「ライティ、お皿の準備、お願いね」

パルルゥと了承の声を上げて、デンリュウがひょこひょこと戸棚の方へ向う姿を眺めてから、ワカナは壁に掛かっている時計を見上げた。起床から既に一時間。その間に身支度をし、朝御飯の準備を済ませた。

「後はエメラルドが起きてくるだけだけど……」

もう一度、時計を見る。
昨日は泊まっていった彼は、今、彼女の部屋で熟睡しているだろう。実際に部屋を出るとき、彼が寝ているのを確かめて出てきたのだから間違いは無い。針は既に、昨日就寝したと思しき時間から、裕に七時間は越えていた。
少しだけ黙考。デンリュウが重ねた三枚のお皿を恐る恐る運んでくる姿を眺め、決心したように一人で頷くと、歩き出す。

「あ、ライティ、後はお箸のほうをお願い。私、ちょっとエメラルド起こしてくるから」

そういうと、ゆったりとした動作でワカナはデンリュウの横を通り過ぎ、自らの部屋がある二階へと登っていく。
今にも歌でも口ずさみそうな上機嫌な主人に首を傾げつつも、デンリュウは紅い宝珠の乗った尻尾を律儀に振った。



出来るだけ音を立てないように開いた自分の部屋。普段いない存在がいるだけで、部屋は全く勝手知っている場所ではないような気がして、彼女は思わず苦笑する。
窓の直ぐ傍、大きなベッドの傍には脱ぎ散らかした服があり、その持ち主である銀髪の彼は小さな寝息を立てて瞼を閉じていた。

「全く、もう」

口は不満を漏らしていたが、表情は困った子供を見守る親のような優しげなもので、彼女は脱ぎ散らかされている服を綺麗に畳み、傍の机の上におく。
畳み終わってもう一度彼のほうを見るが、規則正しい寝息はそのままで、瞼も落ちたままである。
肩を竦め、そして意を決したように彼に近づき、ベッドの空いているところに腰を下ろす。昨日、自分もまた同じベッドの上に寝ていたので、腰を下ろす空間はあった。
窓から零れる光が彼の銀色の髪の上に降り注ぎ、月明かりに照らし出された零れ落ちる滝を連想させる。そっと手を伸ばし、彼の前髪を脇の寄せ、穏やかな寝顔に安堵をつく。
好奇心から少しだけ手を伸ばし、思ったよりも柔らかな彼の髪を何度か梳いて見る。さらさらと砂のように手をすり抜ける感触を一通り楽しむと、肝心の起こし方を考える為に、ワカナは思案顔を浮かべる。
時間帯としては、まだ寝かせておいても特に問題はない程度の時間だった。
では何故起こすのかといえば、ただ単に彼女が作ったばかりの温かい朝御飯を彼と取りたい、という願望のためだけであり、完全な自己満足のためなのである。なので、無理に起こすつもりはなかった。そうして黙考してはみるものの、取り留めの無い考えは上手い具合に形とならず、いまいちひっかかりを覚えない。困った表情で、彼女は彼を見下ろし――あまり見ない無謀な横顔を前にして、普段の仕返しではないが悪戯心が擽られる。

「……寝てる、わよね……?」

誰にとも無く呟くと、ワカナは片手で彼の右頬に触れ、愛おしそうに撫でつつ、様子を伺ってみる。触れられている当人は、特に身じろぎ一つせず、未だ瞼を下ろしていた。
起き上がる様子がない事を確かめると、彼女はもう片手でもって彼の顔を挟むようにし、少しだけベッドに躯を乗り上げる。そして、手はそのままにエメラルドの上に覆いかぶさるようにすると、ゆっくりと顔を近づけ、僅かに触れる程度、唇を重ね合わせて――。


気づかぬうちに背後に回された彼の手が腰元を捕らえ、そのまま体勢を崩した彼女は彼の横に転がり、すぐさま抱き寄せられる。重ねていた柔らかな唇の合間を縫って、彼が舌を滑り込ませると、彼女の躯が僅かに震える。どこか怯える様子の彼女を諭すように、背後に回した手で愛おしそうにその背を撫でつつ、何度か角度を変えて、求め合うように口付けを繰り返す。
僅かな水音が部屋の中に響き、そこに不完全な呼気と僅かな喘ぎ声が混じると、彼のほうから名残惜しそうな様子で唇が離れた。


突然の事に呼吸が上手く出来ず、目元に生理的な涙を浮かべるワカナの背を、頭を、未だ彼女を抱きしめるエメラルドが優しく撫でる。何度か続く不規則な呼吸音と咳は、暫くして安定した物になっていった。
やがて、落ち着いたらしいワカナが非難めいた目を向けるのに対し、エメラルドはあからさまに面白がっている表情で平然と告げる。

「いやな、お前が隣に座った時に目が覚めたんだが、折角だからとちょっと寝たフリして、反応を楽しんでみた」
「………………ばか」
「いやいやワカナさん、起床早々彼氏向って開口一番にいう言葉がそれですか!?」

肩を竦めてがっかりとした様子を見せるエメラルドの腕の中、言葉を呟いたワカナは顔を伏せていた。
訝しげになったエメラルドが、何とはなしに彼女の顎を掴み、そのまま自分の方へ顔を向けさせ――頬を熟れた果実のように頬を染める彼女は、顎を掴まれても無理に顔を背けていた。
その様子に満足げな笑みを浮かべて、一言。

「もしかして、朝から行為とか――」
「バカ! 何でそんなことに繋がるのよ!」

両手は抱きしめられているが為に上がらないが、それでも反射的に顔を上げてきっぱり否定する。
ふと、顔を上げる事で改めて見ることになった不服そうな表情のエメラルドから、何となく目が反らせない自分がる事にワカナは気づいた。
朝の日差しを反射する金色の瞳は、好奇心と探究心を含んだ彼らしい輝きを放ち、服を纏っていない上半身は服を着ている時には分からない肉付きのよさが浮き彫りになっている。納得がいかずに曲がっている口元から僅かに溜息が零れ――それが無意識かもしくは自分の見間違いだとは思うのだが――その動作がたまらなく艶っぽい。
視線に気づいたらしいエメラルドが、くすりと笑ったのを見て、それに自分の心臓が早々と脈打って――自分がどれだけ彼に依存しているのかを思い知ったかのように小さく溜息をつくと、彼の方へとしな垂れかかる。
突然の事に、やや驚いた驚いた表情のエメラルドから恥ずかしげに視線を外しつつ、呟く。

「……少しだけ…………」
「え?」
「少しだけ、いう事聞いてあげるわよ。本当はあんまり無理して起こすつもりなかったし。でも朝御飯、あるんだから、その……ちょっとだけ、よ」

それ以上言いたくは無いのか、躯を反転させて彼の何も着ていない胸元に顔を埋め、両手がベッドの裾を掴む。
その様子に苦笑したエメラルドが片手でワカナの前髪を避け、額に口付け。そして、僅かに躯を屈めて目線を同じところに持ってくると、柔らかく熟れた紅い唇が重なり合い――。

「パルルゥー」

ばたん、と無遠慮に扉が開く音。
ついで入って来たのはデンリュウだった。片手にお茶碗、もう片手にお箸を持っていた。そして、ぱたぱたと慣れた動作で近づくと、道具を持った両手を掲げて――カンカンカン、という陶磁と棒の衝突音が鳴らされる。

「パルル、パルルルゥー」
『腹減った、ってことらしいで』
「あ、ご、ごめんなさい、ライティ! 今、エメラルドも起きたみたいだから準備するわね」

自動的な開閉スイッチ音と共に、ボールから飛び出てきたエーフィは事も何気に説明の言葉を述べる。
呆然としていた二人の視線がデンリュウへ、エーフィへと向けられる。そして、その説明にワカナが困った表情をするなり、するりとエメラルドの腕の中から抜け、ぱたぱたと慌てて――少なくともエメラルドのポケモン達に見られていたという事実に思い当たってか、羞恥心で顔を紅くして――部屋を出て行き、彼女が階段を下りていくことで、部屋の中に響く音と振動が、未だエメラルドの乗っているベッドを揺らす。
開け放たれたままの扉を見つめていたエメラルドは、主人が何故慌てるのか理解できずに首を傾げるデンリュウと、平然とした表情のエーフィを見つめ、呻き声を漏らす。

「――お前等、そんなに俺"達"の邪魔したいのか!?」
『今のはエメラルドが悪い。朝っぱらから盛る発情期も滅多にいないやろうに。なぁ?』
「パルパルゥ」

平然とした突っ込みと頷きに、彼は両手をついてベッドの上で暫く沈んでいた。


そう簡単に上手く行かない世の中


(「なーワカナ、食事終わったら二階でさっきの続きは――」「食事中になんでその話になるのよ、アンタは!」
 ワカナの裏拳によって椅子ごとひっくり返ったエメラルド。そんな主人達の"スキンシップ"に、ポケモン達が一斉に溜息をついた。)

071120/ところでコイツが良いような悪いような思いをしているのは要するにそういう奴だからです。
滅茶苦茶変なところで運が悪いといいさ! ちなみにテーマは「人の起こし方」。最近、やけにエメラルドが書きやすい……。