアスの掛け声と共に、ソラと呼ばれた小さな体のフカマルが、(助走もつけて)バンギラスの体に向かって思いっきりドラゴンダイブをぶちかます。フカマルをきちんとキャッチするも、流石に痛みを感じたのか、緑色の堅物を顔を僅かにしかめた。
『……これでいいのか』
『うーん……ソラ、貴方はこれで満足?』
『グギュゥ〜!』
ソラが満足そうな声を漏らすので、ユリアもまた、満足そうな表情をする。
そこは、ポケモンセンターのポケモン治療室だった。結局、今回の任務では主人も含めて(ユリアを除いた)全員が、そこそこの怪我で動けなくなっていた。とはいえ、他のトレーナー達よりも幾分かマシらしく、1週間もすれば全員完治だという。当然、その間は全員大人しくしているようにと言われた。ダメージが一番酷いと思われていたゲンガーのゼフィアであったが、実はあの時点で既に一度全快した上でタスキを持っていたために、思った以上のダメージはなかったという。
『ねぇ』
『何だ?』
『今回の任務内容が離せなかったのは……あのポケモン達を殲滅することが目的だったから?』
ユリアの問いかけに、ガイアは、ほんの僅かに目を下に落とす。
施設のポケモン達は、今回の戦闘で全てが全滅したという。実際、何匹は保護したトレーナーはいたらしいが、どのポケモン達もボールに入れて検査をするまでに、命が持たなかったらしい。
「あの施設の環境は特別だから、外には長時間長く居られなかったみたいだよ〜」という話は、例のフミヤとかいう人間が主人にしていたものであった。
バンギラスの膝の上でごろごろと寝転がっているフカマルは、二人の会話を全く聞く気がないのか、あくびをしていた。
『そうだな』
『それは……私だったら戸惑って出来ないから、ってこと?』
『それもある。だが、それ以上に――――お前が、今以上に、人間が嫌いになると思った』
開け放たれたままの窓から、夏の風が入ってくる。草木のにおいを嗅ぎ取ったフカマルが、岩肌の上でぴょんぴょんと跳ねて、楽しそうに笑う。
返答の様子が見られないユリアを後目に、ガイアは続ける。
『お前が今も人間に対して苦手意識があることは分かっている。だから、人間達のああいった悪意の面を見せつけられた時、お前は何時も、普通のポケモン"以上に"ポケモン達に肩入れしたがる』
『……………………』
『そうすれば……お前はもう、俺達の元に帰ってこないかもしれない。そう思った』
足元から転げ落ちそうになっていたソラを掴み直し、ガイアは真っ直ぐに少しばかりうつむくユリアを見つめた。
『お前は、まだ、ここにいるか?』
状況を理解できていない幼いフカマルが、ギュパァー、と気の抜けた声を漏らす。
ガブリアスの金色の瞳が、ぼんやりと、バンギラスと、フカマルの姿を映す。
やがて、バンギラスに摘みあげられたままのフカマルを抱きとめると、ガブリアスは顔をあげて、
『当たり前じゃないの。言ったでしょ――――相棒だ、って』
「ギュパァ〜」
にやりと笑うガブリアスの笑みを真似するように、しかし結局は満面の笑みで、フカマルが笑みと共に口をぱっくり開け、バンギラスの手に噛みつく。やはり、まだ痛みは残っているために苦い顔をするガイアを見て、ユリアは楽しそうに笑った。
そこにいる貴方への問いかけ
("その時"が来るまで、彼らの物語は続くのだろう。)
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101118/そんな感じでユリアとガイアの話。結局この二匹はくっつくようでくっ付かないかな、とかそんな感じ。多分、互いが互いに依存してしまった時の恐ろしさを、心のどこかで怖がっているような。