「ロキ、ディンは?」
「ああ、隊長でしたら今日一日はいませんよ。今日は満月ですから」
「あ、そっか。今日は毎月のオイルガ山脈での修行日だっけ? いいよなぁ、ディン。俺もついていきたかったー」
「無理ですよ、フォル。貴方が登るには、ポケモンの強さも、貴方の強さもまだまだですから。 ――そもそも、隊長が貴方を"あのお方"に逢わせたくは無いでしょうし」
「"あのお方"?」
「…………さて、そろそろティアが来る時間ですよ。何時ものように訓練するのでしょう? 見てあげますよ。あ、どうせでしたらクインも誘いましょうか。彼女のことです。暇を持て余してそうですし、何よりティアの対決させると面白いですからねぇ。
 フォル、クインにバルコニーへ来るよう、呼びに行って貰えますか?」
「ん、分かった。うっし、今日は絶対に勝ってやるー!」


「やれやれ……フォルと"あのお方"を引き寄せたくないというのも、確かに隊長の考えには含まれていそうですが、一番はやはり――」

その場を走り去っていくアイレッド族の少年の姿に目を細めつつ、参謀長官は仮面に覆われていない口元に綺麗な笑みを浮かべ、呟いた。

「憎悪に塗れた姿を見せたくない、というとことでしょうか」


* * *


「ライト、火炎放射!」

主人の掛け声に、地面を二本の後ろ足で蹴り上げてその場から飛び出したヘルガーが、"青年"目掛けて紅蓮の炎を吐き出す。燃え盛る炎は渦となり、山頂の風に煽られてさらに明るい色に染まる。
青年はそれを肩を竦める事であっさりと躱し、後退。その一瞬を狙ったかのように、背後からムクホークが青年へと突っ込む。

「ブレイブバードだ、サイン!」

一瞬にして突っ込んだその攻撃を技と成し、力を溜め込んだ最大威力の攻撃が青年を捉える。が、青年はまたしても躯を右に大きく空中へ逃す事で攻撃を避け、威力が抑えきれなかった衝撃波が地面を削り、ムクバードが主人の前で急停止。

「ピッド、十万ボルト! フロス、リーフブレード!」

空中へ逃げた青年を追うようにして、エレキブルが背中の触角を使っての電撃を放ち、挟み込むようにしてエルレイドが自らの刀を素早く煌かせる。青年がそっと躯を縮めると、瞬間的に山風特有の強風が吹き荒れ、二体のポケモンの照準がずれ、体勢が僅かに崩れる。その隙を見計らったかのように、青年がエレキブルとエルレイドの二体の背中を蹴る事で地面に叩きつける。

「ツェト、ハイドロポンプ!」

ギャラドスが咆哮と共に口腔から強力な水流を吐き出す。空中で落下している青年を直撃する――その手前で、青年が腰元から刀を取り出す。その刃を僅かに煌かせ、構え、振るいあげる。瞬間、周囲に突風のような気流が渦を巻き、ギャラドスの放ったハイドロポンプの軌道が反れる。

「ウィル、のしかかり!」

地面に着地した青年を待ち構えていたかのように、カビゴンが青年へと大ジャンプ。しかし青年は焦る事無く自らの影の上にカビゴンの影が重なった瞬間、素早い速度で攻撃を躱し――青年が、指示をしていた人物の元へ、銀色の刀身を煌かせて真横に構えながら突っ込んでくる。
指示をしていた男性は、金色のぼさぼさとした髪を僅かに揺らし、橙色の瞳を鋭くさせる。そして、腰から下げていた鞘より長剣を素早く引き出し、青年の攻撃を捕らえる。
ぐっ、と力が篭った刃が重なり合い、青年が力押しのためか一旦後退。それに追い討ちをかけるように男性が刃を煌かせた剣を振り下ろす。銀色の軌跡はしかし空中に描かれて、実際の物は何も捕らえていない。
青年は、無表情で相手の剣を受け続けている。やがて、背後に大きな岩がある為に後退できないと知ると――吐息と共に剣を目より上の高さで構える。
男性の瞳に何か怒りのような物が混じり、さらに鋭く細められる。剣を腰に据え、"突き"を放つ。

しかし、男性の攻撃が青年を捉えることはなかった。
ほんの僅かに青年が躯を捻る事で、"突き"は交わされる。
青年が太刀を振り下ろす。一瞬で出来た乱気流。
それは不安定な足元を崩すには十分すぎる方法で。
男性が踏みとどまろうとするその手前に、青年が剣を閃かせて。

"柄"を、男性の腹部へねじ込ませ、そのまま向かい側にある岩へと突き飛ばした。


「っはぁ、はぁはぁ……"手前"」

普段ではまず出てくるはずもない荒れた声と口調で、オーディンは叩きつけられた岩から躯をゆっくりと起こす。背中を叩きつけられた衝撃は予想以上に大きく、しかも先程"柄"によって突きこまれた鳩尾からの鈍痛が、躯を動けなくさせている。
彼の目の前に立っている青年は、オーディンと比べれば非常に小柄だった。茶色の髪に金色の瞳の――それはオーディンに見慣れた顔を連想させる――彼は、呆れて溜息をつく。

「情けないな。精神が乱れすぎてる。――そんなんでは、俺を殺せないぞ?」
「煩い! 手前が、そんなことを……言えた、義理か……!」

凛と澄んだ声はどこか見た目にはそぐわないほどの淡々としたものだった。青年が嘲笑うような笑みを浮かべると同時に、オーディンは自らの躯を叱咤して立ち上がる。
手持ちのポケモン達が心配そうな表情で見るのも構わず、オーディンは杖代わりに使った剣の切っ先を、青年へと向ける。
その瞳は憎悪に満ち溢れ、彼の殺気が更に濃密なものになっていく。しかし青年はさして気にするでもなく肩を竦めると、その先を持っていた剣の先であっさりと弾く。
キンッ、と金属の擦れ合いが響いたかと思うと、次の瞬間にはオーディンの手に収まっていた剣は弾かれて地面を滑り、離れた所で停止。

「切っ先が震えている。一瞬の打撃に対して躯を上手く固めなければ、そんなものだ。やはり、お前はまだまだ"餓鬼"だな」

見た目から比べれば、目の前の青年はオーディンよりもあからさまに年下に見える。しかし、そんな雰囲気など感じさせない"悠久の時"を生き続けた威圧感と似て非になる空気を、青年は雇っている。
青年の言葉にオーディンの顔がはっきりと怒りに歪む。痛みと恐怖で震える躯を起こし、黒いグローブをつけた右拳を固める。
無言のまま、オーディンは青年との合間を一瞬で詰め、無防備な様子でオーディンを見下ろす青年の鳩尾へ、握りこぶしをねじ込ませようとして――、

「だからお前は"餓鬼"なんだよ、"ディン"」

冷笑が青年の口元に浮かぶ。オーディンの顔が、虚を突かれた顔になる。
一瞬後には、オーディンが青年の真横へと倒れこむ。青年はその場に平然と立っており、今倒した男性の鳩尾に蹴りを決めた足をゆっくりと地に落とすところだった。

「とにかく攻撃が甘い。今日は特に連携も最悪だ。ああそうだな、今までの訓練の中でも、今日が一番つまらん日だった」

青年の言葉に、オーディンがぎりりと歯を軋ませる。ただ憎悪に燃える昏い瞳が青年を見上げる。しかしそれ以上に躯を動かすことは困難らしく、躯を起き上がらせることはなかった。
呆れたように肩を竦めていた青年だったが、ふと、何かに気づいたかのようにオーディンを見下ろす。そして、

「ああ、そうか。今月はあれか――あの日があった月か」
「……だま、れ……」
「なるほど……お前の腕は当然鈍るわけだな。何だ、もう十二年も経っているのにまだ引き摺っているのか? ハッ、お笑い種だな!」
「うる、せぇ……だま、れ……っ!」
「誰が黙るかよ餓鬼。いいか? お前はあの時、お前の父親である"セルト"と、母親の"シリア"に庇われたんだ。何でか分かるかよな? お前が非力だったからだ。お前が非力だったが為に、お前は何も守れはしなかった。お前は今も変わらない。――いいか、お前はまた"失う"んだよ、全てを」
「黙れッ!」

オーディンが倒れたまま青年へと叫ぶ。しかし青年は、酷く冷めた、それでいて嘲笑うかのような視線を向けると、くるりとオーディンへ背を向ける。
青年の向う先には小さな小屋があり、煙突からは白い煙がゆったりと空へ伸び上がっていた。それを見つめて、青年は一度、憎悪の瞳を燃やしているオーディン達へと振り返る。

「おい"ウィル"、"餓鬼"はもう持って帰れ。動かないのもそうだが、多分肋骨が何本かイッてるはずだ。後、面倒なんで関節を外した。利き腕じゃない方だから、あの"参謀長官"にでも治して貰え。アイツ、腕は確かみたいだからな」

青年の言葉に、ウィルと呼ばれたカビゴンが外に出ている他の手持ちポケモン達と顔を合わせる。全員が全員、誰ともなく頷く。
そして、オーディンを抱きかかえると――全員が敬意を表すお辞儀をし、青年に背を向けて歩き出す。

「お、いっ……ウィル、離せ、離せ! 殺させろ、アイツを……アイツを、殺させろっ……! 一度でいいんだ、一度で! お願いだ、お願いだから! ちっ、きしょうっ、離、せ!!」

オーディンはただカビゴンの腕の中で声の限り叫び、ひたすらに暴れようとする。困った表情のカビゴンは、しかし主人の命令を聞くことはなく、無言で歩き続ける。残りの手持ちポケモン達も、カビゴン同様に主人の命令を聞くことはなく、無言で、顔を伏せて山を下る。

「殺して、やるっ……! 絶対に、絶対に……俺は、手前を、殺してやるからな……ファレンハイトーーっ!!」

キングダム地方に存在する巨大な山の連なる場所、オイルガ山脈。
その最も大きな山の頂上。
オーディン=ブライアスの悲鳴と怒声の混じった叫び声が、そこに木霊した。


S C R E A M



(オーディンはいつも、山を降りてくるとボロボロだった。
 ロキはいつも、何も言わずに彼の治療をしている。
 ゼロはいつも、無言で彼の肩を軽く叩いてみせる。
 ヴィエルはいつも、優しげな微笑を向ける。
 フォルはいつも、不思議そうに首を傾げる。
 フレイヤはいつも、泣きそうな顔で彼を抱きしめて「お帰りなさい」と囁く。
 いつもは何時までも続くか分からなくても、それでも彼は、精一杯"いつも"を守ろうとしている。)

070408/オーディンがファレンハイトを毛嫌いする理由。ちなみにオーディンの覚えている体術の師匠っていうのはこのファレンハイトだったりもする。