「……暇だ」
「暇じゃないよ、ユーリ。部屋に戻ったら貯めこんでいた書類を済ませないといけないし、他の兵士たちの剣の稽古を見ないと駄目だし、後は上からの命令で魔物討伐が近々あるそうだから遠征の準備をしなきゃいけないし――」

延々と聞きたくない話をしてくれる親友は、溜まっていたものを次々と指折り数えながら素敵に言ってくれる。軽く片手で頭を抱えていると、彼――フレンが心配そうな表情で覗き込んでくる。

「大丈夫かい、ユーリ? もしかして夜更かしでもしてた?」
「お前の無駄に長くて聞きたくもない話の所為で頭が痛い……」
「ユーリ、それは"現実逃避"って言うんだよ?」

半眼でぼやく親友に小さく舌打ちすると、彼はまた肩を怒らせると、延々と続くのではないかと思われる説教を始めた。
面倒くさくて話の半分以上を聞き流そうとし――ふと、少し離れた場所に見慣れた桜色を見つける。

「フレン、エステルの護衛って今日の予定に入ってないよな?」
「あ、うん。確か今日は部屋から出られるご予定はないと伺って……って、だからユーリ! エステリーゼ様をそういう俗称的な名前で呼ぶなんて失礼に―――あ、こら、ユーリ!」

そのまま駈け出したユーリの後を追う様に、フレンもまた纏う鎧の重さを感じさせない速さで走りだした。



「エステル」

名前を呼ばれて、エステリーゼは本を持ったままびくりと体を震わせて振り返る。
黒く長い髪を靡かせた、彼女をエステルと呼ぶ騎士団など、彼女の知る中では一人しかいない。

「あ、あの、ユーリ……!」
「今日は出る予定ない、ってフレンから聞いたぞ?」
「あの……書庫で借りていた本の期限が切れそうだったので……」

しどろもどろに言葉を続けるエステルの視線は泳いでいる。ユーリは深くため息をつくと、彼女の頭を、こつん、と軽く叩く。

「そういう予定があるなら、俺に言えって言っただろうが。フレンなら融通利かないかもしれないが、オレなら上の命令なんて蹴っても気に留められないぜ」
「すみません。遠征が近いと聞いたので、ユーリに無理を言ってはいけないと思いまして」
「お前が内緒で出るほうが仕事増える。何かあったらどうするんだ? フレンなんか、この間、城内で暗殺者に狙われたんだぞ。まぁ、アイツだからあっさり返り討ちにしたけどな」
「そうなのですか!? ユーリも大丈夫です!?」

ユーリの言葉に心配そうに団服を掴む彼女の頭を優しく撫でつつ、彼は苦笑する。

「オレなんかよりもフレンの方が人気だから大丈夫さ。とはいえ、お前が狙われる可能性だって十分――――」
「ユーリ、エステリーゼ様を"お前"呼ばわりするなって言っただろう?」

背後に立った親友が彼の頭を叩き、さらりと訂正する。半眼で振り返るとフレンは二人を眺めてため息をついていた。

「エステリーゼ様、最近は城も完全に安全とは言いきれていません。ですから、なるべく移動は誰か護衛と一緒にお願いしますね。後、ユーリ。ちゃんと"エステリーゼ様"って言いなよ」
「あ、いいんです、フレン。私からユーリにそっちの名前で呼ぶようにお願いしていますから」
「ですけど……」
「一応、これでも"貴族令嬢"の命令ですよ、フレン隊長ー」

にやりと笑って言うユーリにつられてか、エステリーゼもまた、声を洩らして笑う。それを眺めながら、フレンは苦笑交じりの吐息を洩らす。
城に軟禁生活をされているエステリーゼと、親友で最近副官になったユーリを引き合わせたのはごく最近だった。上の方には「信頼のある部下に、貴族の護衛になれさせるのは当然でしょう?」と無理を言って合わせてみた。
結果、自分の話でしかあまり笑顔を見せなかった彼女は、出会ってからのユーリにあだ名を貰ってからというものの、いろいろな場面でよく笑う様になった。ただし、元々素行問題を指摘されているユーリに変なことを教わったのか、部屋からこっそりと抜け出す回数も増えてしまっているが。

「とりあえず、本を返しに行くんだろ? ――――フレン、良いよな?」
「ちゃんとエステリーゼ様を部屋にまでお連れするんだよ。また下町に行って遊んでいたら、明日中に済ませる書類の量を増やすからね」

部下の行動を先読みした上司の言葉に、彼が呻くような声を洩らす。そんな様子に、彼女がまた口元に手を当てて桜色の髪と華奢な肩を揺らす。
フレンは一度その場でエステリーゼに向き直ると、きっちりとした角度で礼をした後、ユーリの肩を叩いて踵を返す。そんな彼の後ろ姿を眺めながら、ユーリはため息。

「相変わらず変なところで固いよな、アイツ。まぁ、内側から法を変えるために頑張ってるんだけどな」
「ユーリも頑張ってるのでしょう?」
「オレは……ま、アイツの手助けをするのが性に合うだけって話だな」

エステリーゼの言葉に肩をすくめてユーリが呟く。困ったような表情を浮かべる彼女を見下ろすと、苦笑して桜色の柔らかい彼女の頭をくしゃくしゃと掻き撫でる。

「んじゃ、書庫に返したら下町に行きますか」
「え、いいんですか?」
「どうせフレンも分かってんだろ。素行問題指摘されてる部下だと分かってて副官に置いてるんだからな」

にやりと笑って顔を見合わせ、二人は揃って笑う。
――――そうして、騎士団一の問題者とお姫様が、帝都にある城の廊下を歩きだした。


いは可能性として


(「っていう、展開があるとおじさんは踏んでみる」
 「ぜってーない」
 酒を飲んだ中年男性の簡単な空想を、青年は頬を引き攣らせながら一蹴した。)