『ねぇ、ガイア、聞いて!』
『あぁ、聞いてるよ。だから、そんなにはしゃいで、どうするんだ』
『もう、ガイアは酷いわ。女の子ははしゃぐ事が好きなのよ。こういうのを分かってあげるのが、男の子なんだから』
『お前はいつもはしゃいで……あぁ、悪かった悪かった! 俺が悪かった! だから、そんなに不貞腐れるな』
『不貞腐れていないわよーだ』
『そう言って顔を背けられては説得力がないと思うが……』

彼女は常に自由気ままだった。そんな彼女が、"俺"には酷く眩しく思えた。
あれは多分、もう抱く事のできない感情だろう。





(そういえば、今回、キョウスケが連れていってるメンバーって、古参メンバーばっかりよね)

キョウスケに隠れてバッグの中に入っていたガブリアスのユリアは、ふと目が覚めたボールの中でそんなことを思った。
というより、何かを思ってないと、起きたとしても本当にやることがないのだ。分かる事と言えば、ボールの外から伝わる振動で、とりあえず主人はまだ動いているということくらいか。ボールの中では、外の音と言うのは聞き取りにくい。ましてや、現在、彼女がいる場所はバッグの奥底だ。外の様子は当然見えるはずもなく、一緒に詰め込まれている服によって、外の様子は更に聞き取りにくくなっている。

(ガイアは一番最初のポケモンだし、ゼフィアもアールも、最初の旅で出会ったポケモンだって言ってたし……)

ユリア自身、決して、パーティの中で新しい方ではない。
しかし現在の主人であるキョウスケが、ユリアと出会った時の旅は、二度目の旅に出てからなのだという。そして、バンギラスのガイア、ゲンガーのゼフィア、ユキノオーのアール以外で一度目の旅に同行したポケモンは、現在、彼の手持ちにはいないという。

(二度目の旅ってことは、一度旅を止めてたってことなんでしょうけど……何で?)

そのことは、話を聞いた時にガイアに尋ねたところがある。
しかし、ガイアは「知らない。だが、キョウスケがそう言ったからだ」と言って、詳しい理由は知らないという。それは、ゼフィアやアールに問うても同じ返答だった。
そしてキョウスケは、今もまだ、こうして二度目の旅をし続けている。
その事を尋ねようと頑張った事はあるが、結果は見事に意図が伝わらず、挙句には「お腹が空いた?」と勘違いされる始末だった(その瞬間、ユリアは自分の主人にドラゴンクローを決めた)。
ポケモンが人と会話することは難しい。ポケモン同士ならば、互いに鈍りはあるものの、(相手が本当に別言語すぎるか、或いは赤ん坊でなければ)概ね、言葉は通じる。人間の言葉と言うのは、ポケモンにとって"理解するだけならば"簡単な言語だ。しかし、人間はポケモンの言語は全く分からないという。
キョウスケは、ほとんど"なんとなく"でポケモン達の言っている事を理解している。しかしそれは大雑把な物で、より詳細なものとなれば、流石に分からないらしい。

(そう考えると、人間って本当に面倒くさくて……面倒で……)

ふと、脳裏に自分の幼少時代がちらつく。訳を言う事もなく自分を雪山に捨て、その癖、生きていく上で強くなった途端に迫害してきて。

(い、今はいいのよ、そんなこと……それより、本当にここはどこなのよ……っていうか、勢いでバックの中に入れてもらっちゃったけど……)

ボールの中と言うのは不思議な事に、体内時計というものを消費しない。ある意味、お腹がすいていたとしてもボールの中にいれば空腹を感じないのだ。むろん、ボールの中に居続けたからお腹が空かないかと言うとそういうわけでもなく、食事が出されればそのまま何故か食べてしまう。非常に便利な空間だ。
とっさの判断で、トゲキッスのゼルマに手伝ってもらって主人のバックに潜りこんだものの、その先と言うのは一切考えていない。
とりあえず、ついていけばなんとかなる、自分を置いていくまでしたガイアを問い詰められる、というか自分を置いてこうだなんて良い魂胆をしているなど、そう思っていたユリアであったが、

(流石に、今回ばかりは考えなさすぎよね)

少しばかり、自分の行動が感情に素直すぎることにため息をつく。
相変わらず外の音は聞こえない。見える様子も、全く変化が――――瞬間、止まっていた風景が揺れ動くと共に、ボールの外側から、中身を振るかのような上下の震動が伝わってくる。

(キョウスケが走ってる?)

任務のためだろうか? 或いは、単に待ち合わせの時間に遅れそうだからなのか。バックの中身は上下するのだが、肝心のユリアがいる位置と言うのは、見事に揺れにくい場所なので、やはり外の光景はうかがい知れない。
生真面目な後輩が、なるべく自分のことを主人に知られないように隠したのは良いが、わざわざ奥深くに突っ込まなくてもいいのに、などと胸中でぼやいていいるうちに、上下の振動がいきなり止む。
立ち止まったのだろうか。
そう思った次の瞬間、外から見えない圧力の様な――それは、吹き飛ばされた感覚と似ている――何かがボールの外側から伝わってくる。ほんの一瞬だけ、聞こえにくい筈のボールの外側から、甲高い音が聞こえた気がした。
その時には、既にユリアは外へと飛び出ていた。外の状況は分からないが、少なくとも、普通以外の事が起こった可能性が高いのだ。ボールの開閉音と同時に、ほんの僅か、目のくらむ瞬間。暗いところから明るい所へ出たことによる眩暈は、数秒もしないうちに霧散する。
素早く、ユリアは主人の姿を探し――自分のすぐ足元で倒れている姿があった。

『キョウスケ!?』

自分の鋭い爪先で傷つけないようにしつつ、ユリアは主人を抱き上げた。少しばかり頬をたたくが、完全に意識は飛んでいるらしく目を開けようとしない。生きていると分かるのは、辛うじて呼吸音が聞こえるからだろうか。それでも、ユリアの頭は混乱で埋め尽くされていた。

『ちょ、ちょっと、どういうことよ……っていうか、残りのボールの中は空だし、ガイア達は一体……』
「ガァゥウゥゥッッッツ!!!」

吠えたける声に、ユリアは反射的に腕を振った。ガブリアスのドラゴンクローが、背後から接近してきたグラエナの顎を取り、そのまま近くの壁まで吹き飛ばす。そこで改めて、ユリアは周りを見回した。
そこは、少し暗い部屋の中だった。天井の蛍光灯は切れかかって点滅しており、辺りには白い紙が散乱している。そして、すぐ後ろには大きな壁に穴が穿っており、少し離れた壁際でひくひくと痙攣しているグラエナが、そちらからやってきたのであろうことが分かる。

『と、とりあえず……任務だとは思うけど、キョウスケを外に出さないと……』

瞬間、自分の周囲を砂嵐が取り巻く。ユリア自身、砂にはそこまで詳しくないが、その砂嵐の感覚だけは、自分がダブルバトルで感じているものと全く同種のもので――――穴の向こうから飛んできた冷凍ビームを辛うじて避けれたのは、ほとんど反射的なものだった。
悲鳴を上げる間もなく、キョウスケを掴んでその場を回避すると同時。暗闇から躍り出てきたバンギラスは、再び冷凍ビームを打とうとエネルギーを貯めながらこちらへ走ってくる。
自分を攻撃しようとするバンギラスの黒い瞳には、普段の様に接してくる時の優しさも厳しさも感じられない。ただの冷徹な、敵を殲滅する事に特化した冷たい黒が、こちらを見据えている。そのそのことに、ユリアは――――怒りと共に、声と技を叩きつける。

『ちょっとは話を聞きなさいよ、この馬鹿ガイアーー!!!』

いつも以上に勢いをつけた地震が、バンギラスを対象……どころか、建物そのものを激しく揺らす。下手をすれば建物自体を崩落させかねない威力を出したことも気にせず、ユリアは主人を抱き上げたまま、攻撃によってひっくり返ったバンギラスをにらみつける。やがて、自らの体をゆっくりと起こしたバンギラスは、目を丸くしたままこちらを見据え、

『まさか、ユリア……?』
『私以外にキョウスケを助けるガブリアスなんて、いるわけないでしょ』

未だに(攻撃の衝撃を受けたばかりだからだろうか)呆然とする相棒に、ガブリアスは強い姿勢のままずかずかと近づく。

『私を置いてきぼりにしようだなんて、そうはいかないわよ。大体、何でキョウスケを助けたくらいで私に攻撃してくる』
『何で、今、来てしまったんだ、お前は!!!』

それは悲鳴のよう声でもあった。
言われた言葉に、今度はユリアが目を丸くする。
何も言えずにいるガブリアスの目の前で、バンギラスは顔を歪ませ――それは、ユリアにとって初めて見た、堅物な彼の、激情の吐露のようにも思え――ゆるく首を振る時には、もはや、いつもの落ち着いた顔になっていた。

『いや、済まない……とりあえず、キョウスケと共に早く外に出るんだ。ここは俺が何とかする。だから、早く行け』
『ちょ、ちょっと、待ちなさいよ! どういうこと?  そもそもここはどこなの? っていうか、なんでキョウスケは気絶してるのよ』
『それは』

バンギラスの説明は、そこで遮られた。正確には、穴の向こうから飛んできた冷凍ビームを、ユリアと主人を庇おうようにしてバンギラスが立ちふさがり、そして、技によって近くの壁へと吹き飛ばされたからではあるが。
反射的に、ユリアは暗闇の続く穴の向こうへと顔を向け、

『何なの……これ』

壁の向こうから出てきたのは、目を真っ赤にさせたピッピであった。その後ろから、他の種類のポケモン達がぞろぞろと続く。彼らもまた、先頭のピッピと同様に目を赤くさせ、口と思われる部分からはよだれの様なものを垂らしている。
そのポケモン達の見た目は、まだ幼く頼りなく見えた。しかし、醸し出す敵意のようなものは、彼らが部屋に展開していく事で充満していく。

『こいつらは、薬漬けで捨てられた、実験ポケモン達のなれの果てだ』

逃げ道が塞がれているために、様子を見るしかない状況で、バンギラスがぽつりと呟いた。

『なれの、果て……?』
『ある人間が、生まれたばかりのポケモンに、制限以上の薬を与えて鍛えてやれば、最強のポケモンが作れるんじゃないかと考えたらしい。そして、この実験施設が出来上がった。しかし、結局、実験は上手くいかず、実験していたポケモン達はそのままにこの施設は閉鎖されたそうだ』
『じゃあ、今回の任務は、この子達の保護……』
『違う』

はっきりと拒絶の意図をもって、ガイアが言い放つ。

『じゃあ……何なのよ』

自分の声が震える。彼の口から聞きたくない。そう思う自分は、しかし、問いを発してしまった後だ。耳をふさぎたいが、両腕は主人を持ち上げているために使えない。それに、心のどこかで、その答えを聞くしかないと思っていた。そして、

『――殲滅だ』

ほとんど反射的に、ユリアは声を荒げた。

『なんでよ!? この子達に与えられたとか言う薬を取り除けば、普通の子に……!』
『そういう問題じゃない。こいつらは、もう、長くは生きられないんだ。最近、こいつらは研究所から出ては、旅のトレーナーや近くの村を襲うようになっている。肉を食われたというポケモンや人間も出たぐらいだ。……このまま放っておけば、またいつ被害が出るか分からない!』
『被害って……!』
「ウゥウウゥゥー……マァアァマアァァー…………」

その声は、先頭に立っていたピッピの口から発せられた声だった。その声に輪唱して、他のポケモン達も同じような声があげる。しかしその声に生気は感じられない。そのまま彼らは、ユリア達へとぞろぞろと歩み寄っていく。どうにか近寄ってくるポケモン達を振り払うために両腕をあげ、しかし、ユリアの鋭いヒレと爪の先が止まる。

『何しているんだ、ユリア!』
『だ、だって……でも、この子達は、本当は……!』

普通のポケモンでしょ。
そう続けようとしたその言葉を、ユリアは飲み込むしかなかった。
攻撃の動きが止まったのを見計らったかのように、周りを囲んでいたポケモン達が、ユリアへと一斉に群がってくる。そして――――彼らは足元から噛みついてきた。
その歯はあまりにも幼く、しかし、ガブリアスの強靭な肌にさえ皮膚を貫くのではないかという痛みが体を襲う。そして、そのポケモン達はユリアの身体を登ると、彼女が抱える人間へと噛みつこうとして、

『っ!』

瞬間的に、ガブリアスの体が大きく震え、自分にまとわりついていたポケモン達を壁際へと叩きつける。小さな体のポケモン達が十数匹ほど吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、地面へと落ちる。そのまま、少しの間体を痙攣させた後、電池が切れたロボットのように動かなくなる。目は充血し、普通ならば可愛い筈の顔は醜く歪み、怨嗟すら聞こえそうな顔が、こちらをじっと見つめる。
その姿がユリアの恐怖心を逆なでする。

『早く、キョウスケを連れて逃げろ!』

普段は分かるはずの言語なのに、気づけばユリアには、その言葉の意味が理解できなくなっていた。
頭が真っ白になり、周辺の音が歪んでいく。震える腕は辛うじて主人を持ち上げているが、それもいつまで続くか分からない。その場で膝をついて、今の感情を叩き出したいほどだった。

『ユリア!』

名前を呼ばれて、声がした方向へ顔を向ける。相手の顔が、何故か、うまく見えない。口元が震える。足元は腕以上に震えていた。自分の状態が分からず、ただ、ユリアは首を横に振り――――ガイアを中心に巻き起こる砂嵐が竜巻のようになり、再び近寄ってこようとしていたポケモン達を一斉に吹き飛ばす。砂嵐はそのまま、近寄ろうとするポケモン達の足を食い止めるように激しさを増す。
その様子が、まるで他人事のように映るのを、ユリアはぼんやりと眺め、

『ユリア、しっかりしろ!』

肩を強く掴まれて、額を合わせる。気づけば、ガイアの顔がすぐ目の前にあった。

『ガイア……』
『いいか。俺はここでこいつらの足止めをする。この部屋を左に出たら、真っ直ぐ進め。多分、さっきのお前が放った地震で、ゼフィアやアールもこっちに向かってくるはずだ。最悪、あの二人にさえ会えれば、お前は出れるはずだ。あいつ等なら、道は覚えてる。外に出れば、キョウスケの知り合いとやらもいる。大丈夫だ、キョウスケもお前も』

そこまで一気にまくしたて上げ、ガイアは、ガブリアスの目元を拭ってやる。
そして、普段の頼もしい笑みと冷静さを見せる表情で、彼は、彼女の頭を撫で、言い放った。

『絶対に、守ってやる。だから――――行け、相棒』

すとん、と。
心の中で暴れ狂っていた怒りも悲しみも、何もかもが落ち着いたような気がした。先ほどまで感じていた恐怖心は不思議と消え、足も腕も震えは止まっていた。
ユリアはこくんと頷く。ガイアは、その様子に頷き返す。同時に、彼らを守っていた砂嵐の威力が止み、動きを阻まれていたポケモン達が一斉に襲いかかってきた。
迷いなく攻撃を避けるガブリアスを庇うようにして、バンギラスの放った悪の波動が、襲いかかってくる彼らをなぎ払う。頼れる相棒に背を向けて、ユリアは主人を抱きかかえ、部屋の外へと飛び出した。



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