2.


「あ、おはよー、カオス……ってあいたあああっ!!」

二階から駆け降りてきたミュウツーは、朝ごはんの準備をしていた現在の主人を見つけるなり、彼の頭を思いっきり殴りつける。そして、二度三度、自分の手の感触を確かめるかのように、握ったり開いたりしてから、

『おい、シュウ』
「ううう……カオス、朝から殴っておいてなんなのさ……」

頭を押さえて呻く少年――――シュウを、カオスは暫くじっと見つめる。やがて、ふいと視線をそらしたかと思うと、そのまま居間を出て、再び上の階へと上がって行き始める。ふらふらと揺れる紫の太い尻尾に問うようにして、シュウは慌てて階段下から呼びかける。

「え、ちょっと、カオス!? 朝ごはんはいいの!?」
『いらん』

それ以上は謝罪の言葉も何もなく、ミュウツーはシュウの部屋へと消えていく。

「な、なんかあったのかなぁ……?」

普段から気分屋で自己中心的だというのは、シュウ自身、もう15年もの付き合いで把握している。ただ、彼がここまで理不尽なことをすることは、

「ないわけじゃないけど、でも、理由なく殴って部屋にこもるのはどーだよ、うん」

ぶつぶつと文句を呟きつつ、シュウは放り投げていた朝ごはんの支度を始める。
一連のやり取りを眺めていたイーブイが、主人と同じく憤慨するように傍でぴょんぴょん跳ねている。その様子を、バンギラスは注意深く見つめていた。





朝ごはんが食べ終わっても、やはりミュウツーは下に降りてくることはなかった。呼びに行こうかともしたのだが、それを遮ったのは、父から譲り受けたバンギラスだった。彼は階段を上ろうとするシュウの襟首をつかむと、首を横に振る。

「行かない方がカオスを怒らせなくて安全ってこと?」
『ギャゥ』

そういうわけではない、と言いたげなように、バンギラスは難しい表情で首を横に振った。

「うーん、じゃあ、俺が行った方が更に面倒なことになりそう?」

こくりと頷くバンギラスを前にして、シュウは髪を掻きながらため息をついた。
元々、カオス自身、この目の前のバンギラス同様、(ある意味で)譲り受けた存在だ。ただ、普段は人間に化けたり、自由奔放に振る舞っているために忘れがちではあるが、彼はあくまでも、シュウの手持ちポケモンなのだ。その手持ちを自分が管理できないというのは、トレーナーの管理不届きではないのだろうか、などと思ってしまう。
シュウは階段上の自分の部屋へ続く扉へ顔を上げる。そして、階段の壁を三度ほど叩くと、

「とりあえず落ち着いたら、説明しなくて良いから朝ごはん食べに降りてきなよー」

特に追及するでもなくそう言うと、シュウは踵を返してリビングへと戻る。後ろからついてきたバンギラスが、少しばかり嬉しそうな表情をしている理由が分からず、訝しげに思いながら、彼はソファーに座りこんだ。
暇を持て余したイーブイが、仲間のメタモンと戯れているのを眺めつつ、シュウはバンギラスを振り仰いだ。

「それにしても、俺、ちゃんと、お前やカオスの主人やれてるのかな……」

自分手持ちに強さとして異常な偏りがあるのは、シュウ自身がよく知っていた。イーブイは初心者ポケモンとして貰ったポケモンであり、メタモンは初めて捕獲した野生のポケモンだ。しかし、残りの手持ち、バンギラス、ギャラドス、ミロカロスは、父親から譲り受けたポケモン達だ。
更にミュウツーのカオスに至っては、シュウにとっては保護者も同然だ。幼少時は、ポケモン協会内部での問題が大きく、大抵の関係者は本来は自由に遊べなかったはずだった。しかし、シュウにはカオスがいたことで、割と自由に遊ぶことが出来ていた。同年代の友達をつくる環境はなかったが、それでも、週に2〜3度ほど近くの公園に連れて行ってもらっては、彼やポケモン達に遊び相手となってもらっていた。

「俺にとってさ、カオスはやっぱり、保護者って言うか……兄貴みたいな感じなんだよ。それは、お前やギャラドス、ミロカロスもそんな感じで。……正直、未だに俺は、お前達が手持ちと言うより、家族みたいに思えるんだ」

特に、カオスに対しては。
シュウの周りにいるトレーナーは、大抵は、仲間やパートナーと言っている。しかし、彼らに育てられてきたシュウにとっては、ミュウツーやバンギラスは親の様なものだ。

「だから俺、主人っていう実感、未だに沸かないんだよなぁ」

それでも、世の中に出てしまえば、ポケモンと言うのは人間自身のパートナーという定義であり、彼らの行動を管理できない主人というのは問題視されてしまう。シュウにとっては、カオスが自由にやっていることなど、家族が自由にしていることと何ら変わりないと思っている(とはいえ、迷惑をかけるようなことばかりであるのは事実だが)。

「まぁ、それで昨日、怒られたけど……」


***


管理不届き。それは昨日、イーブイを公園で遊ばせていた時の話だった。
とにかく走り回りたがっていたイーブイをボールの外からだし、ついでに、他のポケモン達もボールの外に出してやった。ギャラドスやミロカロス、バンギラスといったポケモン達にとって公園は狭い空間であったものの、外に出れるという事は嬉しいらしい。彼ら自身は暴れることなく、のんびりとしていた。メタモンのほうはイーブイに変身して一緒に公園内を駆け回っており、ミュウツーのカオスはそんな彼らの様子に呆れつつも満更出ない表情で話をしていた。
時間は平日の昼下がり。普通に子供など遊びに来ることもないと思っていたのだが、その日は珍しく、一人の子供が公園にやってきた。どこにでもいるような子供で、パッと見、幼稚園ほどか。黒い髪に黒い目の色だったので、一瞬、シュウは自分の子供時代をでも見ているような錯覚に陥った。
公園の入口に来た瞬間は、ベンチ近くに大型ポケモンが三体もいたためか、公園の入り口で様子をうかがっていた。と、子供にいち早く気づいたイーブイは、走り回るのを中断すると、子供の足元まで来るなりじゃれるように体を寄せる。
子供のほうはそれで気を許したのか、今度は羨ましそうにシュウのポケモン達を見つめるので、シュウは子供を自分の方まで手招きし、自分のポケモンを紹介した(ただしカオスに関しては説明するのが面倒だったのでボールに戻して省いた)。
話を聞くに、どうやらその子供は最近違う地方から越してきたばかりらしく、シュウの手持ちポケモンは一匹も見たことがなかったという。とても興奮する子供を前にして、シュウ自身も気が緩んでいた。そこで、子供にせがまれた彼は、手持ちポケモン達の技を見せてやった。
イーブイのとっておき、メタモンの変身、ミロカロスのなみのり、ギャラドスの竜の舞、バンギラスのストーンエッジなど。技はどれも被害が出るようなものでもなかったし、実際、それを目の当たりにした子供はとても興奮して喜んでくれた。

――――それが問題だった。

そうこうしている内に、気づけば辺りは暗くなっており、ヤミカラスが空を飛びまわり始めていた。

「家に送っていこうか?」

そんなことを尋ねた時だった。
女性が誰か名前を読んでいる声が、遠くから聞こえてきた。それにいち早く反応したのは、一緒にいた子供だ。「お母さん?」尋ねて首を縦に振ったところで、公園の入口に、一人の女性が立っていた。艶やかな黒髪は夕焼けの色を受けて、少しばかり明るい色を帯びていた。黒い瞳が目一杯開かれているのと、子供が「おかあさん!」と舌足らずな調子で女性に駆け寄ったのを見るに、子供の母親だとは直ぐに判別がついた。
その様子にシュウは満足げに笑うと、バンギラス達も戻し、自分もまた家へ戻ろうと立ちあがったときである。
女性が、子供をその場に留まらせて、大股でこちらに近づいてきた。何事かと身構える暇もなく、女性はシュウの目の前に来るなり、

「どういうつもりなの?」

意味が分からずに目を瞬くと、女性は鬼の様な形相でシュウを睨みつけた。

「大型のポケモンを公園に放っておいて子供と遊ばせるなんて! それに、ポケモンの技を使ったですって!? 貴方、あの子に何をしたの!」

ヒステリー気味に詰め寄られて、シュウは呆然とした。「何をした、って、別に遊んだだけなんですけど……」その発言は、どうも心の火に油を注いでしまったらしい。顔を一瞬だけ真っ青にさせたかと思うと、先ほどよりも大きな声で女性は叫んだ。

「何てそんな事をしたの!? あの子に何かあったら、貴方は責任をとるの!? トレーナーとして最低よ、管理不届きだわ!」

そのまま、呆然としているシュウなど見向きもせずに背を向けると、女性は詰め寄った時と同じように大股で子供の傍まで行く。そして、子供を抱き上げ、声を一転。我が子を慈しむような笑みで子供を撫でつつ、「知らない人と遊んじゃ駄目よ」と言いながら、その親子は公園を去っていた。
叩きつけられた言葉には確かに意味があるのだが、しかし、シュウはただ、呆然とするしかなかった。暫くそうしていると、まだボールに戻していたなったイーブイが、シュウを慰めるように足元にすり寄っていた。

「キュゥ……」
「うん。……帰ろうか」


***


「俺さ、母さんがいないから、あの人がああやって怒る理由、ちょっと実感がないんだよなぁ……」

あの女性が怒ったのは、自分の子供が危険にさらされる可能性があったからなのだろう。だが、いくらシュウが見た目頼りないからと言っても、もうトレーナーとしてはそれなりの腕前だ。何より、自分の手持ちポケモン達は加減を知っているからこそ、ポケモンの技を見せたり、ボールの外に出しておくことが出来た。
自分があの子供と同じ立場だったとしても、恐らく、手持ちポケモン達は心配することはないだろう。彼らのほうが、トレーナーに対しての見る目は自分以上にある。それこそ、あのカオスに至っては、危なかったとしても文句を言わなかったかもしれない。

「なぁバンギラス。俺の感覚って、やっぱり駄目なのかな」

小さなため息と共に、彼は、父から譲り受けた、今は亡き母の元相棒を見上げる。バンギラスは即座に首を振った。そして、慰めるかのように、両手と身体をぶんぶんと動かす。見て取れる内容としては「お前の母親だったら怒らずに、むしろ喜んでた」という感じであろうか。
思わず、シュウは笑った。

「そうなのか? っていうか、俺、母さんの話を父さんからあまり聞いたことないんだよな……聞いたら、教えてくれるかな?」

神妙なほど大真面目に頷くバンギラスを見てか、ボールの中のギャラドスやミロカロスも頷いていた。事情は把握できてないイーブイやメタモンも、それに倣って首を縦に振る。そして、バンギラスは上の階を指差した。
シュウは、笑いながら頷いた。

「じゃあ、まずはカオスが朝飯食べに来たら、その話でも聞くか」

気づけば、先ほどまで鬱々とした気持ちが晴れていた。励ましをしてくれたポケモン達に感謝し、シュウは、機嫌が直れば降りてくるであろうカオスのために、コーヒーの準備をしようとして――――ピンポーン、というインターフォンの音が玄関先から響く。

「あ、はい。今行きますー」

つけようとしていたエプロンをその場に投げだして、シュウは玄関へ向かった。


***


部屋に戻ったカオスは、気づけば部屋の隅に縮こまるように眠っていた。ぼんやりとした頭を数度叩いてから、彼はため息をつく。

『……何で夢の内容なんぞを確認したんだ、俺は……』

あのときはほとんど咄嗟にシュウを殴った。殴ったことで、夢で見たことを全部忘れようと思った。その感触はしっかりと手に残っていたし、名前を読んだ時の彼の反応は、やはり何時もの様子だった。
二度寝から目覚めた頭は、最初に起きた時よりも酷く冷静な物に戻っていた。ついで、忘れていたかのように腹の虫が音を上げる。

『ったく、この俺ともあろう奴が、どうかしてる』

軽く頭を掻いて起き上がれば、最初に起き上がった時に感じていたもやもや感はなくなっていた。
そう言えば先ほど、シュウが、説明は良いから朝飯は食べに来い、みたいなことを言ってたのを思い出す。どうにも、自分を手持ちポケモンとして扱おうとする健気な主人の顔を思い浮かべて、カオスはその場で吹き出した。
考えてみれば、わざわざ、あの少年の事で悩む自分は馬鹿らしいものだ。夢は夢。現実であれば、自分が彼を守れば良いのだ。自分には、その力がある事を、ミュウツー自身が一番よく分かっている。

『んじゃまぁ、朝飯を食べに降りますか』

瞬間。耳に届いたのは、イーブイの悲鳴じみた声と、バンギラスの雄たけび。
ほとんど反射的にカオスは部屋を飛び出した。声が聞こえた場所は、居間ではなく玄関だと分かったのは、既に家の構造を何年も把握しているからか。
そして向かった玄関先は、普段とは違う様であった。
玄関扉は吹き飛ばされており、外の入口は、エスパー技でえぐったと分かる跡が幾つか残っている。戦っていた相手を逃がしたらしいバンギラスは、怒りの矛先を失った瞳を空中へ向けつつ、舌打ちをするかのような苦々しい表情をしている。扉近くにあったらしい花瓶は割れ、入口近くの壁には何か叩きつけたような歪みが大きくあった。そして、その歪んだ壁の下に、少年が倒れていた。

『シュウ!』

周辺の気配を探索する間もなく、気絶したシュウを抱きかかえる。傍にいたイーブイが、おろおろとした表情でこちらを見上げるが、構わず、ミュウツーは少年の頬を叩く。胸が微かに上下しているのを見るに、命に別条はないようだ。しかし、少年の目は覚めない。

『おい、シュウ……! しっかりしろ、おい!』

抱きかかえた体を揺さぶり、カオスは声を張り上げて頬を叩く。
すると――――ゆっくりと、少年の瞼が持ちあがる。黒色の瞳が、ぼんやりと、虚ろな色で、ミュウツーを見上げる。それが夢の中で見た少年の姿と被り、思わず、ミュウツーの身体が強張る。
そして、少年はぼんやりとした表情のまま、

「だれ……?」

首を傾げるその姿は、酷く幼い子供を連想させるようで。
なにも言えず、ミュウツーは呆然と、主人を見下ろした。



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