目の前で息絶え絶えに壁にもたれかかっている青年の前で、魔女は満足そうな、それでいて恍惚そうな表情で、彼を見下ろしていた。

「ねぇ、どうかしら、テイル君」

その言葉に、青年がじろりと紅色の瞳を向ける。彼の着ている茶色の服には、腹部から黒い染みが少しずつ広がっており、その一部は壁や地面を伝っている。
魔女の青い髪が、少しばかり赤色に染まった白いドレスと共に、路地の風で揺れる。口元を三日月に歪めると、赤く濡れた手袋で、彼女は彼の頬を朱色に塗りたくっていく。その背後には、戦闘によって共倒れした互いのポケモン達の姿が見える。

「何が……」
「私の所へいらっしゃい」

すっと顎を掴み、自分の方へ顔を向けさせる。彼の瞳が一層、深く細まるのを眺めつつ、彼女は続ける。

「最近、とても暴れているって聞いたわ。家に中々帰ってこないから、セイナちゃんがとても心配していたわよ」
「アンタには……関係、ない……」
「そんなことないわ」

にこりと微笑み、彼女はもう片方の手で握っていた小型のナイフを見せる。青年の血で汚れたそれに指先を這わせ、その血をぺろりと嘗める。

「だって、私が貴方を刺しちゃったんですもの。それに、貴方のポケモンを重傷にさせてしまったわ。だから、怪我が治るまで責任を取ってあげる」
「…………それが狙いか、お前の」
「狙いだなんて人聞きが悪いわぁ、テイル君」

息絶え絶えの彼を抱きしめると、自分が刺した彼の傷の部分を強く圧迫するように抱きしめる。うめき声を漏らす彼の耳元で、魔女はとびっきりの笑顔をした。

「私、ただ貴方のことが、とっても大好きなだけなんですもの。特に、私だけに向けてくれる憎悪の混じった感情、愛してるわ」





目が覚めたと同時に、テイルは被っていた毛布をはねのけて、周囲を見渡した。
自分が眠っていたベッドの傍には開くことが出来ないように固定された窓があり、そこからは、冷たい月明かりが降り注いでいる。部屋の中には目立った置物がなく、小さな机と椅子、クローゼットが一つあるだけだ。その部屋を、テイルは知っている。しかし、自分の家の部屋ではない。彼がこの"屋敷"に来た時に、必ず割り当てられる部屋だ。
そして、この屋敷に来た時には――――必ず、あるものが着けられる。
テイルはそっと、首元に手を当てた。そこには、人肌の温度とはかけ離れた、冷たい鉄の感触があった。それが、首周り全体を覆っている。
彼は窓を見た。光の反射で、自分の姿が映って見える。人気のない暗い部屋の中に、やや乱れた茶色の髪の男が、冷たさを感じる紅色の瞳でこちらを見返している。そして、細い首には、黒い鉄の首輪がはめられていた。ふと、視線をはだけている上半身に向ければ、傷を負っていたと思しき腹部には、丁寧に包帯が巻かれてあった。
と、その傷を思い出したからなのか、強い痛みを感じて、テイルは刺された場所を抑えつつうずくまる。気づけば、先ほどまで白かったはずの包帯が少しずつ赤く染まっていく。はねのけた毛布を無理やり破ると、それを腹部に巻きつけて強く縛る。痛みが何とか意識を保たせ、呼吸が少しずつ安定していく。
そこでふと、テイルは、もう一度、自分の周囲を見渡し、

「グマ……?」

自分の手持ち達の姿がない。どころか、彼らを納めたはずのボールがないのだ。先ほど締め付けた傷を刺激しないように気をつけつつ、彼は暗闇の中で目を凝らす。しかし、置いてありそうな机の上にはなく、毛布をひっぺ替えしたベッドの上にも転がっていない。なにより、自分が起き上がった時に彼らの反応がないのはおかしいのだ。それぐらいに、自分は数時間前まで、彼らを無視して暴れていたのだから――――つまり、この部屋に、自分の手持ち達はいないのだ。
何故、という疑問が浮かぶ前に、テイルは、自分が現在いる屋敷がどこであるか、ということを思い出して、

「"アレ"は全部、こっちで回収して、今は回復させてるわ」

ガチャリ、という扉を開く音と共に、この屋敷の"主"の声。ふい、と顔を向ければ、自分を刺した女がこちらに歩み寄ってくるところだった。服装は、外で会った時のものではなく、寝巻のような薄手の服だ。じろりと、テイルは女を――メイミを暗闇の中から睨みつける。

「本当か?」
「あらぁ、私が嘘を言って、何か得があるかしらぁ?」
「ふざけるな。大体お前は、基本的にポケモンを嫌って――っ」

おどけるような表情を見せた彼女に思わず反論しようとして、しかし、先ほど開いたらしい傷口に痛みを覚えて、テイルは言葉を飲み込みつつうずくまる。と、その様子を見下ろしていた彼女が、いきなり、テイルの事を抱きしめる。突然の事に、そして痛みのほうが酷くて振り払う事が出来ない状態で、彼は鋭い視線でメイミを睨む。
しかし、彼女は酷く可笑しそうな声で笑いながら、露わになっている裸の背に指を這わせる。

「それよりテイル君、私とゲームしないかしらぁ?」
「ゲーム、だと……?」

痛みから息が僅かに荒くなっているテイルに、メイミは妖艶にほほ笑む。背を這っていた指先は、するりと、彼の首に嵌められている鉄の首輪を撫でる。彼女が、彼がこの屋敷にいる時に必ずつけさせているそれは、彼女にとっての依存先であり、縛り付けるための枷だ。そして、彼にとっての――自分の意識を、現実に戻すものであった。
メイミを見てくるテイルの顎を掴み、彼女は顔を近づける。

「この三日間で、私の指定した物を、この屋敷の中から探すの。ただし、私の相手をしながらよ。もし見つかったら、貴方の勝ち。見つからなかったら、私の勝ち」
「その勝敗に……何を、賭けるんだ」
「そうね……もしもテイル君が勝ったら、私の屋敷からもう出ていっていいわ。でも、もし見つけられなかったら、暫くは私の家にいてもらうっていうのはどうかしら? その間、私はテイル君を好きなように出来るんですもの」

その言葉に返事をすることなく、テイルは何とか彼女の腕を軽く振りはらい、じろりと睨みあげる。

「それで、何を探すんだ」

紅色の瞳を細めて呟くテイルの言葉に、メイミは、口元を三日月に歪めて――それは、甘美の味をかみしめるかのような表情で――言った。

「生きているピンク色の兎、よ」


***************


「テイルを、かえして下さい」

そう言ってやってきた少女を、メイミは何とも楽しそうな表情で見つめた。様々な事件があってから五年経ったが、彼女はその間にそれなりの成長をしたようだった。少なくとも、自分に対して"敵意"を見せる程度には。

「あらぁ、セイナちゃんも人聞きが悪い事を言うのねぇ。テイル君は、今、"保護"してあげているのよぉ」
「かえして下さい」

言葉遊びをするつもりはないのか、少女――セイナは、ボールを構えつつ、もう一度同じ言葉を呟く。前言撤回せざるを得ないだろう。彼女はそれなりではなく、きちんと成長したようだ。
桜色の髪の下には、数か月前までなかった――キングダム地方と言う場所を旅してから、彼女は更に成長をしたようだ――怯まないはっきりとした意思の色が、瞳に見て取れる。
数年前であれば、きっと彼女は、こうして自分のもとを訪れることもなかったであろうし、こちらの言う事を素直に聞いていただろう。歳を重ねることで厄介になった一方で、メイミなりに、何となくではあるが、そういった彼女の変化は楽しく思えていた。肩をすくめて、メイミはセイナを見つめる。

「ねぇ、セイナちゃん。どうしてそこまで、テイル君を"かえして"欲しいのかしらぁ。今の彼は、ポケ人における副作用で破壊衝動が酷いそうよぉ。貴方を傷つけたくなくて貴方から離れて行ったという話、私、貴方に探すことを頼まれた時に言ったと思うけど?」
「知っています。知ってるから……だから、迎えに来たんです」

意図が読めずにメイミが首をかしげると、セイナははっきりと――――メイミを睨みつけた。

「私が、テイルを止めて見せます」

その発言に、メイミは一瞬だけ、目を丸くして――――寒々しいほど、そして馬鹿馬鹿しいほどの、女性の笑い声が彼女の口から零れ出る。セイナはじっと、笑い続けるメイミを睨みつける。やがて、嘲笑と侮蔑を含んだ笑いを洩らしつつも、メイミは目の前の少女へと目を向け直した。

「じゃあ何かしら。貴方は、彼がもしも人を殺しても、その責任を負えるのかしら? そもそも、貴方に、私のように、彼を止めるほどの抑止力があるというの?」
「抑止力はありません」
「だったら」
「でも――――止めます。そう決めたんです、私」

一歩も引く様子のない彼女を前にして、メイミは笑いをひっこめる。青く冷え切った瞳が、感情を全く見せず、冷淡に少女を見つめる。暫くして、

「それじゃあ……ゲームをしましょう、セイナちゃん。それに勝ったら、テイル君をかえしてあげるわ」
「ゲーム?」

今度はセイナのほうが首をかしげる番だった。警戒の意識は解かず、しかし、意図が分からずに、彼女は不思議そうな顔をした。

「そう。三日間、私が用意した場所に留まるの。その間に、貴方が生きたまま、その意思が変わらなかったら、貴方の勝ち。少しでも、貴方の意思が揺らいだり死んじゃったりしたら、貴方の負けよ」

説明をするメイミの表情は、酷く、さめきっている。しかし、セイナを見つめる瞳だけは、何か、深い憎悪のようなものを孕んだ色を帯びていく。
じっと見つめてくる少女の視線に応えるように、メイミは笑って言った。

「私、昔は凶暴なポケモンが沢山いる檻に閉じ込められていたのだけれど、貴方をそれと同じ空間の場所に閉じ込めるわ。三日間、そこでポケモンを使わずに生き延びて御覧なさい。そうでなければ、彼を止めるなんて、到底、夢物語と悟りなさい」



魔女吊るされた青年



(「ねぇ、セイナちゃん。――貴方に、絶望っていうのを教えてあげるわ」)

101216(加筆)/本編設定よりも5年後で、セイナが18歳くらいにまで成長した後のお話。ちなみにテイルは23歳、メイミは30歳という、実は三十路迎えた上でのお話。おばさんこえええええええ(…)
この数か月前に、キングダム地方と言うところで、様々な事件に直面して、一通り成長して、自分の恋心に気付いた感じという。メイミは、最初のころはセイナについては、理想論だけの甘い小娘だと思っていたのですが、彼女自身が成長していく様子を見てて、それを心の奥底では少し嬉しく思っているという。
テイル自身は、メイミが今なお自分に対して歪んだい愛情を持っていることは知っているので、彼女が自分を束縛しようとしていることに対しては、正直、迷惑半分であるものの、自分の破壊衝動(*後述)を抑え殺すレベルでの実力があるので、やや依存気味だったりする。一方セイナに対しては、この時点ではっきりと恋愛感情を持たれて居る事も、自分が彼女に持っているという事も理解しているけど、ポケ人(*ポケモンと人間のハーフ)という存在における副作用で、破壊衝動が酷く、自分が彼女を殺してしまうのではないかと言う恐怖心から、暫く、家に帰らず、この頃は、ただ任務に明け暮れる毎日を過ごしていた状態。
メイミとしては、正直、セイナとテイルが互いに思ってるけどすれ違いっぽくなっているのは知っているし、心の隅ちょっと位には認めている。というより、自分がテイルと結ばれることなどないとハッキリ分かっているものの、心のどこかで依存気味な自分を嘲笑っている、という感じ。
今回のメイミの行動は、成長して、自分に対して"きちんと"敵意を持ったセイナに対して、今後の彼女を案じて提案したもの。本当にセイナが、テイルの事を止めることが出来るのかどうか、その見極めを含めています。……まぁ、でも何割かは、セイナの意思が揺らいで、テイルのことを諦めたることを願っている可能性もあるとは思いますが。後、死んでくれることも。絶対。
まぁ協会四天王と言う立場にあるだけあって、変人狂人と言われつつも、ちゃんと人を試す程度の常識はあるわけですよ、多分。