その剣を誰に捧げたものであるのか。
ゆめゆめ忘れてはなりません。


それが、きっと貴方を救うでしょう。




キングダム地方にて国王が住まい、地方全体を指揮する話し合いが行われるフォンクラーシス城。
言わずと知れた、地方の治安維持を担う騎士団達が住まう場所でもある。そんな城の中で広々とした空間、つまるところは体を動かすのに便利な中庭で――――、

「たあああっ!!」

木刀を気にせず、オーディン騎士団長は少年の方へ踏み込む。たった半歩だけで、体は木刀の軌跡の内側へと移動する。当然、武器は意味を失い、切っ先は空を切る。それを横目に、オーディンは片手にぶら下げていた空っぽの鞘の先で、少年の腹部を突く。
そのまま、少年の体はオーディンへと踏み込んだ反動を利用される形で吹き飛ばされる。ボールのように軽く吹き飛んだ体は、そのまま近くの噴水の中へ。バシャーン、というお決まりの音に合わせて、大きな水しぶきが噴水の中で上がる。―― 一瞬遅れて、木刀もからんという乾いた音と立てて地面に落ちた。
オーディンは大して息を上げることもなく、軽く肩をすくめ、噴水の中で体を起こした少年を見る。

「フォル、こっちが剣を持ってないからって油断するなよ。鞘だけでもこうやって十分戦えるんだからな」

その言葉に、フォルと呼ばれた茶髪の少年は、金色の瞳を細めて口元を不服そうに歪めた。

「ディン、ずりーよ! 俺よりでっかいじゃんか!」
「馬鹿。実践だったら、お前よりでかい奴なんていくらでもいるだろうが。俺なんて平均的な方だよ」
「でも鞘で吹っ飛ばすとかずりーよ、やっぱりー」

噴水からびしょぬれのまま出てきた少年は、強かに打ちつけたらしい腰をさすりつつ、相手をしたオーディンをじろりと見る。すぐ傍には、タオルを取ってきたらしいマニューラが、懸命に主人の水気取りをしていた。

「お前、俺が木刀なんかでやったら、手加減できるだけないだろうが。これでも、"一応"は騎士なんだからな。大体――――」
「おや隊長、今日はフォルに剣の稽古ですか?」

声に振りかえったオーディンは、その人物を視界に収め、顔をしかめた。

「ロキか」
「相変わらずの反応ですねぇ。で、フォルは負け続けですか?」
「だって、ディンってば、ずりーんだよ! 俺の方が小さいのに、ムキになって鞘振るしー」
「おいフォル、なんか語弊を招くような言い方をするな。俺がお前相手にムキになるわけないだろ」
「じゃあさっきの実力は!?」
「5割だ、5割。お前がまだ慣れてないだけだ」

ふくれっ面のフォルの頭を鞘で軽くはたきつつ、オーディンはやってきた城の参謀長官であるロキ――と、その隣には、騎士団員らしいのだが、何故か彼の秘書扱いになっている金髪の青年がいる――を見据えた。
いつもと変わらない紳士然とした服。顔はある意味で二つに分かれており、白い仮面に覆われている右側は当然何を思っているか読めず、唯一表情が認識できるはずなのにやはり何を考えているか読めない左側も同様である。
この城における切れ者担当である、そのロキの表情を見てオーディンが思うのは、

「相変わらず胡散臭い顔だな」
「隊長、あまり失礼なことを言うのはよくないと思いますけど?」
「あーあー、俺が悪かったよ。お詫びに戦ってやるから受け取れ」

ひらひらと手を振った後、オーディンはフォルが取り落とした木刀を掴み直すと、彼へ投げ渡す。白い手袋に覆われた片手が、飛んできた木刀を捕まえる。大した重さのない木刀を、ロキはしげしげと眺める。

「普通のより少し長めの木刀ですね。儀式用の剣くらいでしょうか」
「よく分かったな。まぁ、実戦で使うものよりは軽いが、フォルが練習するには丁度いいだろ。んで?」
「遠慮しておきます。というより、私、剣を扱ったことはありませんから」
「え!? ロキって剣を使ったことないのか!?」

肩をすくめるロキを驚いた表情で見上げるフォル。オーディンもまたやや意外そうな表情をしている。傍にいる秘書の男は、特に驚きを表明していない物の、少しばかり目を見開いていた。

「言っておきますが、私は別に貴族の出ではありませんからね。それに、今の時代にポケモンバトルに頼らず、剣技を習得する者と言うと、それの競技者か、或いは、騎士くらいなものでしょう」
「あー……まぁ確かにそうか」
「なぁなぁ、さっきから気になったんだけど、騎士って騎士団員と違うのか? というか、ロキが貴族だとかって関係あるのか?」

別なマニューラが持ってきた大きなタオルにくるまれつつ、フォルが首をかしげる。オーディンが意外そうな表情で少年を見下ろした後、

「ロキ、お前、フォルに"騎士"の定義してないのか?」
「別に頼まれていませんからね」
「あのなぁ……おい、そこの奴、お前も騎士団員なら、フォルに説明できるか? というか、名前は?」

そこの奴、と言われたロキの秘書はびくりと肩を震わせる。そのままオーディンではなく、横に立つロキへと彼は目を向ける。上司は小さく笑みを浮かべて肩をすくめるだけで、フォローをするつもりはないらしい。そのまま、金色の瞳はフォルの方へ向けられる。タオルで拭いたものの、やはりまだぬれネズミ状態の少年は、金色の瞳でねだるような――まぁ青年にはそう見えた。フォルの隣のマニューラが呆れ顔をしていたが気にしない――仕草で秘書を見上げる。
暫く見とれていたものの、すぐさま我に返った彼は咳払いすると、少しばかり不服気な表情ながらもオーディンを真正面から見据えつつ、口を開く。

「トール=アンクール、です。騎士団員と騎士の違いは、護衛をする対象の違いでしょう。騎士団員は、地方全体の治安維持を担いつつ、王家を守護する存在であり、公の護衛者です。しかし騎士と言うのは、一人の主にのみ仕える存在。そして、騎士は主に誓いを立てる必要がある。その際に用いられるのが剣です。主を守り、主に害をなす存在を排除するための象徴。その為、騎士になる者は主を守るために剣技を覚えます」
「付け加えるのであれば、現在、"騎士"の位を持てるのは、この城で騎士団員をしている者か、貴族の出となっている者達くらいでしょう。"騎士"の称号は、国王から貰えるものです。そのため、貴族の子弟達は幼少時から剣技を覚えさせられる家庭も少なくないのですよ。まぁ最も、剣技を覚えさせる理由の大半は、貴族特有の特技の一つにする、という要素が大きいですがね」
「ふーん」

トールとロキの言葉に、分かったような分かっていないような声でフォルが反応する。表情は、長い話を聞いて何とかついて行こうとしつつもやや諦めが入っていなくもない感じだ。
近寄ってきたオーディンが二人の話に頷きつつ、軽く肩をすくめる。

「まぁ、そういうことだ。つーか、ロキが出来ないってことは、本格的に俺が指導役をやるしかないのかよ……つっても、俺の場合は独学だから、正直、教えることには向いて――――」
「それならば、私とお前で手本を見せるのはどうだ、ディン?」

その声に全員が振り返る。立っていたのは男だった。暗い赤色の髪にエメラルドグリーン色の瞳。服装は、普段の彼を知っている者にとっては珍しい、装飾が少なく機動性のある(つまりは運動服の様な)恰好であった。それでも、本来持ちえる独特の雰囲気と言うのは全く変わりがない。
この国で一番偉い存在が、ロキが手にしている長さと同じくらいの木刀を下げつつ、こちらへとやって来た。その隣には、ルカリオがファイティングポーズを決めた状態で立っている。オーディンはにやりと笑って国王を見る。

「ゼロか。……そうだな、お前とやったら、フォルに見せる実戦のいい例になるか。ってか、何でいきなりお前、やる気になったんだ?」
「お前とフォルの様子を見ていたら、少しは体を動かそうと思ったからだ。最近は全く動いていなかったから、勘が鈍っているだろうしな」
「それにしても、国王陛下が剣技を学んでいるというのは意外ですね」

持っていた木刀を黙りこくった秘書に手渡しつつ、ロキは国王を意外そうな目で見つめた。ゼロと呼ばれた国王は、事も何気に答えた。

「子供のころから書物を読む以外の気晴らしが体を動かすことだけだったのでな。城に来る騎士も多かったから、彼らに鍛えてもらっていただけだ」
「だからって、それで俺よりも高等な剣技出来るのは気に食わない話だろー」
「隊長、もしかして、国王陛下に勝てないんですか?」
「…………勝率に関しては俺より上だぞ、こいつは。ったく、天才なんだよ、お前」
「ただの努力と、少し頭をひねっているだけだ。それよりディン、お前はフォルに説明をする前に稚拙さが足りないだろう」

国王の嫌みに、騎士団長が頬をひきつらせつつ目を反らす。その様子に、ロキが肩をすくめ、フォルが不思議そうに首をかしげて、

「クィルイエス国王」

声を発したのは、トールと名乗ったロキの秘書だった。全員の視線が、一斉に彼へと向けられる。――その中で、ゼロだけが、口元に小さな笑みの様なものを浮かべていた。金色の瞳が太陽の下で僅かに紅に色を変えたように見える。
ロキから受け取った木刀を握りしめると、その切っ先を国王に突き出し、トールは言い放った。

「どうせ体を動かすのでしたら、俺と戦ってください」

その言葉に、オーディンが何かを口出す前に、クィルイエス=ゼロ=バッキンガム国王は、切っ先だけで騎士団長の動きを止めると、エメラルドグリーン色の瞳を細めた。

「いいだろう。来るといい――――…………」

最後の言葉の音は、オーディンやロキには全く届いていなかった。しかし、口元だけはハッキリと動いていた。フォルは不思議そうに目の前の様子を眺めている。タオルを持ったマニューラ達が、国王を驚いた眼で見つめていた。
そして――――トールが、国王の最後の呟きに反応するかのように、走り出した。躊躇のない走りと共に、国王の懐へ一気にもぐりこみ、木刀を振るう。
それを、国王は体を半歩引くことで避ける。そのまま、追撃するかのようなトールの突きが放たれる。国王の木刀が、それを切っ先で受け流しつつ、国王の放った突きがトールの腹部を捕らえる。瞬間的に数メートルほど吹き飛ばされるも、たっ、と踏みとどまる――それでも先ほどたっていた場所から3メートルほどの距離を空けてしまったが。
トールは全く息を荒くすることなく、平然と国王を睨みつけている。国王は、持っていた木刀を左から右へ持ちかえ直しつつ、目を細めて青年を見つめる。そして、トールが再び突進するかのように国王へと突っ込んでいく。
その様子をオーディンとロキは、フォルと共に少し離れた位置で傍観していた。

「おい、ロキ。――――あいつ、何者だ」
「私の秘書っぽいのをしている助手ですが、何か?」
「騎士崩れか?」
「さて。私は彼のプライバシーまでは聞いたことありませんので」

じろりと、騎士団長は参謀長官を見下ろす。何を考えているのか読めないその男は、オーディンの言葉に対して軽く肩をすくめる。

「なぁ」

呟いたのは、目の前の戦闘を見ていたフォルだった。

「何だ?」
「さっき、トールが『騎士は主に誓いを立てる』って言ってたよな?」
「そうですね」
「じゃあさぁ」

目の前では、トールと国王が木刀を交わらせている。どこか必死さを感じさせるトールの攻撃を、国王は受け流し、がら空きの一点を突きにかかっている。トールは再び吹っ飛ばされる。それでも、食らいつくようにして国王へ木刀を振りかざす。
目の前で弄ばれているような青年を見つめて、フォルは、金色の瞳を細め、呟いた。

「トールは、一体誰に誓いを立てたんだろうな」


**********


「俺――――トール=アイレッドは、巫女、ルアナ=ナイトメアに、以上の誓いを立てる」
「誓います。トール、今日から貴方は私の騎士です。これからずっと、私を守ってください」
「ええ」

そう言って見上げた彼女の顔は、喜びと悲しみだった。
彼女の騎士になる事は彼女のそばに居続けられる代わりに、それ以上になることを許さない誓いだった。
でも、それでもいいのだと彼女は言っていた。自分が共に居られる場所がある事を、彼女は喜んでいた。
自分はただ、彼女を守れればいいと思った。自分たちにそれ以上の関係が望めないのであれば、居続ければいいのだと思っていた。
だから、

「トール」
「何だ?」
「その剣を誰に捧げたものであるのか。ゆめゆめ忘れてはなりません」

それはいつの言葉だったか、彼の記憶の中には残っていない。
ただ、巫女と騎士ではない時だったように思える。
そしてこれだけはっきりと、未来を見据える巫女が、最後にこう言った事だけは覚えている。

「それが、きっと、地獄の炎に焼かれ苦しむ貴方を救うでしょう」


**********

カンッ、という甲高い音が、中庭に響き渡る。トールの持っていた木刀が放物線を描き、噴水の中に落下する。同時に、トールがその場に倒れる。気づけば息が上がっているようだった。立ちあがろうとするトールだが、国王から受けた剣戟は思った以上のダメージを蓄積していたのか、立ち上がることすらままならない。
そっ、と国王がトールの傍にしゃがみこみ、何事かを呟く。同時に、びくりと、トールの目がつり上がる。何とか持ち上がる片手でがりがりと地面を引っ掻きつつ、国王をにらみあげる。
その様子に、国王は何とも言えない不思議な表情をし、その場を離れて傍観していたオーディン達の元へとやってくる。

「ロキ、彼を、トールの手当てをしておいてほしい。少しやり過ぎてしまった感があるのでね」
「分かりました」

足早にその場を去っていき、倒れこんだトールの手当てをするロキを横目に、オーディンは訝しげな表情で国王を見る。

「お前、さっき、あいつに何て言ったんだ?」
「ん? 『もう少し強くなれ』と言っただけだが」
「本当にそれだけか」

真っ直ぐと国王を見据えるオーディンの表情には、曇りが見えない。国王は、ほんの僅かに考え込むような仕草を見せた。そして、

「あぁ、それだけだ」
「そうか」

貯めこんでいたような息を吐き出すオーディンに、国王は小さく苦笑する。そして、やはり不思議そうな表情でこちらを見上げてくるフォル(タオルで拭いたこともあって、既に十分乾いていた)の頭を撫でつつ、彼は尋ねた。

「どうだ、フォル。勉強になったか?」
「うーん、とりあえず、ゼロがディン以上にずりーってことは分かった」
「おや、何故、そう思う?」

ゼロは楽しそうな表情でフォルを見下ろす。オーディンは意味が分からずに訝しげな表情で二人を見る。
国王と復讐者の戦いを眺めていた傍観者は、言った。

「だってゼロ、ルカリオのサイコキネシスで、トールの剣先が届かないようにしてたじゃんかー」
「言っただろう。剣技のコツには、頭を使う必要がある、とな」



矛先



「見事に負けましたね、トール。ところで、先ほど、国王陛下は何と言ったんです?」
「言いたくないです」
「では、動けない貴方に自白剤を投入して聞きだすことにしましょうか」
「それでも、俺は言いません。……言いたくない」

唇を強くかみしめるその青年の様子に、ロキは口元を小さく歪めた。

「そう言っている内では、国王陛下を殺すことなど出来そうにもないですね」




(「はぁ……!? ……まさかお前、俺の時も……」
 「まさか。お前の場合はそんなことをする必要もないからな。負けるときは素直に負けているだろうが。ところでフォル、剣技指導をするのはいいが、そもそもまずは構え方が――――」
 深いため息をつくオーディンの傍で、国王は何事もなかったかのような表情で、フォルに剣技指導を始めた。)

101207/アイレッド一族は、この物語の半年ほど前に起こったある事件によって、このフォルとトール以外の全員が死んでいます。
んで、その事件が発生した発端のようなものに、国王が関わっているという話を聞き、トールは国王を殺すために騎士団に入っているという感じ。ただ、機会をなかなか得られずに様子をうかがっている状態でもあります。
ロキは、彼が国王を殺すつもりなのは知っているのですが、彼は彼なりの思惑があってトールを部下においているという。そして、国王はトールの思惑を知っていながらも、とある理由から放置をしている。
そして騎士団長は全くカヤの外。これが後に「ある物語」において、詳しく関わってくるかどうかの違いになるという。




























「先ほど私は、君に、アイレッド族の生き残りと言ったのは分かるな。私は君の正体を知っている。
だからこそ、君に言っておくことがある――――今のような強さなのであれば、彼は私達、王家の方で保護する」

その言葉が本気だと理解したのは、数ヵ月後、フォルと呼ばれた少年が、
スフォルツァンド=ルアーブルという名前を与えられ、国王の直属となる騎士に任命されたからであった。