The dog is lovely.

おい、エステル。
なんですか?
…………ちょっと背を向けてみろ。
あ、はい。何かついてますか?
お前、別に動物じゃないよな?
えーっと……あ、人間も動物ですよ。
そういやそうだったな……いやじゃなくて……何かアタッチメントとかつけてないか?
いえ。この間合成した眼鏡はバッグの中に入れてありますけど。
何でお前、走りまわる時に、こう……ぱたぱたっつーかなんつーか……。
急いでるときはぱたぱたしてますけど、あの、足音とか迷惑でしたか……?
足音が迷惑ならリタやカロル達を真っ先に注意してるだろうが。
そうですか?
アイツらの方が喧しいことことの上ないからな。――――エステル。
はい、なんですか?
……いや。わりぃ、なんでもねぇよ。
ふふっ、変なユーリです。
変で悪かったな。
エステルー、ちょっと手伝ってくんないー?
はーい、リタ、今行きますねー。
(パタパタかける彼女の後姿を見て、ほらまた、見えないはずの尾を動かしているのが見える気がした。)


1/しっぽは


じどうで


うごくのです


2/おるすばんは


きらいです
一枚ぺらりと紙をめくる。
目を通して、またもう一枚ぺらりと頁をめくる。
静まり返った部屋には誰の姿もなく、彼女が本をめくる音が響く。
少女は顔をあげた。城にいた頃となんら変化のない状況なのに、思わず周囲へと視線を巡らせてしまう。

何かを思い出そうとして、しかし思い出すことが出来ずに考えることを止めた。
いつも城にいた時には静寂が彼女の傍に寄り添っているものであり、人と話をするというのはむしろあまりない特異な状況だった。
しかし今は全く逆の生活を送っている。喋るのが普通で、喋らない日というのはまずない。

何となく落ち着かずに本をその場に置いて、うろうろとし始める。
何故落ち着きなくなってしまうのだろうと考えれば考えるほど、足の動きは自然と部屋に一つしかない扉の方へ向けられる。
しかし、部屋を出てしまっては荷物の管理をする人がいなくなってしまうことに思い当り、またベッドの上に腰掛ける。
もう一度意識を本へ向けようと、彼女はベッドの上に投げ置いた本へ手を伸ばす。

ふと、廊下を走る音に少女は顔をあげた。
扉が開く。その先に買ってきたものを両腕に抱えた仲間達の姿を見て、彼女は安堵と共に笑顔で声を上げた。

「おかえりなさい!」

(ちょっとした騒がしさが彼女の心に安息をもたらす。)
いつものようにエステルがやってきた。
何も言わずにオレが黙って武器の手入れをしていると、アイツは俺の隣に腰をおろして不思議そうに武器を見つめる。見慣れてるだろうによくもまぁ飽きもせずに見やがる。
そういえば、こいつは武器の手入れをしているのだろうか。尋ねてみると、考え込みながら小さな唇を開く。

「剣の時にはフレンから教わった方法でちゃんと手入れをしてます。あ、でも、杖の時は汚れを拭き取ることしかないです」

フレンの名前が出て、思わず顔をしかめてから、気づく。何でオレはアイツの名前が出ただけで顔をしかめにゃならないんだ。アイツはアイツ、オレはオレだろうに。
案の定、最後までご丁寧にじっと見てたエステルは、顔をしかめたオレに不安そうな表情を向ける。

「あの、杖ももっときちんと手入れしたほうがいいのでしょうか?」

お前の問題はそこなのか。
思わず出かかった突っ込みを飲み込んで、軽く頭を掻く。

「まぁ、術増幅部分の魔核(コア)は丁寧に磨いておくといいかもしれないな。汚れ一つで技の威力が変化する、っつーのは聞いたことがある」

言いきるだけ言いきって、オレはまた無視を決め込んで武器の手入れを始め――――れるはずもなく、いつものようにエステルをちらりと一瞥。
立ち上がる、という点ではすでに準備万端らしく、座ってはいても地面に両手をついている。
好奇心というよりは強請っているとしか思えない視線が何か痛い。
そわそわと体を揺らす時点で、毎度のことながら、到着したばかりのこの町の中を見て回りたいのだというのがよく分かる。
他の奴らはそれぞれ買い物に行ってるか、もしくは部屋にこもって寝ているので、恐らく、前者はそもそもいないし、後者は誘うのは難しい。
ちなみに一人で行かせると確実に迷子になるとは思っていたので、最初の時点で一人で出歩かないようにオレ自身が言ったのだが、今更ながらにそんなことを言った過去のオレに後悔の言葉でも述べておきたい。

ああ全く、分かりやすすぎる反応を理解する自分に対して、頭が痛い。

「……外に出るぞ。行くんだろ?」
「はい! 有難う御座います、ユーリ」

確か何かの本で"確信犯"なんていう単語の説明があったが、こいつは多分それだ。"道徳的な理念に基づき、本人が悪いことでないと確信して行動すること"というあれだ。
オレに言わせれば、半分以上が厄介事ばかりを行ってるような気がする。
とはいえ、こいつ(エステル)になるべくなら、悲しそうな顔はさせたくない。自由に振舞われるのも面倒だが、だからといって、折角自分でやりたがってる事に手を貸さないわけにもいかない。

手入れを丁度終えた武器を鞘にしまい、いつもの一定位置につるして立ち上がる。かしゃんと武器が納まった音を確認してから、手を引いて街へ向かう扉へと、オレ達は足を向けた。

(何かこそこそ光景を眺めてにやついていやがったおっさんは、後で思いっきりこきつかってやる。)


3/おさんぽは


まだですか?


4/ごはんは


おなか


いっぱいで


ちょうど


いいのです
「んじゃ、片付けするか」
「そうですね。カロル、御馳走様でした」


「どういたしまして――――にしても、エステルって小食だけど何でもきれいに食べてくれるから、僕としては作りがいがあるんだよ。リタは色々残すけど」
「う、煩いわね、しょうがないでしょ! 嫌いなものは嫌いなのよ!」
「ふえー、食った食ったー。んで、今日の皿洗い当番は、エステル嬢ちゃんとユーリだから、明日はおじさんも労働なのねぇー」
「それじゃ、私は少し運動してこようかしら」
「ジュディスって食事した後にいつも運動してるよね」
「おっ、もしかしてそれがその美しいスタイルの秘密――」
「おっさん、それセクハラよ」
「ひんにゅーなお前さんにそれは言われたくんがっ!!」
「へぇーそー。直ぐに死にたいって言うなら、術の威力全開でいってもあたしは構わないけどー?」
「……口は災いのもとだね」
「何か言った?」
「い、いや別に!」


「何か騒がしいな、あいつら」
「はいどうぞ、ユーリ。お皿、洗い終わりました」
「ん。――……そういやお前、食事量ってあんなくらいの量なのか?」
「ええ。もう少しだけ食べれるかな、ってくらいにしておくと丁度いいので」
「もう少し食べれる、ってことは……まだ食えるか?」
「とりあえず、ですけど。ユーリは何か残したのです?」
「別に食事で好き嫌いしたわけじゃねぇけど……ほら、これ」
「?」
「昼間に助けた坊主の母親から礼をしたい、ってせがまれた時に、坊主が大量に持ってた飴から引き抜いたやつ」
「"アップルグミ味"って書いてますね。ユーリはいらないのです?」
「オレは食うだけ食って腹膨らんだからな。ほら、こっち向け――――どうだ?」
「ん、美味しいです! アップルグミの味がします!」
「そりゃ"アップルグミ味"って書いてあるんだからな。……まぁ、満足ならいいが。腹、膨れたか?」
「はい。お腹一杯です。有難う御座います、ユーリ」
「気にするなって。ほら、片付けの続きするぞ」

(背後のてんやわんやの騒ぎの裏で、ほのぼのとした会話はしばし続けられた。)
ラピードは困った。
自分の人生の中で困ることなど、主人の私生活を見てた中ではあまり無かった。あっても、その都度、出来うる限りの手段を講じて主人と乗り切っていた。
しかし今回の問題は、自分が犬であるという点である。人間であればそもそもそういう事態に陥ることはなかっただろう。こればかりはどうあってもどうしようもない。どんな手段を持ってしてでも不可能だ。無理である。確か主人が胡散臭そうに見ている中年の男性は『インポッシブル』とかそんな言葉を使っていた気がする。意味は分からないがまぁ大体間違ってはいないはずである。

ちらりと、彼は自分に抱きついて主人の毛布に籠もっている彼女を見上げ、それから窓へと目を向ける。
窓の外から見える光は仲間の少女が使う『インディグネイション』もかくやの轟音を放っている。空を覆う暗雲からはバケツの水をひっくり返したような勢いの雨粒が落下してきており、吹き荒れる風は『テンペスト』が連続的に続いていれば恐らくはそういうものだと納得できるくらいの大荒れぶりだ。

少女は自分から手を放そうとしない。最初は逃げようともがいてみたのだが、外の稲光と轟音の度に体を震わせて抱きついてくる様子を見ると、あまり無下にも出来ない。だからといって抱きつかれているのは非常に不本意ではあるが。

主人は部屋にいない。部屋全体の電源系統が、この雷の所為で麻痺したため、それについて宿の主人のもとへ向かったようである。もしもいれば自分はこうやって彼女に抱きつかれていることはない。
付け加えるなら部屋の中には絶対にいない。絶対である。

再び外が眩しい光に包まれ、戦闘とは別に、魔物の咆哮とは違う意味で恐怖を生み出す激しい音が響き、体が締め付けられる。毛布を被っているからなおさら暑い。暑すぎてそろそろ無理にでも逃げ出したいところである。逃げ出せないのは、単純に彼女が鎖も強く握っているからだ。このまま無理に引っ張ると、少女のほっそりとした手のひらを傷つけてしまう恐れがある。
とりあえず口に咥えている煙管を器用に揺らして、小さくため息。少女は目を瞑って震えている。それを見るだけだと、何故、戦闘の際には現時点よりも激しい戦いにも屈することなく術技を使って援護をすることが出来るのか不思議でしかたない。
少しだけ鼻先を押し当てると、少女はこちらの名前を呼んでから――――ふと、手を離す。宙を彷徨った手は、被っていた毛布の裾に落ち着いた。

「あの、御免なさい……苦しかった、です?」

正直に頷いてやると、少女の表情が曇る。否定してしまえばそれは嘘になるので、それはそれで駄目だと思うのだが、どうにも返答は難しい。
また光と音。やっぱり抱きつかれる。謝ってから抱きつくのもどうだろうか。

と。扉が開いて、主人の姿をとらえる。雷を背にして浮き出た主人の表情は呆れとため息だった。
少女は目を瞑っているのもあって気付かない。
主人が足音をあまり立てないいつもの調子で近づく。そして。

「おい」
「きゃっ! ……あ、ユーリ……?」

主人が彼女の肩に手を置くと、驚いて自分を抱く手が緩み、ラピードはその隙を狙ってするりと腕から脱出。代わりに、主人が少女の頭を軽く叩いて、空いている手を掴む。

「あのな、何でオレの部屋に入ってるんだよ、お前」
「あの……電気が消えてしまったので、ユーリのところへ行けば分かると思って」

反応に困った主人が軽く頭を掻く。少女が困ったようにうつむく。それを尻目に眺めながら、あけっぱなしのドアの方までとととっと走り寄る。
振り返ってみると、少女の傍に彼は腰をおろしていた。

「この雷の所為で、暫く電気はつかないらしい。動かない方がいいだろうな」
「あ、あの、ユーリ……」
「部屋に戻れとか言っても仕方ないからな。ただお前、戦闘の時は平気で、自然なのは駄目なんだな」

もう何度目とも分からない光と音で主人の腕に勢いよく抱きついた毛布にくるまれた少女が首を小さく縦に振ると、主人が深くため息。
それから空いてる手で頭を撫でているのを確かめてから、ラピードは部屋を出ると、鼻先で扉をゆっくりと閉めた。

(その日の夜は、結局、出てくる気配のない扉の外で寝ることにした。)


5/かみなりは


きらいなので


いっしょに


ねるのが


ただしいのです

(提供:207β いぬっころ5題 より)