その頃の私には『主体性』というのが何か理解できなかった。


* * *


 その頃の僕には『同士』というのが何か理解できなかった。


* * *


 朝食でその話をされたとき、ゼロは思わず、女王を二度見してしまった。

「ご、合コン、ですか?」
「ま、平たく言えばそーゆー感じのパーティよ、ゼロ。アタシの後を継いで国王になるんだから、早い内から王妃を見定めておくのは当然でしょう? ってことで、一週間後に開催だから。あ、今さっき決めたけど、予定は空けておいてね」

 ゼロの母親で現女王のマリアナは酷くあっけらかんにそう言い切った。元々、彼女は公務以外の場ではとても明け透けな――悪く言えば適当な――人だ。昔から母の公私をよく見ている彼にとって、彼女の突発的な言動は慣れている。
 が、それでも、内容が無視できるものではなかったので、ゼロは慌てて立ち上がった。

「そ、その、待ってください、マリアナ女王! 私は今、自分以外の誰かを大切にする自信など持てません!」
「決めるの面倒なの? じゃあオーディンで妥協するのね、アンタ」
「あの、そういう訳ではなくてですね……」

 男である親友の名前に苦い表情を返すと、マリアナは面倒くさそうに暗い赤毛を掻き、ビシッと指を突き付けた。

「いい、ゼロ? これは"皇族の務め"よ。パーティで貴族の小娘を軽く手ごまに出来ないようだと、国王になった瞬間、その立場を付け狙われることになる。王妃を見定める、っていうのもあるけど、それ以上に、アンタはそれなりに貴族の女性に対して慣れる必要があるのよ。分かるかしら?」
「わ……分かり、ました……。……出席します」

 拒否を許さないエメラルドグリーンの瞳に気圧されてか、ゼロが思わず頷く。そんな息子の態度に満足したマリアナは、一度軽く頷くと、バスケットのパンを取り上げてバターを塗りこみ始めながら肩をすくめる。

「名目はそんな感じだけど、アタシは高みの見物しながらテンパるアンタを見てにやにやしてるわよ。とりあえず、イイ女くらい捕まえてごらんなさいな」
「やっぱり、そういうことですよね…………」

 悪ふざけを何事よりも優先する自身の母の言葉に、王子は深いため息をついた。


* * *


 一連の事情を説明し終えると、親友は胡散臭いものを見るような目で見つめてきた。

「それ、マジ話か?」
「冗談であって欲しいと思うんだが……」

 ぐったりとした声音に感じるものがあったのか、オーディンはそれ以上深く追求せず、金色の髪をがしがしと掻いた。

「しっかし、17歳から王妃選びかぁ。やっぱり王子って大変そうだな」
「ディンだって大変だろう? 騎士団長である父君の後を継ぐのだとすれば、お前も早く決めるかもしれないじゃないか」
「残念。親父曰く『結婚とかは、お前が気になる人が出ない限り、こっちから手助けはしねーぞ』だとさ。母さんも親父の意見に賛成だしな。……まぁ、ファレンハイトがたまーにちょっかい出してくるけど」

 少しだけ拗ねるように不服そうな表情の親友に思わず笑ってしまう。
 ゼロ自身、騎士団長とメイド長の一人息子であるオーディンとは、長い付き合いになる。当然、彼の両親のこともよく知っている。彼らはキングダム地方の四天王も担っている実力者の二人だ。真面目に仕事をこなす一方で、部下である騎士団員やメイド達からの信頼も厚い、心優しい人たちである。
 ちなみに、ファレンハイト、というのも四天王の青年で、騎士団の参謀長官だ。幼少期から様々な面倒を見てくれていた彼は、オーディンにとって師というより親の様な存在だ。
 口煩い義理親の姿を思い出してる彼を笑うと、呆れたような目を向けられる。

「おいおい、笑ってる場合じゃないだろ、ゼロ。それでお前、どうするんだよ?」
「どうって……まぁ、出るしかないからなぁ。それなりの対応でしのぐしか……」

 すると、オーディンが悪戯を思いついたような笑みを浮かべて、ゼロの肩に腕を回す。周りに聞かれないように意識した風に――しかし周囲には別に彼らしかいないバルコニーだが――声を潜める。

「折角だから、お前の魅力とかで落としてみろよ」
「お、落とすって、それは失礼すぎるだろう、ディン!」

 顔をやや赤くして首を勢いよく振ると、オーディンが意地の悪い笑みのまま見返してくる。

「いいじゃねぇか。王子っていえば貴族の娘がころっと落ちる、魅力ある位置だろー? マリアナ様も、貴族相手に足をすくわれたら困るから、ってことなんだし。いっそ、こっちで相手の足をすくってやるのが礼儀だろ」
「ディン、貴族の女性全員が全員、僕の足をすくうためにやってくるわけじゃないだろう。もしかしたら、普通に親交を深めるため、って可能性もあるかもしれないし」

 困ったように言うと、オーディンは大仰な様子でため息をついた。

「甘いな、ゼロ。この地方における"国王"って地位は、貴族でなくても誰にも魅力的な響きだ。物語の話じゃないが、この地方を自由にできる権力がある立場なんだからな。お前を落とし込めればこのキングダム地方を思いのままに出来るーとか、アホなこと考えてる大人がうじゃうじゃいるんだぞ」

 鳶色の瞳が真剣なまなざしで向けられて、ゼロは"黒い瞳"でそれを見返した。ほんの少しだけ、相手に合わせるように真剣な表情をして、

「……それ、ファレンハイトさんの受け売り?」
「…………やっぱばれる?」
「ディンがそんな真面目な話、知ってるような気がしなかったからね。カマをかけてみただけだよ」

 やれやれと肩をすくめた横で、オーディンは肩に回していた腕を離し、つまらなさそうな表情だった。変なところで悪戯が好きな親友にとっては、多分、普段から"いけすかない"貴族をからかえる機会というのは、絶好の悪戯場所なのだろう。騎士団員として常に鍛えている彼の肩を叩き、ゼロは苦笑した。

「ここで文句を言ってもしょうがないのは分かってるんだ。ただ、女性に対して好意を持つ、って感覚がまだ分からないだけで……」
「で?」

 少しだけ考え込んだ彼は、結局、肩をすくめて言いなおした。

「今回のパーティでそういう人が見つかれば幸い、かな」


* * *

「お姉様!」

 部屋の中で丁度支度を終えたらしい姉を見つけて、フレイヤはパタパタと近寄る。普段から綺麗な姉は、今日のパーティに出るためにいつも以上に着飾っていた。白を基調としたそのドレスは、フレイヤが見立てたものだ。姉は元々綺麗な肌をしているが、その白に生える色は、やはり白しかない。
自分が想像していた以上に美しい姉の姿は、きっと、誰もが振り返り、妬むほどの出来栄えだ。満足気にほほ笑むと、姉はいつもの冷めた表情を少しだけ和らげ、フレイヤの頭を撫でてきた。

「ごめんなさい。貴女を連れて行けなくて……」
「そんな、気にしないでください。それより――――とてもお綺麗ですわ、お姉様! きっとこれなら、王子様に見初められるかもしれない。いいえ、見初められるに決まってます」

 自信を持って頷くのだが、姉の表情はどこか晴れない。精一杯笑みを浮かべると、暫くして、姉は困ったように微笑んだ。

「そうね。折角、貴方の見立ててくれたドレスを着るんですから。――ルアーブル家の恥にならないよう、気を付けますね」

 ふわりとほほ笑む姉に心が躍り、フレイヤは照れたように顔をそらした。いつも自分の心配をしてくれる姉が大好きで、特に、自分にだけ見せてくれるほほ笑みは、フレイヤにとって密かな自慢だった。
 姉は決して笑わない、という訳ではないのだが、必要がなければ笑うことをしない人だった。――特に、自分の娘であるはずなのに、まるで疎ましい存在の様に接するあの両親が相手の時には、必要以上に表情を変えていない。
 今日も、王族の遠い親族であるルアーブル家の代表として出席する姉に対して、彼らは何一つ声をかけていない。ただし父である男性だけは、フレイヤには姉の見送りをするよう一言いってきたが。

(言われなくても、そのつもりですもの)

 普段から仏頂面の父親は、母親の違う姉と自分にとって、共通の肉親だ。何があっても、母親たちの言いなりになっている当主は、政略結婚で姉を生み、本当に愛した女性との間に自分を生んだ。とはいえ、どちらの女性も、彼を信頼しているとは思えなかった。それは、本当に愛されているはずのフレイヤの母親もだ。
 ――――フレイヤは、欲にまみれてしまった自分の母が、あまり好きではない。

「フレイヤ?」

 ふと名前を呼ばれ、彼女は顔を上げた。心配そうに顔を覗き込んできた姉と視線が合って、一瞬のけ反るも、すぐさま苦笑して見せた。

「なんでもありませんわ、お姉様! そ、それより、そろそろ迎えの人間が来られるのではないですか?」

 すると、姉が一瞬、何か言いたげな表情をした。しかし、それもほんの一瞬のこと。フレイヤが確認するように瞬きしたときには、姉は自分にだけ見せてくれる笑みを浮かべていた。

「そうね。行ってくるわ、フレイヤ」
「ええ。お気をつけてくださいませ――――ヴィエルクレツィアお姉様」


* * *


 王城フォンクラーシス城の、やや暗い二階の渡り廊下。
 延々と続くのではないかと錯覚するようなそこを、二人の青年が、一方はとぼとぼと、もう一方は普通に歩いていた。


「……なぁ、ディン。とてつもなく帰りたくなってきたんだが、どうしたらいいだろうか?」
「おいおい頑張れよ、王子様。まだパーティ会場に入る前じゃないか」

 遠くからパーティ会場の様子を眺めていたゼロは、既にぐったりとしていた。
 パーティ会場内は、まだ開始前の時間でありながら、続々と貴族たちが集っていた。それぞれ顔見知りの者達は、既に立ち話を始めており、城に仕えるメイド達が慌ただしく動いている
。煌びやかなホールでは様々なドレスで着飾った少女たちが集っており、若い青年貴族に声をかけている者も何人かいる。
 今回のパーティは、女王マリアナの気まぐれによって行われたパーティだ。名目は親睦会としているものの、既に貴族内では王子による王妃見定めのためのパーティであることは言われている。そのため、王子の正妃になろうと考えている貴族の女性や、或いは王子を見定めるために来ている貴族達が集まっているのだ。
 どう考えても貴族達の欲望しか渦巻いていないようなそのパーティ会場を見て、ゼロは始まる前から既に意気消沈気味だ。
 ちなみに、彼の服装は、一見すれば王子とは分からないような、ただの黒いスーツである。
 本来、王子ともなればそれ専用の服装があるのだが、基本的に派手というか、悪目立ちするものが(何故か)多い。そんな中、女王マリアナがゼロに着るよう勧めてきたのは、そういった派手な礼服ではなく、一見すれば地味とも取れるものだった。

『まぁ王子としてちやほやされるのがどうしても嫌なら、これでも着なさい。王子の顔なんてしっかり覚えている貴族の娘なんていないと思うから、そうそう声をかけられることはないでしょ。その代わり――――アンタから声をかけて、貴族の娘を一人以上落としてみなさい。あ、まぁ本命見つけたらなおよし。できなきゃ、派手な王子服でもいいわよ?』

「あの派手すぎる服が苦手だから、せめて普通の礼服が欲しいと頼んだのだが……」
「っていうか、俺の服でよかったなら貸してやったんだけどなー」

 オーディンのぼそっとした呟きに、ゼロは勢いよく振り返って、うらめしがましい目を向ける。

「なら、どうして貸してくれなかったんだ」
「マリアナ様から絶対に駄目だって話が来てたんだぜ? ファレンハイトも『面白そうだから言うなよ』って言ってたからな。後ゼロ、口調が少し戻ってる」

 "王子"として周囲の目が気になりだしてから、ゼロは、自身の言動を気にしていた。基本、キングダム地方の王の座は世襲であるため、次期国王であることが明確な彼には、常に周囲から多大なプレッシャーと期待が向けられている。国王となるにふさわしい存在であるために、ということで、最近は"王子"として振る舞う場では、一人称を"私"に変え、なるべくそれらしい言動を意識していた。
 しかし、まだまだ意識の中に国王になる実感を得れないのか、親友であるオーディンと話していると、どうも、素に戻ってしまうのだ。恨みのこもった怨念を飛ばせないかと、ゼロが憤まんたる表情で隣の彼を見つめ――ふと、窓の外に光のようなものが見えた。

「?」

 好奇心半分ともいうべきか。
 気付けばゼロは、廊下の窓を僅かに空けて少しだけ体を乗り出すと、外を見下ろした。二階の渡り廊下は、丁度、一階のバルコニーを見渡せる位置であり、また、城にやってきたばかりの貴族達の姿を一望できる場所でもある。
 ゼロが見下ろした先には、丁度、クリーム色の大きなドラゴンに跨っていたらしい女性が、バルコニーに降り立ったところだった。普通、貴族の女性というと、護衛の人間がいるのだが、その人物の周りには、大きなドラゴン以外に連れている存在は見当たらない。
 小さな羽をパタパタさせるドラゴンを優しく撫でていた女性は、白いドレスの裾を汚さないように気を付けつつ、思い出したかのようにゆっくりと歩きだす。その後ろ姿を、ゼロは何となく見つめてて――――ふと、女性が振り返った。


***


 その時を覚えているわけではないのだが、何となく、予感のようなものがあった。


***


 バタン、という音がその場よりも上の階から響き、バルコニーにいた貴族や警備の騎士団員達は、訝しげな表情で音のした方向に顔を向けた。しかし、音がしたと思しき渡り廊下の一角には誰の姿も見えず――といっても、もしかすれば、窓よりも下の方に身を隠していたのかもしれないが――結局、ただの風の悪戯かと思った彼らは、特に気にするでもなく、それぞれ目を離していった。
 その中でただ一人、先ほど、大柄なドラゴンの上から降りた女性は、音がした方向をしばらくじっと見つめていた。そこにいる何かを何とか見ようとしているように、空色の冷たい瞳が窓ガラスを反射する。と、傍で小さな羽を動かしていたカイリューが、ぽんぽんと、女性の肩を叩く。

『どうされましたか、お嬢様?』

 人間にはただの鳴き声でしかないポケモンの声は、女性にとって、人間のそれと大差ないものだ。女性は表情を変えずに首を横に振った。

「なんでもないの。行きましょう」

 自分の感情を誤魔化す様にして、彼女は歩き出した。
 僅かに見えたものが、常に世界を外側で眺めている心の何かにひっかかったなど、そんな、まやかしを振り切るように。


***


「おーい、ゼロー?」

 いきなり窓を強くしめてその場にへたりこんでしまった親友にならい、オーディンはその場に腰を下ろした。暗がりの中、目の前の王子の表情はうかがい知れない。ただ、窓の下にある壁に背を預け、両手を口元に強く当てているその姿は、とりあえず普通には見えない。
 試しに目の前で片手を振ってみるが、ゼロは何の反応も見せていなかった。

「大丈夫か? お前まさか、下に見えた貴族達に緊張したとか、そんなことないだろうな。あ、もしかして、誰かに手でも振られて緊張したとか? お前なー、王子の癖にそんなことに一々反応してたら、マジでパーティ会場で持たないじゃなんじゃないか」

 普段の軽口で自分よりも華奢な王子の肩を叩いてみるが、一向に反応がない。普段なら冗談が言えなくても手を払うくらいはしてくる彼は、その場にへたりこんでから、全く動きを見せない。流石のオーディンも、普段とは違うゼロの様子が心配になり、彼の顔を覗き込もうと体を屈める。

「おいゼロ、本当に大丈夫――」
「会場に行こう、ディン」

 覗き込む前に素早く立ち上がった王子は、そう言うなり、すたすたと歩きだす。先ほどまでの重たそうな足取りはどこへやら、やる気に満ちた(?)彼の変貌ぶりに目を瞬くオーディンだったが、慌てて彼の横に並ぶ。

「お、おい、ゼロ、どうした? 何見たんだ、お前?」

 無言のままずんずんと歩く親友の横顔は、薄暗いながらも僅かに赤みがかっているのが伺えた。それに気づいた瞬間、オーディンはにやりと笑うと、その場に立ち止まり、

「なるほど、一目惚れ出来る女がいたのか」
「なっ!?」

 その言葉に、そのまま横を通り過ぎようとしたゼロが勢いよく振り返り、オーディンの胸ぐらをつかみあげる。

「そ、そういう訳じゃない! ただ、何となく、下に見えたあの人が、気になった、だけで!」
「そーいうのって"一目惚れ"って言うらしいぞー」

 掴んだまま勢いよく揺すられつつも、オーディンはにやにやとした笑いを崩さない。
 やがて、諦めたようにその手を放すと、ゼロは身を返して早足に歩き出した。先ほどよりも少しだけ小走り気味な彼の後を追いつつ、腐れ縁の親友は半眼でぼやいた。

「しかし、ゼロが惚れる女ってことは、相当凄まじい人間だったりしてなぁ……」


* * *


 パーティ会場は、数十分ほど前に遠目で確認した時よりもごった返していた。中には、貴族以外に、ゼロと同じ黒スーツに身を包んだ騎士団員達や、給仕の恰好をしたメイド達もいる。

「そうか。目立たないっていうのは、騎士団員達と同じ格好だからか」
「お前、俺と同じ格好だっていうのに、何で今の今まで気づかないんだよ……」

 幾つかある扉からそっと中の様子を伺うゼロの呟きに、同じく黒スーツ姿のオーディンがため息をつく。一応、騎士団員にも礼服というのは存在するのだが、今回はスーツを礼服ということにしているのだ。

「まぁ、マリアナ様の命令で黒スーツに急きょなったんだけどな。多分、お前の黒スーツに合わせてってことだと思うけど……って聞いちゃいねぇし」

 ふとゼロを見れば、彼はもう話を聞いている様子もなく、じっと扉から中の様子を伺っているようだった。行き交う貴族たちの中に、目当ての人物はいないようで、彼の黒い瞳はしきりにパーティ会場内を見渡している。深いため息をついてから、オーディンもまた、ゼロにならって中の様子をこっそりと伺ってみる。
 遠目で見たときと変わらず、貴族達が華やかで煌びやかな恰好で行き交い、歓談している。何人かはポケモンを出して、互いに紹介している。基本、貴族が飼うポケモンというのは観賞用のものが多い。そのため、連れ歩くポケモン達もまた、主人に負けず劣らず着飾っている。
 今も少し離れたところで、貴族の娘たちが自分の手持ちポケモン達のどこが可愛らしいか、ということで(刺々しい口調で)会話しているのを、オーディンは半眼で見つめた。

「ったく……ポケモンを観賞用にするっていうのも、なんつーか、飼い殺しだよなぁ」
「そんなことはないだろう、ディン。ポケモンによって、得意不得意、というのは存在する。全員が全員、ポケモンバトルを得意とするわけではないさ」

 生まれながらに騎士団に身を置くオーディンにとっては、ただ単に見せびらかすためだけの"お人形"状態のポケモンの在り方、というのはあまり納得のいくものではなかった。騎士団としてこの地方の治安維持をするためには、ポケモン達との協力が不可欠だと思っているし、彼らの持ち得る不思議な力は、時として、自分たち人間には出来ない凄い芸当を引き起こす。そういった個々の能力を育ててこそ、彼らポケモンを生かしてやれるのだ。
 不服そうなオーディンをたしなめるように言うゼロは、喋りながらも会場内を見渡すことは止めない。が、中々、目当ての人物が見当たらないのか、先ほどよりも扉に噛り付くような態勢になっていた。
 特に代わり映えしないパーティ会場内を見飽きたのか、オーディンは面白半分にゼロに尋ねた。

「ところで、お前のお目当ての女性って、どんな奴だよ? 言ってくれたら、俺も探すの手伝ってやるぜ」
「いや、いい。私自身でちゃんと探す。それに……お前に言うと、からかわれる以外の未来が見えない」
「まぁまぁいいじゃねぇか。どのみち、お前が見初めた人物だっていうなら、後で分かるんだから――……」

 ふと、ゼロの視線が、パーティ会場内で一番大きな入口に向けられているのに気が付いた。同時に、扉の開く音。
 そして――――彼女は姿を現した。


* * *


 そいつは、彼女が場内に入った瞬間から鼓動を始めていた。封印されていたはずなのに湧き上がる血の疼きが、同族の存在を告げる。
 湧き上がってくる力に笑いが混みあがり、そいつは自分の小さな手で口元を抑え、肩を震わせた。長いピンクのしっぽをゆらゆらと動かしながら、そいつは、自分の腰掛ける黒い本をいとおしく撫でた。

 そして何事か呟いてから、それは顔を上げ、にいっと嘲笑を浮かべた。


***


 オーディンが真っ先にその女性を視界に収めて思ったのは、真っ白い雪、そんな印象だった。
 真っ白いドレスに、シンプルな真珠のイヤリング、そして今時あまり見ないガラスの靴。
 それは、絵本の中に出てくるようなお姫様をそのまま現在に引っ張り出したとすれば、恐らくそれは間違っていないだろう。白い肌に生える口元の薄い口紅は、女性を少しだけ艶やかに魅せていた。
 入ってきた瞬間、パーティ会場内は水を打ったかのような静けさに包まれた。先ほどまで歓談していた者達が、或いは、言い争うようにしていた者達が、はたまた口説きに入っていた者達が、会場を警備していた騎士団員達に忙しなく動いていたメイド達すらも、誰もが、扉の前に現れた女性を見つめ、そして、一斉に息を飲む。それは好みとかそういったものではなく、息を飲むような美術品を目にした、そんな光景のようなものだった。
 と、

「バウゥ?」
「「うわぁっ!?」」

 後ろから現れた存在に、ゼロとオーディンが驚きの声を上げ、同時に、そっと開けていたはずの扉から転げ出る。
 自分たちの背後から現れたのは、太く逞しい手足を持ったクリーム色のドラゴンだった。頭から髭のような二本の柔らかな角を生やしたそいつは、くりりと丸々とした瞳で、扉へダイビングして転んでいる二人を不思議そうに見下ろす。
 何とか先に立ち上がったオーディンが、自分たちの後ろから登場したポケモンを見上げる。

「お、おい、いきなり脅かすなよ! っていうか、お前、誰のポケモンだよ!」
「カイリュー」

 酷く冷え切ったような声がした方向を振り返れば、丁度、会場内にやってきた女性だった。どたどたと女性の元まで歩き出すカイリュー越しに、オーディンは改めて女性を見やった。先ほどよりもはっきりと見えた女性は、思った以上に病的な白さだった。金髪の下に見える空色の瞳は、まるでこちらの心を見透かせそうなほど透き通って見えた。まるでビー玉のようだ。
 何とはなしにオーディンが視線を下に向けると、その場に転げていたゼロは、何とか起き上がった態勢のまま、ぽかんと目の前の女性を見つめていた。ほぼ呆けているとしか言いようのない親友の頭を軽くはたいてやると、まるでゼンマイを巻いたおもちゃの様に素早く立ち上がったゼロは、女性に向き直って頭を下げる。

「あ、あの、申し訳ありません! その、レディの前でみっともない様態を見せてしまうなど……!!」
「テンパりすぎだろ……」

 泡を食って両手をばたばた動かしながら頭を下げるということを器用にやって見せるゼロを、オーディンは半眼で見つめる。と、その女性がととっと二人に近づいてくる。そして、一メートルほどの距離の所でぴたりと立ち止まり、

「どうも初めまして、ゼロ=バッキンガム王子。それにお隣の方は、現騎士団長の一人息子、オーディン=ブライアス様ですね。わたくし、ルアーブル家長女のヴィエルクレツィア=ルアーブルと申します。本日は素晴らしい夜会にお招きいただき、光栄にございます」

 上品且つ無駄のない仕草で一礼する彼女を、オーディンとゼロは目を丸くして見つめた。
 途端、静まり返っていた会場が、一斉にざわつき始める。それは、突然登場した者達が誰なのか、という疑問から、目の前の女性のある種紹介のような説明によって判明したからであるのか、或いは、突然現れた女性が"あの"ルアーブル家のご令嬢であるからか、はたまたその両方か。
 とにかく何か言葉を返さなくては。そう思って、再び慌てだしたゼロが口を開こうとした。

「あ、あの――――」
「いやあ、お久しぶりですな、ゼロ王子!」

 割って入ってきた声に振りかえれば、一人の男性貴族が――貴族達の中ではそれなりに上位といえる――にこにことした笑みを張り付けて三人に近づいてきたところだった。ゼロ自身、ある程度面識があるために無視することも出来ずに、彼のほうに向きなおる。

「あぁ、お久しぶりです。その」
「いやいや、本日はお招きいただいて光栄です。わたくしのような人間が、このような夜会に招かれるなんて――――」

 延々と話を始める男性につられてか、周囲にいた他の貴族達が、一斉にゼロへと歩み寄ってきては挨拶を始める。貴族の娘たちもまた、既に夜会に出慣れている父親や母親につれられて、ゼロに挨拶をし始める。
 その様子にオーディンは深いため息をつくと、ゼロから距離を置きつつ、先ほどルアーブル家を名乗った女性に目を向ける。彼女もまた、他の貴族達に声をかけられては、丁寧な反応と文句の付けどころのない仕草で会話をこなしていた。耳をそばだてて聞こえる会話は、当たり障りのないものでありながら、話し相手を立てる様なものばかりだ。それも、イヤミを感じさせない、さりげなさで。

(普通、貴族の会話って、嫌みの応酬か、ひたすら嘘くさいほど褒めちぎるだけのものかと思ってたが……)

 彼女と貴族達の会話は全く普通で、しかしながら、話し相手を自然と満足な気持ちにさせるようなものばかりだ。この世に気配りの出来る人間はそう多くないが、その中でも、わざとらしさを感じさせない褒め方があるなど、オーディンには到底考えれないようなことを、ルアーブル家長女は平然とやってのけていた。

(まるで、相手が望んでいる姿を映す鏡みたいだよなぁ)

 おそらく(というか確実に)彼女に惚れているであろうゼロの前で言えば激怒されかねないことを胸中で呟きつつ、オーディンは軽く背伸びをした。
 もうすっかり王子とばれてしまった今、ゼロの目論見――こっそりとパーティ会場内に入って、貴族の女性たちを見定めるというものだ――は崩壊した。オーディンはそれのカモフラージュ的な意味で一緒にいたのだが、こうなるとそっちはもう意味がなくなる。
 後、残っていることとすれば、他の騎士団員達と一緒にパーティ会場内の警護をするくらいだけだ。一応、ゼロと腐れ縁で付き合いのあるオーディンは、王子専属の護衛と言っても差し支えない。なので、貴族の相手を"王子"としての口調でこなしているゼロを視界に入れつつ、会場内を気にすればよかった。

(それにしても、ルアーブル家の長女ってことは、"あの"噂の姫君だろ……『獣の姫君』っていう)

 ルアーブル家。
 王族の血を引く遠縁貴族たちの中でも、それなりに大きな力のある貴族の一角。現ルアーブル家当主は、目立たないながらも卓越した手腕を持つと言われている。少なくとも、彼がまともな貴族の一人であるということは、統治するサンダーシティ内の住民誰もが、現生活に満足している現状からうかがい知れる。
 その現当主には、現在、二人の妻がいる。
 一人は政略結婚で婚姻を結んだ女性。同じく王族の血を引く他の遠縁貴族だという。二人目は現当主が本当に愛したといわれる女性。こちらはルアーブル家に仕えていたメイドのひとりらしく、貴族の爵位を持たない女性だ。それは正妻と愛人、という二人を囲っているようなもので、一見すれば外聞が悪いとしかいいようがない。
 しかし、ルアーブル家は没落することなく、今もたまに社交界に顔を出したりする。
 その理由がルアーブル家の長女――先ほど名乗った女性、ヴィエルクレツィア=ルアーブルである。通称『獣の姫君』。

(幼いころからポケモンと会話できる不思議な力があるとされ、更に、彼女の祝福を受けたポケモン達は、一般的なポケモンよりも強く成長する。――ポケモン自身が持つ根本的な力を引き出せる)

 それは貴族達などがルアーブル家を語るにあたって、まことしやかに流れている噂の一種類だ。他にも、過去や未来が見えるだったり、相手の心が読めるなど、胡散臭いことこの上ない噂が、尾ひれをついて出回っている。そしてあろうことか、その不思議な力にあやかろうと考えている貴族達が思いのほかいるのだ。そのために、ルアーブル家は今なお没落していない。
 ちなみに噂には、例えば容姿については誰もが息を飲むほどの美人と言われ、相手を不快な気持ちにさせない上品な所作はまさしく淑女の鏡というほど、などなど。

(普通は信じられないよな)

 どこか若気の至りで考えたような完璧超人設定のような話を、オーディンはひたすら嘘くさいと思っていた。今日、本物を見るまでは。
 例の過去や未来が見えるという部分はともかく、容姿や言動については、少なくともそれなりの信ぴょう性を持っているのは理解した。よく見れば、オーディンの好みとは違うが、一般的な"美人"の部類には入るだろう。
 先ほどまで静まり返っていた会場内も、だんだん落ち着きを取り戻し、元のそれなりの騒がしさになる。再び始まる貴族たちのどうでもいい話を聞き流しつつ、オーディンは、騎士団員の知り合いでも捕まえて時間潰しでもしようかと歩きだし――――。


* * *


 あの時、どうすれば、そうはならなかったのか。
 思い返したところで、答えは見つかるわけがなかった。


* * *


『やっちゃえ』

 そいつは、そそのかした人間にそう言った。


* * *


 扉が勢いよく音を立てて開く。
 同時に、ゼロは突然、目の前に走り寄ってきたルアーブル家の長女に、その場で横に突き飛ばされる。
 そして――――扉から吹っ飛んできた槍の様な物体が、女性の白い体を勢いよく貫いた。
 地面に縫いとめられるように、彼女の体がどさりと音を立ててタイルの上に落下。
 暗く赤い髪が揺れる。
 扉から一斉に黒い何かが飛び込んでくる。
 会場を包み込む黄色とは全く質の異なる悲鳴。
 青くなった人々の顔。
 最後に見えた彼女の表情は、白い花の中で笑っているようだった。



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