"彼女"の事件以来。
主人は"ソレ"に対して、少しばかり、敏感になった。



「おーい、キョウっち〜! 丁度いいところにいたー!」

声に振りかえると、それなりに顔をよく合わせる青年トレーナーが、一人、ふらふらと手を振ってこちらに歩み寄ってきたところだった。片手に書類のようなものを抱える彼がやってきたところで、キョウスケは首をかしげる。

「どうしたんだよ、そんな疲れた顔でさ」
「いやねぇ、実は協会の仕事で、キョウっちみたいな実力トレーナーが必要な任務が来ちゃってさ〜。こうしてお友達に声をかけてるんだよねぇ」
「お前の中で俺は一応友達扱いなのか……ってか、お前、協会員なんだっけ?」
「そそ。お仕事多くて大変なーのよー」

仕事の大変さを表しているのか(?)身体をぐにゃぐにゃに動かしてのっぺりとした表情をする彼は、書類の一枚をキョウスケに差し出す。

「任務はわっかりやすくて高報酬。た、だ、しー」
「何が起こっても自己責任、とかだろ。ったく、どんだけ危ない橋を渡らせる気だよ」

そこまで言って、キョウスケの視線が、書類の詳細事項にくぎ付けになる。
その間、男は、にへらぁ、と気の抜けたような笑みを浮かべたまま、目の前の青年の反応を見つめていた。やがて、

「フミヤ」
「んんー?」
「お前、分かってて持ってきたのかよ」
「さぁてねー。でも実際、"強い"人が必要なのは確かなのよねん。で、どするー?」

書類から顔を上げたキョウスケは、丁寧に紙を折りたたむと、そのままズボンのポケットに押し込む。そして、小さなため息をつき、

「受けるよ」



『ちょっと! 協会の仕事だったら、なんで私がパーティに入っていないのよ!?』
『キョウスケの意向だ。それに、今回の仕事は繊細さを有する。普段のように"倒す"といった明確な内容じゃないんだ。お前を入れたら、感情で物を壊すのが目に見えている』

緑の鎧を纏っているような獣の言葉は、普段よりもどこか棘があるというか、違和感のようなものを――ガブリアスのユリアは感じた。それはまるで、冷静を装いながら嫌いな物を無理やり呑み込んでいる様子にも見える。
何かを、こちらに、隠している。もやもやと整理できない感情が、胸の奥底に渦巻いていく。それが何となくわかるからこそ、ユリアは苛立たしげに、目の前のバンギラスに問いただしていた。

『じゃあ、何でアールもいるのよ!? ゼフィアなら分かるけど、アールの場合、繊細なこと出来るわけないじゃない。っていうかガイアだって、その大きな体じゃ"繊細"とか無理でしょ!』
『「仕事の内容が繊細」なだけであって、別に何か精密な作業をするわけじゃない。……とにかく、今回は大人しく残っていろ。仕事なんて、他にいくらでも回ってくる。だから行けないからって駄々を捏ねるなと』
『私が怒ってんのは、仕事に行けない云々じゃなくて、アンタが私になにか隠してるような言い方が気に食わないのよ!』

半ば叫ぶようにして言い放つと、バンギラスが――――ガイアが一瞬、虚を突かれたような表情をする。
ユリアはその一瞬だけ期待した。嘘でもいいから、否定してほしかった、自分の言動を。「そんなわけがない」とでも、「そんなに心配するな」とでも、安心させる事を言って欲しかった。そうすれば、それで問い詰めるのをやめるように、自分に言い聞かせるつもりだった。
だから、その次のバンギラスの反応は、ユリアの心に酷く裏切られた感を植え付けた。

ガイアは、目の前にいる青いドラゴンである彼女から目をそらし、嫌いな物を更に深く呑み込んだような表情で押し黙った。それはまるで、隠しごとがある事を肯定するかのような。

その姿が、更にユリアの感情にさざ波を立てた。両手でガイアの方をひっつかみ、食ってかかるように顔を近づけ、肩を激しく揺らす。

『なによ……私には話せないっていうの……? 普段は散々"話せ"って私に言うアンタが、私が隠し事をしていても直ぐに見破って問いただしてくるアンタが、何で、私に隠すのよ! 仲間じゃないの!?』
『この件は……お前には、関係ない、話なんだ…………私に訊くな、ユリア』

辛うじて絞り出したバンギラスの声は、酷く歯切れが悪く、普段の力強さが全く感じられない。ゆるりと首を振り、ユリアを見上げる瞳は、どこか、憐れみと拒絶のような色を含んでいるようにも見えた。
ぎりりっ、と歯ぎしりのような音を出したのは、どちらの怪獣の口か。バッとバンギラスから手を離したガブリアスは、ぎろりと眼の前で、気力をあまり感じられなさそうな大型ポケモンを睨みつける。

『いいわ、分かった。アンタがその気なら……私は、アンタがその隠し事を話す気になるまで、絶対に口を利かない! 試合でも、絶対にパートナーなんて組んでやらない! 食事だって、アンタの分も全部食べてやるわ! この……この、堅物バンギラス!』

凄味を利かせた威嚇の声で吠えたけると、ガブリアスはバンギラスに青い尻尾の一撃を加え、その場から扉をくぐって出ていく。攻撃を受けたガイアの巨体は、打撃音と共に、地面に強く叩きつけられる。しかし、痛みを感じているといった様子はなく、彼は起き上がろうともせずに、部屋を出ていくガブリアスの後ろ姿を眺めるだけであった。
暫く、部屋の中が静まり返ったまま、ガイアはユリアの出て行った部屋の入口を眺める。やがて、

『"俺"は、間違ったことをしたとは思わない。――お前はどう思う、ゼフィア』

その問いに、すっと音もなく窓際に出現したのは、影の様なポケモンだった。赤い瞳は、同じ種族の中では若干鋭さにかけているのは、彼女の――ゲンガーのゼフィアの性格に依存しているからだろうか。先ほどから部屋にすり抜けでやってきていた彼女は、この一部始終をはっきりと目撃していたはずである。
リーダーである仲間の言葉に、ゲンガーは、三日月のような形をしている口を緩め、困ったように言った。

『ガイアさん、言い方がぶっきらぼうなんですよ』
『他に言い方が見当たらないからな。アイツに事実なんて言ったら……多分、アイツは人間を更に嫌いになる。だからキョウスケは、今回の仕事で連れていくのを、俺達だけにしたんだからな』
『でも、ユリアちゃんに、余計に心配をかけさせちゃいましたね』

その物言いに、ゆっくりと起き上がった――幸い、地面にたたきつけられる瞬間に咄嗟に受け身を取れたからか、ひび割れは起こしていなかった――バンギラスが、不思議そうな表情でゲンガーを見る。

『心配?』
『ユリアちゃんは素直じゃないですから』
『素直じゃないのは分かるが……どういうことだ?』
『ふふっ、それはガイアさんが気づいてくださいね』

それ以上は問い詰めても答えは返してくれなさそうだ。深い溜息を吐いて立ち上がると、バンギラスはその場で背伸びをする。そして、主人から与えられた持物を確認し、それが手元にあるのを見やってから、

『行くぞ、ゼフィア』
『ええ』




「全く何よ……私を戦力外と思って……そんなに私は頼りないとか思ってるのかしら、あの馬鹿ガイアったら――!」
「ユリア、そろそろマスターが支度を終えて出ていくから、大人しく待っているようにと……って、何を怒っているんですか?」

部屋に戻ってくるなりぶつぶつと文句ばかり言っている同僚に、トゲキッスのゼルマは首をかしげた。呟きの端々からは、どうやら、彼女の相方であるバンギラスのガイアと喧嘩をしたらしい、ということは分かるが、それにしても怒り方が尋常じゃないように、ゼルマは思えた。
こちらへ顔を向けたガブリアスは、普段以上に釣り上げた目つきのまま、その内容を言おうとして、

「……ねぇゼルマ、キョウスケの持っていくバッグは、それ?」
「ええ、そうです。先ほど、入念なほどに準備をして、今はガイア達を呼びに」

そこまで言って、ゼルマは何か寒気の様なものを覚えた。目の前の同僚は、先ほどまでの怒り顔から一転、下手な企みを思いついたような表情をしていた。

「ねぇ、ゼルマー?」
「……僕は知りませんよ、マスターに怒られても……」
「私が怒られておくからいいわよ。だから、お願いがあるんだけど――」



「あれ、ユリアは?」

そう言ってこちらを見上げてくる主人に、バンギラスは首を横に振り、すっと目をそらし、顔をそむけた。その様子にボールの中のゲンガーが軽く苦笑しているので、キョウスケはそれだけで概ね事態を理解したらしい。困ったように笑いながらバンギラスの肩を叩き、それから、腰から下げてあるボールを確認する。
現在自分のそばでボールから出ているバンギラスのもの、そして、残り二つ、キョウスケにとっては最も信頼できる二体の姿がうかがえる。
それを確認してから、キョウスケは部屋の中にいるポケモン達を見まわす。それぞれが若干落ち着かなさそうな様子を見せるも、全員を纏める事が出来る数匹のポケモン達は無言でうなずいた。

「それじゃあ、これからちょっと任務に行ってくるから、みんな、大人しくしてるんだぞ」

了解の意を伝えるようにそれぞれ声を上げたポケモン達の様子に安堵の息をつき、キョウスケはそのまま部屋を出ようと、

「キュゥ」

心配そうな声をあげる方向に顔を向ければ、トゲキッスが一匹、何やら心配そうな顔をしていた。近づこうとしたバンギラスを軽く手で遮り、キョウスケはトゲキッスの頭を軽く撫でる。

「大丈夫。数日したら戻るから、それまで他の奴らの面倒……特にユリアの事、よろしくな。なんかしらないけど、ガイアと喧嘩したみたいだからさ」
「キュ……」

その言葉に、ほんの少しだけ、トゲキッスが迷ったような表情をする。それは、主人である彼の言う事を聞けない、というものではない。何か、伝えるべき内容を言うか言わないか悩んでいるような、そういったもので――――。

「どうしたんだ、ゼルマ……」
「あんまり遅いから迎えに来たよ、キョウっち〜! って、どったの?」

バタン、という扉の音で、キョウスケの手が一瞬だけトゲキッスから離れる。それと同時に、トゲキッスのゼルマは音もなく後退すると、見送るようにして主人に向けて軽く手を振った。
迎えに来たという知り合い(当人は友人のつもりらしい)がこちらの顔を覗き込もうとするのを手で軽く押さえて、キョウスケは肩をすくめた。

「なんでもないさ」

傍にいたバンギラスだけは、最後の最後まで、何かを心配するかのような表情でトゲキッスを見ていた。




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