道具。ツール。
つまりは他の目的のために利用される"もの"で他人に利用される"もの"。
存在意義が消えた途端、その"者"は"物"になってしまう。


例えば彼は、再び生を受けた時から"物"だった。


「シュヴァーン」

名を呼ぶ声。
聞き慣れているのは当然で、もはや生きていた当時からよく見知った人物だった。振り返ることもせず、ただ背中合わせに立つのは、もはや習慣だ。偽物の心臓が動く音が耳障りなほどの静かさの中、彼が肩をすくめたのを空気の動きで理解する。

「やってもらいたい仕事と言うのは他でもない。姫様の"護衛"だ」

裏に隠されたのは監視の意味。遠まわしに言うのは、どこか芝居じみた彼の癖としか言いようがない。普段通り無言で説明の続きを促すように、目を向ける。

「ついでというわけではないが、エアルクレーネの様子も確認してきてもらいたい。まぁ、それはリタ・モルディオの仕事であるから、君に何かをしてもらうわけではないが」

そこで彼は言葉を切り、此方へと振り返る。訝しげに眼を細めると、男の口元が軽く歪む。背筋に寒気を覚えた時には、既に疑問が投げられていた。

「ところで、宙の戒典の方は見つかったか?」
「まさか。どうやって行方不明の英雄を探せと言うんです?」

呼吸も間もおかずに返答して肩を竦める。見に纏う鎧が服の裾と擦れて微かな音を洩らす。
暫しの間だけ男は目を細めていたが、まぁいい、と呟いて肩を竦めると、その場から歩き去っていく。傍に控える女性が、何事もなかったかのように後を追う。
その後ろ姿を眺めてから、彼は小さなため息。同時に、上空から落下してきた水滴が少しずつ黒髪を濡らす冷たい感触に身震いをする。先程までは曇り空だけではあったが、もともと地域柄、雨が降りやすいのだ。
何故そんなことを理解しているのかと言えば、生き帰ってから自分は、全体的な時間の半分以上を元々住んでいた帝都ではなく、この大陸で費やしている。もっといえば、昔いた場所にあまり寄りつきたくないだけなのだ。
その十年前ならば雨に振られる生活というのはそうそうなく、むしろよく被っていたのは血の雨だったことを皮肉にも思い出して、彼は唇を歪めた。そんな詩的なことを考えるほどに自分が年老いたのか、或いはそういう道化の生活が板に染み付いてきたのか。
偽善をする人間が美しいものだと思うつもりなどさらさらないが。
シュヴァーンは頭を左右に振ると、団服が濡れる前に宿へと向かった。思考はすでに、任務をこなすことの方へ向かっていた。



例えば彼は、再び生を受けたが、"物"のフリをした"者"だった。


変装を解き、縦長の鏡を見ながら襟元を直していると、唐突に扉が開く。同時に、大切な女性に一番懐いていた少女達(の片方)が飛びついてきた。

「イエガー様っ!」
「ドロワット、イエガー様の着替えの邪魔をしたら駄目だろ」
「えー、ゴーシュちゃん、硬いのぉ。イエガー様、邪魔じゃないよね?」

服の袖をひっぱりながらきらきらとした目で持って見上げてくるドロワットに、イエガーは軽く笑った。

「イエス。ドロワットはいつもヴァイタリティーがフルですね」
「えへへっ、褒められたのん!」
「全く」
「もちろん、ドロワットをサポートするゴーシュもビューティフルガールですよ」
「え、あ……有難う、御座います」

軽いウィンクと共に目を向ければ、褒められたことが嬉しいらしく、僅かに顔を赤らめて頭を深々と下げる赤毛の少女の姿がある。抱きついていた緑色の髪をした少女も視界に収めると、彼は軽く眼を細める。
自分が"彼女"の為に出来ることをしようと思える一番の理由として、この二人の少女達があった。十年という歳月の中ではっきりと自我を保つ気になれるのは、ただひたすらに前に進むことを教えてくれる"生きた"二人が傍にいるからだった。そうでなければ、恐らく自分はただの"物"として生活していたのだろう。
脳裏にもう今は亡き彼女の面影がよぎる。胸に埋め込まれた心臓魔導器の音が耳元で響いた気がする。
ふと、腕が強くひかれてバランスを崩し掛ける。視線をおろしてみれば、唇を軽く尖らせて不安そうな少女の姿がある。

「イエガー様、そんな表情しちゃやーなの……」

ちらりと目線を前方に向けると、態勢を軽く崩している鏡に映る自分は、自嘲気味な笑いを浮かべていた。鏡を見つめる瞳がうつろな死人の色を見せる。慌てて軽く口元を隠し、肩をすくめるのではなくて背伸びをする。傍にいたゴーシュもまた、同じように不安そうな表情をしているのが見えた。

「ゴーシュ、ドロワット」

名前を呼ぶと、二人が揃って顔を上げる。表情からは何とか不安を押し隠しているのが目に見えている。恩義を感じているが故の忠実具合が、自分にとっての救いであり、そしてまた心配事である。

「サンクスです」

その言葉に、年相応の笑みをそれぞれ浮かべる二人に、心が安堵を覚える。

「さて、そろそろタイムなので、ゴーしますよ。凛々の明星(ブレイブヴェスペリア)にダウンされては、ミー達のプランがトラブルデース」
「はいなのだわん!」
「了解」

傍を飛び跳ねる少女とつき従う少女に挟まれたまま、彼は歩み出した。
"彼"の野望を止めるために。
それが唯一、今は亡き彼女の願いだと思えるのだから。
――そして、自らの偽善を貫く方法なのだから。


コインの


(突きつけられた現実は同じであるにもかかわらず、違う選択を選んだ二人は、ある意味で光と影と言うべきか)

081012/実はこの話は一か月前に書いてあったのですが単純に出し惜しみしていたわけで(だって一週間に一回の更新で文章出すの大変d(蹴)まさかテイルズマガジンのvol2の方で公式との見解が一緒になるとは考えていませんでした。うっそおっ!?
偽善、という問題。実はこんなところで言うことでもないんですけど、飯塚としては、ここにエステルもまた、レイヴンやイエガーとは正反対だけど近しい雰囲気がある様に思えます。矛盾した言い方なのは分かっているのですが、何か物事の善悪に対する判断と言うのが何となく全体的にはどちらにも正反対でありながら本質と言うか根本的なところが近しいというか……そう言う意味で「道具」のテーマでエステルの描写も入れようと思って、そしたらタイトル合わないじゃんと言うことで没。三人いたら合わせ鏡でも良かったんですけどねー……思いついて後悔する自分って一体orz